秋田散策

 

 ♪ 知らない街を 歩いてみたい 何処か遠くへ 行きたい

 

 何の予備知識も無く、只街を歩いてみるだけで素敵な発見をする事が在ります。

 

 

 『通町商店街』の案内図ですが注目すべきは描かれた人物。

 

 料理漫画『味いちもんめ』のキャラクターが描かれています。てことは漫画家の『倉田よしみ』さんの出身地? ググって見ると秋田市土崎港の出身だそうです。

 

 私が『料理漫画』を好きになったのは、小学生の頃読んだ『包丁人味平』です。

 

 一番最初に描かれたシーンが『上野不忍池・包丁塚』 その影響で私が上京して『上野駅』に降りた際、一番最初に訪れた場所が『包丁塚』です。

 

 その後も『クッキングパパ』の連載開始がやはり私が上京した年に始まり(ナント現在も連載中)、『美味しんぼ』も読み漁りました。子供が小学生になる頃『翔太の寿司』を一緒に読み、今でも『魚河岸三代目』や『酒の細道』なんかも好きです。

 

 佐久にも有名漫画原作者が在住なのをご存じですか? ヒントは佐久平駅。

 

 私の出身中学の大先輩でも在ります。芸能人の『和久井〇見』さんは後輩ですし、『故・中山〇穂』さんも佐久に在籍していました。映画監督の『崔洋一』さんも佐久市出身だとか。

 

 お隣『小諸市』出身の漫画家さんは『故・小山田いく』さん。『すくらっぷブック』という漫画が好きでした。小諸市内循環バスなどに当時の作品キャラクターが描かれています。『のらくろ』の原作者『田川水泡』さんも戦時中『佐久(旧臼田町)』に疎開していた経歴があるそうです。

 

 漫画以外では 『小海町』出身の映画監督に『新海誠』さんがいますし、『崔洋一』さんも佐久出身です。

 

 書家の『比田井天来(望月)』さんや彫刻家『川村五臓(臼田)』さんも有名ですね。

 

 以上佐久のプチ自慢でした。

 

 

 『竿灯まつり』の写真が貼られています。

 

 『ラッピング自販機』はその土地の観光案内に一役買っています。

 

 この自販機で買えるのは『コーヒー豆』や『手ぬぐい』など。ジュース販売機を利用しているのかな。

 

 

 あっ『超神ネイガー』だ! 秋田のマスコットだったのか。

 

 『秋田弁だ~』は『ベンダー』に掛けたシャレですか。

 

 ウィットに富んだコピーに感心して、ついつい買ってしまいました。

 

 只、早口で何を言っているのか全然分かりませんでした。(YouTube・秋田喋る自販機で検索)

 

 設置価格の高い自販機を導入しても、売れなくなってきたり、老朽化して処分してしまう処も多い筈です。棄てれば只の鉄くずですし二束三文(若しくは支払い発生)にしかなりません。生かして活用するには……

 

 

 此れは「八戸・しんぼり』の『南部せんべいチョコQ』の販売機。

 

 よく見るとデザインが『南部せんべい』でした。

 

 広告屋さんに聞いた処、写真を大型バスシールに印刷したりするので『ラッピング』は結構お高くなうそうです。

 

 自販機に限らず『バス』とか『飛行機』のラッピングって幾らかかるのだろう?

 

金子家

 

 『ねぶり流し館』の入館料は¥130という格安の料金。(て事は内容はそれなり?)

 

 見学を終え、出口に向かおうとすると『金子会館こちらへ』の矢印に促されて、隣接する『土蔵』へと細い通路を進みます。

 

 

 何じゃ此れ? 土蔵なんですけど豪華。しかも内部は板張りでイス・テーブルの貴賓室みたいな雰囲気です。

 

 

 土蔵の壁(コンクリート)の分厚い事! 防火・盗難対策には此の位強固じゃないと。

 

 

 内部は黒光りする床張りです。

 

 窓が無い為、間接照明が良い雰囲気です。こんな処では日本酒ですね。

 

 

 店頭に行く前に、使用人の居住空間なども公開されていましたがイマイチ暗くて写真になりませんでした。

 

 丁稚奉公している子供などが一つの部屋で共同生活していたんだろうな。

 

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竿燈

 

 『東北四大祭り』と云えば、八月初頭に『秋田竿燈』『青森ねぷた』『山形花笠』『仙台七夕』の順で盛大に行われます。

 

 旅行社の『四大祭りツアー』のプランを見ると、宿泊が三ツ星クラス温泉ホテル、移動が新幹線の四泊五日で東京発¥200000位……無理だな。

 

 『青森ねぷた』は『青森ワラッセ』で山車を観たけど祭りの迫力は実際に経験しないと。

 

 今回の旅行で『五所川原・立佞武多』だけは観たい! 

 

 『七夕』は地元で規模が小さいけど『七夕祭り』が行われるし、『花笠祭り』も沿道で踊りを見るだけ。

 

 『竿燈』TVでもよく見かけるからその大きさだけ体感しようかなと『秋田ねぶり流し館』迄やって来ました。

 

 

 『ねぶり流し』って? 正式には『秋田市民芸芸能伝承館』というらしく、観光案内に必ず載っています。

 

 えー、正直な気持ち「駐車場狭っ」 駅から歩いて来る人が多いからなのかな。

 

 大型バスが立ち寄る場所では無い事は確か。それでも高校生以下は無料という事なので、資料展示館的な役割で訪れる人が多いのかも知れません。

 

 

 大きさの違いは『大人用=大若・高さ12m、重量50㎏』『中・高生用=中若・9m、30㎏』『小学生用=小若・7m、15㎏』『未就学児用=幼若5m、5㎏』更にはミニチュア版も。

 

 

 料金を払いホールに足を踏み入れると実物の『竿燈』が展示されています。

 

 薄暗いホールの一角では『竿燈のあらまし』とか『祭りのビデオ』が流されています。

 

 出来れば実物に触れて重さを感じたりしてみたかったけど、倒れたら危険という事なのでしょう。見るだけ。

 

 子供の頃、指先に閉じた傘を立てたり、竹ぼうきを掌に立て、かけっこの競争したりしませんでした?得意だったけどなぁ。

 

 

 一通りの見学の後、見学順路に従って二階へ。そこには秋田伝統の祭りの色々が展示されていました。

 

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城跡

 

 『国破れて山河在り 城春にして草木深し』

 

 有名な『杜甫・春望』の一節です。  中略

 

 『白頭掻いて 更に短し 渾て簪に 勝えざらんと欲す』

 

 詳しくは『春望』でググって貰うとして、実に高校の古典以来かな。

 

 『戦には負けたが 春には草木に新芽が芽吹く 中略 白髪頭を掻いた所で薄くなった髪には 簪を(髷に)刺す事も出来ない』

 

 どうしても途中が思い出さないのでググってみたのですが、一番最後が自分の事の様でして。

 

 確か『五つの漢字四行』が『五言絶句』 『五つの漢字八行』が『五言律詩』で、言葉が出なくなる状態=『絶句する』の語源だったと思います。

 

 『松尾芭蕉』も『奥の細道』に『夏草や 兵どもが 夢の跡』と詠んでいます。

 

 『中国』も『日本』も、戦争が終わってみれば何も残らず また季節が巡るって事でしょうか。

 

 今戦争している『プー〇ン』『タリバン指導者』やらその他諸々の馬鹿に言ってやりたい。(言った処でどうにもならないのでしょうけど)

 

 『戦争は次の遺恨を産むだけで、解決出来る事は何も無い』

 

 なんて事を『千秋公園』の土塁を散策していて思いました。

 

 

 桜の樹が多い城内は、春に花見の人出賑わうのでしょうね。

 

 私ゃ『花より団子より酒』です。花見茶屋が在れば『熱燗+おでん盛り合わせ』ですが、花冷えする頃なので『ウイスキー』のクピ呑みが好き。

 

 

 東屋在り、小さな池在りの庭園をゆっくり歩きたかったのですが、新幹線の時間迄に他に幾つか廻る処が在るから少し急ぎます。

 

 

 高台になるので『秋田市街』が一望できるはずなのですが、まだ葉っぱが青々としています。紅葉落葉迄はまだ時間掛かりそう(10月初頭です)

 

 

 商売の関係で『平日休み』の特権ですが、混雑どころか全く人に逢いませんでした。

 

 紅葉の時期になろうものなら人が出るんだろうけど。

 

 さて『英気』を養えた事にしまして。 次です。

 

何と読む?

 

 消失してしまった『裏門』から見下ろすと噴水の池が見えました。

 

 坂道を下り『胡月池』の周りを散策。紅葉にはまだ時期が早かったですが、かなりお金(税金)と手が架かっています。

 

 

 更に歩を進めると又も鳥居が。

 

 『彌高神社』と在りますが何て読むんだ?

 

 

 う~ん墨書きが消えかかっていて由緒由来も読めない。

 

 ググろうにも詠み方が解らないとねぇ。

 

 グーグルマップで現在地からウエブサイトに入って……ってルビが振ってないから読み方が解らない。現地の人には当たり前に読めるんでしょうけど。

 

 

 緑に囲まれた厳かな雰囲気です。

 

 参道の真ん中は『神様』が歩く部分です。「端っこ歩きなさ~い」と某歌手のCMを思い出しちゃいます。

 

 

 んおよそ『荘厳さ』とは似つかわしくない色使い。

 

 五角形の絵馬で『五角=合格』の駄洒落らしく、秋田大学の学生さんがプロデュースしたとか。

 

 よく見ると『Northern-Happinets(ノーザンハピネッツ)』と書かれていてバスケットボールのマークみたい。

 

 となれば『信州ブレブ・ウォーリアーズ』のライバルですな。

 

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佐竹義堯公

 

 勉強不足なのは否めません。秋田出身の有名人、知ってる人は

 

 『柳葉敏郎』『桜田淳子』『佐々木希』……

 

 領主に関しても誰が治めてたっけ?

 

 

 『佐竹義堯(よしたか)公』銅像が在りました。調べてみよう=ググってみよう。

 

 グーグルアプリ起動して、音声入力するだけでテキスト読み上げしてくれます。

 

 でも読み方が解らないと何にもならない。(音声入力のナビもそう)

 

 知りたい時に知りたい事がすぐ解かる。其れも辞書で調べたりなんて苦労も一切無いから覚える必要も無い。

 

 知識が右から左に入れ替わっているだけの気がして、便利なんだけど素直に喜べない。

 

 ましてや『AI=Artifical Intelligence』が全ての生活に関与するとなると『SF映画』が『ホント=nonfiction』になりそうで恐怖なんですけど。

 

 『AI』 発達した人工知能とロボット工学技術の末に生み出された『ヒューマノイド』が『愛』を求めるストーリー。先日観た映画『ペイ・フォワード 可能の王国』(不覚にも涙が滲んでしまった)の主人公、『ハレージョエル・オスメント』さんの代表作です。

 

 他にも『アイ・ロボット』『ブレードランナー』 は従属的な関係から人間の脅威へと変貌していく近未来の話です。

 

 「I'll be back」が有名な『ターミネーター』も考えてみれば『AI』と云っても良いでしょうか。

 

 何でもかんでも『Siri』だの『Alexa』と話しかけるだけで、好きな音楽を掛けてくれたり、エアコンを調整したり。

 

 その内「ラーメンが食べたい」と話し掛けるだけで冷凍庫から食材が電子レンジに運ばれ、加熱調理されて出来立て熱々のラーメンを配膳ロボットがテーブルまで運んでくる。もうすぐそこの話ですね。

 

 肝心の『佐竹義堯』公 1825年生まれの最後の大名(明治政府発令の為)『久保田藩=久保田城』12代藩主。久保田城初代城主は常陸の国城主『佐竹義宜』公。

 

 『久保田城』は1603年に築城が開始されましたが、徳川幕府の指令なのか『高い石垣』や『天守閣』は造られなかったそうです。『国破れて山河在り 城はるにして』じゃ無く最初から自然を残して築城されたみたいな感じ。

 

 詳しくはWikipedia。 

 

 

 其処に書かれていた文面には『戦争の為金属類の提出』による消失と、市民の努力により再興された姿です。

 

 『戦争』を起す人間にもそれなりの理由が在るのかもしれませんが、そんなの認める訳無いだろうが。

 

 『プー〇ン』に言ってやりたい。「此のバカ(プー)チンが~」(武田鉄矢風に)

 

 支離滅裂になってますんで今回は此処まで。(昨日呑み過ぎたかな)

 

久保田城? 秋田城?

 

 秋田駅に近いのが『久保田城跡=千秋公園』 徳川幕府により『常陸』より国替えになった『佐竹氏』が城主となりました。

 

 でもう一つが『秋田城』 築城されたのが『天平5年(733)』ですので時代が違いますね。(詳しくはWikipediaで確認願います)

 

 

 雨に濡れる坂道を登ると『城門』到着。建築物でお城らしき物は此処だけ。

 

 元から天守閣の無かったお城で、平和な徳川時代には此れで充分だったのかも知れません。

 

 

 お城を散策していると鳥居が在りました。

 

 『八幡秋田神社』 本丸跡に建立されています。

 

 

 諸代の城主を神格化して祀っています。

 

 

 『おみくじ』の納め場所に『笠のミニチュア』が。

 

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千秋公園

 

 『秋田県』の旧国名は『出羽国・でわのくに』

 

 平安時代以降鎌倉時代まで、広く東北地方を支配していたのは『奥州藤原氏』、『中尊寺金色堂』を建立した方です。

 

 時代は流れ『徳川』(江戸)の時代、『出羽の国秋田』の地を納めていたのは『久保田藩』、『関ケ原の戦い』以降『徳川幕府』に与した為『外様大名』です。

 

 『外様大名』は江戸から遠く離れており、『参勤交代』の際に莫大な費用が掛かるシステムでした。(藩財政削減政策)

 

 明治時代になり『藩』から『県』に移行した際も、多くの『外様大名』は『藩の中心地』=『県庁所在地』を『県名』とする事を許されませんでしたが『秋田藩』は『秋田県』を名乗っています。何故?

 

 

 『千秋公園』の蓮池。『甘露』とでも言うべき雨露が『蓮の葉』の中に揺れていました。『蓮の花』は初夏の筈。

 

 

 朽ちていく『蓮の葉っぱ』と対照的に、散ったばかりの真っ白な花弁が風に押されて流れて行きました。(この日は10月初頭) もしかして『お釈迦様』が?

 

 てっきり『秋田駅』に近いから『秋田城』かと思っていたら『久保田城?』

 

 別の場所に『秋田城跡』もあるみたいですけど先ずは散策してみます。

 

 

 『久保田城概略図』 水堀に囲まれて侵入経路も複雑そう。

 

 此れが『久保田氏居城』ですか。

 

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秋田

 

 今回の始まりは『東能代駅』からです。

 

 ホームに電車?と思いきや待合室でした。

 

 

 『しらかみ号』は『(新)青森駅=秋田駅』を結ぶリゾート列車で、『奥羽本線』では無く『五所川原駅=東能代』間を、海岸線の『五能線』を走る事で知られています。

 

 その為『海岸線』の景勝が見られる窓側が人気で、『大人の休日倶楽部東部パス』の乗車期間は『アッ!』と言う間に押さえられてしまいます。(JRさん、忖度してないよね)

 

 しかも『展望席』は心無い乗客に独占される始末。不快な思いをする位なら『各駅停車』でゆっくり廻った方が良いかも。

 

 廃業前に『ウェスパ椿山』で宿泊し露天風呂に入りたかったんですけど、翌日のスケジュールから断念。東能代のビジネスホテルに泊まりました。

 

 秋田到着を優先し『男鹿半島』観光を取り入れるか、東能代で宿泊し、翌日『八郎潟』を見て秋田入りするか悩みましたが、『男鹿半島』を廻るにはやはり『レンタカー』を借りるしか無く、今回予算の関係で諦めました。(しかも天気予報は一日中雨)

 

 『東能代』始発の電車に乗り込むと、途中から通学の高校生が乗って来る乗って来る。駅で停まる度にその人数は増えていきます。(席確保出来て良かった) それも学生をモニタリングしてみると制服の種類で10校以上。

 

 丁度『衣替え』で冬服に切り替わる頃だったけど異常気象の為か、夏服のままの生徒も多数いました。在来線は横一列シート。私の左右にはノートを広げて熱心に勉強している女子高生が座っている為、ポケットから小瓶を取り出す事も憚られるます。向かいの窓から景色を見ていましたが、何時しか立っている乗客の為に窓越の景色も見えなくなってしまいました。(そりゃ女子高生が左右に座る訳だ)

 

 途中の『追分駅』で降りる学生が沢山いました。男子学生のバックに『金足農』の文字が見えました。甲子園を沸かせた名門『秋田県立金足農業高校』の在る駅です。ググってみると『佐々木希』さんも一時期在籍していたとか。

 

 秋田駅に到着し駅のコンコースを歩くと『秋田って都会なんだ』って思える位の人。人。人。

 

 私は東京で通勤していた事も在るから朝のラッシュ時間の雑踏は経験していますけど、それにも匹敵する程の混雑ぶりです。しかも6割が学生。2割が通勤者。残り1割が地元民、同じく1割が旅行者って感じ。

 

 しかも旅行者のほとんどが『大人の休日倶楽部』いわゆる『高齢者』(私もですが)で、首から『パス』をぶら下げているグループの多い事。そのグループが電車の待ち時間なのかベンチに座り込んでうつむいている姿は他人ごとでは無く、若い人からは私もその内の一人に観られているのか……。荷物をコインロッカーに預け、傘とカメラを持って『颯爽(此処大事)』と歩き出しました。

 

 小雨の降る中、かなりの学生が西口へと歩いて行きます。そんなに沢山高校在るのか?

 

 グーグルマップで「秋田市内の高校」と音声入力してみると、アララ 沢山在るのね。

 

 しかも県立高校から宗教法人運営やら、通信高校?や、やんちゃを感じる学校も。

 

 しかも女子高生は『秋田美人』ときたもんだ。 良いなぁ。青春真っ盛りだぜ。

 

 私の高校は田舎で駅を共有する他校が無かった為か、他校との『いがみ合い』は在りませんでした。只、電車通学(実際はディーゼル車両)する生徒が上級生に対し、帽子を取り一礼しながら「おはようございます」と大声で車両に乗り込むのを見て以来、電車通学だけはしたくないと思いました。(それが高校に入学し柔道部に入ったら、もっと悲惨な上下関係に巻き込まれていくんですけど)

 

 きっと車両内に充満していた青春の匂いにあてられたかな。

 

 構内の立ち食い蕎麦で小腹を満たし、まだ町が動き出す前に付近を散策です。

 

日没

 

 お金の無い若い頃、貧乏旅行を繰り返していましたが、まるっきり知らない街で今夜の宿の当てが無い。非常に心細く、時に心折れそうになりました。

 

 夏場、男なら最悪『野宿』も可能なので其れ程気になりませんけど、冬なんぞに旅した物なら……。

 

 それも『ヒッチハイク』やら『青春18きっぷ』なんかの移動手段と、『ユースホステル』の宿泊。一応は『ユースガイド』などの本を持参して泊まれそうな『ユース』を探すのですけど、移動に時間がかかり予定していた町まで辿り着けなかったりすると急遽宿を探さなきゃいけない。(当時は予約なしでも空きさえあれば泊めてくれた)

 

 昔は経営が『お寺』の『ユース』なども多く『1泊2食¥1200』で泊れた記憶が在ります。(現在は宿坊として人気が在り¥10000でも難しい)

 

 夕闇迫る駅前の公衆電話で近い処の『ユース』に電話するも「満員です」と断られ続け、やっと探し出した『ユースホステル』までバスで移動するのですが、そのバスを待つ間の心細い事。

 

 食事に行くのか笑顔の家族連れが目の前を通り過ぎた時『マッチ売りの少女』が頭を過りました。周りが幸せそうなら尚の事自分の辛さが際立ってしまう。

 

 旭川の女子中学生いじめ事件の被害者は凍てつく真冬、凍死するまで公園で震えていたなんてニュースを読むと『独りぼっち』って辛いだろうなぁ。と思ってしまう。

 

 TVではしきりに『独りキャンプ』なんてのを持て囃してるけど、それは帰る場所が確保されているからであり、不便を楽しんでいられる余裕が在るからできる事。

 

 そもそも『ソロツーリング派』の私は『山』行きも単独行動ですけど、そりゃ仲間と行った方が絶対楽しいって。

 

 

 雨交じりの空でしたが、日没まじかに水平線に沈む夕日が見えてきました。

 

 車内アナウンスが流れ「本日はご乗車有り難うございます。只今日本海に沈む夕日が綺麗に車窓から見えています。暫くの間速度を落として走行しますので、展望席など譲り合ってのご利用お願いいたします……」 っても誰も席どきゃしない。

 

 私の右隣は若い女性の一人旅でカメラを向け辛いし。

 

 結局降車ドアの窓から撮影しました。

 

 ♪ 絞ったばかりの 夕日の赤が 水平線から 漏れている

 

 と口ずさみながら。

 

 余談ですが『夕日』と云えば思い出すのが『われら青春』のオープニングです。

 

 『いずみたくシンガーズ(後の青い三角定規)』の『帰らざる日の為に』が流れ出すと真っ赤夕日のアップの中に『われら青春!』と文字が浮かび上がる。(さっきYouTubeで観たら真っ赤な空に白色の太陽が燃えてました)

 

 ♪ 涙は心の汗だ たっぷり流してみようよ 二度と戻らない 今日の為に

 

 『青い三角定規』好きだったなぁ。

 

千畳敷

 

 この頃の『リゾート列車』は『しらかみ号』に限らず、観光ポイントの駅で短時間停車し、下車してプチ観光出来たり、風光明媚な撮影スポットで撮影し易いように速度を落として走行したりと色々と工夫されています。

