坂本宿・八幡宮

 

 神社庁によりますと日本で一番多い神社が『八幡宮(八幡神社)』で『応神天皇』をお祀りしています。

 

 『応神天皇』は底辺『武功』に優れた天皇とされ『戦勝祈願』の願掛けが頻繁に行われたそうです。

 

 『戦争』では『負け=死』ですから、何が何でも勝たなければ!

 

 勝つ為『神頼み』でも何でもするでしょう。

 

 強靭な戦国大名も戦の前には必ず『必勝祈願』をしていたそうです。

 

 『旧中山道・坂本宿』の西はずれに『八幡宮』の鳥居が見えました。

 

 

 江戸から旧中山道を旅してきて『安中の関所』を通過し、『碓氷峠』を越える為に十分な休養を取る為の宿場町。それが『坂本宿』です。

 

 夜間の峠超えは危険な為、時間調節も兼ねて宿場に逗留するする人が多かった筈です。

 

 となれば『宿』や『飲食』のみならず『博打』や『遊郭』なども在ったかもしれません。しかもこの宿場町、かなり長い真っ直ぐな道が整備されており、さぞや栄華を誇ったのでしょう。

 

 

 『品陀別命・ホンダワケノミコト』とは『応神天皇』の別称です。

 

 しかも『日本武尊・ヤマトタケル』の『勧進』ですと。(時代考証が………? まぁ古事記ですから)

 

 

 『夫婦道祖神』には『屋根』が付けられています。

 

 『十二単』を纏い、『冠』を被っているかの様です。(かなりのお金持ち?)

 

 

 ユーモラスな『狛犬』に思わずにっこり。

 

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碓氷第五橋梁

 

 『めがね橋』でも遊歩道から階段を上り、『めがね橋・アプトの道』へ出れるんですけど『駐車場』の駐車台数から判断するに、かなりの人が上っているだろうなぁ。

 

 『信越本線新碓氷トンネル』にも行けるんですけど、行って人だらけじゃ興醒めですし。帰りに寄ろうっと。

 

 

 駐車場は在りません。バイクなら拡幅部に駐輪可です。

 

 階段と手摺が設置されていていますので割と簡単に『アプトの道』に辿り着けます。

 

 

 『新碓氷トンネル』(と云っても廃線)は複線の為、上り下りで通過するトンネルが異なります。

 

 余談ですが駅のホーム番号は、概ね『駅長室』に近いホームが『一番線』です。

 

 尚且つ『上り線(東京駅に近づく)』を『一番線ホーム』にしたい。駅舎を建てる時に、上り線を『一番線ホーム』にすべく、多くの駅が設計を苦慮したそうです。

 

 『小海線・中込駅』の場合は『小諸・佐久平駅方面』行きが駅長室に近いから『一番線ホーム』です。

 

 全国には複数のホームを持つ駅でも駅長室の無い駅(単線路線の車両すれ違い待機駅など)が存在しますが、『東京』に向かう列車の停まるホームを『一番線』とする場合が多いみたいです。

 

 昔よく『青春18きっぷ』を利用しました。鈍行のみの乗車券『五日間乗り放題!』で料金格安。複線でも『急行・特急』などの追い越し電車を待機する為の「次の〇〇駅で急行電車待ち合わせの為、10分程停車します」の車内アナウンスも懐かしいですね。

 

 何にも無い駅で『10分』待たされてもね………(スマホが当たり前の今なら何の苦も無い)

 

 

 『めがね橋』から歩いて来たのでしょうか。散策中の方もチラホラ。

 

 

 トンネル内には坑内作業時の『退避抗』や、『送電線跡』も確認出来ました。

 

 『レンガ』ですから全て手作業です。

 

 先ず『横穴』を堀り、セメントで固めながら『レンガ』を積み上げて擁壁とします。

 

 考えてみたら『古代・エジプト・ピラミッド』や『中国・万里の長城』、中世ヨーロッパの『古城』なども切り出した『ブロック状』の『石』や『レンガ』を積み上げたもの。

 

 凄いですよね………人間て。

 

 その凄い筈の『人間』が、侵略戦争の名のもとに『ダム』を破壊し、多くの水害を引き起こしその原因を相手に押し付ける。

 

 『アメリカ某大統領』が『フェイクニュース』と喚き散らしていたが、何時の時代でも『真実』はひとつ。

 

 『たった一つの真実見抜く。体は子供、頭脳は………』の探偵じゃ無いですけど、将来『真実』は必ず明るみに出るでしょう。

 

 あれ?「じっちゃんの名に懸けて」の方だったかな。

 

めがね橋

 

 定義としては『連なるアーチ』が水面に写り『眼鏡』みたいに見えるからでしょうけど、『旧信越本線・碓氷峠』の『第三橋梁』は絶対『めがね』に成らない。だって『池』がないもの。

 

 昨今の『眼鏡』は『フレーム』が上部だけ(若しくは下部だけ)のデザインも在りますけどね。

 

 

 数台のバイクなら道路拡幅部に駐輪出来ますけど、車の方は100m程離れた駐車場をご利用願います。トイレや自販機・水道が利用でき、歩道で繋がっています。

 

 以前はこの橋の下から『信越線橋梁(現在廃線)』までバイクで駆け上がれたのですが、現在は歩道の為『一般車通行禁止』です。

 

 『碓氷川』脇の遊歩道を歩いても行けますけど、行っても『橋脚』しか見えないし。

 

 今回は『パス』します。(驚いた。ストリートビューが入ってますね。歩いて?)

 

 

 昔は一部マニアにしか見向きもされなかったけど、やっぱり美しい。

 

 

 足場を造り、一個一個のレンガを手作業で積み上げたのですから気の遠くなるような作業です。

 

 若干、積み方がズレたりしているのも人間味が在って好感持てます。

 

 140年程経った今でも崩れていないのが素晴らしい。

 

 

 何時までも大切に残したい文化遺産です。

 

碓氷トンネル

 

 因みに碓氷峠を超える国道18号線(旧道・バイパス共に)には『トンネル』は存在しません。

 

 他に碓氷峠を越えるのは『高速道路・上信越自動車道』と『北陸新幹線(信越の名前ははどうした?)』が在りますが、忘れてならないのが『旧信越本線(横川~軽井沢間)』のトンネルです。

 

 ♬ 吾妻隼人(あづまはやと)し 日本武(やまとたけ………尊・るはどこ行った?)

 

   嘆き給えし 碓氷山 穿つ隧道 二十六 夢にも超ゆる 汽車の道

 

 長野県民ならそのリズムを『4番』以外は誰でも知っている曲 県歌『信濃の国』の『6番』です。

 

 なぜ『4番』を知らない人が多いかは『YouTube』で検索どうぞ。

 

 『碓氷山』を乗り越え、関東平野を振り返った『日本武尊』は、旅の途中で身を挺して犠牲になった『奥さん(オトタチバナヒメ)』の事を嘆き悲しみ放った言葉が『吾が妻よ』 それが『吾妻』の地名に成ったそうです。(旧碓氷峠・熊野神社出典)

 

 で『穿つ隧道二十六』 『雨だれ岩をも穿つ』の『穿つ』で、穴を開ける事を意味します。

 

 『鉄道』が『碓氷山』を越える為に開けたトンネルは『二十六ヶ所』も数えました。

 

 当時の人にとって、鉄道で碓氷峠を越えるのは夢物語だったのです。

 

 それを実現した開通当時の『信越本線碓氷峠』は『単線』で、急勾配を登る為の工夫として『ラック&ピニオン』を組み合わせた『アプト式』を採用していました。(説明が長くなるから『アプト式』で検索してね)後に複線化工事に伴いトンネルを新設したり統合が行われました。

 

 『アプト式廃止後』は、力のある『EF63型機関車』が永らく客車を牽引していましたが『新幹線開通』に伴い『信越本線・横川~軽井沢間』はその役目を終えます。

 

 『横川鉄道車両基地』は『鉄道ぶんか村』として存続し、鉄道ファンならずとも一度は訪れたい施設です。

 

 『トンネル』や『鉄橋』などは『鉄道文化』として保存する為、『遊歩道』が整備され『アプトの道』として人気が在ります。現存するトンネルは『十カ所』程です。(途中トイレや水など在りません)

 

 ※旧国道18号沿いの『めがね橋(第三橋梁)駐車場』にのみ『トイレ・自販機』が設置されています。 

 

 

 国道の脇に在る『第17号トンネル』です。

 

 

 

 『トンネル』の写真を撮ろうと枯葉の中に足を踏み入れると、膝近くまで埋まりました。車の乗り入れ危険デス。

 

 

 許可貰ってないからこの先入れない。

 

 

 広場にバイクを停めて『おにぎりタイム』をしていたら

 

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別荘第一号

 

 明治になると西洋文化が日本に入って来るようになります。

 

 『ガラス窓』や『帽子』など生活様式もガラリと様変わりします。

 

 キリスト教宣教師『ショー』によって建設された『ショーハウス』が軽井沢の別荘第一号とされています。

 

 

 『礼拝所』の脇を進むと、田舎の分校の様な建物が見えます。

 

 

 あらら。移築・再建なのね。

 

 で現地を訪れてみようと『大塚山』を検索するも………どこだ?