 

 『リゾート列車』自体が結構なお値段したりするので、『JR大人の休日倶楽部』以外で乗車した事ありませんが。

 

 考えてみたら地元のリゾート列車『JR小海線・1375』も『しなの鉄道・ろくもん』も乗ってません。だってお値段……しかも『土日祭日』のみ運行じゃ、商売人は中々乗車できそうにありません。

 

 で年に1~2回は、研修を兼ねて『旅行』に出掛けますが、昨今の『宿泊料金値上げ』にビビッて『ビジネスホテル素泊まり』しか利用していません。それでも平気で¥10000~/1泊とかする所在りますし。

 

 私がホテル検索の際、キーワードは『格安 素泊まり』です。

 

 朝食付きプランは出発時間が限られてしまうので苦手。夕飯はホテル近くの居酒屋が多いです。(呑み過ぎて結局割高だったりもしますけど)

 

 

 車内アナウンスで「間もなく千畳敷駅です。千畳敷ではおよそ15分間停車します……」

 

 ふと閃きました。『皆この駅で降りだろうから、いの一番に列車に戻れば展望席に座れるぞ』

 

 

 『千畳敷』と名の付く所は日本国内に数ヶ所在ります。

 

 長野県にも『宝剣岳』麓に『千畳敷カール』が在ります。晴れた初夏など目に痛い程の『空の青』と『芽吹いた緑』山肌には『白い残雪』残り、山人じゃ無くても一遍で山好きになっちゃう。

 

 又、和歌山県白浜の『千畳敷』は海に突き出した『岩棚』が荒波に削られ広い一枚岩みたいになっています。

 

 さてさて『秋田千畳敷』は如何に。

 

 

 人と比べてみるとその高さが解ります。

 

 

 『岩場』と云うより『砂浜』が目立っちゃって……ひょっとして満潮時はこんなもの?それとも震災の影響でしょうか。靴を濡らさないと岩場に行けない。

 

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リゾートしらかみ

 

 『金木駅』で乗り込んだ列車は、来る時に乗った「走れメロス号』でした。

 

 きっと終点の『津軽中里駅』で折り返し、点検・待機してたのでしょう。

 

 南へと向かって走る列車からは『岩木山』が正面に大きく構えて見える筈ですが、陣取った先頭の窓には大きな雨粒が当たり、ワイパーが忙しく往復しています。

 

 

 五所川原駅のホームから見える鉄骨剥き出しの建物。祭りの時の『立佞武多一時保管庫』でした。此処に立ち並んだ『立佞武多』も見ものでしょうね。

 

 

 そうこうする内に『リゾート列車・しらかみ3号』が入構してきました。

 

 私の切符は『しらかみ3号・五号車・〇列B席』 秋田に向かって窓側がÅ席ですので通路側の席です。

 

 JRの指定席予約は1ヶ月前の朝10:00から一斉に受付が始まります。

 

 私がインターネットから申し込んだのは一か月前の10:05。その時点でもう窓際の席は予約でいっぱい。仕方なく空いているB席を予約したのですが……これ絶対に旅行会社の陰謀が関与していないよね。某TV会社だってかなりのバッシングに責任者交代要求が起きている時代、『実は〇〇でした』なんて事が暴露された暁には経営責任問われますよ。

 

 もう一度聞きますけど『JRと旅行代理店』予約に関してグルじゃないよね。

 

 生憎と隣の席はうら若き女性の一人旅らしく、挨拶したものの何か話辛いし車窓の方を向き辛い。当の本人は音楽を聴きながら雑誌を読んで偶に外の景色を眺める位。(なら何故窓際予約した?)

 

 展望席も備えたリゾート列車なのですが、「独占する事無く大勢のお客様に譲り合ってお座りください」の車内アナウンスなんてなんのその。ず~っと座り続けていて、知り合い同士が席を変わる始末。それを独占って云うんですけど!

 

 群れると怖いもの無しに変貌する中高年の皆さん。(私も含めて)『恥』って事知ってます?『旅の端は掻き捨て』なんて今は流行りませんよ。

 

 車窓をみると女性の方を向かなければならず、かといって『展望席』には座れない。

 

 トホホな状態で途中下車の『千畳敷駅』到着です。

 

 停止前から下車の用意をし、いの一番に『千畳敷海岸』まで行って写真を撮り、いの一番に列車に戻って『展望席』に行ってみると……荷物が置かれて席確保してんじゃん。

 

 車掌も見て見ぬ振りなのかな。

 

 折角のリゾート列車も台無し気分で心が折れ、ポケット瓶を取り出してグビグビっと飲みましたとさ。

 

 おまけ。

 

 

 ストーブ列車の絵馬って……

 

 ストーブ列車に乗車するだけで¥500の『ストーブ列車特別乗車券』が要るのに?

 

 冬、行商のお婆ちゃんがストーブ列車内でするめを焼いてるシーンがニュースで流れますけど、¥500払ってまで地元のお婆ちゃんは乗らないそうです。(やらせ問題発覚?)

 

 次回『千畳敷』

 

津軽三味線

 

 有名な処では『津軽じょんがら節』でしょうか。

 

 昔、正月番組と云えば『スターかくし芸大会』なる物が在りまして、忙しいであろう『売れっ子芸能人』が練習に練習を重ね習得したであろう『かくし芸』(隠してないけど)を披露する特番が在りました。

 

 誰でも短時間で習得できる『テーブルクロス引き』なんて簡単な物から、白々しく失敗してみせる『手品』なんぞも在りました。

 

 その中でも流石!と思ったのが『故・西城秀樹』さんの『カースタント・片輪走行』と『加藤茶』さんの『津軽三味線』でした。

 

 『カースタント』の方は、何十回とひっくり返りながらも練習を積み重ねたのでしょう、なんとか成功した部分を編集して放送されました。

 

 『津軽三味線』は『加藤茶』さんが『津軽じょんがら節』を演奏、大汗をかきながら真剣に演奏する姿に、いつもの『お笑いスター』の陰は微塵も無く、『カッコイイ』とさえ思いました。

 

 『津軽三味線』の実演時間まじかになり、大ホールに案内されましたが、200席程在るホールに客は15人程。なるべくステージ傍に陣取りまして。

 

 

 登場したのは女性奏者。でも手にしている三味線は『太棹』 そして力強い演奏が始まりました。途中で童謡なども交えあっという間の20分でした。

 

 『三味線』は『猫の皮』が使われているとばかり思っていましたが力強く弾く『太棹』は『犬の皮』だそうです。

 

 勿論、動物保護の観点から、海外からの輸入(〇国の食用?)だそうですが、会場内の女性から「え~~~っ」と声が上がっていました。(猫なら良いんかい)

 

 『沖縄』には蛇の皮を使った『蛇味線』が在りますし、そもそも其の土地の文化です。

 

 『ワシントン条約』に抵触しているなら兎も角、他人を不快にするような声は慎んでほしかったな。

 

 終演後、急いで駅に向かいました。

 

津軽三味線会館

 

 『金木町』では『斜陽館』と『津軽三味線会館』の『共通入場券¥1000』を購入しましたので、お次は『津軽三味線会館』へ。ホント目と鼻の先です。

 

 

 共通券を見せて入場しようとすると『津軽三味線実演ショー』迄まだ40分程待つみたい。受付のお姉さんも心得たもので、「荷物預かりますから、食事でもしてきたら」

 

 お言葉に甘えまして、重い荷物から解放され、カメラと傘を持って此れ又隣の『観光物産館」へ。

 

 

 普通のお土産売り場ですが、唯一『尊富士』のグッズが売られていました。(許可なく店内撮影はしません。許可されるでしょうけど)

 

 『尊富士』の生家はまだまだ先の『十三湖』に近い処だそうですが、優勝パレードが『五所川原駅前』と『金木町』で行われたとか。

 

 現在、私の『推し』です。

 

 食堂を探していて昭和の香り漂う『外崎菓子店』を発見。

 

 販売しているのは『バナナボート』のみ。

 

 コンビニ等でも売っていますが此処は試しに一つだけ購入します。

 

 一個¥250 その大きさにビックリ。手に持つとズシリと重量を感じます。

 

 しかもすぐ食べるから袋はいいです。と告げたのに、「今日は暖かいから」と保冷剤迄入れてくれました。

 

 地方の小さな菓子店(家もですが)が生き延びていくのは『薄利多売』と『売れ筋商品』のみの販売にするしか在りません。

 

 『金木』に行く方。『バナナボート』お勧めですよ。

 

 取り敢えず『シジミラーメン』を食べる予定でしたのでデザートに取っておこう。

 

 この『シジミラーメン』も正解。店内では『津軽三味線』の実演待ちのお客さんでいっぱいでした。私食べるの早いですからラーメンが来てから3分後には完食。余裕で実演に間に合いました。

 

 『バナナボート』の写真も撮ったのですが何故かデータから消えてる……

 

 『金木町・外崎菓子店』で検索どうぞ。

 

斜陽館

 

 『太宰治』の『斜陽』を読んだのは高校生の時だっただろうか。

 

 正直何~ンも覚えていませんでした。であらすじをググってみると。

 

 没落した貴族のスキャンダル。不倫やら薬中やらの内容で『斜陽』と云うより完全に真っ暗な『闇』

 

 なのに生家を『斜陽館』と名付けた真意が解らない。『人間失格館』や『女生徒館』、『ヴィヨンの妻館』とか名付けるのは違うお店になっちゃいそう?

 

 

 『土蔵』へと続く廊下には毛氈が敷かれていましたが、本来は庭の離れに在るべき物。

 

 違和感を感じながらも、寒さ厳しい場所での展示に、来訪者の為に後から増築したであろう事を感じました。つまりは優しさ。

 

 中は資料館になっており、原稿の実物や使用したペンなどが並んでいました。

 

 

 

 庭が素敵。我が家に庭が無いからなのか、憧れです。

 

 雨や雪解けの雫を受け止める『玉砂利』が良いなぁ。

 

 でも庭が在れば在ったで、雑草やら剪定で大変そう。

 

 庭師が手入れする庭園で、池の錦鯉に餌をやる。まぁ政治家にでもなったら考えますけど。

 

 

 二階へと上がる階段が素敵。

 

 

 何じゃ此の凝りようは……個人住宅ですよ。写真、興奮して手ブレしてますね。

 

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太宰治

 

 中学生の時、初めて『太宰治』を読みましたが余り好印象は持てませんでした。

 

 『走れメロス』を読んだのは教科書だったかな?

 

 その後も『人間失格』やら『斜陽』やら手当たり次第に読みましたが、私的にはイマイチのめり込む程の事は無かった様に思います。

 

 それでも『金木』に来たなら『斜陽館』は外せないと思い、彼の地に足を運んでみました。

 

 

 『斜陽館』迄の道すがら、『旧島津家新座敷』と銘打たれた看板が出ていました。

 

 

 この家に暮らし、数々の作品を書き上げたとか。でもそれだけで入場料¥500

 

 庭から見る限り普通の民家。この後『斜陽館』に行くからパス。

 

 

 『斜陽館』は思った以上に大きくて立派でした。

 

 此れが『太宰治=津島修治』の実家です。父は津軽の豪商で在ると共に『貴族院議員』その権力と資金力は相当なものだったのでしょう。

 

 そうか『太宰文学』に今一ピンと来なかったのは、彼が『ブルジョワ階級』の出身だったから。女性と問題を起しても、自殺未遂を繰り返しても金の力で何とかしちゃったのか……

 

 明治時代に活躍した作家の多くは『私小説』として自身の体験を書きしたためる作品が多いようですが、温泉に長逗留したり(有島武郎=城崎にて)とか、秤屋の小僧に鱈腹寿司を奢る(志賀直哉=小僧の神様)などのように『富裕層』の題材が多いように感じていました。

 

 それも其の筈、若い頃を東京の大学で学ぶには親に資金力が無ければ到底無理な話です。親が『権力者』や『資産家』で無ければ仕送りを貰って学生生活をエンジョイなんて到底できる筈在りません。プロレタリアートの私とは格差を感じる(=ひがみ)から共感を呼べないのかも。

 

 ※此処で入り口前を独占し長時間記念撮影をして他の人の通行を妨げていた中年女性グループ。どけ! 邪魔だ‼ 気を使えないなら来るな(怒)

 

 

 『津軽三味線会館』との共通券 大人¥1000

 

 受付の在る土間だけで、もう我が家より広い……

 

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金木

 

 金木駅で『走れメロス号』から降りる時、駅員さんが運転手に『棒・ロッド』を手渡していました。

 

 何だろうと尋ねると『通行許可証』だとの事。

 

 通常、単線区間を走行する時、衝突事故を防ぐ為『通行許可証』を持った車両しか通行出来ません。

 

 『皮ケース(キャリア)』に入った丸い『タブレット』知っていましたが『ロッド』は初めて見たかな。

 

 

 駅に一時停止しないで通過する時も、ホームの一番手前で『螺旋状』の『キャリアケース』に投げ込むシーンは『鉄道員・ポッポや』で観たのかな。

 

 その後も走り続けながら、ホームの端に立つ駅長から次の区間の『通行証』を手渡されます。

 

 

 『金木駅ホーム』では停車した為、次の区間の通行証の『ロッド』を窓越しに手渡していました。

 

 時刻表を確認し、五所川原行きをチェック。散策のタイムリミット2時間半です。

 

 

 「尊富士 青森県出身 伊勢ヶ嶽部屋」 

 

 大相撲の関取土俵入りで、良く通る声の場内アナウンスが流れます。

 

 拍子木が「チョ~ン」と入り、次々とテンポよく読み上げていく場内アナウンスには原稿が無く、力士の顔を見ながら即興でアナウンスするのだとか。

 

 力士の四股名・出身地・相撲部屋を全て覚えてるんですから大したものです。(あんちょこ位見てるかも知れませんが)

 

 新入幕力士として実に110年振りに優勝した『尊富士』は相撲界に活気を呼び覚ましました。

 

 その『尊富士』の出身地が『五所川原市』と発表されていますが、正確には『五所川原市金木』です。

 

 新入幕優勝や三賞獲得など大物の登場に『金木』の町は『大フィーバー』(かなり表現古い?)かと思いきや、思った程街中で『尊富士』の名前を見掛けませんでした。

 

 2024年3月に優勝後、怪我をしてしまい(まさかしごきや虐めに在ったとか?)欠場が続いた為、街では静観していたそうです。観光物産館にひっそりと『手書きのポスター』が在った位でした。

 

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津軽鉄道 part2

 

 『五所川原駅』には『JR』と『津軽鉄道』が在り、駅舎は別ですが、改札口を抜けると同じ構内に出ます。

 

 見送りなどの為、構内に入るなら『入場券』が必要になりますが、料金はどちらも同じ¥180です。

 

 

 『五所川原駅』は『JR五能線』が1・2番線。少し離れて『津軽鉄道ホーム』が在ります。

 

 跨線橋を渡っていると、『走れメロス号』が見えるじゃありませんか。

 

 

 ホームにはかなりの人数。えっ座れないかも。

 

 と思ったら何やらTVカメラが入って何やら撮影しています。

 

 取り敢えず席を確保し、カメラを持って人だかりの方へ行ってみますと……

 

 『走れメロス号』の車内には沿線の駅舎の絵が掲げられていましたが、偶々その車両の出発式が行われている最中で在り、絵の作者がテープカット及び挨拶をしていました。

 

 

 展示されていた沿線の駅。どうしてもガラスに反射光が入ってしまう。

 

 

 最後尾の車掌室の横は何故か本棚(私物?)になっていました。

 

 後で聞いたら自由にお読みくださいとの事。でも車窓から眺めるのが忙しくて本は読まないだろうなぁ(乗車時間が短いから読み始めてもねぇ)

 

 でも『もてなしたい気持ち』は伝わりました。

 

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津軽鉄道

 

 冬になると必ず一度はTVニュースで目にする『ストーブ列車』

 

 客車内のストーブで『するめ』を焼いて、一杯やりながら鉄道旅ができるあれ。

 

 それが『五所川原市』に本社を置く『津軽鉄道株式会社』です。

 

 

 奥に見えるタクシーの停まっている建物は『JR五所川原駅』

 

 『津軽鉄道株式会社』の看板の所を曲がると

 

 

 うーん。ナイスですね~。 昭和を感じる外観。外壁塗装の塗り直しなんてしちゃダメ。

 

 煙突で如何にもストーブ焚きますってのが良いんです。

 

 ひよっとして2階の窓は木製ですか!

 

 

 看板『津軽五所川原駅』の下の『サッシの引き戸』を開けると、正面には売店と云うよりお土産売り場。『津軽鉄道』のプレミアムグッズがこれでもかとばかりに並んでいます。

 

 『バッジ』や『ステッカー』『カバン』など『津軽鉄道』の名の入った『此処でしか買えない』を謳った商品がズラリ。

 

 想像ですが『地方鉄道』の生き残りを掛けた営業努力の賜物です。

 

 協力したいけど特に欲しい物無いしなぁ

 

 

 時刻表を確認。手書きの時刻表って何年前からダイヤ改正して無いのだろう。

 

 それとも『ダイヤ改正』の度にお金を掛けずに即変更できるように手書き?

 

 1時間に一本は乗り遅れたら大変。って我らが『JR小海線』でも大して変わらないか。

 

 交通弱者(高齢者の通院や高校生の通学)の為に無くてはならない公共交通機関です。

 

 頑張れー『津軽鉄道』

 

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立佞武多 part3

 

 受付を済ませてホールに入って度肝をぬかれた後、エレベーターで4階へ上がります。

 

 建物の壁沿いに、螺旋状に設えられたスロープをグルグル廻りながら降りてくる仕組みです。

 

 ふと気になるのが『耐震構造』 『立佞武多』が3基(何と数えるんだろう)建ち並ぶ広いホールを取り囲むように壁があるだけで、構造上は背の高い『体育館』の様なもの。

 

 『角』の無い、『R』の多い『円柱状構造』(と云うのかは分かりませんが、『六本木ヒルズ』などに多用されています)なので『揺れ』には強い耐震性を持っているのか知れません。

 

 其処の1Fフロアーに展示されている『立佞武多』は固定されている様には見えませんが、重心バランスの関係で倒れにくいのかも。

 

 でも昨今の『防災事情』で耐震構造にするのか、2025年から改修工事に入るそうです。

 

 おなじ建物の一角で新しい『立佞武多』を製作するのですが、途中で改修工事に差し掛かる為、今年の新作は造らないのだそうです。

 

 

 卓越した絵心が無いと。

 

 

 一度は消えかけた『立佞武多』ですが、この『設計図』が発見されたおかげで再興出来ました。

 

 

 彩色前の『張りぼて』ですが、『モノクロ』も素敵。

 

 

 その他の『五所川原の祭り』にまつわる展示コーナーも。

 

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立佞武多館 part2

 

 回転等が警報音と共に明滅し、ミサトさんの号令。

 

 「エヴァンゲリオン 発進」 じゃ無いですけど

 

 

 『橋が開く』とはこういう事。

 

 壁のパネルは開閉式の扉で、展示されていた『立佞武多』が町内を練り歩く為に人力で外に出されます。

 

 それにしてもこの写真、どうやって撮影したんだろう?(やっぱりドローン撮影かな)

 

 

 ねっ。実際に観てみたいと思いません?

 

 因みに『五所川原・立佞武多祭り』 2025年は8月2日~7日開催らしいのですが、今年この建物がリニューアル工事する事になり、今年度の『新作の立佞武多』は製作されないそうです。(だから逆に穴場かも)

 

 

 この建物右側が開いて『立佞武多』が登場します。ワクワクしますよね。

 

 

 街中は御覧の通り。『立佞武多』の通る道には『電線』が在りません。

 

 それだけでこうも空が綺麗に見えるのか。(曇ってますけど)

 

 その他通路にはミニチュアの

 

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立佞武多館

 

 「青森を旅するなら絶対行った方が良い」と知人に云われ,やって来ました『五所川原・立佞武多館』

 

 私の前には女性が一人。開館時間を待っていました。(あまり人気無いのかな…)

 

 受付で料金を支払う時、『大人の休日倶楽部会員証』を提示すると、解体した『立佞武多』の和紙で作った『栞』がプレゼントされました。

 

 私、貰えるものは取り敢えず有難く貰う主義。

 

 『入場券』や『パンフレット』なども全て持ち帰ります。それも『折れ目』や『しわ』を付けたくないので『プラケース』を持ち歩きます。(クリアファイルは荷物の中でクシャクシャになっちゃう)

 

 で一歩ホールに入ると。

 

 

 ド迫力。

 

 

 圧巻。

 

 写真じゃ伝わらないだろうなぁ。

 

 ホントに凄い物を観た時、無口になりません?

 

 上を見上げて…

 

 

 一階フロアーで見上げた後、エレベーターで建物最上階へ上がります。確か4階だったかな。

 

 

 今度は上から『立佞武多』を見下ろす仕組みです。

 

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マルコ―センター

 

 バスの到着時間がまだ五所川原の町が動き出す前。

 

 しかも雨がパラつきだして来た。

 

 朝食はコンビニおにぎりかなと思っていたら、五所川原駅で『マルコーセンター』を勧められました。

 

 丁度此れから行く『立佞武多館』に隣接しているらしいので、重い荷物をコインロッカーに預け、傘をさして歩き出しました。

 

 『マルコー』は〇に考の字、そもそもは生鮮食料品店だったみたいです。

 

 店内(センター)内には『郷土土産』『ラーメン店』『八百屋』『魚屋』が数店入っており、良く在る『市場食堂』の体を成しています。

 

 

 漁港の市場食堂が海の傍に在るはわかりますが、『五所川原』はかなり内陸デス。

 

 でも『立佞武多館』に来館する人達が朝食に困らない様に、朝から営業してくれているみたいです。

 

 『魚屋』の店先に並ぶ『鮮魚』を選んで購入し、食堂でお好みで調理してもらう『漁業組合食堂』スタイルとは違い、好みの刺身を購入し、別売りご飯にのせて食べるスタイルです。

 

 『那珂湊』や『三浦岬港』などでは店頭に並ぶ新鮮な魚を選び、食堂のおばちゃんに渡すと『刺身』や『焼き魚』『煮魚』とお好みに調理(有料)してくれて、他に『ご飯&みそ汁セット』を購入すると立派な定食の出来上がり。

 

 唯一難点があるとすれば、あれもこれもと欲をかくと『豪華=結構お高くなっちゃう』事ですか。

 

 

 私ゃ質素に

 

 

 ¥500の『刺身盛り合わせ』と¥200のご飯セット。この後『あら汁』が届きました。

 

 ご飯の量が可愛すぎて……。(大盛牛丼が恋しい)

 

 『八戸』の『市場食堂』では『ミズダコ』の刺身を肴に朝から日本酒が進んでしまい、車窓を楽しむ以前に寝てしまった苦い経験が在りますんで今回は程々に。

 

 『エンガワ』をつまみに『ワンカップ』だけに留めておきましょうね。(お土産コーナーに地酒を置くから……。)

 

 『立佞武多館』の開館時間になりました。移動です。

 

五所川原

 

 『青森』と云えば『ねぷた』 実際のお祭りは観た事無いですけど、以前青森駅前の『ワ・ラッセ』を見学した事があります。

 

 体育館程も有りそうな広さの建物に、巨大な『佞武多』が展示されていました。

 

 薄暗い中に光り輝く巨大な『佞武多』に圧倒。で今回は『立佞武多』を観たいなと『五所川原』へ向かう事にしました。

 

 今回、青森へは『大人の休日倶楽部』で『新幹線』を利用しましたが、『竜飛岬』や『恐山』へは『レンタカー』を利用しました。

 

 ご存じ『大人の休日倶楽部』は『JR東日本管内』ならば『新幹線』を含み鉄道乗り放題。しかも『三陸鉄道』や『五能線・リゾート列車』も付随しています。そりゃ乗らなきゃ損。でも案外『青森』って鉄道で行くのに不便な場所が在りまして……。

 

 今回も『青森駅』から『五所川原』へ行くのにJRだと偉い遠回りと時間のロス。

 

 で『青森~五所川原』迄を『路線バス』で移動しました。

 

 TV番組の『ローカルバスの旅』宜しく『路線図』を調べると『青森市・新町2丁目』から『五所川原』行きの『広南バス』が出ています。

 

 その為に『新町』周辺の格安の宿を予約したのですが、『レンタカー営業所』も近く、『夜の街』も歩いて直ぐ。大正解の青森泊でした。(えっ只居酒屋で呑んだだけですが)

 

 当日は運転する予定も無かったので、朝から『ウィスキー・ポケット瓶』のキャップを開けまして。

 

 『バス』が到着すると車内に乗客はおらず乗り込んだのも私独りだけ。一番前の席で前方を観ながらと思ったのですが、『前乗り・前降り』の『ワンマンバス』だった為、左側の最前部は『シルバーシート』になっていました。尚且つ『荷物置き場』らしき台が運転席の後ろに在ったので、荷物を置いてその後ろに座ったのですが前方視界はほぼ無し。その後の乗客数も数人しかいなかったので後部座席の方が良かったかな。

 

 で当然の様に写真を撮る事も無く『五所川原』到着です。

 

 

 バス車内で唯一撮影したのが『非常ブレーキ』?

 運転手に万が一があった場合、このボタンを操作する事でブレーキが掛るみたいです。

 

 過去何度かあったバスの暴走事故を防ぐために開発されたシステムでしょうか。

 

 バスの車内を観てみると、『防犯カメラ』が数台。しかも『運転席』を撮影するカメラまで在ります。

 

 『料金表』が『液晶表示』 昔みたいに『ロールアップ』して更新していくのは時代遅れみたい。

 

 『GPS』を利用して『位置情報』から『次の停留所』を案内するみたいです。運転手のうっかりミスの心配も無く、運転に集中できる良いシステムだと思います。

 

 『五所川原』市内に入り商業地を走っていると、女性アナウンスの声で次は『立佞武多館』と案内がありましたが『立佞武多館』の開館時間迄はまだ少しあるので終点の『五所川原駅前』迄乗り過ごします。

 

 駅に置かれているパンフなどで情報を仕入れて外に出ると『雨』

 

 天気予報では『降水確率50%』でしたのでまぁしょうがないか。傘を広げて歩き出します。

 

 

 『五所川原駅待合室』の一角に在った『電車運転席』

 

 『懐中時計』を入れる『穴』がナイスです。

 

 

 壁には『伝言板』 でも『チョーク&黒板消し』が無い処をみるとイミテーションです。

 

 

 何故か一角は『昭和レトロ』なスペースになっていました。

 

 立ち入り禁止じゃ無いから『お弁当』広げるのも可能?

 

 『ブラウン管テレビ』や『ラジオ付き置時計』 底に重りの入った安定感抜群の『三枚羽根扇風機』 絶対其処には置かない『ダイアル式電話』『ポップアップ式トースター』は此の色で良いの? 『魔法瓶』なんて知らないかも……。

 

 ふと思ったのは、国民的TVアニメ『サザ〇さん』の世界じゃん。

 

 『エアコン』の利いた部屋で『大型液晶テレビ』を見ながら『アイランド式キッチン』でテーブルを囲む。『サザ〇さん』じゃ無いな。

 

チョコQ

 

 プルバックするとゼンマイが巻かれ、ビュ~ンと走る『ミニカー』では在りません。

 

 『久助』と云う言葉が在りますが、『出来損ない』とか『割れ』の『せんべい』の事です。

 

 『青森』では『鍋』の具材にもする『南部せんべい』

 

 東北なのに何で『南部』って云うの?

 

 青森南東部~岩手県の北部地帯を納めていたのが『南部藩』です。

 

 特産品として『南部鉄器』等にも名前が残っていますが、『みちのく』の『南部』の意味合いもあるみたいです。

 

 米の代用食として、小麦粉やそば粉を『南部鉄』で焼いた『南部せんべい』 乾燥させて保存食にしたり、鍋に入れて主食にもしました。

 

 で『チョコQ』 チョコレートを掛けた『九助』の事で、青森のお土産として昨今人気が出ています。

 

 しかし『転売ヤ―』のお陰で入手困難な状態が続き、直売所で並ぶか『フリマサイト』で高値で購入するか在りませんでした。

 

 ホントせこい『転売ヤ―』の奴らめ。 でも『大手商社』なんぞも『転売』で利ザヤを稼いでるんだけどね。『転売ヤー』はその内『税務署』に目を付けられるんだろうけどさ。

 

 

 『チョコQ』の製造販売を手掛ける『しんぼり第二工場』

 

 態々『せんべい』買う為に片道120㌔も走っち待ったぜぃ。

 

 

 工場に到着した時、丁度自販機への補充作業が終わった処で、『よし。いっぱい買える』と思ったら『転売禁止の為、一人二袋まで』と明記されています。

 

 補充のおじさんも見てるし、取り敢えず『二袋』だけ買って一旦近くのコンビニへ。又戻って来てもう『二袋』買いました。

 

 『チョコQ』には『チョコ』と『ホワイトチョコ』の二種類があり、両方とも二袋ゲット。

 

 

 補充の終わったばかりだと云うのにもう品切れのボタンも在りました。

 

 気安く『お土産』なんて引き受けるんじゃ無かったぜ。

 

 この後レンタカーを返しに青森まで戻らなきゃ。

 

 ガソリン代の方が『転売ヤ―』の出品より高くついちゃった。

 

 ホント『転売ヤ―』の奴らめ。

 

核燃料

 

 『六ヶ所村』を訪れてみたいと思ったのは『使用済み核燃料・地下埋設施設』が在るからです。

 

 正式には『低レベル放射性廃棄物埋設センター』と云うらしく『日本原燃・核燃料サイクル施設』

 

 『リサイクル』じゃないの? でググってみますと。

 

 『サイクル』元の製品をそのまま生かした価値を見い出す。う~ん『サイクル=再使用』で良いんじゃないの?

 

 『アップサイクル』元の製品に手を加え、付加価値・商品価値を付けくわえた製品に生まれ変わらせます。例えば市処分する『畳』を分解し『畳のヘリ』を縫い合わせて『バッグ』として売り出す。

 

 『リサイクル』は廃棄物を一度資源に戻し、それを再利用して新しい製品を造り出す。

 

 他に『一升瓶』は回収後に洗浄・殺菌して『再使用=リユース』です。

 

 『ペットボトル』は回収後、溶かして『繊維』に生まれ変わり『衣類』をなどに生まれ変わります。 牛乳パックからトイレットペーパーなどを造るのも『リサイクル』

 

 『核燃料』を『サイクル』とは……此処からかなり脱線しますので御覚悟。

 

 『核爆弾』にも使用された『放射性物質』は『ウラン・原子番号92』

 

 天然の『ウラン』には核分裂し易い『ウラン235』とし難い『ウラン238』が存在します。自然界に於いて『ウラン235』の含有率は0.7%と非常少なく安定した状態ですが、『ウラン235』を『遠心分離』などで3%以上に濃縮させると『核分裂』による『高エネルギー』を取り出すことが出来ます。

 

 この『ウラン235濃縮燃料』をペレット状にし『パイプ』の中に並べて入れて『核燃料』とします。

 

 『ウラン235』の『原子核』は『陽子数=92』『中性子数=143』合わせて『235個』の電子から構成されており、『陽子の数』と『電子の数』は等しくなります(つり合った状態)。この同じ『元素番号』を持つ物質でも『『中性子数』の異なる物質が存在し、此れを『同位元素=アイソトープ』と呼びますが性質はまるっきり異なった物質になります。

 

 『濃縮ウラン235』に『中性子』をぶつけると『ウラン原子核』は二つに分裂します。(ここ大事)

 

 この時発生する大量の熱を利用して水を沸騰させ、『蒸気タービン』を回して発電するのが『原子力発電』です。

 

 更に分裂した『ウラン原子核』からは『中性子』が飛び出し、其の『中性子』が『ウラン原子核』にぶつかる事で『連鎖的核反応』が起きます。此れが『核分裂型原子力発電』

 

 しかし、一度に大量の核反応が起きてしまうと、発生するエネルギーが巨大になり過ぎてしまい、最悪『爆発』してしまう(核爆弾)ので、必要量だけ核反応させる『制御』が必要になります。此れをコントロールするのがナント『水』 『水』は中性子の衝突を妨げる働きが在るそうです。

 

 『核燃料』を『制御棒』を使って『水』から引き出す事で必要なエネルギー反応を持続させることを『臨界』と云います。

 

 人間が『核』を平和利用するかどうかは、この『臨界』で利用するか、『爆発』で利用するかの違いです。

 

 ※個人的見解を含みます。間違ってたらスミマセン。正しく知りたい方はググってください。

 

 

 此れが実寸大の『燃料棒』 そして

 

 

 『PRセンター』ですのであくまでイミテーションですが、水の中に『燃料棒』が並んでいます。

 

 

 アームにより引き抜かれた『燃料棒』は粉砕機に掛けられ『プルトニウム』(自然界には存在しない)が取り出されます。この『プルトニウム』と『ウラン238』などを混合して造られるのが『MOX燃料=mixed oxide fuel』で、この『MOX燃料』を使って発電する事を『プレサーマル』と云います。

 

 海外に目を向けますと『フランス』では『発電』の69%が『原子力発電』ですし『ウクライナ』『ベルギー』なども50%を超えています。『アメリカ』や資源国の『ロシア』でさえ20%以上を原子力発電に頼っています。そして『化石燃料』の出す『二酸化炭素排出量削減』の為、今後ますます『原子力発電』は増えるでしょう。

 

 『再生可能エネルギー』が注目され『風力発電』の『巨大プロペラ群』をあちこちで見かけますが、実は耐用年数が在り、尚且つ定期的メンテナンスが欠かせません。更には『風』が吹かなきゃどうにもならない。大抵は大都市圏から遠く離れた山の上などに在り、『送電線ロス』も馬鹿にならないとか。

 

 次いで『太陽光発電』 『メガソーラー』と呼ばれ、『ゴルフ場跡地』などのような広大な面積にズラリと『太陽光発電パネル』が並べられています。しかし森林伐採の跡地など『山野』を切り開いた場所に造られた『メガソーラー発電所』の場合は、降った『雨・雪』が樹木が創り出した枝葉や落ち葉の上に落ち、ゆっくり地面に浸み込むのに対し、パネルの上に落ちた『雨』は一挙に流れ、地面に浸み込まなくなります。各地で『地下水不足』が発生しているのは此れが原因かも知れません。

 

 更には本来樹木が光合成の為に吸収していた『二酸化炭素』が吸収されなくなり『地球温暖化』に拍車を掛けています。(大手メガソーラー企業の大体が〇国、広い自国に造れば良いのに)

 

 私、『原子力発電』には反対しません。が、事故を起した会社の体制は絶対認めません。

 

 3.11の時の『〇電』の対応の遅さとその後の補償。今だ避難先から帰郷できない人が大勢いるのに『〇電幹部』は莫大な退職金貰って悠々自適に暮らしてる(らしい) 

 

 なのに『電気料金』があれよアレヨと値上がりし、結局国民が税金で事故処理しているようなもの。納得いかんでしょ!

 

 『メディア』も都合悪い事は報道しないし、何時から日本は腐って来た?

 

 正月早々まだ『松の内』なのに、書いてて腹立って来た。

 

 一杯やりますか。でも『七草がゆ』じゃ呑めないからなぁ。

 

あけまして

 

   明けましておめでとうございます。

 

      本然も宜しくお願い致します。

 

 年末の『賃餅』に追われ、餅つきの最終日が12月30日。

 

 大晦日は朝1時から『ぴんころ饅頭』に取り掛かり、終わったのがお昼過ぎ。その後『大掃除』と『餡練り』で夕方まで仕事。風呂入って一杯やったら就寝タイム。

 

 元旦も朝から配達と『くるみ餅』の仕込み。巳年に因んで『山田神社』で初詣を終え、一杯やったらそのまま就寝タイム。

 

 翌日。『くるみ餅』を仕上げ、配達を終え、昼間から一杯やったら就寝タイム。

 

 3日。グダグダと布団の中で惰眠をむさぼって、TVを観ながら一杯やったらいつしか就寝タイム。

 

 まぁ身体が疲れていたのとストレス溜まりまくりで、呑んじゃ寝。食っちゃ寝。テレビ見ながら寝。の正月でした。

 

 4日。『少林山・達磨寺』へ達磨を納めに出掛けやっと新年の始まりです。

 

 5日。何やかんやで買い物したり、午後ちょこっとパチンコしてチョイ勝。マイナスになる前に帰宅して風呂入って一杯やって……

 

 って明日はもう『七草』じゃん。年末92㌔迄落ちた体重がリバウンドです。

 

 私、普段『神社仏閣』に詣でても『願掛け』はしませんが、『達磨寺』だけは『商売繁盛』の願掛けをします。翌年には『御礼の報告』と『両目を入れた達磨』を納めに行きますので、又『願掛け』『お礼参り』の繰り返しです。

 

 地元の『諏訪神社』と『成田山・薬師寺』以外で、毎年必ず参拝する神社は『単車神社』(バイクに乗りますんで)、お寺は『達磨寺』の二つだけです。

 

 みんなの力で、今年必ず良い年にしましょうね。

 

 

 あの鉄塔は?

 

 

 新年一発目は去年の続き『六ヶ所原燃PRセンター』からです。

 

 雑木林の中に『牧場』やら『ゴルフ場』の点在する牧歌的風景の中、『村営運動公園』や『村立郷土館』の集中する一角に『六ヶ所原燃PRセンター』は在ります。

 

 少し行けば普通に民家も在るし、運送会社や石油備蓄タンクも点在しています。

 

 建物の二階部分から見える景色にゴツイ建物。見比べると『ウラン濃縮工場』の文字が。他にも『低レベル放射性廃棄物埋設センター』……

 

 

 『柏崎刈谷原子力発電所』の『使用済み核燃料』を『六ヶ所村埋蔵私設』に移送して地下深くに在る貯蔵施設に保管すると新聞で読みました。

 

 兎角『スパイ映画』に於いて、悪の組織が狙うのが『核物質』やら『バイオ兵器』

 

 正義の味方が孤軍奮闘して『悪の組織』に渡る寸前で阻止。地球の平和が保たれてめでたしめでたし。ってのが相場ですが、最近の『悪の組織』は、自分で核物質の濃縮抽出に成功して、核弾頭迄造ってしまう。更にはミサイルをぶっ放し、近隣諸国に対して威嚇してくる。ホント『悪の組織』って奴は……。

 

 『仮面〇イダー』でも『科学忍者〇』でも『ブルース・〇ィルス』、『殺しのライセンス007』でもいいから誰かやっつけてくれないかな。

 

 

 『六ヶ所村役場』や『小学校』『商業施設』から僅か1km程の所に巨大な建設プラントが見えます。そこが『日本原燃再処理工場施設』です。

 

 

 山上には『風力発電』、林の中には広大な面積の『メガソーラー施設』、『石油の備蓄タンク』もズラリと並び、高圧電線の為の鉄塔が其処かしこに建っています。

 

 私、『原発反対論者』じゃ在りません。

 

 でも何処か引っ掛かるのは、嘘偽りの無い逐一の報告がされないから?

 

 『3.11福島原発』の『原発事故』にしても、責任感有る対応がされていないと感じてしまう。今だ避難の為に移住したまま故郷に帰れない人が居るのに、『東〇役員』はン千万の退職金を貰って後は我関せず……。地獄に落ちなきゃいいですけどね。

 

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下北と云えば

 

 『下北』って、何で『下』なの?

 

 以前『ぶらぶら歩くTV』か『歴史〇偵』か何かでテーマにしていました。

 

 『青い森鉄道』には『上北駅』も在るから『上下』逆じゃない?

 

 答えは簡単。『京都』が日本の首都だった時の名残です。

 

 現在、列車の『上り』は『東京駅』に向かう事を意味します。(下りは東京駅から離れる) 一部例外は『環状』に走る場合で、東京駅に直線距離で近い駅に向かう場合を『上り』としたり、延伸前の慣習が残されていたりする場合です。

 

 『京都が首都=平安京』ですから『794ウグイス』以降、『1192造ろう(近年は1185らしい?)』の『鎌倉幕府=鎌倉遷都』迄の期間は『京都』へ行く事を『上り』 京都に近い場所に『上』を、遠い場所に『下』を付けました。で『下北半島』

 

 『恐山』の後、『仏が浦』や『大間』を巡り、フェリーで『函館』へ。一泊して新幹線で『青森』と考えていたのですが、『大間』にレンタカーの乗り捨てが出来ない事を借りる時に知りました。

 

 嘆いてもしょうがないから予定変更して向かった先は『六ヶ所村』

 

 『下北半島』には『日本一大きい砂丘』があるとか。

 

 『鳥取砂丘』より大きいとは見てみたい。ところが自衛隊の敷地になっていて立ち入り禁止です。

 

 展望台から眺める事は出来るらしいのですが、観るだけなら……パス。

 

 でカーナビにインプットしたのは『日本原燃PRセンター』

 

 

 交通量の少ない道をトコトコ走っていたらナント『大型ダンプカー』に抜かれました。

 

 速度制限が書かれていなかったから60km/h位で走っていたのに!