 

 『旧軽』と呼ばれるエリアは元々が『中山道・軽井沢宿』の事で、江戸時代に整備された『五街道』のひとつ『中山道』の難所『碓氷峠』を行き来する為の重要な宿場町でした。

 

 その後『鉄道』が開通し、更に国道18号線で峠を越えるようになると『宿場町』としてより『避暑地』として人気が高まり、ホテルや別荘が建ち並ぶようになりました。

 

 財界人や文豪などが避暑に訪れるようになると観光地として町は発展、現在の賑わいに繋がります。

 

 裏通りに入った木立の中を散策すると『苔むした石垣』などが大切に残され、銀座通りの喧騒とは又違った趣を見せてくれます。

 

 グーグルマップに『ショー通り』を見つけたので試しに歩いてみると。

 

 『大塚山・おおづかやま』って此処だったのね。(静寂な別荘地ですので明記を避けます)

 歩いてみて気が付いたのは、面白い名前の通りが多い事。観光マップ片手に歩いてみては?

 

 

 無料で見学できる『ショーハウス』の中には、様々な当時の資料が展示されていました。

 

 

 『氷式冷蔵庫』が在るからキッチンかな。水は?

 

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アレキサンダー・クロフト・ショー

 

 と云われても、誰もこの名前を御存じ無いでしょう。(勿論私も知りませんでした)

 

 キリスト教宣教師である『ショー氏』は布教の為に日本各地を訪れましたが、『夏の軽井沢』を訪れた際、其の快適な気候を見い出し広く世間に紹介しました。のみならず自身でも『別荘』を建て『避暑地=軽井沢』の開拓に貢献しました。

 

 1868年、『15代将軍・徳川慶喜』が『大政奉還』し江戸時代~明治へと時代は変化します。

 

 『文明開化』の名の元に『西洋様式』が日本になだれ込んできます。

 

 庶民の日常生活も『ちょんまげ』や『和服』『草履』などから『洋服』や『靴』に変化し、住居なども『窓ガラス』や『ガス灯』、交通も『馬車』から『鉄道』へと海外の文化が広く取り入られます。

 

 

 旧軽井沢銀座を抜けた辺り、観光客は余り来ないだろう位歩いた所に『ショー・ハウス』は建っています。

 

 実はこの場所、『旧碓氷峠』へ向かう時にはこの前を通っているんですけど、特に気にも留めていなかった?

 

 

 『神社仏閣』ではかなりの数参拝していますけど『教会』は………

 

 実は私、結婚式は教会で挙げてんですけどね。

 

 

 ハイこの先『土足禁止』『飲食禁止』、『カメラ撮影』は禁止されていませんけど、興味本位で立ち入るのは偲ばれましたので此処まで。

 

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草軽電鉄

 

 モータリゼーション(この言葉も古語?)に伴い廃止された鉄道の何て多い事か。

 

 鉄道事業は公共交通機関の中でも莫大な資金力を要します。

 

 『親方日の丸』の時代は多少の赤字路線であっても、維持するだけで多くの雇用を生み出していましたので、おいそれと『廃止』を唱える人はいませんでした。

 

 自動車産業を後押しする為に『舗装道路』を整備し、『高速移動』の為に『高速道路網』を延伸し続けています。

 

 その一方『建設後50年』で『高速道路料金の無料化』する筈だった料金制度、先日発表になったのは『2115年まで無料化法案延期』ですと。(国民を舐めてんな………〇〇省)

 

 『鉄道』が華やかな時代、『軽井沢~草津温泉』を鉄道路線が結んでいました。

 

 それを観たのが『ザ・ドリフターズ』主演映画代一作『なには無くても全員集合』(1965年松竹製作)でした。

 

 草津駅前の温泉旅館を舞台にした『ドタバタ喜劇』ですが、従業員に扮した若かりし頃の『加藤茶』さんが草津駅でお客さんを迎えに行くシーンなどで機関車が登場します。

 

 

 上の写真は『嬬恋村資料館』で企画された『草津電鉄と嬬恋村』のポスターです。

 

 通称『カブトムシ』が貨物車と客車をけん引しています。

 

 注目すべきは『パンタグラフ』 そう『電車』です。

 

 1926年には全線開通し、『新軽井沢』(現・中軽井沢駅付近)~『草津温泉駅』(現・草津バス停留所)間を結んでいました。

 

 『吾妻川』付近以外は割と平坦な場所を選んで線路が敷かれていました。

 

 ゴルフ場傍の別荘地を抜け、『旧三笠ホテル』辺りから林中を通り『軽井沢スノーパーク(でも群馬県)』付近で峠を越えて『北軽井沢』(でも群馬県)へ。『現・万座鹿沢口駅』付近で『吾妻川』を渡り、『石津平』経由『草津』へ乗り入れます。

 

 県道59号線『さわやか街道』は一部、昔の線路跡を道路にしています。

 

 もし今現在残されているなら『ドル箱の観光資源』間違いないです。(そりゃ仕方ないか。電車で3時間以上掛かった距離を車なら1時間で結んじゃうんですもんね)

 

 

 googlemapを頼りに何とか辿り着きました。

 

 カーナビの無いバイクでは、止まっていちいち地図を確認しないと。

 

 先ず手袋を外してバックの中の緩衝材付ポーチからスマホを取り出し、老眼鏡を掛けて現在地を確認。何処で曲がってどの位走った交差点をどうこうと確認しながらです。で走り出す前に仕舞わなきゃ。(バイクは此れが結構大変なんです)

 

 

 標柱をやっとの事で見つけたのですが雑木林が延び過ぎていて写真の山の形状を確認出来ませんでした。何しろ100年近く前ですからね………

 

 実はこのすぐ前には高級外車が庭に並ぶ『別荘』が建っています。

 

 バイクを停めてウロウロしているのを不審に思ったのか、住人の方が出てきました。

 

 センサーでも反応してカメラで監視してた?

 

 『怪しいものじゃ無いですよ』感をアピールする為、「駅の痕跡は見当たりませんね」と会話してそそくさ退散です。(悪い事はしてないんだけど気が弱いもんで………)

 

寶性寺

 

 軽井沢役場から別荘地へ向かう途中に在るお寺です。

 

 『寶の性なる寺』です。意味深。

 

 

 道路よりお寺の入り口の方が広いんですけど。

 

 

 駐車場にバイクを停めて。

 

 

 五月上旬。『サツキ(ツツジとの違いが分かりません)』が綺麗に咲いていました。

 

 石段をのぼりまして。

 

 

 『水子地蔵』や『ボケ除け観音』

 

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川中島

 

 『川中島』は今でこそ地名に成っていますけど、護岸工事が完成する前の千曲川中流域では、大水の度に氾濫し、農作物を造る事が出来ない地帯でした。

 

 戦国時代『足軽』として戦った兵士はほとんどが『農民』でした。

 

 『田植え』や『稲刈り』の時期には国元へ戻り自分の田畑の農作物の収穫をしなければなりません。

 

 と同時に『農民』『の苦労を知っている『足軽』は、例え他人の『田畑』といえども踏み荒らす事は偲ばれたのでしょう。

 

 その『武将』である『武田信玄』も『上杉謙信』も『農民=足軽』の苦労を知っての事か、敢えて不毛の地で在った『千曲川』と『犀川』の合流が造った『中州=川中島』を決戦の地に選んだのかも知れません。

 

 今でこそ『住宅地』が広がり『田畑』や『果樹園』が広がっていますが、それも堤防工事が完成しての事です。

 

 

 『川中島古戦場』の駐車場に車を停め、先ずは有名な『一騎打ちの地』へ。

 

 其処には『八幡社』建っています。

 

 『八幡様』=『十五代天皇・応神天皇』と云われ、武功に長けていた事から『戦神』とされ、多くの武将の信仰を仰ぎました。

 

 でも川中島の場合はどっちの願いを聞くのだろう?

 

 

 『甲斐の龍=武田信玄』と『越後の寅=上杉謙信』の全面対決は戦史に於いて都合五回も対峙しています。

 

 『武田信玄』の本陣深く馬で切り込む『上杉謙信』 

 

 『武田信玄』は刀を抜く暇もなく床几に座したまま『軍配』で『上杉謙信』の大刀を受け止めたとされています。

 

 この時受けた太刀筋が『三大刀七大刀』として軍配に残っています。(多分上越市で観たのはレプリカ)

 

 『甲府駅前』には『武田信玄像』が在り、『上越・春日山』には『上杉謙信像』が建っていますが、両雄が揃っているのは此処『川中島古戦場』だけ。(個人的感想です。他にも在るのかな?)

 

 結局『大将』が討ち捕れる事無く秋の収穫の時期になった為、両軍とも引き上げてしまいます。

 

 この『第四次決戦=川中島の合戦』が、古今東西の戦史に於いて一番高い死亡率を記録したそうです(個人的感想です。これも記憶違いかも)

 

 

 戦国時代の『長野県=信州』には強大な武力を持った『武将=戦国大名』は存在しませんでした。

 

 ※鎌倉幕府後の北条氏も元は関東出身です。

 

 ※戦国時代の『木曽義仲』も旧姓は『源義仲』で『武蔵国』出身です。

 

 東信地方を納めていた『真田昌幸』も地方の『豪族』に過ぎず、その父『真田幸隆』は『武田家』の家臣です。

 

 諏訪地方=諏訪頼重(よりしげ)・高遠地方=高遠頼継(よりつぐ)・松本地方=小笠原長時(ながとき)・長野地方=村上義清(よしきよ)などもいましたが、武田信玄に侵略されてしまいます。

 

 佐久地方にも中小様々な『豪族』が居ましたが『武田軍』に全て滅ぼされてしまうか降伏して配下となります。

 

 故に信州人は『上杉謙信』贔屓が多い?(あくまで個人的感想です)

 

 

 入口の説明には『八幡様』を信仰したのは此の地に『陣』を張った『武田信玄』との事です。

 

 「八幡様。ウクライナにお力添えをお願いします」

 

横山大観

 

 某テレビ番組を観なかったらその名前すら知らなかったかも。

 

 正直な話、美術館に行くのは数年に一度くらいです。

 

 実に七年前!に行った『大塚美術館』以来です。

 

 それも今回は偶々『無料招待券』を頂いたからなんですけどね。

 

 

 『横山大観』と云えば日本画の大家、『無我』でつとに有名です。

 

 小雨の降りだしたこの日、『長野市・水野美術館』まで出かけました

 

 

 門を潜ると見事な『日本庭園』が出迎えてくれます。

 

 ゆっくり観たかったけど強く振り出した雨の為、小走りで建物の中へ。

 

 受付でカメラを預けようとすると「撮影可の作品が在りますのでお持ちください」との事です。

 

 嬉しいねぇ。大概は「カメラをこちらで預かります」なんですよね。

 

 丁度始まる『ガイド・ツアー』に間に合いました。

 

 

 スタートは三階の展示ホールから。先ず最初が『三保の松原と富士』の大作です。

 

 因みにこちら撮影可。

 

 そして次の展示が

 

 

 『無我』

 

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しなの鉄道

 

 『北陸新幹線(信越新幹線延伸)』の開通により『JR信越本線』は『横川駅~軽井沢駅』間で分断されてしまいました。

 

 新幹線の利用率を上げる為で、一般庶民の事なんざ考えもしない=お役人仕事。

 

 因みに『横川~軽井沢』間を『JRバス』が運行しています。

 

 『18号バイパス経由』が『一時間に上り下り各1本』 『旧18号線(めがね橋経由)』が『一日上り下り各1本』(途中下車出来ません)

 

 料金は共に¥520(大人片道)

 

 『旧信越本線』も廃止の憂き目に遭いますが『軽井沢駅~篠ノ井駅』迄の区間を民間に払い下げ『しなの鉄道』として存続しています。

 

 この『しなの鉄道』 頑張っています!

 

 

 ホントは『ろくもん号』を撮りたかったのですけど仕方ない。『坂城』の辺りで走行中の『ろくもん号』とすれ違ったから保管庫に停車していないのは承知していたんですけどね。

 

 このカラーリングも好きですが

 

 

 『台湾鉄道』のカラーリング車両も停車してました。

 

 確か『友好都市』か何かでこのカラーリングにしたとか。(鉄ヲタじゃ無いので詳しくは解りません)

 

 

 ボディに記された『分類記号』は『JR』ですが、その上のマークは『台湾鉄道』です。

 

 実にこの車両基地、『戸倉駅』の脇に在るのですが、ホームからは見づらいから知らない人も多いかな。

 

 『JR』でも赤字路線が問題になっています。

 

 顕著なのが『大町~新潟・糸魚川』を結ぶ『大糸線』この路線『JR東日本』と『JR西日本』が乗り継いでいるからややこしい。

 

 他にも『長野~新潟県・十日町』を結ぶ『飯山線』、『塩尻~愛知県・豊橋』を結ぶ『苦行列車』の『飯田線』 更には我らが故郷を走る『小諸~山梨・小淵沢』を結ぶ『小海線』

 

 お勧めコース 

 ①『長野駅』~(飯山線)~『十日町』~(越後ときめき鉄道)~『糸魚川』~(大糸線)~『松本』~『篠ノ井線』~『長野駅』

 

 ②『佐久平駅』~(小海線)~『小淵沢』~(中央本線)『松本』~(篠ノ井線・※各駅停車)~『長野』~(しなの鉄道)~『小諸』~(小海線)~『佐久平』 ※『姨捨駅』でスイッチバックを体験できます。

 

 長野県下には結構『私鉄』が走っているのご存じですか?

 

 『長野電鉄・長野駅~湯田中』『上田電鉄別所線・上田駅~別所温泉』『松本電鉄上高地線・松本~新島々』(赤沢森林鉄道=通称トロッコ電車は………?)

 

 長野県は運転免許・自家用車保有率が非常に高く、免許を習得し、車を所有するようになると滅多に電車・バスに乗る機会が無くなります。

 

 あくまで『交通弱者(免許返納者・高校生以下)』の為に『公共交通機関』を残しておかなければならないのですが、各機関ともに『赤字経営』に苦しんでいるのが現状です。

 

 『佐久市』でも『路線バス』が無くなり、『デマンド式タクシー』に切り替わっています。

 

 旧『バス停』などが発着ポイントになりますが、『会員登録』と『乗車予約』が必要になります。

 

 後学の為にと試しに乗車しましたが、手軽な移動手段とは言えません。

 

 『車両台数(グランドハイエース)』や『運転手』に限りがあり、『佐久市中の広大な面積』をカバーしなければならないから致し方ないんですけど。

 

 『千葉県・銚子鉄道』の様に観光路線として脚光を浴び、『ぬれせんべい』等のお土産売り上げも伸び黒字転換した路線も在ります。

 

 頑張れ『しなの鉄道』 何時か『ろくもん』に乗るからね。

 

 頑張れ『上田電鉄』 『別所温泉』ご利用の方は是非。(日本で二番目に短い駅間が在ります)

 

 頑張れ『長野電鉄』 『終点・湯田中駅』バス乗り換えて『おさるの温泉・地獄谷野猿公苑』

 

 頑張れ 『松本電鉄』 『終点・新島々』でバス乗り換えて『上高地!』

 

 

 私ゃ『呑み鉄』なもんで、たまの休みにゃ電車に乗って昼からビール。

 

 早く休みになんないかな。

 

菜の花と藤

 

 五月の中旬。そろそろ『菜の花』が終わり『藤』が盛る頃かなと。

 

 それなら『一石二鳥』でいきましょうか。

 

 

 小諸山麓の『糠地・菜の花畑』です。

 

 『菜の花』と『桜』が同時に観られる場所は在るのですが、昨今の『温暖化』のお陰で花の開花時期がおかしくなってきています。

 

 

 ありゃりゃ。『藤』は少し遅かった。

 

 『国分寺・カバンの藤』です。

 

 

 『カバン?』 某銀行員が営業で廻ったお客さんの家の藤の花が綺麗だと褒めると、農家さんは藤の苗木を分けてくれたそうです。銀行員は汚れるのを厭わずに『カバン』の中に大切に入れて持ち帰り、やがて大木にまで育て上げたそうです。

 

 疑問 ①カバンの中の書類とかはどうした?