 

 今だに暴走ダンプがいるんですね。

 

 

 無料駐車場に車が数台停まっていました。やはり平日の昼過ぎ、そんなに興味は無いのかな。

 

 

 受付で名前を記入し見学コースのパンフなどを貰いました。

 

 来客数が少なくとも常に笑顔で対応する。大変な事です。

 

 特に暇を持て余してると時間が長くて長くて。そんな中でも素敵な笑顔。

 

 

 私が東北旅行の際、是非とも寄ってみたいと思っていた『六ヶ所村・核燃料廃棄施設』は関係者以外立ち入り禁止どころか、埋蔵私設は地図にも載っていません。

 

 『PRセンター』で詳しく聞いてみようかと色々質問したのですが上手くはぐらかされてしまいました。

 

 「私たちも知らされていないんです」 ホントかなぁ。

 

 パンフレットなどをたくさん集めていると、大型の封筒もくれました。

 

 さてさて見学開始です。  次回へ続く。

 

五智如来

 

 『三途の川』『地獄』そして『極楽浜』と巡り『五智如来』の元へ辿り着きます。

 

 『五知如来』 分らない時はスマホに聞けばいい。しかもバリバリの老眼だから、文字入力しなくても良い様に『音声入力・テキスト読み上げ』に設定してある。ただ発音が悪いのか、時としてトンチンカンな答えが返ってくる事もありますが。

 

 『五知如来』 『金剛五仏』とか『五大如来』とも呼ばれ『密教』の五つの知恵(教え)を、五体の如来に当てはめたものです。『密教曼荼羅図』にその五体の如来を観る事が出来るそうです。

 

 真言密教の開祖『空海』は『五智如来』を三次元化し『立体曼荼羅』を創り上ました。

 

 『大日如来』(中央)『法界体性智=不変の知恵』 

 『阿閦(あしゅく)如来』(東)『大円鏡智=鏡の如く写す』

 『宝生如来』(南)『平等性智=万物と一体化』

 『阿弥陀如来』(西)『妙観察智=人々を導く』

 『不空成就如来』(北)『成所作智=なすべき事を成就』

 

 詳しくは……ググってみたけど良く解りません。ご自身で確認どうぞ。

 

 そう云えば『高野山金剛峰寺』本堂で観たのかな?(撮影禁止だから詳細忘れましたけど)

 

 

 足元のお地蔵さんも気になる。

 

 

 展望台から観た駐車場方面。『宇曽利山湖』沿いに見える赤い橋が『三途の川』です。

 

 

 『極楽浜』 火山灰由来の『白』と『湖水の蒼』が南の海辺みたい。

 

 でも湖の先、視界に入るのは

 

 

 一番高い山が『釜臥山』 北の隣国を監視する為のレーダーシステム『通称ガメラレーダー』が山頂で睨みを利かせています。

 

 下北半島最高峰の『釜臥山』は展望台を持ち、陸奥湾越に青森市の夜景が綺麗だとか。

 

 でも公海域で或る『津軽海峡』を航行する『船舶』や、隣国からの飛行物体に24時間365日監視体制を取ってくれる『国防の地』も実感しました。

 

 歩き廻って汗かいたからもう一度温泉入ろっかな。

 

極楽浜

 

 言葉としてかなり辛い目に遭った時『地獄を見た』とか、其処から救済の手を差し伸べられると『地獄に仏』などと『地獄』『極楽』を使いますけど、私ゃまだホントの『地獄』も『極楽』も観た事ありません。(生きてますんで)

 

 『浄土ヶ浜』とか『仏ヶ浦』『仏岩』『地蔵岩』『地獄覗き』『賽の河原』『地獄めぐり』……などなど仏教に関する言葉を使った地名・景勝地も実に多いです。

 

 

 『宇曽利山湖畔』に向かって歩いて行くと、『東日本大震災慰霊地蔵菩薩像·希望の鐘と鎮魂の鐘』が立っています。

 

 『鐘』ですから『鐘楼』を想像していましたが柱の中に納まる『鐘』でした。

 

 小さいながらその鐘の音は高く澄んでいて、何時までも余韻が残ります。

 

 

 裏手に廻って……ちょっとビックリ。

 

 25世山主による『哀悼の辞』と沢山の手形。台座には『念じよう』

 

 素材はコンクリートの為、人が手を押し当てたのではなく『手型』を押し当てたと思うのですけど、チョット……ねぇ。

 

 

 『東日本大震災慰霊地蔵菩薩像·希望の鐘と鎮魂の鐘』の裏手に広がる砂浜が『極楽浜』です。

 

 でも所々で風車が廻ってます。

 

 

 湖畔に佇んで、暫くボ~っと眺めていました。

 

 『白根山・湯釜』や『座生・御釜』と同じ『カルデラ湖』ですが、どことなく優しさを感じます。(賽の河原を歩いてきたからかな)

 

 ベンチとか一切無く、只眺めてるだけ。でもそれが良いんです。

 

 

チャツボミゴケ

 

 『鉱山由来の湿地』独特の植物に『チャツボミゴケ』が在ります。

 

 ごく限られた条件の中でしか育たない為、私が見たのは『群馬県・中条村六合(くに)』に在る鉱山跡地のみです。

 

 火山性の酸性土壌と清流、その他もろもろの条件が揃わないと生育できないとか。

 

 まぁ日本は『火山国』ですし、伏流水量も豊富な国ですから探せば他に在るかも。でも態々火山地帯に出向く事少ないですし。

 

 ほぼ平地で『チャツボミゴケ』が見られる貴重な場所です。(チャツボミゴケじゃ無かったらどうしよう)

 

 

 試しに地面を触ってみましたけど地熱が在る訳じゃ無かったです。

 

 

 地獄から見える湖。花咲く時期には『極楽浄土』に見えるのかな。

 

 

 至る所に『お地蔵様』が立っていますけど『御堂』が在るのは此処だけ。

 

 扉が開きますので中に入って拝観します。

 

 

 『お地蔵様』は『輪廻転生』の際、道を間違えない様に案内してくれます。

 

 此処は『地獄』と『極楽』の境目って事でしょうか。

 

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恐山賽の河原

 

 「人は死ねば恐山にいく」と云い伝えられている『恐山』

 

 よくも此の地を探し出し、『霊場』として『菩提寺』を建設したなぁとつくづく思います。

 

 時は貞観4年(862年)『慈覚大師円仁』に見いだされ開山。『菩提寺』が建立しました。『比叡山延暦寺』で修行を積み、『夢のお告げ』に従い諸国を説法して歩きましたが、『下北半島』の『うぞり』の地に『湖』と『霊場』にすべく『温泉地帯』を発見します。其の荒涼とした山岳地はまるで『賽の河原』 

 

 仏教の教え、『三途の川』を渡る為の場所にそっくりだと思われます。

 

 決して『不浄』を感じる場所では在りません。

 

 人によっては近付く事さえ躊躇う人や、体調が急変する人も居るそうですが私は『霊験あらたか』を感じました。

 

 

 今まで『比叡山延暦寺』や『高野山金剛峰寺』の霊場も訪れていましたがやっと念願かなって『恐山菩提寺』に参拝出来ました。

 

 ぶっちゃけ、先代が他界して10年。相続などもこじれたままです。せめて遺言状でも有ればと探しましたが、『ピンピンコロリ』を実践してくれたおかげで何も無し。それも其の筈、亡くなる前日『麻雀』で朝帰り。早朝から降り出した雪を片付ける為『雪かき』で一汗。寒気がするからと布団に入って次の日、寝たままで旅立ちました。酒もたばこもやらず、常時服用の薬も無く至って健康そのもの(糖尿・高血圧の家系です) それが突然ですもの……周りも驚いたけど本人が一番びっくりしたんじゃない。十年間、家業を継いで何とかやってきましたが、コロナの影響や、観光名所『ぴんころ地蔵』の人気下火に伴い収支は低迷。ひょっとしたら父が私に何か言いたい事が有るんじゃないかと、『恐山』を訪れました。

 

 『イタコ』による『口寄せ』なども考えましたが、『菩提寺』に来れた事に感激し、もし本当に父の言葉を聞いたらなんて考えは無くなっていました。

 

 『恐山』 一度は訪れてみてください。いや訪れるべき場所です。

 

 

 開山者の『慈覚大師円仁』を祀る為の御堂です。

 

 だから『カラス』が似合い過ぎだって。

 

 もし『賽の河原』を訪れる人は、『飲み水』の他『線香』も持参したいです。(タオルもね)

 

 賽銭は『硫黄』で変質してしまうので『本堂』や『地蔵堂』のみに留めたい処ですね。

 

 

 十月初頭でも半袖で充分な気候(異常気象が毎年起こると異常じゃ無くなり平常)でした。

 

 針葉樹の緑の中、色付き始めたのは『ナナカマド』でしょうか。

 

 白く咲く花は『イソツツジ』 高山の強酸性地や噴気孔の近くでのみ咲く花です(違ってたらスミマセン)

  

 

 砂と溶岩石ばかりを予想していた『賽の河原』が意外と植物の多いのにビックリです。

 

 

 先祖への手向けに『風車』持って来れば良かったかな。

 

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恐山=うぞりやま

 

 下北半島の恐山に在る湖『宇曽利山湖』

 

 地図で見ると『ハート』に見えなくも無いのですが、カップルは行かないだろうなぁ。

 

 『アイヌ語』の「ウショロ」が語源で、後に『蝦夷語』の「ウソロ」に変化し、意味は『湾・入り江』の事だそうです。

 

 蝦夷との交流が在った『陸奥湾』の港が在った場所(むつ市?)を「ウソロ」と呼ぶようになり、『オソロ』に変化し『オソレ』 『オソレ』に在る山だから『オソレ山=恐山』 藩政時代に『恐』の文字を使わず『宇曽利』の文字が当てられました。

 

 決して『恐ろしい事が起こる山』の事では在りません。

 

 どころか『恐山』は『日本三大霊場』(他は比叡山・高野山)のひとつ。日本人なら絶対に行くべき場所です。

 

 『恐山』の霊場は『醍醐寺』のある湖畔の北部に位置し、火山性の荒涼とした岩肌と温泉の臭気を感じます。

 

 実は帰って来てから『醍醐寺・本堂』が、仁王門手前に位置している事に気づきました。(写真撮ってないから参拝していない?)

 だって、仁王門を抜けた参道の正面突き当りが『本堂』だと思うじゃ無いですか。

 

 風呂上がりでボ~っとしていたか。

 

 

 正面に建っているのは『地蔵堂』

 

 脇から『霊場』への散策道が在ったので気を取られていたのかも。(熊に気を取られた?)

 

 しかも『奥之院』では写真を撮った筈なのにデータが壊れている……

 

 まさか『恐ろしい事』が起こっている ワケ無いと思いますけど。

 

 

 『草津温泉・賽の河原』や『佐渡二つ亀・賽の河原霊場』なども訪れましたし、『登別温泉・地獄谷』なども観ましたが『恐山・賽の河原』が一番『賽の河原』っぽい?(ホンモノ観た事無いからあくまで感想です)

 

 

 今まで様々な『神社仏閣』や『修験道』の『山岳修行の場』を訪れましたが、足を踏み入れない方が良いと感じた場所は数ヶ所のみ。

 

 『千葉・鋸山』の『地獄覗き』や『戸隠神社・剣の刃渡り』も歩きましたが、『恐怖』と『立ち入ってはいけない感』は別物です。

 

 日本各地に『禁足地』と呼ばれ入ると祟られるとされる場所が在りますが、やはり只ならぬ気配を感じるとか。私ゃそんな場所は行きたいと思いませんが。

 

 

 強い火山性ガスの為、お賽銭も黒く変色してしまいます。

 

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菩提寺

 

 温泉で全身を清めまして。イザ参拝です。(ホント心まで綺麗になっちゃ)

 

 

 『手水舎』の手前に在るのは……ん?

 

 石を掘った彫刻ですが、木の根っこの上に安置されています。

 

 『亀』 それも沢山

 

 ぱっと見て、昔のインドの人々が想像していた『世界を支える亀』を思い出しました。

 

 『インド神話』の世界観で地球は亀の背中の上の数匹の『象』に乗っていて大海原を移動すると考えられていたとか。『アクパーラ』というらしいです。

 

 でもその『亀』を更に取り巻くのが『蛇』(宇宙?)

 

 地球の中心には『須弥山』が在って『天上界』迄続いていたとか。

 

 う~ん、『アスパーラ』に見えなくはないけど。

 

 

 此方が『手水舎』柱の数が多くない?

 

 此れにも理由が在るのでしょうけど何も書かれていない……

 

 只の耐雪? なら太い柱を使えば良いんだろうし。

 

 

 正面の『地蔵堂』(本堂?)は至ってシンプルです。

 

 

 先ずは参拝。残念ながら内部撮影禁止です。

 

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卒塔婆と温泉

 

 参道を進み、仁王門を潜ってもまだまだ広い境内は続きます。

 

 亡くなった者を呼び出し、会話する事が出来るとされる『いたこ』(漢字が分からん)さんが詰める建物が在りますが、先客が居ましたので後回し。

 

 さらに進むと左手に

 

 

 『塔婆堂』 『塔婆』が『卒塔婆』の事でしょうから亡くなった方の供養・追悼に建てるものです。

 

 本来は『サンスクリット語』の『ストゥーパ』から来ているらしいのですが、古来インドでは『仏様の骨=仏舎利』を納めたドーム状の建物=『仏舎利塔』の事だそうです。

 

 『恐山醍醐寺』は亡くなった方とこの世を繋いでいる場所とされていますので、供養する為の場所として『卒塔婆』が沢山納められています。

 

 余りパシャパシャ写真などを撮影する場所でも在りませんので遠くから合掌。

 

 

 参道には沢山の『石灯篭』が並んでいます。

 

 暗くなって『火袋』に『火』が灯ると神秘的に映るんだろうなぁ。

 

 

 『冷抜の湯』『古滝の湯』 温泉の小屋が並んでいます。

 

 『女性専用』や『男性専用』 他には『貸切?』と思わしき建物も。

 

 ひょっとして混浴?なんて考える不届き者は、『霊場』には来ないか……。

 

 

 此方は『男湯』 先客が居ましたが、私が入浴中に出て行きましたので、すかさず撮影。

 

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恐山・醍醐寺

 

 長野県内の『神社仏閣』で拝観料を徴収する所は、私の知る限り3ヶ所。

 

 それも『国宝・多重の塔』や『国宝・古来の神明宮建築神社』『県重要文化財指定・未完の〇』位でしょうか。

 

 『善光寺』も『諏訪大社』も『牛伏寺』も全て拝観料の徴収はしていません。

 

 『小布施・岩松院』の『北斎天井画』や神社仏閣の『宝物殿』は『閲覧料』の形で有料の処は在ります。

 

 でも『京都』の『金閣寺』『銀閣寺』を筆頭に『清水寺』から名立たる神社仏閣の拝観料大人¥1000は、何だかなぁ……の気持ちになります。(〇〇寺の職員駐車場には一頃高級車がズラリと並んで顰蹙を買い、以後セカンドカーしか停められなくなったとか。)

 

 で『拝観料徴収』の神社仏閣は『開門時間』(決して営業時間とは云わない)が決まっていて、時間調節が大変。

 

 早朝から京都観光する時は、拝観料無しの『伏見稲荷』がお勧めです。24時間開いててよかった。

 

 

 この総門の右手に拝観料徴収所が在ります。確か大人¥700だったかな。

 

 売店・自販機・トイレ・等済ませてからどうぞ。忘れちゃいけないのがタオル。

 

 境内に湧き出ている『温泉入浴』が拝観料のみで利用できます。

 

 勿論男女別のちゃんとした建物です。(少し離れています)

 

 昔は混浴で『禊』代わりに身を清めた?

 

 

 思った以上に広い。そして何となく殺伐とした雰囲気。

 

 参道左右を流れるのは温泉です。

 

霊場・恐山

 

 『日本三大霊場』と云えば『比叡山』『高野山』そして『恐山』

 

 『〇〇山』と名前が付いていますが仏教の寺院が在る山で『山号』として知られています。正式には『比叡山・延暦寺』『高野山・金剛峰寺』『恐山・菩提寺』です

 

 『山岳信仰』における『日本三大霊山』は『富士山』『白山』『立山』で、『修験道』に於ける修行の場で『神様を祀る社=神社』が山頂に祀られています。(まぁ日本の名立たる山の山頂には、ほぼ100%『祠』が祀られていますけど)

 

 

 駐車場に入る手前に柱が立っています。この先から聖域で在る事が解ります。

 

 最初、てっぺんの鳥はオブジェかと思いましたが、暫く後に飛び立ってました。カラスが余りにも似あいすぎる。

 

 神社仏閣の聖域に足を踏み入れる時、『一礼』してます?車の中ですが頭を下げてから駐車場の中へ。

 

 駐車場には大型バス。あの細い山道を登って来たのか……まぁプロですから。

 

 

 駐車場のすぐ脇に、『門』が在りましたが今は使われていないみたい。

 

 

 門の向こうに如何にも『賽の河原』の風景が見えます。

 

 

 後輪を背した、かなり大きな『六地蔵座像』が並んでいます。

 

 おそらく『香炉』なのでしょうが『風車』が似合いすぎる。

 

 かなり大きな駐車場の反対側には『売店』や『トイレ』が在ります。

 

 この日は暑い位の気候でしたので自販機でお茶を購入し、ウエストバックにカメラやタオルと一緒に入れて準備完了。さて拝観料を払って。

 

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恐山・賽の河原

 

 『此れは この世の 異らず 

 

 三つにも成らぬ 幼子が

 

 ひとつ積んでは 父の為 二つ積んでは 母の為』

 

 仏教の教えに『五逆罪』が在ります。(詳しくは調べて貰うとして)

 

 父を殺してはならない。母を殺してはならない。悟りを得た者を殺してはならない。僧侶を殺してはならない。仏陀を汚してはならない。との教です。

 

 『賽の河原』は亡くなった者が行く場所です。

 

 仏教では人間が死ぬと『剥ぎ取り婆』が衣服を脱がし、その重さを測る事で生前の『罪』を推し量ります。それを『閻魔大王』が判断して『地獄・極楽』への振り分けをします。『極楽』へ向かうものは『三途の川』を渡るのですが、誰かの手助けが必要となります。それが『父・母』とされますが、幼くして亡くなってしまうと、後から来る『父・母』を待ち続ける事に成ります。その長き時間を潰す為に河原の石を積んで『石の山=ケルン』を造ります。しかし夜中のうちに『鬼』がやって来て、幼子の積んだ『石の山』を崩してしまいます。又朝が来ると『父・母』を待って石を積む……と云うものらしいのですが。

 

 

 『恐山・霊場』の少し手前、『硫黄の匂い』を強く感じようになると『宇曽利湖畔』に出ます。川の手前の駐車場に車を停め、湖畔を散策すると『剥ぎ取り婆』(脱衣婆・脱衣爺)の像が立っています。

 

 『宇曽利湖』はハートの形の綺麗な湖なのですが『恐山』のイメージが強すぎて湖畔に立つのが『剥ぎ取り婆』

 

 『十和田湖』なら『乙女の像』が観光ポイントになっていて、蒼い湖畔に真っ白な像を写真に収める人が多いのですが、此処を写真を撮っている人は少ないみたい。

 

 

 すぐ脇に『三途の川』に掛かる橋が在るのですが渡る事は禁止。

 

 そりゃそうだ。何か在ったらどうすんの?

 

 『立山』の『立山博物館』傍に『布橋』と云う橋が在ります。誰でもが渡れる橋なのですが『あの世』へ渡る橋とされていて『特別な人』が白装束で渡る橋だそうです。

 

 私も途中で引き返しました。だってまだまだこれからだもん。

 

 合掌して次に進みます。

 

 

 子供を亡くした人が逢冷めるのでしょうか『風車』が廻っていました。

 

 でも『仙台四郎』が何故?

 

陸奥湾

 

 さて無事レンタカーを借りまして、一路向かうは『下北半島』

 

 ところが、事前予約の時に勘違いしていたのか返却場所は借りた店舗になっており、急遽『乗り捨て』に変更は不可(次の予約が入っているらしい)との事。

 

 あちゃ~。『大間』で返却し、フェリーで『函館』に渡ろうと思ったのですが、青森まで帰ってこなきゃ……(大間のマグロ・函館の朝市ラーメンは今回パスみたい)

 

 下北半島にも高速道路が部分開通しており、無料で通行できます。(完成したら有料に成るんだろうな)

 

 でも昔走った旧国道の延々とまっすぐ走る道。交通量も信号も少なく、快適に走れたと思ったけど。

 

 コンビニの無い時代で、やっと見つけた『トラック野郎御用達』の雰囲気満載のドライブイン、隅っこの方で一番安い『ラーメン』を食べてると、トラック野郎の兄ちゃんが話かけてきて、「わったらこ~たらが?」(としか聞こえなかった)多分「お前、何処から来た」(以後通訳)「何処まで行く」「幾つだ」「腹減ってるならこれも食べろ」と偉いもてなし振り。(そのグループのテーブルには、〇ールの空き瓶が数本……見なかった事に)何故か『カツの煮込み』だったり『刺身の盛り合わせ』(食べきれなかったんでしょうね)が私の目の前にズラリ。「気を付けて旅しろよ」と云って出て行ってしまいました。食べ終えてラーメン代を払おうとすると『頂いてます』ですと。『フーテンの寅』さんや『トラック野郎・桃さん』を感じました。男だねぇ。

 

 令和の現在では『飲酒運転絶対禁止』ですけど当時は……ねぇ。

 

 部分開通したばかりの高速道路は片側一車線。実は此れが曲者で、工事用ダンプが土砂等を積んで高速道路の工事現場に向かう時、ビッチリ制限速度を護る為、(対面交通区間制限速度50㌔)ダンプの後ろは塞がれた車で長蛇の列。やっとこさ追い越し区間に入っても追い越せる車の台数は多寡が知れていて、又次の対面交通区間に突入。結局下道と大して変わらないんじゃないかと思えるくらいゆっくりドライブ出来ました。(基本高速道路は、運転手がわき見運転しない様にワザと(?)防音壁を高くしたり、山間部を走らせます。瀬戸大橋なんぞ一番左の走行車線はゆっくり走りたい車(わき見運転禁止)が安全速度で走行しています)

 

 まだ未完成の為、途中から一般道に降りるんですけど、それでも大して変わらんスピードで車は流れて行きます。

 

 真っ直ぐな道。大好きです。

 

 日本一直線の長い国道は『北海道・国道12号線』だったと思いますけど、アップダウンの先にさらに直線が見えたような。

 

 但し、高速道路などで何処までも直線だと『ハイウエイ・ヒプノーシス現象』を誘発しやすいとか。研究の結果、適度なハンドル操作を必要とするカーブを造り、緊張感を持たせるらしいです。でも『自動運転level5』が認可されたらどうなるんでしょうね。

 

 『わき見運転し放題』にならなきゃ良いんですけど。

 

 

 先ず下北半島で真っ先に向かった先が『釜臥山』

 

 『かまぶせパノラマライン』をぐんぐん上って行くとだんだんガスって来ました。

 

 上の写真は『恐山展望台』から観た『宇曽利山湖』

 

 『霊場恐山』が見える筈ですけど雲が……

 

 

 結構な山道ですけど意外と交通量が多いです。

 

 皆さん『釜伏山展望台』に向かうみたい。

 

 

 で考えました。『釜伏山展望台』に行ってもガスってるんじゃ……

 

 晴れていれば、確かに『むつ市』の夜景が綺麗そう。どころか陸奥湾越に『青森市』まで拝めそう。

 

 う~ん。パス。これ以上標高上げても雲の中だし、又何時か来ればいいじゃん。

 

 

 昔、バイクで此処ら辺りまで来た事が在ります。(門が違うかも)夏休みを利用して東北を一周しようと計画、その日の野宿予定地『恐山』を目指して走ったのですが、思った以上に遅い時間になってしまい辺りは真っ暗。街灯一つない山道を、薄暗いバイクのヘッドライトで走っていましたが、闇の中を杖を突いて歩く白装束の集団を目撃してしまい、鳥肌が立つどころか総毛が逆立つ!(ヘルメットだから髪の毛は無理)のを感じそれ以上進むのを諦め引き返しました。だって闇の中を明りも無しに歩いてるんですもん。正直チビッたかも。ひょっとして見えてはいけないモノだった?

 

 故に今回、門を潜る前に車を降り、一礼してから進みました。

 

 どうぞ何も起こりません様に。

 

青い海公園

 

 まぁ、海は青いもんですけど……(あっ、黄海や紅海も在りますか)

 

 

 早朝から犬の散歩やウォーキングの人が結構歩いています。

 

 今年は10月初頭で『夏日』に成る処も多かった日本。

 

 斯く言う私、半袖ポロシャツの上に極薄手のフリース。それでも運転中は脱ぎましたけど。

 

 

 陸奥湾は波も無く穏やかに見えます。

 

 

 昔、青函連絡船が運行終了すると聞き、『青春十八きっぷ』で青森駅まで来ました。

 

 其処から『函館』までの船旅です。青函連絡船の名前は『羊蹄丸』。現役引退後は『東京お台場・船の科学館』に展示されていたそうです。

 

 青森駅の改札を抜け、長~い連絡通路を歩いて『連絡船乗り場』まで歩いた記憶が在ります。連絡通路はそのまま船べりの乗船口に続いていて、切符購入窓口で住所氏名を記入して乗船券を買いました。万が一の時乗客名簿と照らし合わせる為だとか。(万が一って……)

 

 当時、二等船室の料金しか捻出出来ませんでしたけど、大部屋の端っこに陣取って、毛布と枕を確保しました。色んな人の人間観察に持って来いの場所で、車座で酒を飲むグループや、子供に絵本を読み聞かせる親子連れ。中々面白い船旅でした。

 

 当時は東北新幹線が仙台までしか開通していませんでしたが、早朝上野を出発し夜10頃には函館に上陸していたと思います。連絡船は24時間運航しており、翌日のスケジュールに併せて青森泊した人も多い筈です。

 

 

 連絡船埠頭に係留されているのは『八甲田丸』 内部は当時を偲ばせる資料展示室などになっているそうですが、残念ながらオープン時間前。機会あったらですね。

 

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アスパム

 

 『アスパム』と聞いてもピンと来ない人が多いと思います。

 

 『青森の三角ビル』と云えば思い出すかも。

 

 『三角ビル』と云っても、『新宿西口・住〇ビル』の様に上から観た『三角』(正確には六角?)では無く、正面から観た『三角』です。

 

 

 早朝、ビジネスホテルをチェックアウトし、コンビニコーヒーで朝食。

 

 歩ける範囲で散策し、それでもレンタカー店の営業開始までまだ時間在るからと『青い海公園』へ。

 

 其処に建つのが『アスパム』です。

 

 この建物は昔、長女が2歳の時、北海道を車で廻りましたが、『青函フェリー』に乗る前に訪れた場所。(もう30年近く前)

 

 偶々『アスパム・完成記念式典』が盛大に行われていて、イベント広場では『プロレスリング』が設置されていました。

 

 トイレを借りようと建物内に入ると、更衣室で着替えを終えた『悪役レスラー』がリングに向かって歩いて来るところ。それを見た娘が大声で泣き出してしまいました。

 

 その途端、「ゴメンね怖く無いから~」としゃがみこんで笑顔で娘と握手しました。

 

 試合前なのに、小さな子供にまで気を使える優しい人なんだな。と其の時、外見だけで判断してはいけないなぁと思いました。

 

 そのレスラーは『新崎〇生』さん。その後も幾度かTVで見かける度に応援していました。

 

 今でも『プロレス』好きで録画して観たりしますが『悪役』が在ってこその興行です。

 

 頑張れー『悪役レスラー』

 

 かなり昔『パパは悪役レスラー』と云うタイトルのビデオが在りました。もし観る機会が在ったら是非観てください。

 

 

 真横に廻り込んでビックリ。こんなに薄くて大丈夫なのか?

 

 普通乗用車(横幅1.8m)×6台分位いかな。

 

 海辺でモロ北風がぶち当たりそうなんですけど。

 

 まぁ今まで倒れていないし、出っ張り部分が強度を増しているのかな。

 

 

 展望台に登ろうかと思いましたがまだ営業前。確か30年前も長いエレベーターの順番待ちで、登らず終い。レンタカーで帰って来てから登りますか。

 

善知鳥神社 part2

 

 『みちのく』にも、『中尊寺・金色堂』『松島・瑞巌寺』『山形立石寺』等々有名な仏閣が沢山在りますが、神社となるとハテ?

 

 『八戸』の海沿いに在り、ウミネコのフン害で有名な『蕪島神社』や『岩木山』を御神体とした『岩木山神社』 白山信仰の『白山神社』などなど。

 

 奥州街道の終点で見つけた『善知鳥神社』は『九州・玄界灘』の海の神様『宗像三女神』をお祀りしています。多分『蝦夷』への航海の安全を祈念してでしょうか。

 

 本殿から裏へ廻ると『竜神之水』が在り、『竜吐』から勢いよく水が流れていました。

 

 

 ご利益の湧き出るパワースポットですと。

 

 両手で水を受けてゴクゴク……これでご利益UPだぜぃ。

 

 

 海辺の近くで美味しい水が湧き出る処が、不思議と沢山在ります。(富山県なんぞは海の中でも真水が湧き出しているし)

 

 龍吐から流れ出た水は『弁天池』に流れ込みます。

 

 水面が鏡の様。でも写り込むのがビルなんだな。まぁ街中だからしょうがないけど。

 

 橋を渡ると『弁天堂』が在り『弁財天様』が祀られています。

 

 『弁財天様』も商売繁盛の神様ですので参拝します。

 

 

 昔は此の辺りまで海岸線が来ていたのでしょう。沼地が海まで繋がっていて、海が荒れた時に舟が避難して来たそうです。今では小さな堀でしか在りませんが。

 

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善知鳥神社

 

 『奥州街道』終点の碑が建つのは『善知鳥(うとう)神社』前です。

 

 祀られている主神は『宗像三女神 多紀理毘売(たごりひめ)命・市寸島比売(いちきしまひめ)命・多岐都比売(たぎつひめ)命』です。

 

 『天照大神』と『素戔嗚尊』(姉弟)の間に交わされた誓約により生まれた三人の女神です。

 

 『宗像神社』は海神の神であり『九州・福岡』に総本社が在り、『沖津宮・一の鳥居』は『玄界灘』に浮かぶ離島の上に立っています。世界遺産に認定され、フェリーで参拝される方も多いとか。

 

 きっと『蝦夷』(北海道)との海運の安全祈願に祀られたのかもしれません。

 

 

 ピッチアウトして読んで下さい。

 

 

 鳥居で一礼をして参道を進みます。

 

 あくまで真ん中は『神様』の通り道。参拝者は道の端を歩きます。

 

 

 『太鼓橋』も本来は神様だけが渡れる橋でしたが、便宜上橋の端を通らせて貰います。

 

 

 先ずは参拝。まだ扉は閉ざされていましたが、地元の人でしょうか参拝に訪れる方もチラホラ。

 

 拝殿裏手に『龍神之水』が在るそうですので行ってみます。以下次回です。

 

奥州街道・終点

 

 道路を走っていて『〇〇市まで何㎞』とかの案内表示を見掛けます。

 

 でも『〇〇市』と一言で言っても、一体どこの地点を指すのだろうと疑問に思った事ありません?

 

 明治時代、政府は各市町村の主要地点を定め、『石柱』などを置いて基準点を定める『道路原票』を設置しました。

 

 此れにより『〇〇市』~『✕✕市』まで『何㎞』と表示されるのは『〇〇市道路基準点』と『✕✕市道路基準点』の主要道路上の距離に成ります。

 

 『カーナビ』などでに『距離優先』で入力すると、『主要交差点』と『主要交差点』を結ぶ最短コースを選択しますこ。此れを幾つも組み合わせるから、山道だろうが砂利道だろうがあくまで優先するのは『最短距離!』

 

 カーナビが出始めた頃、『天理市』から『佐久』まで帰って来るのに『国道25号線』を指示されました。まだ『名阪国道』も『名阪高速』も出来る以前の話で、ナビする通りに走って行ったら、周囲に車は居なくなるは民家は無くなるは……挙句『紀伊山脈』を横断する『山道』 薄暗い時間に成り、カーブ連続の砂利道で、所によってはガードレールも無い崖っぷち。それでも『国道25号線』の標識は在りました。

 

 行きは『岡谷IC』~『天理』を高速優先で走ったから『小牧JC』『吹田JC』から『大阪』を抜け『天理』に入りましたが、帰りは高速代節約と思い『距離優先』でナビを入力したら行きの三倍は時間が掛かり、数倍は疲れました。

 

 『カーナビ』が出る前は『日本全国ロード〇ップ』やら『マッ〇ル』などの分厚い道路地図を車に積んでいて、自分で地図を確認しながら走ったモノです。そのお陰か今でも『カーナビ』の表示は『ノースアップ』常に『北』が上に来ます。

 

 晴れた昼間は影の出来る向きで、自分が西に向かっているとか南に向いて走ってるなんて解りますが、雨の日などどっちに向かっているか解らない時に重宝します。

 

 『カーナビ』を『進行方向表示』にしている方で『中央高速・恵那山トンネル』を良く走る方、試しに『地図』で見てください。方向感覚がズレているのが解ると思いますります。

 

 何の話だっけ?(私、話が脱線するの得意です)

 

 

 『陸奥の国』は『道の奥』とも呼ばれ、略して『みちのく』 其処を貫く街道が『奥州街道』です。

 

 その『奥州街道』は江戸時代に整備された『五街道』の中でも最長の街道で、『江戸・日本橋』が起点である為、此方が『終点』に成ります。

 

 という事は、此の辺りが当時の中心地(公官庁)だった訳です。

 

 確かに現在でも『県庁』や『警察本部』などが建ち並び、海に面しては『アスパム』も聳えています。

 

 シャッター通りじゃ無い『商店街』が活気を見せ、歓楽街も。

 

 格安ホテルも近くに在って私ゃ好きです。此の辺り。

 

棟方志功

 

 『青森駅』から少し離れただけで格段に安くなる『ビジネスホテル』に宿泊しました。

 

 と云っても『県庁』や、三角が特徴の『アスパム』にも近く、翌日借りるレンタカー店にも、翌々日利用のバス停にも程近い。しかも『居酒屋』も歩いて直ぐ。

 

 夜は『居酒屋』で済ませ、朝は『コンビニコーヒー』で即行動。それでもレンタカー店の営業は朝8:00から。其れ迄町をぶらつきます。

 

 『棟方志功出生の地』をgooglemapで見つけまして行ってみる事にします。

 

 

 『わだ は ゴッホ になる』 自他ともに認める『和製 ゴッホ』の称賛を得ると共に世界に認められた版画家です。

 

 「イチ・ジュウ・ヒャク……」のTV番組では、一枚数千円の贋作か、一枚最低数百万~数千万円!の版画が鑑定されますが、私にゃ本物と贋作の見極めが付きません。

 

 『芸能人の格付け』と称されるTV番組は好きでは無いので観ませんが、本人が美味しいと思って飲む『ワイン』なら幾らの物でも良いと思うし、良い音に聞こえるバイオリンなら数千円の物でも良し。で間違えると実は此れが本物で、幾らでした……どうでもいいじゃん。(多分答えを知っているなと思える時が多々あるからなぁ)

 

 

 『青森県・歌謡三味線愛好会事務所』と、如何にもな『純子の店』

 

 『棟方志功』が、音楽関係の人みたいに思えちゃう。

 

 『棟方志功』の作品の多くは優しいタッチの版画で、線と面だけで表現されるているのになんて豊かな表現なんだろう。

 

 でも此の場所はあくまで『出生の地』ですので、作品とかは一切無し。

 

 写真撮ったらそれでおしまい。次です。

 

太宰治 文学碑

 

 『帯島』から『竜飛岬灯台』へ向かう途中の海岸沿いに石碑が立っていました。

 

 

 『太宰治』 確かに青森県出身ですけど。竜飛にですか?

 

 何が書かれているんだろう?   

 

 『ここは 本州の袋小路だ 讀者も 酩肌せよ』

 

 旧漢字ですけど『津軽』の一節(らしい)です。

 

 『太宰文学』に触れる人は『走れメロス』で始まり『人間失格』『斜陽』……そして傾倒していく人と、ネガティブな文体に辟易する人に分かれるかも知れません。

 

 小学校の教科書で『走れメロス』を読んだ時、外国人の造った話かと思いました。

 

 『太宰治』と云う名前も、外国人作者が付けた『ペンネーム』だとばかり思ってました。(『小泉八雲』が本名『ラフカディオ・ハーン』と云うアイルランド人)

 

 『太宰治』もペンネームで、本名は『津島修治』です。

 

 津軽(金木)の大地主の家に生まれ、何不住なく育った筈です。何故暗~い感じの小説を書くのだろうか?

 

 生涯を調べてみると(Wikipedia)『薬物依存症』や奔放な『女性遍歴』そして数度となく繰り返された『自殺未遂』 小説家としての才能に恵まれながらも凡人には計り知れない苦悩の中に焦燥しきっていたのかも知れません。

 

 私が原付免許を取った頃、太宰治の小説『富嶽百景』を読み、『山梨県・御坂峠』の『天下茶屋』迄ツーリングした事が在ります。

 

 『河口湖』越に『富士山』が凛とした姿を見せ、『旧五百円札』の図案に採用された姿其の物が眺望出来ます。その峠の山中に『太宰治文学碑』が在りました。

 

 確か『天下茶屋』に長逗留して『富岳百景』を書きあげたと在りました。

 

 然るに、観光名所とすべく縁の場所に建っているのが『文学碑』 

 

 純粋な記念碑と云うよりは、まぁ商魂逞しいと云いますか……

 

 

 訪れたのは10月初頭。各地で夏日になる様な異常気象で半袖ポロシャツで充分でした。

 

 青い空と青い海。

 

 チョット『太宰治』の雰囲気じゃ無い様な……

 

斜坑線

 

 『黒部ダム計画』成功へのカギは、『資材運搬用トンネル=黒部トンネル』の貫通に在りました。時に頑丈な岩盤層を迂回し、時に浸水。そして最大難関の『破砕帯』をもクリアーして『黒部トンネル』が貫通しました。

 

 現在『電気バス』(トロリーバスは廃止です)に乗って『扇沢駅』~『黒部ダム駅』を通る事が出来ます。でもこのトンネル決して真っ直ぐな直線じゃ無く、上下左右にくねっています。

 

 レーザー測量の無い時代に『黒部ダム側』と『扇沢』側両方から掘り進んで、紆余曲折の末、すれ違わないでピンポイントで出逢うのが凄い。(と思うのは私だけ?)

 

 

 通称『もぐら号』 観光だけかと思いきや、点検作業員が後から乗って来て、立派に現役の仕事しています。

 

 搭乗口の扉が閉まると、正面の『油圧ゲート』がゆっくり引き上げられて開きます。

 

 両方一遍に開いてしまうと、地下からの風圧が一気に出口に向かってしまう為、時に危険だとか。

 

 「エヴァンゲリオン。発進」の気分でゲートの開くのを観てましたが、そのゆっくり感は、『マジンガーZ』で秘密基地のプールが開き『マジンガーZ』が現れる感じ。又は『サンダーバード2号』発進の際、ヤシの木がゆっくり倒れて滑走路が現れる様。(歳が解かる?)

 

 『ケーブルカー』は普通、頂上駅を頂点に二台の客車が長いケーブルで結ばれ、ど真ん中の中間点には、すれ違う為の複線区間が在る筈。でも此処の『斜坑線』は車両一台で運行しているから拡幅部も無くすれ違いも在りません。最上部の大型ウインチに全てのケーブルが巻き取られる仕組み。ケーブルカーと云わず『斜抗線』と云う由縁でしょうか。

 

 安全を期すためか、運行上の決まりなのか『運転手』が搭乗し出発です。

 

 『海底駅』迄撮影しましたがず~っと同じ風景。(つまらないからパス可)

 

 

 軌道の真ん中にケーブル支持の滑車が見えます。

 

 扉が開くと発車。

 

 

 『もぐら号』の最前列から『Go-Pro』にて撮影。

 

 傾斜角250‰ 区間778mを9分で下ります。

 

 海底駅では若い女性スタッフが出迎えてくれてガイドしながら作業抗散策が始まります。

 

 薄暗い海底駅でポツンと一人……

 

 某夢の国の『ホーンテッド〇ンション』でゲストが集った広間の壁が何時しか長~く伸びて(実際には大型エレベーターが地下に降りただけ)ゆっくり振り返ると扉の向こうの薄暗い闇の中にメイド姿の若い女性が一人…… 思うんですけどこの『メイドさん』とか『お化け屋敷』のお化け役とか怖く無いのかな?仕事だからプロ根性持ってるのかも知れませんけど。

 

 

 コンクリート吹き付けの作業抗の中には、当時の作業で使われた『ブルドーザー』などが展示されています。

 

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青函トンネル・竜飛斜抗線記念駅

 

 その昔。深夜ラジオだったかの都市伝説として『青函トンネル内にド〇えもんの町が再現されている』と噂された事が在ります。

 

 広い空間に『の〇太』や『ス〇夫』が草野球したり、『ジ〇イアン』がマイクを握りしめてリサイタルを行った空き地が再現されており、『土管』が積み重なっていたとか。

 

 其処から何時しか『ドラえもん・のび太の住む街並み』が在る、と伝わり『野比家』や『しずかちゃんの家』が再現されている……まぁ噂でしたけど。

 

 『新東名高速』のSAに(場所忘れた)『紙兎〇ペ』の八百屋が再現されていると聞いて、わざわざ遠回りして立ち寄った事ありますけど、只の『書き割り』でした。ひょっとしたら『の〇太の町』の『書き割り』が在ったのかな。

 

 『新幹線』が走る前の『青函トンネル』は、在来線特急(特別快速だったかな)が本土と北海道を繋いで走っており、事前申請しておくと『竜飛海底駅』に途中下車する事が出来ました。結局は何処にも行けないから、次の電車に乗るしか無いんですけど。

 

 駅から出て『作業抗』を散策する事が出来たらしいのですが(現在新幹線は停車しません)其処こそが『青函トンネル・竜飛斜抗線記念駅』からケーブルカーで下った場所です。

 

 その『作業抗』は現在『斜抗線記念駅』からケーブルカーで降り、ガイド付きで散策する事が出来ます。

  

 

 『青函トンネル記念館』からコンクリートで覆われた通路を進むと、(多分風よけの為に後で増設)『竜飛斜坑線記念駅』です。

 

 地底へと降りていく『ケーブルカー』の先頭に陣取りたかったのでかなり早めに並びました。

 

 

 フムフム。こんな感じのケーブルカーで地底へと降りていくのだな。

 

 壁面に展示された資料を観て時間を潰しているとだんだんと人が集まって来ました。

 

 

 『記念館駅』を発車して『体験坑道駅』に到着し、坑道をガイドさんの案内に従って散策。その後再び『体験坑道駅』からケーブルカーに乗って『記念館駅』に戻るまでの所要時間は約44分。トイレ済ませとこ。

 

 いざ時間になり、閉ざされていたドアが開くと……続く

 

青函トンネル記念館

 

 此の建物の広大な駐車場は、『青函トンネル工事』の『資材置き場』兼『宿舎』が在ったそうです。

 

 『宿舎』と云っても昔の『タコ部屋』等では無く、『プレハブの個建て』で、敷地内には売店・医療施設なども在り、集落を形成していたそうです。

 

 試しに周囲の道を廻ってみましたが、『電力会社』『鉄道会社』『電話会社』などの建物が点在しているのですが、どの建物も『立ち入り禁止』&『人の気配無し』

 

 『青函トンネル本州方竜飛』と大書きされた看板の下に『トンネル』も在るのですがやはり立ち入り禁止です。

 

 

 ではでは『記念館』へと階段を上りまして。

 

 

 『資料館入館料』と『体験坑道乗車券』がセットで大人¥1500

 

 『体験坑道乗車』は『斜坑線』を『ケーブルカー』で降り、『旧竜飛海底駅』に隣接した『作業抗トンネル』をガイド付きで散策できると云う物。所要時間は約40分程。

 

 私が到着時した時はケーブルカーが発車したばかり。次の発車時間まで資料館をぶらつきますか。

 

 

 トンネルが立体的に表現され、地質や傾斜具合も表現されています。

 

 『青函トンネル開通後』は新幹線に接続されるまでの期間、在来線特急が本州と北海道を結んでいました。其の時は『竜飛海底駅』が存在し、途中下車して『作業抗』の中を散策出来たそうです。

 

 都市伝説では広い空間が在り、のび太の遊んだ広場が再現されているとウワサになりましたが、実際は『土管』が積まれた場所が在っただけとか。

 

 ガイドの若い女性に『土管と広場』の存在を訪ねた処、「在来線の頃は在ったかもしれませんが私は知りません」との事。(そりゃそうだ四半世紀も前の事だもん)

 

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津軽海峡冬景色

 

 ご存じ『石川さゆりさん』の大ヒット曲です。

 

 私が初めて『北海道』に渡ったのが17歳。高校三年生の夏休みです。

 

 当時は高速道路も全線開通していなくて(お金が無いから出来ていても乗らない)、碓氷峠を超えて高崎から50号線・国道4号線を乗り継いでひた走り。

 

 大雨の中、『仙台』で野宿して夜明けとともに更に北上。

 

 『青函フェリー』にバイクを乗せて夕方には『函館』上陸。

 

 その後野宿しながら一ヶ月間、『礼文島』やら『野付半島』『ノシャップ岬』『襟裳岬』『夕張』『帯広』『小樽』……北海道中を走り廻っていました。

 

 『青函フェリー』では『紙テープ投げ』のイベントは無かったと思いますが、『礼文島』から『稚内』に戻る時、乗船時に紙テープを手渡され、見送る人に向かって投げました。

 

 『伊勢正三』さんの名曲『海岸通り』

 

 ♪ 貴方が船を選んだのは 私への 思いやりだったのでしょうか

 

  別れのテープは 切れるものだと何故 思わなかった……

 

 別に只の一乗船客でしたが、見知らぬ女性がテープを拾った瞬間、感情が込み上げてきたのを覚えています。

 

 『吉田拓郎』さんなら『洛陽』の中に

 

 ♪ あの爺さんときたら わざわざ見送ってくれたよ

 

 おまけに テープを 拾ってね 女の子みたいにさ

 

 昔のフェリーは情緒が在りました。(海洋汚染防止の為、紙テープであろうと全面禁止)

 

 更に『津軽海峡冬景色』では

 

 ♪ 上野発の夜行列車落ちた時から……今は『新幹線ハヤブサ』で『新函館』まで4時間チョット。 まぁ新幹線の乗客も無口ですけど。

 

 ♪ ご覧あれが 竜飛岬 北の外れと…… 

 

 『新幹線はやぶさ』は『竜飛岬』を観る事も無く海底トンネルに吸い込まれていきますけど、ホントの『竜飛岬最北端』は『帯島』です。

 

 『高倉健』さん主演の『海峡』に登場する港の脇の『朱塗りの神社』、『弁財天』が建っているのが『帯島』です。橋で繋がっているけど四方を海に囲まれたれっきとした『島』です。

 

 『竜飛岬』の駐車場に降りると、海側に大きな石のモニュメントが立っています。

 

 

 この石碑のすぐ裏手に『階段国道』が在ります。

 

 

 まぁ降りないですけど。

 

 

 人が居ない瞬間に撮影しています。 

 

 「赤いボタンがある。押してみようポチっとな」 (イントネーションが解かる人は50歳以上)

 

 『タイム〇カン』では大爆発が起こり、『ドロンジョ様』が際どい恰好になるのがオチなんですけど、現実は大音量の『津軽海峡2番』が流れます。

 

 次から次に人が訪れてボタンを押しますので、エンドレス状態で流れ続けます。

 

 お土産売り場の人はたまったもんじゃ無いだろうに。(慣れちゃった?)