    ②大切に持ち帰った苗をどうして国分寺・植物園に植えた?

    

 ぶっちゃけ『八十〇銀行役員』の実話だそうですけど………

 

伊勢社

 

 最近の神社は、入り口付近に『幟立て用金属ポール』が常設されている場合が多いですから『幟立てポール』を発見したら、取り敢えず『鳥居』を探してみます。

 

 『幟立てポール』は『二本で一組』 大体ポールの間の道を行くと鳥居が見つかります。

 

 

 道路は一軒の民家脇迄伸びています。その道路を進むと鳥居が在りました。

 

 う~ん。読めない……… 鳥居の扁額の文字が達筆すぎて。

 

 

 『石灯篭』の『龍』『梅』の彫刻が素敵。

 

 火袋下の台には『十六弁の菊』『五三の桐』『三つ巴』などの家紋の他、『蝶』『花』なども見受けられます。

 

 

 あらら。此方の『透かし彫り』は壊れちゃってる。

 

 

 寄贈された年号は『天明五年』

 

 江戸中期の『天明三年』には『浅間山大爆発』が起きています。

 

 土石流が『嬬恋』方面に押し寄せ、利根川支流の『吾妻川』を堰き止めその後決壊。大規模な洪水を引き起こし関東平野にまで水害を引き起こしました。

 

 厚く堆積した『火山灰』は耕作物を壊滅させ、大飢饉を引き起こします。

 

 人々は助け合って何とか噴火後の混乱を乗り越えます。

 

 多額の寄付金などが集まり、各地で炊き出しなどを行った他、復興を祈願した『神社』や『石碑』などが建てられました。

 

 バイクでやって来た変なのが『神社境内』をウロウロしているのを『賽銭泥棒』かなんかの不審者と思ったのでしょうか、民家からこちらに人が歩いて来ました。

 

 『不審者』と思われないように首から『カメラ』をぶら下げ、お賽銭用の『小銭入れ』と『免許証』を常に身に着けています。

 

 必ず『お賽銭』をしてから『神社仏閣』に則った参拝を心掛けています。

 

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戌立(いんだて)遺跡

 

 正確には『戌立石器時代住居跡』と云うそうです。

 

 『石器時代』とは、人間の進化の過程で『道具』を使うようになり、尚且つ『家族』の概念を持つようになった今から3万年前の時代です。

 

 その後『農耕技術』を習得し、土器を造って煮炊きする生活を板南無時代が『縄文時代』です。

 

 

 人が生活する上で『絶対不可欠』なのが『水』です。

 

 安全な飲み水がすぐ手に入る事。おそらく『大石沢川』がその役目を果たしていたのでしょう。

 

 駐車場にバイクを停めると、『雉』が慌てて掛け去って行きました。

 

 食料も豊富だった?

 

 

 『石器時代』と謳っていながら住居は『縄文時代』って何のこっちゃ。

 

 まぁそれだけ住みやすい環境だったのでしょう。

 

 付近には他にも『伊勢の宮遺跡』や『寺ノ裏遺跡』が発掘されています。

 

 広い範囲にわたって幾つもの集落が形成されている模様です。

 

 諍いが多ければ近隣に住まない筈。互いに仲良く暮らしていたのでしょう。

 

 『ロシア』の大馬鹿者も少しは見習って欲しいもんです。

 

 

 『竪穴式住居』と呼ばれますが、何処が『竪穴』だろう。

 

 入り口は狭いですが中はかなり広く、身長178㎝の私が楽に立てます。

 

 

 建物の中は自由に見学できるようになっています。

 

 内部一面に石が敷き詰められ、中央に『竈』が設えて在ります。

 

 でも石器時代(よしんば縄文時代)にこんなにも平らな石が在ったのだろうか?

 

 『佐久穂町』からは『鉄平石』と呼ばれる『帯状節理岩』が採取されますが、浅間山麓では聞かないなぁ。

 

 つい最近イベントが在ったらしく、写真などの展示が行われていました。

 

 興味無い人にはどうでもいい場所かも知れませんけど私ゃ大好き。

  

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童女(どうじょ)神社

 

 『東御市』の『雷電為衛門』のお墓近くに『童女神社』が在りました。

 

 鳥居の脇に立っていた『夫婦道祖神』の着物は重ね着をしています。

 

 高貴な方? 裕福そうな顔立ち。(個人的感想です)

 

 

 駐車場は在りません。

 

 隣接して『マレットゴルフ場』が在ります。

 

 

 コンクリート製の『一の鳥居』の奥に木製の『二の鳥居』

 

 扁額には『童女神社』と在りましたのでググりましたけど詳しい事は何一つ解りません。

 

 ご存じの方googlemapにでも投稿お願いします。

 

 

 本殿の『注連縄』や『紙垂』は真新しいですので、春祭りでも在ったのでしょう。

 

 おそらくは地元の『氏神様』でしょうか。

 

 でも『童女』 気になる。

 

 

 境内には他にも祠が沢山祀られています。

 

 『童女』ねぇ?

 

雷電為衛門・生家

 

 歴代力士の中で最強と云われたのが『江戸時代の大関・雷電為衛門』です。(『横綱』の称号は江戸時代には無かった)

 

 その『生家』は『東御市・滋野』に在り、『湯ノ丸峠』から下るとサンラインを越して直ぐです。

 

 サンライン沿いの『道の駅・雷電・くるみの里』にも『雷電為衛門像』が在りますが、やっぱりどんな処で育ったか見てみたいじゃありませんか。

 

 

 建物入り口付近です。駐車場は在りませんが、道路に拡幅部が出来ていました。

 

 案内によりますと『雷電禁じ手』=『張り手・かんぬき・突っ張り』と在ります。

 

 余りに力強い為に、『張り手』で死者が出た程です。

 

 『かんぬき』は今場所の横綱にも適応して欲しいなぁ。(個人的感想です)

 

 

 土俵の横には囲炉裏が切って在り、稽古をしながら一休みとか。

 

 

 建物は二階建てで、階段を上った二階から土俵が見下ろせるようになっています。

 

 やっぱり皆さん『相撲』がお好きなようで。(そりゃ娯楽が少なかった時代ですから)

 

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湯ノ丸・池の平湿原

 

 長野県には結構『湿原』が在るのをご存じですか?