 

 でも歌詞をよくよく考えると、男と別れて(離婚して)実家に帰る状況。それも女性から別れを告げている。

 

 DV?女癖の悪い男? う~ん昭和のドラマだ。今なら離婚訴訟に賠償金請求!

 

 

 石碑の裏側まで興味持つ人はあまりいないでしょうけど、私、物好きなもんで。

 

 『石川さゆり』さんの『津軽海峡冬景色』の大ヒットのお陰で、『竜飛岬』を訪れる人が格段に増え、経済効果も上向きました。

 

 『三厨村』村長として、感謝の気持ちをを表す為、此の地に石碑と音響システムを設置しました。

 

 でも個人名は要らなくない?

 

竜飛岬 part4

 

 駐車場では『売店・トイレ』などが利用できます。

 

 其処から少し登ると展望の良い『レストラン』も。

 

 その前を通り過ぎると広場になっています。

 

 

 『吉田松陰記念碑』です。何故此の場所に?

 

 プレートを読んでみますと

 

 『津軽海峡沿岸外圧防衛状況視察』 

 

 江戸時代に防衛拠点であると見抜き、雪の残る3月に此の地を訪れたそうです。

 

 今の政治家に見習って欲しいですね。

 

 

 う~ん……達筆すぎて。

 

 折角の詩が読めない。(昨今のアプリでは、草書なども読み取る事が出来るとか)

 

 

 『龍見橋』を渡って振り返るとレストランと灯台が見えます。

 

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竜飛岬 part 3

 

 竜飛崎灯台は周囲から見るだけ。塔には『プレート』が埋め込まれていました。

 

 

 『竜飛岬・灯台』から先は『海上自衛隊』の管轄地で立ち入り禁止です。

 

 『映画・海峡』で、『吉永小百合さん』扮する女性が、断崖から身を投じようとするところを『高倉健さん』扮する『国鉄職員兼地質調査員』が助けるシーンを撮影した場所は恐らくこの先?

 

 映画に登場する『神社』は行ってきたから、断崖絶壁の場所を探していたんですけど……

 

 

 赤く見える建物が『弁財天』

 

 

 ドップラーレーダーやらアンテナやら。余り詳細に写真撮るとスパイ容疑で拘束されたりして。(日本じゃ心配無いか)

 

 

 この断崖を下る遊歩道が在り、海岸まで降りれそうですが、下ると登らなきゃ……パス。

 

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竜飛岬 part 2

 

 船の上から観て 「ご覧 あれが 竜飛岬 北の外れと~」と歌っているだけなら良いですけど、実際の現地は……

 

 

 北海道が津軽海峡の向こうに見えています。

 

 

 防衛の拠点だけにどうしてもその設備に目が行ってしまいます。

 

 私は『自衛隊反対論者』では無く、むしろ『大の自衛隊ファン』です。

 

 普13(陸上自衛隊・松本駐屯地)の閲覧式や、航空自衛隊の『航空ショー』を観るのも大好き。

 

 『富士裾野・火器総合大演習』や『海上自衛隊艦上閲覧式』も観に行きたいんですが、何回応募しても抽選に当たりません。

 

 『自衛隊』を悪く云う人が居るのも事実ですけど、有事の際は誰が守ってくれるんだ?

 

 『災害』の際に誰が助けてくれるんだ?

 

 『ドナーカード』の裏面には『私は臓器を提供しません』と意思表示出来る様に記入欄が在ります。

 

 自衛隊に反対する人達は『何が在っても自衛隊員の手を煩わせません』とでも意思表示して置けばどう?

 

 『雪山遭難』『津波災害』『船舶座礁』など自衛隊で無ければ救助活動出来ない場合も在ります。当然反対論者はそんな時でも拒否しますよね。

 

  自衛隊反対論者だけでなく、国会議員にも物申す!

 

 選挙戦で盛んに使われた『最低賃金底上げ=¥1500』もイザ『賃上げ』しようとしたら

『扶養控除』の『年収103万』の壁がネックになって、労働時間を短縮する労働者が増えそう……じゃ『扶養控除』の額を上げるか。

 

 其の挙句、馬鹿な政治家が増税に繋げる気でしょう?

 

 泥縄政策にウンザリなんですけど。(馬鹿は立候補しちゃダメ)

 

 国会中継を観ると、居眠りしていたり、スマホをいじっていたり、不倫旅行で国会を欠席する何てのも在ったっけ。

 

 先ず『国会議員』は『最低賃金報酬』で働いて、国民に審議の後、成功報酬を受け取れるシステムにすれば、悪さや揚げ足取りなんてしてる暇無くなると思うんですけど。

 

 それと『ふるさと納税』なんてくだらないシステムを考えた政治家と、『返礼品目当て』の納税者。『ふるさと納税』(税金です)!の手数料をかすめ取る『ふるさと納税代行業』(TVCMに出てるタレントも同罪) そりゃ『自分だけ得する』事を優先してれば『税金』が足りなくなる訳だ。

 

 自国だけが良くなればいいと考える『アメリカ国民』が『ト〇ンプ』なんてのを当選させたんだし、『ト〇ンプ』は自分の罪も無い物にしちゃう。可笑しな世の中。

 

 『ふるさと納税』で『返礼品目当て』の人は『アメリカ』を非難できないですね。

 

 えっ。まさか『公務員』で在りながら『ふるさと納税』目当てで他市町村に納税する人なんていないですよね?

 

 財務省の一部人間のお陰で日本の税制度が悪用されているかと思うと……

 

竜飛岬

 

 誰でも知ってる『〇〇岬』は? と聞かれて直ぐ思いつくのが『襟裳岬』や『知床岬』そして何と云っても『竜飛岬』

 

 誰もが唄える歌のタイトルとして知られています。

 

 気象関係の人や昔の登山家なら『気象図』を書く事も在ったでしょうから、ラジオの『気象情報』を聞くと、

 

 「台風〇号は現在、足摺岬の南100キロの海上に在り、気圧980hPa(昔はミリバールってたよな)、最大瞬間風速35m……」なんて云ってました。

 

 『白紙気象図』に、ラジオを聞きながら記号を書き入れるのがカッコいいと思っていたので、必死に覚えたモノですが、現在は『無料気象アプリ』で、数時間後の『降水量』や『風向き』、更には『落雷予想』等の情報がスマホの地図上にリアルタイムで表示されます。それこそ山に行くから『小型ラジオ』を持って行くなんて過去の話。

 

 『トレッキング』では『熊除け』の意味で『山ラジオ』を持って行きますが。

 

 

 『崎』と『岬』の違いですが、海に突き出た陸地のうち、『山塊』の姿を残したままのが『岬』、それ以外の平坦だろうが丘陵だろうが砂浜だろうが『突き出している地形』を『崎』と云います。

 

 気象庁では『山』のあるなしに関わらず『崎』を用いている様ですが。

 

 『国土地理院』では『岬』 気象庁では『崎』 何やら縦割り行政のいびつな関係……は無いと思いますけど。

 

 

 『竜飛岬』の駐車場に入ると目にするのが『自衛隊車両』

 

 お土産売り場の建物もある駐車場の脇ですが、緊張感が漂います。

 

 それも其の筈。船の為の『竜飛岬灯台』も在りますが、『軍事観測用レーダー基地』が在り、津軽海峡を通過する船舶に目を光らせています。

 

 

 『自衛隊車両』の陰に『階段遊歩道』の入り口が在るのですが、近づいちゃいけない雰囲気。

 

 

 灯台入り口に、日に焼けた『竜飛岬周辺図』が立っていますがよく読めません。

 

 まぁ事細かに『軍事施設』とか『レーダー』なんて言葉が読めない方が良いのかも。

 

 数年前まで、外国からの軍事脅威に対抗する為『イージス・アショア計画』が配備されようとしていましたが、現在は『ステルスミサイル迎撃システム』に変更になりました。

 

 『怪獣映画』宜しく『迎撃ミサイル発射』車両が各地に配備されると、格好の攻撃の的になるのでは?と懸念されたのか、はたまた建設費や維持費が膨大になる。との憶測も在りましたが、真相は藪の中。

 

 『イージス護衛艦』を多数所有する日本では、『海上』or『上空』に於いて敵の行動を偵察・観察し、即座に『ミサイル巡洋艦』や『ミサイル搭載潜水艦』から迎撃ミサイルを発射出来るシステムの方が有利だからでしょうか。

 

 まっ『防衛力』に関しては、私が口を挟む事では無いですから。

 

 私は自衛隊を応援しています。「有り難う」と声を大にして云いたい!

 

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階段国道

 

 国道なのに車が通れない。

 

 その名も『階段国道』 『竜飛岬』がまだ観光地化される以前は、『竜飛漁港』から『竜飛岬』へは歩いて登るしか無かったそうです。

 

 余りに過酷な気候のであり、管理するのが『国』だったので『国道』です。

 

 国道339号線として登録されています。

 

 

 民家のすぐ脇を登りますけど、立派な国道標識(逆おにぎり型)が立っています。

 

 結構歩いて登る方も多いみたいで、登り口には駐車場も完備。

 

 でも残念ながら近くにコンビニ等が在りません。(ジュース自販機のみ)

 

 それでも飲み物だけ買って登り始めますと。

 

 

 登り始めると思ったより急勾配。

 

 途中ですれ違った人に聞いたら往復するのに1時間はかかるとか。

 

 う~ん。車で竜飛岬まで行こ。景色は同じだもんね。

 

 『階段国道』に限らず『国』が予算を付ける為に『国道』と名の付くのが他にも在ります。

 

 『フェリー航路』がそれに該当し『海中国道』と呼ばれています。

 

 『新潟港』と『佐渡・両津港』を結び、島内を横断して『佐渡・小木港』から『直江津港』迄を結ぶ全線を『国道350号線』と呼びます。

 

 『カーフェリー』に載せて車が走るから『海中国道』?

 

 他にも『愛媛・三崎港』と『佐賀県・関港』を結ぶ航路も『国道197号線』と呼ばれる『海中国道』です。

 

 尤も海の上に橋を架け、車で走れる道路は『海中道路』と呼ぶみたいですけど。

 

 『沖縄県・うるま市』~『平安座島』までの道が『海中道路』

 

 『福岡県・志賀島』までの道を『海の中道』 

 

 『しまなみ海道』の一階部分の『歩行者・自転車・125cc以下の二輪車』が走れる部分も『国道317号線』ですが呼び名は『しまなみ海道』です。

 

 結局は名前を付けたもん勝?

 

 お近くをお通りの際は是非とも記念にどうぞ。

 

帯島

 

 青森県の北部には『斧』の形の『下北半島』と『陸奥湾』を挟んで『津軽半島』が在ります。

 

 この『津軽半島』 最北端は『竜飛岬』と思っている方が多いですが、実は『帯島』という島が存在します。

 

 『映画・海峡』で『高倉健さん』が朱塗りの神社を訪れますが、この『神社』の建つ処が『帯島』です。

 

 『映画・海峡』は『青函連絡船・洞爺丸』沈没事故を受け、何としてでも北海道と本州をトンネルで繋げたいとう当時無謀とも思える計画に挑んだ男達のドキュメンタリー映画です。

 

 監督の『森谷史郎』さんの作品は、何れも『男の生き様』がクローズアップされる作品が多く『高倉健さん』がピッタリのはまり役です。

 

 『日本沈没』『動乱』『海峡』『八甲田山』『聖職の碑』等々何れも大ヒット映画を撮られる方で、『黒澤明さん』と並んで大好きな監督です。

 

 

 漁港の外れ、本州とは橋でつながっていますが『島』です。

 

 『島』の定義は、四方を水(海水・淡水)で囲まれている事。

 

 三方を水に囲まれていると『半島』

 

 陸地が突き出ていて左右二辺が水に囲まれていると『岬』

 

 三角形に突き出た陸地の先が『崎』 となります。(だったと思う)

 

 

 先ずは一礼して鳥居を潜り参拝。

 

 『弁財天』を祀っており、豊漁・安全祈願に備えられた御酒が沢山並んでいました。

 

 『弁財天』は芸事の神様のみならず、『水』を司る神様でも在るから『海が荒れないで、無事に帰って来れます様に』『豊漁になります様に』などの祈願をする方が多いのでしょうか。

 

 旅先の『神社仏閣』で『願掛け』すると、願いが叶った時に『願ほどき』『お礼参り』に訪れなければならないので、滅多に願掛けすることは無いのですが、この時は『漁師さんが無事帰れます様に。世界中の争いが無くなります様に。商売が続けられます様に』と願掛けしました。

 

 

 『映画・海峡』では小さな防波堤が在るだけでしたが、『神社や港』を護る為に巨大な堤防に変貌していました。

 

 海の向こうに見えるのは『下北半島・大間崎』 薄っすら見えているのが『北海道』です。

 

 そして堤防の突端真下には『青函トンネル』がある筈です。

 

 『青函トンネル』が開通し、『新幹線』が乗り入れる前(1988~2016)は『在来線』が『北海道』と『本州』を繋いでいました。

 

 その期間には『津軽海峡海底トンネル駅』が存在し、予約して置けば駅で下車する事が出来たそうです。

 

 現在『新幹線はやぶさ』は『新青森』~『新函館』区間はノンストップで通過してしまいます。

 

 でも『竜飛岬』に在る『青函トンネル竜飛斜坑線記念館』では実際に工夫がトンネル工事の為に利用した『斜坑線』(ケーブルカー)に乗って『作業抗トンネル』迄降りる事が出来るんです。

 

 当時、このトンネルの一角に、途中下車した人が次の電車を待つまでの間に退屈しない様にと『ドラえもん・のび太の街並み』が再現されていると噂されましたが……真っ赤な嘘でした。

 

 『青函トンネル竜飛斜坑線記念館』は又後程。

 

 

 高台が『竜飛岬』その下に集落や港が在ります。

 

 右端に見える朱色が『弁財天』

 

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青函トンネル入り口広場

 

 『トンネル』ですから出入口が在るのは当たり前。

 

 『青函トンネル』から『新幹線ハヤブサ』が出てくる瞬間を動画に撮りたかったのですが、タッチの差で撮り逃してしまいました。(悔しくて悔しくて)

 

 1時間半程待たなけりゃ次の新幹線が来ない。秋の夕暮れの事を考えるととても待っていられない。

 

 

 駐車場に併設されている『トイレ』ですが何処か新幹線風?

 

 中は普通の水洗トイレです。此れで新幹線のトイレまで模していたら、有料でも使うだろうな。

 

 

 売店も閉まっているし、展望台も他に誰も居ない。

 

 次に行きますか。

 

 

 あ~ばよ。『青函トンネル』

 

 と思ったら右書きの『青函隧道』だった。

 

 いや計画は昭和30年に計画が始まり、本坑が繋がったのが昭和60年。

 

 なのに右から書くの?

 

 

 で地上区間は200m程で東京方面登りは直ぐ次のトンネルに突入。

 

 このトンネルには名前のプレートが無い。

 

 新幹線に乗っていればあっという間に通り過ぎちゃうんだろうな。

 

 余談ですが、『東海道新幹線&山陽新幹線』は全線『東日本企画の60Hz』だそうです。

 

 『東北新幹線&北海道新幹線』『秋田新幹線』なども同じく『60Hz』

 

 でも『北陸新幹線』だけは『軽井沢』附近までが『60Hz』で『佐久平駅』迄の間に『西日本規格の50Hz』に切り替わるそうです。

 

 『都営地下鉄浅草線』などは、時々『高架線』の切り替えの為に瞬間的に車内照明が消える事が在りました。今も在るのかな?

 

 もし佐久付近で『周波数』が切り替わるのなら、照明が消えるのかと、新幹線に乗る度に注意して観ていたのですが気が付きません。

 

 どういう仕組み何だろう?

 

 ご存じの方、情報提供願います。

 

 さて気を取り直して次。

 

トンネル神社

 

 JR東日本発行の『大人の休日倶楽部』 

 

 年会費が掛かりますが、カード提示で乗車券が割引になったり、年に数度『JR東日本管区乗り放題切符』が発売されます。

 

 連続する5日間有効で新幹線自由席迄乗り放題(指定席は6回まで予約可能)

 

 土日祭日を含む場合も追加等無しです。

 

 料金は大人¥18800。例えば『五能線しらかみ号』や『小海線ハイレール1375』などの『リゾート列車』も指定席予約可能です。(別料金が架かる場合も在ります)

 

 要は『鉄道旅行のアイドル期』 格安にするから鉄道で旅行してね。の意図なんですが。

 

 例年のごとく当店は11月の紅葉シーズン頃から格段に忙しくなり、12月の『賃餅』が始まると、毎日AM1:00~PM5:00迄、2週間休みなし。

 

 考えただけで気が重くなるから、その前に英気を養う意味で旅行に出掛けます。

 

 温かい季節なら『バイク』で気ままにツーリング。目的地も決めず、足の向くまま気の向くまま。(足じゃ無くてタイヤですが) 昔はテントに寝袋でしたが、昨今キャンプ場以外のテント泊は中々難しくて。かと言って『キャンプ場』は大人一人〇〇円。バイク一台〇〇円。シャワーが幾らで、薪が幾ら。しかも予約が無いと邪険にされるし……

 

 そこで『ビジネスホテル』を利用ますが、チョットした駅前のビジネスホテルだと一泊¥10000が当たり前。素泊まりコースで¥7000程が相場でしょうか。

 

 私が良く利用するのは、築年数の古そうな『ラブホ』

 

 街外れの『ラブホテル街』には必ず格安のホテルが在ります。一泊¥3980~

 

 近くのコンビニで酒と食料買い込んで。風呂入って寝るだけですから。(しかもムフフのビデオとかも見放題) サービスとして食事(しかも二人前)の提供も在ったり、アーリーチェックアウトどころか気が向いた時間に出発可能です。

 

 有名な観光地を訪れる時、混雑を避ける為に『夜討ち朝駆け』は常套手段です。

 

 『ツアーバス』はホテルの朝食後に動き始めます。その前に移動できればある程度混雑が避けられますから。

 

 

 で私が申し込んだ『大人の休日倶楽部』の切符は9月30日~10月4日迄の五日間有効。

 

 一番の新幹線で『佐久~大宮~青森』(指定席2回利用)迄一挙に移動します。

 

 お昼少しすぎには『青森駅』 其処からレンタカー利用を考えていましたので車内でお酒は飲めませんが。

 

 レンタカーの予約してなかったので此処で少し時間が掛かりましたが、一路『下北半島』へ向かいます。

 

 

 私が一番最初に向かったのが『トンネル神社』

 

 私の知る限り、日本で唯一じゃないでしょうか。

 

 

 『トンネル』は言わずと知れた『青函トンネル』

 

 後ろに見えている『トンネル』が『青函トンネル青森口』です。

 

 

 

 ご神体は『叶明神』 不可能だと云われていた超難工事の『青函トンネル完成』の完成時『念ずれば岩をも通す』の諺通りに不可能を可能にしました。

 

 夢は叶う……で『叶明神』

 

 

 並んで『貫通石』が御神体として鎮座しています。

 

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妙義神社 part3

 

 分かり辛い入り口を見つけ、長~い急な石段を登り、凸凹の石畳の参道を歩いてやっとたどり着いた建物……?