 

 水はけの悪い『窪地』に水生植物が育ち、一年中水が枯れない場所を『湿原』と言うそうです。

 

 『泥濘(ぬかるみ)』を歩く事に成り、どうしても『草地』を踏む人が多く植生に影響が出るそうです。

 

 その為『散策道』の整備が必要で、多額のお金を掛けて『木道』を設置しているそうです。しかも防腐剤を使った『木材』などは使えない為、数年に一度の頻度で架け替えしています。

 

 

 ♬ 夏が来れば 思い出す ………のは『尾瀬湿原』ですが、此処『池の平湿原』にも小さいながら『鏡池』が在ります。

 

 水が綺麗な『池』には『カジカガエル』や『ヤモリ』が棲んでいる場合が多いのですが、今回はまだ時期尚早。(時期早尚は間違えです) 影も形も見当たりません。

 

 

 雪が解けて地面に浸み込み、窪地に集まるにはもう少し時間が掛かる筈。

 

 

 時代ですね。訪れる際は『Uni-Voise』のダウンロードお忘れなく。

 

 ん? 日本語のは解説は⁉

 

 

 途中で二組のグループとすれ違ったけど此処には私以外、誰~れも居ない。独り占めです。トップシーズンじゃない特権ですね。

 

 あ~ぁ、お茶とおにぎり持って来れば良かった。

 

 此のベンチの在る休憩所、駐車場から10分で来れちゃうから、結構人が座ってるんです。

 

 驚く事に、昔は舗装路がすぐ脇迄通じていて、バイクで来れたんですから。

 

 くれぐれも『ゴミ持ち帰り』と『屋外トイレ禁止』 守りましょうね。

 

湯ノ丸・池の平湿原

 

 今回の目的地は『湯ノ丸・高峰 自然休養林』に在る『湯ノ丸・池の平湿原』

 

 駐車場から歩いて15分程で『湿原』に着くのだが、この日は天気が良かったので『見晴岳』経由で行こうかな。

 

 高峰林道の途中に在る『池の平』は、そもそもが標高2000m付近に在る為、少し歩くだけで『高山植物』にお目に掛かれる場所です。

 

 まぁ『北海道・礼文島』なんぞは緯度が高い為、海岸線から少し登るだけで『エゾヤマユリ』『レブンキンバイ』『アツモリソウ』なんぞの高山植物が見られますけど。

 

 今年は『桜』を始め『山菜』なども例年より2週間程早い様に思えます。

 

 じゃそろそろ『湯ノ丸』にも春の気配か?とバイクに跨りましたが、『高峰』辺りでまだ『山桜』が五分咲きでやんの。ハッキリ言ったら『寒い』 

 

 

 どうせなら『見晴岳』に登りますか。

 

 平日昼前でしたが駐車場には10台程の車が停まっていました。(県外:県内=7:3)

 

 靴ひもを締め直し、トイレを済ませ………あれ?自販機が無い⁉

 

 確か以前は自販機が在ったと思ったのでお茶等一切持ってこなかった。

 

 一旦、『湯ノ丸』まで行けば売店は在るのだが………まぁ片道40分程だし、気温も高くない。幸いなことにジャンパーのポケットには前回の食べ残し(去年の秋以来?)の『塩分アメ』と『ブドウ糖』が10粒程入ってました。『クエン酸』の効いた『塩分アメ』は噛み砕かないでいると結構喉の渇きを癒してくれる。行きますか。

 

 

 『池の平湿原』もまだ緑色には染まってません。

 

 そりゃそうだ。陽の当たらない斜面には雪も残ってんだもん。

 

 

 『雲上の丘』まで整備された歩道を歩く事20分。

 

 一息入れるポイントだけど水分無いからアメで我慢。

 

 

 足元には『鏡池』が見えます。

 

 湿原といっても、この時期はまだカラッカラに乾いているかと思ったのでチョット意外な感じでした。春は確実に来てるんだなぁ

 

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水車場

 

 『水車小屋』とかじゃ無くて『水車場』です。

 

 案内にそう書いてあるんだもん。

 

 しかも現在は、石垣が少し残されているのみ。

 

 

 『戦争疎開』の『高濱虚子』が好んで散策した『蛇堀川』沿いの、緑濃い場所です。

 

 国道下のトンネルを潜れば、細い道は二手に分かれます。

 

 水の流れに沿って左に向かうと。

 

 

 『虚子』の疎開宅から歩いて15分程でしょうか。

 

 そりゃ戦時中には『国道18号線』のトンネルなんて無かったでしょうから、沢沿いの所によってはぬかるんだ道を歩いたのでしょう。

 

 『澤の家』とある位ですから屋号かな。 と云うと『蕎麦屋さん』?

 

 今風に云えば人里離れた『隠れ家的存在』なのかも知れません。

 

 水車の廻る『蕎麦&カフェ』なんて、SNSで人気でそう。

 

 

 沢を流れている水はチョロチョロ。とても水車が廻っていたとは思えません。

 

 『お蕎麦自慢は お里が知れる』と云う諺が在りますが、逆を返せば『蕎麦しか作物出来ない、水も無い痩せた土地』と云う意味です。

 

 水が在って平らな土地なら『水田』に。 水が在るけどやや斜面なら『畑』にします。

 

 どうしても『お米』が必要なら、傾斜地に狭い『田圃』を幾つも造り『棚田』にします。

 

 『麦』や『蕎麦』は水が無い荒れた土地でも耕作出来る農作物です。(他に稗・粟なんかもありますか………)

 

 『小諸』と『蕎麦』 真っ先に思い出すのは『懐古園』の旧遊園地(現在駐車場)脇に在る『草笛』の『くるみ蕎麦』です。そこそこのお値段だったので滅多に食べられませんでした。

 

 『くるみ』をすり鉢で擦り、蕎麦つゆを入れて食べる『くるみ蕎麦』が美味いの何の!

 

 高校生になり、『柔道』の大会参加などで『小諸駅』を使う時によく食べのが『4番線ホーム(小海線)』に在った『立ち食い蕎麦』の『生そば』です。

 

 冬何ぞ、横から吹き付ける吹雪の中、『蕎麦大盛+かき揚げ天ぷら+生卵=¥400』を食べるのが至福でした。買った時しか贅沢できない。負けたら『かけ蕎麦=¥180』のみ。

 

 ぶっきらぼうなおばちゃんが居て「ネギは?」と聞くので「沢山いれて」 

 

 すると多分捨てる部分なのだろうか『青い所だけ』をまな板の上で刻みだします。

 

 蕎麦を受け取りお金を払うと、風が入るからでしょう『箸立て』をドンと置いて小さな窓をぴしゃりと閉めました。

 

 こっちは風の吹きすさぶ中、震えながら食べてんのにサ。

 

 「おばちゃん、唐辛子ちょうだい」 トンと置いて窓がピシャリ。

 

 食べ終わって「ごちそう様」と云っても「ありがとう」の一言も無し。

 

 『ク〇ババぁ~』と思いながらも、その後何度か食べました。(其処しか無かったから)

 

 最近『しなの鉄道小諸駅』に『立ち食い蕎麦』が再オープンしたそうです。

 

 今まで3回訪れましたが何時も『店休日』

 

 玉屋の定休日(不定休ですが)が水曜日ですので仕方ないのですが………

 

 サボっちゃおっかな。

 

高濱虚子・笠石の句碑

 

 はて? 『笠石』とは何ぞや。

 

 行ってみれば分かるでしょ。

 

 

 見事な松の根元に佇む石碑。こりゃ確かに『笠石』だ。

 

 因みに後ろに見える建物は『幼稚園』

 

 田舎では『幼稚園』も送迎バスが在るんです。

 

 

 笠の部分に俳句が彫られているんですけど、光の加減で読み取れません。

 

 しかも交差点に在り、幼稚園の登園時間らしく頻繁に車が出入りしています。

 

 園内に在った『消防車』の写真を撮りたいのですが、不審者に思われるのも………

 

 他の、虚子の足跡を探してみますか。

 

警防団

 

 『小諸市・与良町』には戦時中、『俳人・高濱虚子』家族が疎開していました。

 

 『蛇堀川』近くの緑濃い細道を散策するのが日課だったそうです。

 

 『旧北国街道』の『虚子記念館』から『山道小径』を歩いてみます。

 

 

 『山道小径』に入ってすぐに ⁈ を見つけました。

 

 普通の民家の軒策に何故?

 

 

 『小諸町(昭和29年から小諸市)警防団』と書かれています。

 

 『手押しポンプ式消防車』ですね。

 

 消防車が現場到着で一番最初にするのは『給水』の確保です。

 

 『消火栓』が各所に設置されていますので『放水管』を接続して『栓』を開けばOKの処も在りますが、それは都市部の話。

 

 大抵は『ポンプ車』の『PTO(power take off)』を操作して水を吸い上げる為の『真空状態』を造り出し、『給水管』を『防火用水・池・河川等』に投入して『ポンプ車』迄『水』を引き込みます。その後圧力をかけて送水し、何十メートルも離れた場所から放水します。

 

 この『手押しポンプ』、『四角い箱』の中の水を送り出すだけなら簡単なのですが、水を給水するのが大変。

 

 『給水管』を『水利』に投入しても、『給水管』の中に空気が入ったままでは水を吸い上げられません。『呼び水』を流し込まないと。

 

 今の『消防ポンプ車』なら『吸管』を水利に投入し『スイッチポン』で『即・真空』、『消火ホース』と『放水筒』を繋いで『送水レバー』を開放すれば勢いよく水が出ます。

 

 「火点は前方の標的 水利はポンプ車後方 防火水槽………」

 

 消防団時代に散々やらされました。

 

 にしても何故民家の軒先に?しかも『半鐘』までぶら下がってます。

 

 当時の有力者のお宅かな? 

 

佐久バルーンフェスティバル

 

 待ちに待ったゴールデンウイーク。

 

 佐久にとっては『バルーンフェスティバル』の時期です。

 

 でも私ゃ朝からお仕事、お仕事。

 

 朝5時半。洗濯物を取り込みに屋上に上がると遥か頭上から何やら音が………

 

 『熱気球』=『バルーン』のバーナーの音です。

 

 

 雲一つない快晴の空に浮かぶ『バルーン』

 

 良いなぁ。乗りたいなぁ。

 

 

 早朝の無風状態の時間帯に競技が行われます。

 

 暇なら観に行きたいけど………諦めが肝心。さぁ仕事仕事。

 

万葉超音波温泉

 

 初めてこの名前を聞いた時に『万葉集』と云う古い言葉と、『超音波』と云う化学がミスマッチしているようで 何? 何⁇ 

 

 興味は在ったのですが、何せ『戸倉上山田』には素敵な温泉が沢山在るんです。

 

 1泊数万円の高級旅館から、地元民の銭湯的役割の温泉施設まで実に様々。料金も十色。

 

 この『戸倉上山田温泉』 千曲川を挟んで東側が『戸倉温泉』 西側が『上山田温泉』として発展してきましたが、JR当時の駅は『戸倉駅』のみ。

 

 街が大きくなり、『橋』や『ロープウエイ』で二つが繋がったのだから、名前も『戸倉上山田温泉』にしますかねぇ。と誰かが云ったんでしょうね。

 

 ん? 『ロープウエイ』 

 

 昭和40年頃、『戸倉上山田温泉』は高度成長期の波に乗り、年間誘致客が100万人を超える一大歓楽街に発展しました。

 

 新婚旅行は勿論、大手企業はバスを何台も連ねての社員旅行にもてはやされました。

 

 『善光寺詣り』の『精進落とし』として『遊郭』などを備え、大人の歓楽街として発展

しましたが、女性子供向きで無かった為、行政・民間がタッグを組み街の浄化に取り組み、西の高台『城山』に『善光寺大本願別院』を誘致します。

 

 他にも動物園や遊園地などを山頂に造り『一大アミューズメントパーク』の体を成していました。

 

 しかし当時の『非力なバス』では『城山』に登る事は出来ず、麓からロープウエイで登山しました。今でもその鉄塔が山頂に残されています。

 

 『城山』への県道は『勾配率18%』、この数値の標識は滅多に見ませんけど調べて驚いた。

 

 日本にはその倍以上の勾配を持つ『勾配率38%』が存在するんですネ。(興味ある方日本一勾配のキツイ坂で検索どうぞ) 坂道発進できるの?

 

 いや~話逸れまくり。戻しましょうね。

 

 

 昭和レトロな温泉の入り口。 何処が『超音波』だろ?

 

 『超音波』から連想するのは『怪獣ゴジラ』と戦った『ギャオス』が口から出す『破壊音波』 

 

 人間が『ワイングラス』に向かって寄声を発すると、ある固有周波数が共鳴した時にのみ、ガラス程度なら壊すことが出来る。ってTVとかで観た事無いですか?

 

 それが『耳に聞こえる周波数』ならば『音』として聞こえるから『音波』 人間が音として認識できない周波数だと『超音波』 まさか『破壊音波』が発生しているとか………

 

 因みに。若い時には『蚊』のプ~~ンという羽音が聞こえましたけど、気が付いたら聞えなくなっています。此れが老化だろうなぁ。

 

 

 流石に浴室内にカメラ持ち込み禁止ですので、写真は入り口から許可を受けたロビー迄です。

 

 此の『万葉超音波温泉』は『戸倉上山田七福神外湯めぐり』のひとつに数えられていて美肌の湯に因み『弁天の湯』と称されています。

 

 『超音波』の正体は『バブル・バス』 浴槽の中にボコボコ泡が発生しています。

 

 この『泡』が壊れる時、超音波が発生するそうです。(ホントかな)

 

 

 実は『ブランシュ高山スキー場』に展示され、休憩所として利用されていた『国鉄中央本線』時代の『クハ115系車両』が、『万葉の湯超音波温泉』に移設されたと聞いてやってきたのですが、公開前でシートや足場に覆わていました。残念だけど早すぎた。

 

 ※ク=運転台付き車両 ハ=普通客車(旧等級のイロハから) モ=動力モーター付き車両

 

 話が逸れますけど

 

 『長野県・松本』と『新潟県・糸魚川』を結ぶ『大糸線』は大変面白い鉄道路線で、『松本』~『南小谷』間は電化(モーター駆動)ですが、『南小谷』~『糸魚川』はディーゼル機関車がけん引します。しかも『南小谷駅』から南側が『JR東日本管轄』北側が『JR西日本管轄』です。

 

 だから『JR東日本・大人の休日クラブ』では『南小谷』から先は別料金が発生します。

 

 俗に云う『大糸線の南北格差』です。存続の危機だから仲よくすれば良いのに………

 

 

 売店はこんな感じ『アヒル』買って帰ろうかな。

 

 露天風呂が気持ちよくて。大人¥400は絶対安い。

 

小諸駅・観光案内所

 

 小諸付近をバイク走っていて小腹が空いた。

 

 駅の『立ち食い蕎麦』へ行こう!

 

 前回も立ち食い蕎麦店のシャッターは臨時休業で閉ざされたまま。

 

 今回………閉まってやんの。

 

 『母を病院に連れていく為、午後は閉店します』と張り紙が在りました。(そこら辺がこの店主の人柄ですね)

 

 ふと目にしたポスターに おっ!

 

 

 掴みが最高! 『そこの少年おじさん』ですと。

 

 色使いと云い、構図と云い、コピーと云い全てにドはまりしました。

 

 水溜まりに写る少年はランドセル背負ってる。 欲しいなぁ。

 

 小諸市の製作なのか、企業丸投げで製作したのかは解りませんけど。

 

 「いい歳こいてオフロードバイクに乗って」と云われている『こーちゃん』

 

 孫がいるから『少年おじいちゃん』なんですけどね。

 

 還暦を迎えて実感したのが

 

 ①シニア料金の割引 某チェーンの床屋さんで¥100引き。 某焼き肉チェーンが¥500引き。(年に2回位かな行けるの)

 

 ②JR大人の休日倶楽部ミディパス(コロナのお陰で登録したけど利用はゼロ)

 

 ③………? あまり無いじゃん。

 

 

 観光案内所ですから色々な『情報・地図・割引券』などが置かれています。

 

 あの『黄色と黒の 少年おじさん』のパンフでも無いかな。

 

 此方『電動アシスト自転車』の貸し出しも行っています。

 

 小諸城に行く前に『小諸城主・千石秀久』の物語何かのパンフを読んでおく事を進めします。

 

 そして小諸を舞台にしたアニメ『あの夏で待ってる』

 

 アニメに登場するシーンを『聖地巡礼』する方便利な地図なども無料です。

 

 『こーちゃん』が『寅さん好き!』になったのも『小諸寅さんミュージアム』のお陰です(今は閉館となり金色に輝く像が外から見えるだけです)

 

 

 う~ん 車が借りられる料金設定。

 

 

 写真は4月のイベント案内ですが、毎月更新するのかな。

 

 小諸を訪れる方。駅構内の『観光案内所』大いに利用すべし。

 

弥生ヶ丘団地

 