 

 

 火袋の崩壊した『石灯篭』が並び、建物を囲っていたであろう『トタン』の残骸やらが見えます。

 

 

 『神社』で或れば『拝殿』ですが、『鈴緒』や『賽銭箱』が在りません。

 

 『仏閣』で或るなら『御堂』であり、『鰐口』や『財浄』が在りません。

 

 しかも周囲には

 

 

 『六地蔵幢』とお地蔵様。

 

 そして建物の『扁額』には

 

 

 『焉岩山』?(終焉の焉に岩or眉?) もし『山号』でしたら『仏閣』の筈。

 

 因みに麓の『龍興寺』さんの『山号』は『鳳来山』です。

 

 扉を勝手に開ける訳にもいかず……

 

 只、神社の『社』であれば屋根の上に『鰹木』や『千木』が見られるはずです。

 

 此処は『お寺』でしょう。と勝手に決め込み、更に崖の上に見えている『祠』へ向かいます。

 

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妙義神社 part2

 

 神社仏閣を参拝する時は『一礼』から始まります。

 

 『神社』の場合は『一の鳥居』を潜る手前で『これから参拝させて頂きます』の気持を込めて一礼を捧げます。でも『一の鳥居』が海の中だったり、とてつもなく離れている場合は省略ですけど。

 

 『仏閣』の場合は大抵の場合『門』(総門だったり、石柱だったり、いきなり山門だったり)の手前で一礼。

 

 『神社』『仏閣』共に身を清める為の『手水舎』が在るのですが、『鳥居』や『門』の中に在ったりします。

 

 本来、『禊』をしてから一礼を捧げて『鳥居』や『門』を潜るのですが、現代では『手』や『口』を清める事で『禊』の代わりとしています。

 

 参道の途中には川が流れており、橋を渡る事で『聖域』との区別をします。

 

 『神社』では特に『太鼓橋』と呼ばれる『アーチ橋』が在り、神様のみが渡れるとされています。

 

 『仏教』では『六地蔵』より先は『あの世(亡くなられた方の為の場所)』とされています。騒いだりふざけたりしない様に。

 

 『神仏習合』の際、『神道』『仏教』の習慣・作法などがゴッチャゴチャになって、それが現在でも通用しているから尚の事良く解らん。

 

 

 『鳥居』も『太鼓橋』も在りませんので、石段を上る前に一礼。

 

 しっかしよく積み上げたもんだ。人の力は凄いなあ。

 

 

 長年の歳月で、石段は決して平では無く、尚且つ苔が生えたり、枯葉が積もっていたりで歩きにくい。いや気を抜けば危険。補う様に石段を捲きながら山頂へと続く山道が造られています。

 

 まぁ行ける所まで登って観ますか。

 

 

 階段途中の踊り場で四角い穴の開いた『基礎石』が残されていました。

 

 多分『鳥居』が建っていた場所でしょう。

 

 

 この山の上まで『石灯篭』を担ぎ上げる人の足腰はどうなってんだろう。

 

 『箱根駅伝』なんかぶっちぎりの『山の神』に成れるかも。

 

 石灯篭の基礎も歪んでますけど、チャンと屹立しています。

 

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妙義神社

 

 『妙義山』に在る『妙義神社』 余り知られていない存在ですが行くべきです。

 

 『御神体』を山そのものとする『山岳信仰』は各地で見られますが、妙義山の険しい岩山の麓によくも此れだけの石段を積み上げ、材料を運び上げて豪華な社を建てたものだと。

 

 詳しくはgooglemapやWikipediaに譲りますが、一度訪れてみて損は在りません。

 

 只、結構な石段を登りますので足腰丈夫なうちにね。

 

 で『佐久穂町・妙義神社』 やっぱり山の中に在ります。

 

 

 位置的には『龍興寺』さんの真後ろの山頂。登山口付近に駐車場は在りませんので『龍興寺』さんの駐車場をお借りして。(モチロン参拝とお賽銭を忘れずに)

 

 舗装路を西に向かうと左側に一軒だけ家が建っています。その先を曲がって行きますと。

 

 

 害獣除けのフェンスが在ります。此れが入り口。

 

 因みに此処まで一切案内とか在りません。何度迷った事か。

 

 

 フェンスの手前から見下ろすとこんな感じ。畑が在りますので、農家の方が頻繁に訪れるみたいです。故に道路上は駐車禁止。

 

 ではフェンスを開けて。(通過したら即閉める事)

 

 

 踏み跡は在るけど……此処で良いのか?

 

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龍興寺

 

 佐久穂町・大日向地区を訪れて目に入ったお寺、『龍興寺』

 

 正式名称『曹洞宗 鳳来山 龍興寺』 天正19年(1590年)開山の古刹です。

 

 佐久地域に大被害をもたらした『戌の満水』により流失し、その後現在地に再建されました。

 

 

 先ずは案内を読んでみますと。

 

 

 明治維新の頃のご住職。凄いんです。寺子屋として読み書きを教えたり、『秩父事件』の『困民党』を宿泊させたり。『華道』『書家』としても達人と来てます。

 

 国策の『満州移民』に出国した『大日向』の人達。引き上げの際迫害を受け亡くなった方々を慰霊しています。

 

 村を挙げて移民した後地に、他の人達が住み着いてしまったので元の場所に変える事も許されず、御代田町の山の中を開墾し『大日向』と名前を付けて其処に集落を造りました。

 

 昨今の『イスラエル』と『パレスチナ難民』問題が何故か重なります。

 

 

 池に立つお地蔵様は『水子地蔵』でしょうか。隣接して公会場や児童遊園地が見えます。

 

 

 『仁王門』を潜り参道の石段の手前

 

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小諸蒸留所

 

 今年一般公開が始まったと聞き、何時か行ってみたいと思ってました。

 

 お酒は『何でも来い!』の私。夏はbeer。冬は日本酒。通年通してwhiskey。

 

 『酒蔵』や『醸造所』『蒸溜所』見学も好きで、直売所でついつい買いすぎてしまう…

 

 『ユーミン』の歌に出て来る『府中のbeer工場』では、見学の後に出来立ての生ビールの無料試飲が出来ました。(ビールは出来立てが最高!)

 

 『ワイン工場』然り、『酒蔵』然りですが、車で行くと運転できなくなるから……ねぇ。

 

 バスツアーに工場見学が含まれている場合のみ『鯨飲』出来ます。

 

 春先に『駒ケ岳蒸留所』を見学し、お土産に買ったwhiskyが大のお気に入り。

 

 それまでは『ト〇ス』でハイボールにしていましたが、今では『マ〇ス』一本やりです。しかも『一升瓶』に入ったwhiskyでお値段も格安です。

 

 気が付きました?『whisky』と『whiskey』 spellの『e』を間違えてない?

 

 スコッチの起源を主張する『スコットランド』と『アイルランド』が差別化を図る為に『スコットランド産』のウイスキーを『Scotch whisky』、『アイルランド産』のウイスキーを『Irish whiskey』と表示するようになったとされています。

 

 其々の蒸留所で学んだ人が自国に帰り、ウイスキーを造り販売する時に用いた表記が異なったとか、又は輸入した国でその表記のまま使うようになった。 

 

 日本でも『ウイスキー』とか『ウィスキー』『ウヰスキー』とか書いてるところ在るもんね。(吞んじゃえばどれも一緒じゃん)

 

 

 『小諸蒸留所』道路沿いから『ポットスチル』が見えます。

 

 駐車場にバイクを停め、受付へ……

 

 入館料¥2500! えっ。見学料取るの? 只ウイスキー買いたいだけなのに?

 

 受付で暫し考えた後、引き返しました。だってそれだけでボトルが買えちゃうじゃん。

 

 別にウイスキーの造り方とか、他の蒸留所で観て知ってるし。

 

 それに試飲が付いていても飲む訳行かないでしょ。バイクで来てんだから。

 

 

 私の後に送迎バスで来た人達数人は、スンナリと中に入って行きましたけど。

 

 まぁお金持ちなのでしょうね。

 

 

 貯蔵庫も立ち入り禁止。ハイ写真だけ撮って消えますョ。

 

 

 多分一生呑む事無いだろうな。呑みたいとも思わないけど……

 

高峰神社・鳥居

 

 『高峰高原ホテル』裏手の道を少し登ると『高峰神社・一の鳥居』が在ります。

 

 今年の初夏に『高峰山』に登った時、『高峰温泉口』から『高峰山・山頂』を目指したので、鳥居を潜っていなかった。

 

 で鳥居だけでも潜っとこうと駐車場から歩き出しました。

 

 

 お~。いつの間にか新調されている。

 

 以前は丸太を組み合わせただけの鳥居だったと思うけど…何年前だ?

 

 私の出身小学校は小5の時に『高峰登山一泊二日』の遠足(宿泊体験)でした。

 

 学校集合、貸切バスで車山峠まで。徒歩にて『高嶺山頂往復』

 

 その後『高峰高原温泉泊』 夕飯は自炊でカレーを造り、夜は広場でキャンプファイヤー。

 

 当時の『高峰高原温泉ホテル』は現在の『高峰マウンテンホテル』の前身です。

 

 温泉大浴場のを備えた合宿所の様な処で、春~秋は登山&キャンプ、冬はスキーに広く利用されていました。

 

 大きな浴場(内風呂)の中に、大きな浴槽(手前)と小さな浴槽(最奥)の2つが在り、小さな浴槽は『混浴!』 

 

 確か学校の指示では奥の浴槽は使用禁止だった。

 

 夜、男子は大広間一間に一学年男子全員が寝ました。蒲団が足りず二人で一組の蒲団だったと記憶してます。

 

 食事後、テレビも無い大広間に戻り、布団を敷いた後、『トランプ』などの夜の自由時間。当然『枕投げ大戦争』が勃発。一学年三クラスだった為、三ヶ所に分かれて陣地(蒲団の壁)を造り、枕を投げ合うだけの抗争でしたが、モノの3分もしないうちに先生登場。枕を投げた者は廊下に全員正座でした。(私ら数人以外ほぼ全員) てか投げなかったんじゃ無くて、陣地で蒲団を盾のように手に持っていたから投げられなかっただけなんですけど。それじゃ不公平になるから全員で正座しました。

 

 『枕投げ』を想定しての事か、枕は『そば殻』じゃ無くて『スポンジ』だった?

 

 『高峰温泉』は『ランプの宿』とか『雲の上の露天風呂』として宿泊者だけが入れる入浴施設が有名な高級旅館。冬スキー場迄の送迎が『キャタピラーカー』による送迎が在ったりします。

 

 他にも『高峰高原ホテル』(車坂峠)が在り、此処の駐車場から見る展望はお勧め。館内には『こまくさの湯』は立ち寄り入浴出来る温泉施設が在ったり、食事も出来ます。

 

 その他『黒斑山』『篭ノ塔』や『湯ノ丸』への登山ベースや高山植物を手軽に観察できる散策コースや『テラス・レストラン』の在る『高峰高原ビジターセンター』なども在り、山に親しむには絶好の場所です。

 

 そうか私の『山』歩き(現在はトレッキングのみ)の原点は此処だ。

 

 ♪ 山は高峰 ヤホ~ ヤホ~ 雲の上 滑ろうスロープ 粉雪蹴って…

 

  空のスキーよ 2000m 高峰高原スキー場

 

 『高峰スキー・シャンソン』 キャンプファイヤーで歌いました。 

 

 世代によっては『勇気と愛が 世界を救う…Fall inn love  ロマンスの神様…』だったり、『…今宵 涙こらえて 奏でる愛の セレナーデ…』だったりとゲレンデに流れる曲が耳タコだった曲は人それぞれでしょうけど、『高峰スキー場』の冬は『空のスキーよ 2000m 高峰高原スキー場』で決まり。

 

 ビックリしたのは検索したらYouTubeに在りました!

 

 『高峰神社一の鳥居』を見ながら半世紀前の事を思い出しました。

 

 『カレーの鍋、ひっくり返したのは誰だ!』 

 

 

パルコール嬬恋リゾート

 

 『須坂市・米子瀑布』を流れ落ちる『米子川』は『四阿(あずまや)山』に端を発します。

 

 その『四阿山』 『菅平高原』の『菅平牧場』からも登れますが、『群馬県嬬恋村』の『パルコール嬬恋リゾートスキー場』のリフトを使えば『四阿山・稜線』迄行けるとか。

 

 兎に角、楽して山登りしたい派ですので、リフトやゴンドラ大好きです。

 

 もし『富士山』にゴンドラが在れば確実に乗るな。(一挙に高度を上げると確実に高山病になるけど)

 

 以前『菅平スキー場』から『ヘリコプター』で『根子岳』迄登り、其処からスキーで下る『ヘリスキー』を経験出来ましたが、現在は『圧雪車=スノーキャット』で登るみたいです。結局ヘリ料金が高いと思い乗らずじまいでしたが。

 

 『須坂市』と『嬬恋』を結ぶ『大笹街道』が在り、この道は険しい山道であるにもかかわらず、『佐渡島・上越』と『江戸』を最短で結ぶ重要な物流街道だったそうです。

 

 余りにも急峻な場所が多く、『馬』は無理で『牛』の背に荷物を括り付けて運んだそうです。

 

 今回『パルコール嬬恋』からゴンドラに乗って『四阿山稜線』に出て、『三原道分岐』まで行ってみたいと。

 

 

 中野から国道292号線=『志賀草津道路』(以前は有料でした)で『志賀高原』を経由して群馬県に入ります。

 

 この道、バイク乗りにはあこがれの道で、平日の昼間でも引っ切り無しにバイクが走っています。速度制限標識が在りませんが安全運転でね(60㌔規制です)

 

 国道の最高地点が在るのもこの道路です。

 

 

 国道最高地点から『芳ヶ平湿原』が良く見えました。

 

 

 『草津』経由で『嬬恋』に入り、『パルコール嬬恋リゾート』のロビーへ。

 

 誰も居ません。どころかカウンターに『キャベツ』! オブジェでしたけど。

 

 呼び鈴を鳴らせば人が来るのでしょうけど、どうやら今日は営業していないのかな。

 

 此方では日帰り入浴施設が在るのですが、駐車場に車も停まっていなかったから休館日なのかも。

 

 

 取り敢えずスキー場料金のスポーツドリンクと麦茶を買ってゴンドラ乗り場を目指すと…

 

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中山晋平

 

 今年、『中山晋平』をモチーフにした映画が出来るとニュースで読み、北信地区に行ったついでにでも寄ってみようと思っていた『中山晋平記念館』 やっと訪れる事が出来ました。

 

 

 駐車場から正面入り口に廻った処で、ゲートに設えた鐘が鳴り出しました。

 

 

 毎時丁度に音楽が流れる仕組みです。次回は16:00。今度は録画してみますか。

 

 

 玄関脇には『中山晋平ブロンズ像』と……たぬき?

 

 

 ボタンを押すと『童謡・シャボン玉』のメロディーが流れると共に、口から『シャボン玉』が噴き出ます。

 

 そう『野口雨情・作詞』の『シャボン玉』に『曲』を付けたのが『中山晋平』です。

 

 ゲートから流れた音楽は全て『中山晋平・作曲』の作品です。

 

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萬龍寺

 

 『須坂市・米子瀑布』へと向かう道沿い、集落の外れに『萬龍寺』が在ります。

 

 

 『帰命山・万竜寺』 『満龍寺』じゃ無いじゃん。

 

 googlemapでは『萬龍寺』なんですけど………旧漢字表記から変えただけなんでしょうけど。

 

 

 駐車場を出て、山門に向かう(駐車場から直に境内に入れますけどそれじゃつまらない)と、霊園脇に桜の巨木が立っています。

 

 

 途中で幹が三つに分かれている、二つに分かれるのは良くあるけど、三つは珍しい……のか? 四つ葉のクローバー的なもんじゃ無いのかな。

 それよりも、遠方からでも目立ったいた巨木が

 

 

 根元から見上げるとこの幹の迫力。

 

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高仁神社

 

 『須坂市・仁礼』に『高仁神社』が在ります。

 

 白いコンクリート製の鳥居を見つけました。

 

 扁額に『高仁神社』と書かれています。

 

 住所は『仁礼字権現堂』ですので神様の名前が『高仁』と云う事に成ります。

 

 ハテ、初めて聞く神様です。

 

 

 参道の一番奥、石段を登ると拝殿が見えます。

 

 

 祀られている神様は『タケミナカタノミコト』と『ヤサカトノオトメ』 諏訪神社に祀られる神様=『諏訪様』ですね。

 

 古くは『高井郡・仁礼村』と云われていましたので略して『高仁』でした(チャンチャン)

 

 

 『仁礼』の方々に祀られていた神様を『諏訪神社』に合祀し名前を改めたみたいです。

 

 

 『御百度石』も立っていますので、地域の方に大事にされていた神社でしょう。

 

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下仁田駅

 

 小学生の時、自転車でサイクリングを計画し、目的地に選んだのが『上信電鉄・下仁田駅』です。

 

 当時バイパスは無く細い曲がりくねった道。延々と上り坂を時には押しながら峠を越えました。県境を超えればほぼ下り。目的地の下仁田駅近くの食堂でラーメンを食べ、帰り路、延々上り坂を押して歩いた記憶があります。(家に着いた頃はもう辺りは真っ暗で怒られたの何の………)

 

 今ではバイクで片道1時間で行けちゃいます。

 

 

 訪れたのは8月初旬。学生は夏休み真っ最中で、『クラブ活動』や遊びに行くのでしょうか、結構若い人が駅に沢山居ました。(免許持ってりゃ電車に乗らない!)

 

 

 確か以前は『Coca-Cola』のド派手なラッピング車両なんかも在ったと思います。

 

 青と白のツートンも綺麗ですね。

 

 

 情報量てんこ盛りの駅構内。壁と云わずガラスと云わず、ペタペタ貼られたポスターやチラシの多さに『昭和』を感じません?

 

 映画のロケに出も使われると良いのに。(主演・井森〇幸さんで決まり)

 

 

 

 駅構内に設置された『ガチャ』 下仁田の名店シリーズです。

 

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常住寺

 

 国道254号線で『下仁田』に入ると踏切が在ります。

 

 『上信電鉄・下仁田駅』は始発駅な為、此処から町が広がる感じ。

 

 小さいながら商店街が在ったり、古里名刹なども存在します。

 

 踏切脇にお菓子屋さんが在り、何時か訪れたいのですが、車を何処に停めるの?

 

 今回はバイクでしたので是非とも寄ってみたいと思ったのですが、家と店休日が同じなのでしょうか。カーテンが閉まってました。営業はしているみたいです。

 

 踏切の一時停止確認の時、手前の坂道に『常住寺』の案内が出てました。

 

 先にお寺在りき。後に町が発展して線路を通した時、踏切によりチョット不便な参道になったみたい。(お菓子屋さんもそうかな)

 

 

 坂を登り上げると広い駐車場が在り、下仁田の街並みを見下ろせる場所です。

 

 石碑に彫られた『一隅を照らす』 『最澄』の言葉です。

 

 『天台宗・五大山・常住寺』 入口の幕に描かれているのは『桔梗紋』

 

 『吉、更なり』の文字が使われているので縁起が良いとされ『明智光秀』の家紋だったり、真言宗智山派の『円泉寺』にも使われています。

 

 因みに『桔梗』の花言葉は『清楚・従順・変わらぬ愛』ですと。

 

 

 駐車場の片隅に『伝教大師・最澄像』が立っています。

 

 『遣唐使船』で国費で留学した『最澄』は帰国後、比叡山に『延暦寺』を建立し『天台宗』を設立します。(同じ船で『空海』も渡航しましたが此方は私費留学)

 

 この『延暦寺』で仏教を学び、それぞれの解釈から独自の宗派を設立した人達の宗派を『鎌倉仏教』(地名では無く時代)と呼びます。

 

 『浄土宗・法然』『浄土真宗・親鸞』『日蓮宗・日蓮』『時宗・一遍』『臨済宗・栄西』『曹洞宗・道元』などが『鎌倉仏教』と呼ばれていますが『延暦寺・講堂』にはそれぞれの開祖の肖像画が掲げられています。

 

 

 山門を潜ってすぐ左手『弁天堂』が在ります。

 

 『弁天様』は別名『吉祥天』とも呼ばれ、『七福神』に数えられる唯一の『女神』です。水辺に祀られることが多く、この水でお金を洗うと倍になると云う謂れの『銭洗い弁天』が有名です。神使は『白蛇』 手に持った『竪琴』から音楽などの芸能事や蓄財の神様として崇められています。

 

 

 ずらりと並んだ『像』は  初七日・二 七日‥と 七 七日(四十九日)、更には七回忌・十三回忌・三十三回忌  迄それぞれの法要を司る『菩薩様』や『如来像』が並んでいます。

 

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鏑神社

 

 国道254号線を東へ。消防署の見える交差点を左折すると『もみじライン』通称『姫街道』で『和美峠』経由『軽井沢』へ抜ける事が出来ます。

 

 今から50年程も前、世間を騒がせた『連合赤軍』が警察の捜査を逃れながら真冬の山中を迷走したであろう峠です。

 

 流れる『鏑川』は清流で『夫婦岩』などの景勝地や、緑掛かった温泉の『八千代温泉・芹の湯』などもこの街道沿いに在ります。

 

 『川越街道』の宿場町として発達した『西野牧』には『関所』も在りました。

 

 『佐久市浅科』の『五郎兵衛新田』には『関所破りの桜』と呼ばれる『桜の古木』が在ります。

 

 江戸時代、浅科の若者が所用で『上州(群馬県)』を訪れた際、桜の苗木を手に入れます。

 

 『川越街道』を往来する為『西野牧関所』の通行手形は持っていたのですが、帰り路、内山峠が通れなくなり、苗木を枯らすまいと考えた若者は『中仙道』経由を試みます。

 

 『横川の関所』を通ろうとしますが『通行手形』を持っていなかった為、通行を許される筈は無かったのですが『市川五郎兵衛』の元へ『桜の苗木』を届ける為と聞いた役人は『通行手形』を持たなかったにも関わらず通行を許します。

 

 無事浅科に届いた桜の苗は立派に育ち、現在も『関所破りの桜』として見事な桜の花を咲かせます。

 

 名前だけ聞くと『強行突破の関所破り』かと思いましたが、役人の粋な計らいだったんですね。(職務怠慢と云えばそうだけど、こんな怠慢なら大いに結構)

 

 その『西野牧宿』に『鏑神社』は在ります。

 

 

 神社にはかつて『格』と云うものが在り、此方は『村社』(格についてはググってね)

 

 逆に言えば『村の鎮守の神様』として、春秋の『村祭り』や『奉納舞』『奉納相撲』など村人の生活と大きく関わっていた筈です。

 

 

 キツネが護っているから『稲荷神』でしょうか。

 

 

 拝殿の手前に立派な舞台を持っています。

 

 娯楽の少なかった時代、一大イベントとして大いに賑わったのでしょう。

 

 

 拝殿で参拝しまして。

 

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天満宮

 

 国道254号線で『下仁田』を東へ向かって走っていると『市ノ萱川』を渡ります。

 

 『市ノ萱川』は『荒船山』の麓から流れ出し、『鏑川』と合流しやがては『利根川』となり『太平洋』へ流れ込みます。

 

 内山峠の西側に落ちた雨は『滑津川』となり『千曲川』に合流し『日本海』へ。

 

 『千曲川』は県境を越え『新潟県』に入ると『信濃川』と名前が変わりますが、『利根川』は幾つ県境を越えても『利根川』のまま?