 ホント昔は只の山だったんだけど、新興住宅地として開発され、『朝日のあたる家』として人気のある住宅地になりました。

 

 宅地開発をしている最中、『何やら出土したぞ』『調査しなきゃ』『開発一旦中止』の三段論法により発見されたのが『後沢遺跡』です。

 

 石器・縄文時代に人が集まり暮らしていた形跡の残る場所=『遺跡』です。

 

 

 え~っと 公園ですね。 周囲には住宅が立ち並び、道路に囲まれた児童公園です。

 

 

 ありゃりゃ。仕事してねえな『佐久教育委員会』

 

 辛うじて『後沢遺跡』の表題が確認できる程度。

 

 遺跡感………ゼロ。

 

 散策してみたのですがジャングルジムや滑り台の遊具が在り、小さな子供の遊び場ですね。

 

 まだ原付免許取りたての頃、トライアルバイクに乗っていましたので山の中の獣道みたいな道でも平気で入り込んでいました。

 

 『虚空蔵山』から山道に入り、確か『稲荷神社』が此の辺りに在った筈。

 

 であれこれ山へと続く道を探してました。

 

 

 此の遺跡から見て北側に沢が在ります。

 

 浅間山の見える沢沿いに道が在るから登れるかも。

 

 実は『中部横断道路』が此の地の西側に通っていて、高速道路を渡る『橋』や『トンネル』は限られています。

 

 散々迷った挙句、googlemapの航空写真から『トンネル』を探し出し、それらしき場所に………。

 

 高速の脇の石段を上ると 

 

 

 在りました。

 

 鳥居は最近新調されたのでしょう。

 

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千古温泉

 

 上田市・真田地区の神川沿いに在る『温泉』です。

 

 『ち〇〇温泉』とは間違っても読まないように。

 

 昔は『温泉宿』でしたが、宿泊者の減少から『立ち寄り温泉』として営業を続けていました。

 

 近年『コテージ』を新設し、宿泊可能な温泉施設として人気を集めています。

 

 この『千古温泉』の歴史は古く、近くに在る『千古の滝』周辺は『発電所』や『歓楽街』が在ったほど賑わったそうです。(今はポツンと御堂が建っているだけですが)

 

 今でも『滝』まで降りていけますし、滝の上には『甌穴』も見る事が出来ます。

 

 

 偶々立ち寄ったこの日、他に入浴客はいなくて、撮影を打診した処、快く許可して頂きました。

 

 

 ロビーは清潔感在り好感持てます。

 

 

 風呂場を撮影しようとした瞬間レンズは曇ってしまいました。

 

 小振りながらも100%源泉かけ流し。一人きりで思いっきり手足を伸ばし温泉を満喫です。(露天風呂は在りません)

 

 

 『黒い湯の花』 備え付けの温泉雑誌に掲載されていました。

 

 あんまり気にならなかったけど?

 

 近くに『コテージ』が三棟建っているそうです。

 

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乗馬クラブ

 

 佐久周辺には乗馬体験のできる『観光牧場』や、本格的な馬術訓練の出来る『乗馬クラブ』が在ります。

 

 中には『馬場』の中だけでなく『馬』で林間コースを走れる処も。(それなり技術が必要みたいです)

 

 観光の『引馬』は、飼育員さんが手綱を持った馬に乗り、柵で囲まれた馬場を周回するもの。大体¥1500~¥3000とかで体験できます。

 

 馬に跨る時も『朝礼台』の様な足場から跨るので、何の苦労も無く乗馬出来ます。

 

 少し本格的に始めると、『鐙・あぶみ』に掛けた足と『鞍・くら』を掴んだ手の力だけで馬の背中の高さまで自分の体重を持ち上げなければなりません。(此れ結構キツイ)

 

 正直な処、バイクに跨るのでさえ足が上がらなくなって来ています。股関節が硬くなってきてるのは歳?ですかねぇ。

 

 『上田市・市民の森公園』は上田市民ならずとも利用できる公園で、『キャンプ場』『テニスコート』『スケート場』『乗馬クラブ』などを備えています。

 

 私が知る限り『乗馬体験¥600』は最安値!

 

 桜を観に公園に入ったのですが、駐車場もそこそこ満車でした。

 

 

 生憎な事に乗馬も結構混んでいました。予約をした方が無難かも知れません。

 

 

 皆さん『常歩・なみあし』で自由に駆け回っていました。羨ましい。

 

 考えてみれば、俳優さんなどは乗馬できる方多いですよね。

 

 『高倉健さん』なぞは『網走番外地』などで『裸馬』にも乗っていますし、時代劇では『松平健さん』の『暴れん坊将軍』とか『西田敏行さん』の『敦煌』、『のぼうの城』では『山口智充さん』なども馬に乗ってましたよね。

 

 

 佐久方面から観る『浅間山』とは趣きが違いますけど、やっぱり『浅間山』好きです。

 

 煙たなびく浅間山 良いですね。

 

龍岡城展望台

 

 日本に二つしかない『五稜郭』

 

 五角形のお堀を持つ『城』の事で、一つはご存じ『函館五稜郭』です。

 

 そしてもう一つが『龍岡城五稜郭』

 

 江戸時代、『老中・若年寄』など要職を務めた『松平乗謨』氏(徳川家直系)は、幕領地の多かった『佐久臼田』に居城を建築しようとします。

 

 西洋式戦術に長けていた『松平乗謨』は堅牢な守備の『五角形のお堀=五稜郭』の建築を始めますが、江戸幕府『徳川慶喜』は『大政奉還』し時代は明治になります。

 

 明治政府発令の『廃城令』によりお城を造れなくなってしまいましたが、その広い更地を小学校に利用します。

 

 城主となる筈だった『松平乗謨』は『大給恒・おぎゅうゆずる』と名を改め、農業・養蚕業などを研究し農民の生活安定に努めます。

 

 更には『博愛社』(日本赤十字の前身)の設立に貢献するなどの他、世界各国の勲章制度を学び日本にも取り入れます。数々の功績から伯爵の称号を与えられ、正二位勲一等旭日桐花大綬賞を受賞します。

 

 敷地内に小学校が在った為、観光開発されず現在に至ったのですが、今年四月小学校の合併移転により今後の観光資源に期待されています。

 

 現在『五稜郭』を俯瞰するには展望台の在る高台迄登らなければなりません。

 

 常用車でも山道を入れますが、大型車ではキツイかも。

 

 

 此処から観る『八ヶ岳・蓼科山』も私の大好きな山です。

 

 白いパラボラアンテナは日本最大の直系64m。

 

 公園に見えるロケットはコンクリート製ですが………

 

磯部・神社

 

 『しなの鉄道・戸倉駅』には引き込み線が在り、車両保管所になっています。

 

 『ろくもん』を始め、茶色基調の『しなの鉄道カラー・車両』や『ブルー系』以前は『台湾鉄道・タイアップカラー』の車両迄走っていましたが、『JR』から分離したため『屋根付き保管庫』ではありません。

 

 国道からは見えないし、チョット分かり辛い場所の為『戸倉駅』からもよくよく観ないと気が付きません。

 

 『戸倉キティパーク』からの帰り道、渋滞緩和の迂回路に迷い込み偶然見つけた秘密の場所です。

 

 今回は『しなの鉄道』では無く『磯部地区』の神社です。

 

 

 集落の外れに鳥居が立っていました。

 

 扁額は無く、名前を知る手掛かりも在りません。

 

 地域の『氏神様』かな。

 

 

 石段を上ると、小振りのお社が建っていました。

 

 

 建物は最近増設された物でしょう。隙間から見える本殿の『杮葺き屋根』はかなりの年月が経っていそう。本殿を風雨から護る為の建物のみ新調した感じです。

 

 正直何の神様か不明です。

 

 参拝を終え石段を下った所に在る建物………

 

 

 小さな小さな土塀の建物。屋根も茅葺をトタンで覆っているみたいな感じ。

 

 昭和初期まではこんな感じの『御堂』があちこちに在ったと思います。

 

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森・天満宮

 

 杏の花満開の頃、『千曲市・森地区』を歩いてみました。

 

 杏の花を求めて沢山の車が集まってきていました。

 

 『人の行く 裏に道あり 花の山』と洒落込み、余り人の訪れないだろう集落を歩いていて見つけたのが欅の大木です。

 

 道路側に鳥居は無く一見神社と気が付きませんでした。

 

 

 草叢の踏み跡を辿って正面に廻り込むと『天満宮』です。

 

 『学問の神様』と云われる『菅原道真公』は醍醐朝の『右大臣』まで昇り詰めましたが周囲の嫉妬や派閥争いから『大宰府』に左遷されてしまいます。

 

 『東風吹かば思い起こせよ梅の香り 主なくとも春を忘れじ』の和歌でも知られます。

 

 

 鳥居の前に植えられているのは『杏』? (梅ならとっくに時期が終わっている)

 

 一礼して参道を潜るとごつごつした木肌の『欅の老木』が聳えています。

 

 こーちゃん、大木にはパワーが宿ると信じていますので樹に触れてパワーを分けて貰います。

 

 只、洞なども在り大分樹齢も古そうなので根っこを踏まないように注意して。

 

 今更ながらですが、頭が良くなります様に。

 

博士の愛した数式

 

 映画館に行かなくなってどれ位経つのでしょう?