 

 

 付近に駐車場が在りませんので、道路拡幅部にバイクを停めましたが、民家に近づいた所から番犬が吠えっぱなし。

 

 急いで階段を上り、参拝を済ませる間も『何やってんだコラ!』的な吠え方に辟易。(番犬として優秀な証拠ですね)

 

 

 置かれた丸石は『甌穴石』かな。

 

 

 面白いと思ったのは『タイムカプセル』の表示。

 

 此処なら間違える事無いでしょうね。ってか誰が何の為に?

 

 

 シンプルと云うか何も無い潔さ、好き。

 

下仁田・西光寺

 

 内山峠を越え『下仁田』へ向かって快適に走っていると、右手に『こんにゃく食べ放題』と書かれたドライブインが在ります。

 

 此処、下仁田出身の女優『井森〇幸』さんがバイトしていた店としても知られています。

 

 食べ放題の『煮込みこんにゃく』は¥200。(10年前の話ですから値上げしたかも)

 

 鍋の中でじっくり煮込まれていて美味しいです。(そんなには食べられませんけど)

 

 その少し先。左手の擁壁ブロックの切れ目の所に『西光寺』と案内が出ています。

 

 道が細い上に急坂な為、特に用事が無い人は素通りでしょう。

 

 私も普段は素通りですけど、バイクでしたので寄ってみました。

 

 

 『天台宗』のお寺です。

 

 一番奥、突き当りの石段を登ると『延命地蔵尊』と『六地蔵』がお出迎え。

 

 

 拝殿は………閉ざされていて御本尊は拝めず終いでした。

 

 庫裏の方で何か動く気配があったので廻り込むと………

 

 数匹の『猫』でした。

 

 毛並みも良いので飼い猫でしょう。猫が飼われているって事はご住職は偶々留守なのでしょうか。

 

 

 『聖観音』の後方に『物語山』『阿唱念の滝』がある筈です。

 

 以前『滝』まで登ろうとしましたが、道路崩落の為立ち入り禁止でした。

 

 今は行けるのかな?でも『熊』も怖いし。

 

道平川ダム

 

 「心にダムは在るのかい?」 とあるTVドラマのセリフでしたが、私には何のこっちゃ?

 

 バイクで山間部を駆け巡るようになり、沢山の『ダム』に出掛けました。

 

 その後『ダムカード』が発行され、ブームになると『転売目的』でダムに訪れる人も増えて来ました。(折角訪れたダムのカードが一枚残らず持ち去られていたり………)

 

 現在『無人ダム』のカードは、他の有人施設(役場や温泉、道の駅なども在るみたい)などで、訪れた証明写真を見せて引き換える処や、訪れたダムに『アンケート用紙』が置かれており、返信用封筒+切手+アンケート用紙を送付して『ダムカード』を送ってくれるシステムのダムも在ります。

 

 訪れた『ダム』に『二次元バーコード』が設置されていて、読み込むとダムの入手方法が案内される処も在りましたが、私のスマホは圏外?だった。

 

 

 山道を走っているとトンネルが在ります。

 

 この『トンネル』短いですが途中で道路が曲がっていて先が見通せない。しかも照明が無く、暗いオフロードバイクのヘッドライトじゃ何も見えません。

 

 真夏の炎天下の中、ギンギラギンの太陽光に目が慣れていた後に飛び込んだ真っ暗闇。恐る恐るゆっくりと走ります。

 

 トンネルを抜けるといきなりダムが目の前に飛び込んできます。

 

 でもイマイチ湖面が綺麗じゃ無い。夏の水不足に加え『アオコ』が大量発生したのでしょうか。

 

 

 『道平川』を『道平ダム』で出来た堰止湖が『荒船湖』 中には『川』の名前と『ダム』の名前が違う所も在るからややこしい。

 

 

 因みに『二次元コード』を読み取るとYouTubeで詳細が観れます。

 

 季節によってはこんなに美しいのに………

 

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四柱大神

 

 『四柱大神』 聞き慣れないのは私だけ?

 

 『松本』に在る『四柱(よはしら)神社』は、『占い芸人・ゲッターズ〇田』さんによると長野県下最強のパワースポットだとか。

 

 その神社に祀られている四柱(神様はひと柱、ふた柱と数えます)の神様が『天之御中主神・あめのみなかぬしのかみ』『高皇産霊神』『神皇産霊神』『天照大神』

 

 四柱の最強の神様を祀っていますので『四柱神社』

 

 でも此方は『四柱大神』しかも祀られている神様がチョット違う。

 

 

 此方に祀られている四柱は………(変換しながら書くのも大変ですのでピッチアウトして読んで下さい)

 

 

 『荒船神社参道』の脇に社が二つ。

 

 向かって左が『四柱大神』 向かって右が『大日如来』

 

 『神仏習合』と云う訳で無く、仏教の神様みたいです。

 

 

 『下仁田・荒船神社』の駐車場奥に『扁額』の掲げられた建物、階段で登れる訳で無し。鎧戸も閉ざされたまま。何だろう?

 

 調べてみても良く解りません。

 

 興味ある方は『解脱会』で検索どうぞ。

 

荒船神社

 

 『荒船山』を御神体とする山岳信仰ですので『荒船神社』が在ります。

 

 『長野県と群馬県境』に位置する『荒船山』ですので、両県にそれぞれ『荒船神社』が存在します。

 

 『富士山』を御神体とする『富士浅間神社』が『山梨県』と『静岡県』にあるのと同じですね。

 

 『富士山信仰』が『浅間(せんげん)神社』なのに『浅間山』には『浅間神社』が無い? 

 

 高峰高原からの登山口には『山の神神社』が在り、此れが浅間山を御神体とする『神社』だったと思います。

 

 実は『浅間山山頂』に『祠』が在ったと思うのですが、現在噴火活動の為に確認に行けない状況です。(行きたいんですよホントは………でも規制だから仕方ないんです)

 

 

 さて『荒船神社』 位置的には『下仁田・荒船の湯』から旧道を西へ200m。

 

 今は走り易い『バイパス』を通過しますので、荒船神社の鳥居すら見えませんけど、50年前はこの旧道をトラックも走ってました。

 

 

 コンクリート製の階段中央に手摺が付いています。此れが歳とって来ると有難い。

 

 石段下には『狛犬』が。でも普通向かって右側は口を開けた『阿吽の阿』の形では?

 

 

 上の写真が石段下の向かって右側。下の写真は向かって左側。

 

 

 前脚の細さと云い、何て味が在るんだろう。

 

 でも何となく思い浮かべません?『ミニラ』 知っている人は分かる筈。知らない人は検索どーぞ。

 

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石尊大権現

 

 『取出・百番観音』を拝観し、さて帰ろうかとバイクに跨って信号待ち。其の時『百番観音』の境内に在る『火の見櫓』の隣に、グリーンフェンスに囲まれた『石灯篭』を発見しました。

 

 信号が変われば発車するだけなのですが、何か気になってバイクを降りました。

 

 

 上部は『常夜灯』の体を成した灯籠ですが、その胴の部分。

 

 何だ?

 

 

 鱗が見えますから『龍』か『蛇』のどちらか。

 

 台座には『石尊大権現』と彫られています。

 

 『石尊』とは、江戸時代に大流行した『大山詣で』の『山岳信仰』と『修験道』が融合(神仏習合)した独特の宗教で『十一面観音』を本尊としました。

 

 『龍』や『蛇』は河川や湖沼の守り神で在り、『十一面観音』に化身して治水や雨を司ったとされます。

 

 干支の『巳』と『辰』とじゃ大分印象が違いますが、要は『水』の守り神として『十一面観音』の化身として人々から崇め奉られた存在です。

 

 教育委員会さん。此れ凄く価値ある石灯篭だと思うんですけど。

 

取出百番観音

 

 取出の信号傍に『取出・百番出世観世音観音堂』が在ります。

 

 年に一度、お盆の時に地区の『夏祭り』が行われ、観音堂も公開されます。

 

 普段は鎧戸が閉ざされ、中を覗くことも出来ませんが、今回は扉が開いていました。

 

 靴を脱いで御堂の中へ。

 

 

 カメラをオートにして撮影。

 

 

 お~。此れは公開時に見てみたい。

 

 

 御堂の片隅には『賓頭盧尊者』が置かれています。

 

 そう云えば『善光寺』で『賓頭盧尊者像』が盗難に遭う事件が在りましたが、すぐに発見されて戻されたようです。犯人はバチが当たるぞ。

 

 

 そして奉納提燈に『おきな堂菓子店』の名前。

 

 うちも商売繁盛したら何か奉納したい処ですけど………なんせ不景気で。

 

 観音様。商売繁盛お願いします。

 

下海瀬・諏訪神社

 

 千曲川右岸道路・通称『佐久川上線』を南下していると、海瀬集落の入り口付近に新しい道が開いていました。

 

 小海線のすぐ脇に『バイパス』する二車線の道路が開通しており、細い住宅地の中を走らずに済みます。

 

 初モノ好きの私は、早速走ってみます。

 

 

 ガードレールに切れ目は在るのですが、JRにしてみればそりゃそうだろ。

 

 でも順序から行けば、最初に神社在りき。その参道を『小海線』が横切り、更に小海線に沿うように『バイパス』が開通しました。

 

 近くに『踏切』もあるようですが、草の踏み跡を見ると皆さん此処を渡っているようです。

 

 

 鳥居の上に尖がっている三本の棒は何でしょう? 鳥除けかな。

 

 そもそも鳥居とは『鳥(鳳凰)』がとまる為のもの。 避雷針の訳無いし。

 

 

 拝殿内は至ってシンプル。先ずは参拝しまして。

 

 

 廻り込んで『本殿』 

 

 斜面を削り取って立てられていますので裏山を『野面積み』の石垣で養生しています。

 

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中止の滝

 

 『御巣鷹山』へ向かう時に案内看板をみていましたが、後回しにしておいた『中止の滝』 固有名詞の読み方は様々在るけど『なかどめ?』『ちゅうし?』

 

 

 撮影角度に無理が在るのは、この看板の前に車が停まっていたから。

 

 丁度この付近の『橋』を点検中で、拡幅部に数台、関係者らしい人の車が停まっていました。

 

 大概の案内看板は駐車場から通路へと続く所に立っている事が多いですが、無関心にその前に車を停める人が多いみたい。自分が読まないから他の人も見ないとでも思っているのかな。

 

 『中止の滝』の滝の由来は兎も角、赤いペンキで塗りつぶされている『100m』の部分。実際は200m位あったから塗りつぶしちゃえ。ってところでしょうか。

 

 

 看板から少し登った処に『滝』が在ったのですが、わざわざ作業を『中止じゃ~』と止めた程の見栄えかと云うと………

 

 奥へと続く山道があり、半信半疑で歩いてみると。

 

 

 単管の手摺とか、ロープが張られているから、かなりの人がこの道を通っている筈。

 

 googlemapで現在地を確認するとやはり山の奥に『中止の滝』が在る模様。

 

 mapを地形図にして標高差を読むと100mはありそう。

 

 『御巣鷹尾根』で1時間程山を登った後だから、余り無理したくないところですが………

 

 直線距離は大した事なくても、標高差が曲者なんですね。

 

 

 う~ん、私の体重が約100㎏。壊す訳にいかないから、枯葉の上を踏みしめながら。

 

 一本折れているのは私じゃ無いですから。

 

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本谷分校跡地

 

 県道124号線から『オボロカヤの滝』を通って『御巣鷹山』へと続く『中之沢林道』を走ろうと思って『ぶどう峠』経由で上野村入りしましたが、関係者以外通行止め。頑丈な鉄扉が閉められていました。

 

 『南相木ダム』と『上野村ダム』の中間には、地中に『発電施設』が在り、その立坑が航空写真で確認できます。おそらく『御巣鷹山トンネル』の群馬県側出口が此の辺りに在るのでは? でも通行止めなら仕方ない。

 

 で『中之沢林道』の反対側出口に在る『本谷分校跡地』ってどんな場所?と好奇心たっぷりに向かいますと。

 

 

 反対側のバリアーはポール式。人の通行は可能ですので少し歩いてみましたが何も無し。

 

 分校が在ったって事は、子供が歩ける範囲に集落が在ったって事。

 

 山奥では自給自足の為の『田畑』が必需の筈なのですが、そのような平地も見あたりません。

 

 

 昭和18年と云えば『大二次大戦』の真っ最中。戦争特需の『硫黄鉱山』らしき物は見当たらないから、『松根油』の採取?にでも大勢の家族が住んでいたのか。

 

 閉校となるのは昭和38年。今から61年も前ですから手がかり無しです。

 

 

 コンクリートブロックの積み方も不思議。(強度が無い)

 

 鳥居が在るから『神様』を祀っていますが、神様の名前がわかりません。

 

 鳥居を潜って参拝します。

 

 此の辺りまで人が入り込んで生活が在ったとは、とても想像もできない場所です。

 

 尚の事『中之沢林道』走ってみたくなっちゃう。

 

御巣鷹尾根・昇魂之碑 part2

 

 前回途中で書き込むのを辞めたのは、何か寒気が………

 

 私。特別霊感とか強いとか、感じやすいとか無いですけど、それでも過去何ヶ所か足を踏み入れるのを躊躇った場所が在ります。

 

 高所恐怖症も無い為、結構高い場所も平気。閉所恐怖症や暗所恐怖症なんてのも縁遠いですが、『佐久穂町・〇〇寺』とか『〇〇峠駐車場』とか………

 

 正直『御巣鷹山』 物見遊山やハイキング気分で行く場所じゃありません。

 

 

 実はこの場所に来るまでの間に『〇〇慰霊の碑』と名前と享年の書かれた『慰霊碑』がそこかしこの山の中に立っています。中には家族で在ろう同じ名字が同じ場所に。

 

 訪れたのは8月初旬。事故の在った8月12日に行われる『慰霊式』前に訪れた遺族・知人の方が居るのでしょう、生花が供えられた慰霊碑も在りました。

 

 山の中に細かく分けられた地番も、慰霊で訪れた際、山の中をさまよわない様にする為でしょう。

 

 色々な場所で『水』が汲めるのも、重い水を持って山道を歩かなくて済むように施された『手向けの水』です。

 

 

 昇り詰めると広場が在り、ベンチが置かれています。

 

 

 いくら整備されているとは云えやはり山道。普段運動不足ではかなりキツイ。

 

 日陰のベンチで汗を拭きまして。

 

 

 広場から一段高い所に『昇魂之碑』が建っています。

 

 『空の安全祈願之鐘』を鳴らします。

 

 『昇魂之碑』に向かって合掌。

 

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御巣鷹尾根・昇魂の碑

 

 上野村から清流沿いの舗装路を登り詰めると『御巣鷹尾根駐車場』に着きます。

 

 なんとこの細い山道を大型バスが上って来るそうです。

 

 ボランティアさんが駐車場所を指示しますので注意に従って。

 

 其処から山道に入ります。

 

 

 沢山の『杖』が用意されているって事はそこそこの山道を、大勢の人が訪れるって事でしょう。

 

 『スゲノ沢』沿いに、細い山道を行きますが、『慰霊登山』に訪れる大勢の人の為に道は整備されています。

 

 

 参拝道に沿って所々で『湧き水』が流れ出ています。

 

 そう。あくまで此処は慰霊の為の『参拝道』

 

 

 道の傍らに『石像・石仏』が並び、花が手向けられています。

 

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御巣鷹観音

 

 『上野村』から『御巣鷹山』へ向かう道沿いに綺麗な清流が流れています。

 

 『利根川』源流のひとつです。

 

 『上野ダム』から『御巣鷹尾根・招魂之碑』に向かう沢沿いに『御巣鷹観音』が建立されています。

 

 今でこそ『御巣鷹尾根駐車場』迄一般車が入れるようになりましたが、それまでは此処から沢沿いを歩いて『御巣鷹尾根・招魂の碑』を目指しました。駐車場・トイレが整備されたのも最近の事。

 

 湧き水が滾々と湧き出ていますので殻のペットボトルに満たして山歩きに備えます。 

 

 

 沢沿いに建てられた『御巣鷹観音』

 

 『観音様』とは『観世音菩薩』『観自在菩薩』の事で、人間の女性の姿をした仏教の神様です。

 

 根本は全ての人々の、あらゆる願いを聞き叶える為に、時に『千手観音』『聖観音』『馬頭観音』など33種類の観音様に姿形を変えます。

 

 

 『蓮の花』を手に優しく微笑んでいます。『聖観音様』でしょうか。

 

 

 磨かれた大理石は光を反射しちゃうので文字が読みにくいですけど、『日航機墜落事故』後、多くの人が訪れる様になったこの場所に慰霊の為の観音様を建立したとあります。

 

 

 沢沿いの散策路は『御巣鷹尾根』慰霊登山の為の道ですが、その後舗装路で奥の駐車場まで車で入れるようになりました。

 

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上野ダム

 

 長野県の南相木村には日本一高所に在るダムが在ります。

 

 石を積み重ねた『ロックフォールダム』で、表層部に『石灰岩』を使用している為、ダム下の『渦巻く広場』から見上げると、青空に向かって真っ白い壁がせり上がっている様に見えます。『三川』を『南相木ダム』で堰き止めた『奥三川湖』………何のこっちゃ。

 

 この『南相木ダム』の造り出した『奥三川湖』の水は発電に利用されますが、『非常排水』以外に長野県側に流れる事は無く、取水口から地下パイプを通って『群馬県・上野ダム』に流れ込みます。途中で『発電タービン』を廻して発電し東京都に向け送電するのですが、深夜の電力需要の少ない時間に『上野ダム』に貯めた水を揚水ポンプで『南相木ダム』まで汲み上げ、電力需要の多い時間帯に最大の発電能力を発揮する仕組みです。

 

 その『南相木ダム』と『上野村ダム』を繋ぐパイプが通っているのが『御巣鷹山』直下です。

 

 以前『南相木ダム』に行った時、群馬県ナンバーを付けた『TEPCO』の車が駐車場に入って来ました。

 

 二つのダムの所有者は『東京電力株式会社・TEPCO』 『原子力発電所』や『尾瀬沼』なども所有する巨大企業です。

 

 そしてこの二つのダムの間には『御巣鷹山トンネル』が在り、ダムの維持管理の為に車で行き来できるようになっています。

 

 

 何故かピンボケ。フルオートなのに?

 

 

 2kmチョットで『御巣鷹山』の真下を走り抜けます。このトンネルが無ければ『ぶどう峠』経由で2時間。冬場の道路冬季閉鎖期だと『内山峠』経由で5時間!の遠回りになります。

 

 

 トンネルの壁に在るプレート。 う~ん通りたい。どっかにコネ無いかなぁ。

 

 そして二つのダムの中間に『神流川発電所』が在り、航空写真では『立坑』や周辺施設が確認出来るんですけど、う~ん誰かコネ持ってない?

 

 

 でコネの無い私ゃ『ぶどう峠』経由『しおじ温泉』経由で走って来ましたので、トンネルとトンネルの間の『上野ダム入り口』へ。

 

 『中ノ沢林道』が走れれば『御巣鷹山』に向かえるんですけど現在道路閉鎖中です。

 

 

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毛針釣り

 

 長野の田舎で育ったせいか、『渓流釣り』は子供の頃から親しんでいました。

 

 まぁ『クチボソ(もろこ)』や『フナ』『鯉』がメインでしたけど。

 

 バイクに乗るようになると行動範囲が広がり、山の中の沢迄行けるようになると『ヤマメ』『イワナ』狙いになります。

 

 『餌釣り』がメインでしたが、バイトしてお金が手に入ると『ルアー』や『フライ』にも手を出しました。

 

 段々趣味が高じて来ると、『フライ』も自分で捲いてみたりして。

 

 『フライフィッシング』は『ライン(重さと強度の在るナイロン糸)』の先端に付けた『フライ(毛バリ)』を『ロッド』の反発力で飛ばします。

 

 渓流を歩いて遡りながら、魚のいそうなポイントにフライを落とし、釣れなければ移動を繰り返します。大きな岩の陰や水の落ち込みなどを探りながら沢沿いを遡るのですが結構な運動量になります。

 

 

 『キャッチ&リリース』は私の性に合わない。釣った魚は必ず食べます。

 

 釣り針を刺して、ダメージを与えたのに『グッドファイト』なんてよく言えるなぁ。

 

 一説には魚は傷みを感じないと云われてますけど、人間だって『棘』が刺さった位で大騒ぎする人いるじゃないですか。