 

 『封切り』とか『ロードショー』なんて言葉も現在通用するのでしょうか。

 

 先日のニュースでは『映画・スーパー〇リオ』が公開初日で興業収入✕✕億円を記録しました。などと云っていました。映画館に行く人はやっぱり多いのかな。

 

 著作権の関係で、公開から半年間は『レンタル』や『TV』放映出来ないそうですけど、半年経ったらタダで鑑賞できる現在。良いのやら悪いのやら。

 

 製作サイドにしてみればたまったもんじゃ無いでしょうね。(私=貧乏人には有難いです。)

 

 『博士の愛した数式』がTV放映されたのはかなり以前の事です。

 

 録画された映画を見ながら、登場シーンのあの場所は何処でロケしたんだろう?などと思ったらパソコンでググれば大抵の事は解ってしまいます。

 

 『博士の愛した数式』では長野県各地で撮影され、『桜=小諸・懐古園』とか『滝=上田市・唐沢の滝』が映し出されます。

 

 そして二人が歩く砂利道が『あんず=千曲市・あんずの里』であると知り『あんずの花の時期』に訪れたい場所候補にしていました。

 

 

 主演の『数学教授=寺尾聡』さんと『家政婦=深津絵里』さんが歩いた『杏畑』の中の農道は観光客にも大人気で大勢の人が撮影しに来ていました。

 

 

 そして『欅の大木』と『朱塗の社』へと続く泥道。両脇には『ナズナ』や『イヌフグリ』『ヒメザゼンソウ』などが咲き始めていました。

 

 

 『欅の若芽』は膨らみ始めていましたが、まだ緑色は見えません。

 

 『神様』に先ずは参拝です。

 

 

 『五穀豊穣』を司る『稲荷神』が祀られています。

 

 『商売繁盛』を祈願しまして。

 

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あんずの里・景観木

 

 『森・あんずの里』には幾つかの公営駐車場と、展望台が造られています。

 

 車は全駐車場共通で一日¥200(お得)。しかも併設の展望台からの景観は中々です。

 

 『あんずの花』は盛りが短い為、TVニュースなどで報道されたら『森』の道路は大渋滞します。

 

 車は一方通行や居住者以外進入禁止としていますが、畑に繋がる『農道』にまで散策する人が溢れる始末です。

 

 

 『上平展望台』から『メモリアルパーク』へと続く道の途中に一際大きな『あんずの樹』が在ります。

 

 『景観木指定標識』がぶら下がっていますので、特別の『あんずの樹』みたいです。

 

 

 『あんず』は果実を食用にしますんので、低木じゃないと収穫作業が大変!

 

 昨今の『果樹園』は『ブドウ』も『りんご』も『サクランボ』まで作業効率を考えて皆低木に改良されています。

 

 子供の頃、リンゴの木によじ登って、獲った(盗った?)りんごの味は格別でした。

 

 『柿の木』の大木によじ登った時、近所のお婆ちゃんにものすごい勢いで怒られました。木から降りるとそのお婆ちゃん曰く「柿の枝は、太くても簡単に折れる事が在るから

決して登っちゃいけない。獲るなら『物干し竿』を使え」と諭してくれました。

 

 昔の爺ちゃん婆ちゃんは厳しかったけど優しかった。きっと『りんご』の時も気が付いていたけど観て見ぬ振りをしていたのかも知れません。

 

 その果樹園も今は住宅地に成っちゃいました。

 

 

 この『あんずの樹』を見ていたら、そんな昔の事を思い出しました。

 

あんずの里

 

 『松代』と『千曲市』の間ながら、山に囲まれた閉塞的(失礼)な扇状地に『あんずの里』が在ります。

 

 『更埴・森の杏』と云えば信州を代表する果物のブランド品。

 

 尤も現在は『千曲市』に併合されて『千曲市・森』ですけど。

 

 実は『戸倉キティパーク』の『大天狗』から『宮坂峠』を越えて『森』に入れるんですが、狭い道路のクネクネ道。まっバイクはそれが楽しいんですけどね。

 

 『森』を訪れたのは4月初頭。まだ新学期が始まる前とあって、家族連れが一挙に押しかけていました。(私もその一人だから文句言えません)

 

 

 集落内至る所に人。人。人。(私もその一人)

 

 他人の行けないような処に入り込んでいくのがオフロードバイクの機動力、案内図を観て此処なら。って云う『お寺』発見。行ってみようかな………と。

 

 

 このお寺『大光寺』さん。

 

 あんず畑(果樹園)の中の山道を1km程登り詰めた場所に在ります。

 

 道路は完全舗装されていますが、雪が積もったら大変だ。郵便屋さん・新聞配達さん。ご苦労様です。 

 

 先ずは本堂にて参拝。扉は施錠されており、戸口にお賽銭置いて合掌。ハイ終了。

 

 駐車場には車が停まっていますから『庫裏』には人が居るのでしょうけど、只の興味本位だけで人の手を煩わせるのも何だかなぁ。

 

 正式名称『臨済宗・龍厳山・大光寺』 眺めの良い霊園を備えています。

 

 

 臨済宗、そっけない程の素朴さが好き。

 

 漆喰の壁に龍だけってのも素敵です。

 

 

 森の街並みを遥か眼下にこの景色。

 

 『杏の花』は『桜』と違って上向きにも、下向きにも花を咲かせます。

 

 細い枝は無く、ガクがしっかりしているからかな?

 

 岩に腰かけ、おにぎりを食べていたら人の話し声が近づいて来ました。

 

 こんな山の中(失礼)、物好きじゃ無きゃ来ないだろうと思っていましたからビックリ。

 

 私が「こんにちは」と声を掛けると『中国語』で返事が返ってきました。

 

 やっぱりどこの国にも物好きはいるもんだ。

 

手城塚城跡

 

 『小諸・新町』から『布引方面』へ行くには千曲川の浸食作用による急な坂を下って行きます。

 

 あれ?何時看板が出来たのだろう?

 

 

 『手城塚城跡』だけだと『手城』と『塚城』の二つが並んでいるのかと勘違いしてしまいそうですがその横に『手塚城稲荷』と在りますので区切る部分は『手城塚・城跡』が正解みたい。

 

 

 畑中に道は在るし、鳥居もすぐそこに見えています。

 

 そりゃ行くでしょう。

 

 『稲荷神』は『農耕の神様』、其処から『五穀豊穣』=『商売繁盛』に繋がりますので見掛けたらなるべく参拝するようにしています。

 

 『願掛け』をして願いが叶ったら『願ほどき』に再訪しなければならないのですが、『願ほどき』は地元の『鼻顔稲荷神社』で各地の一年分をまとめて『お礼参り』(不良の其れとは違いますから)させて頂きます。(ホントは何処に参拝したか覚えていない?)

 

 

 春の陽気に誘われて『ウグイスの地鳴き』(まだホ~ホケキョになって無い)も聞こえてきます。

 

 

 時代の流れと共に、人出不足などから神事なども大変。

 

 でも『守る会』が発足されていますので末永く大切にして欲しい物です。

 

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小諸

 

 『小諸』と云う処は非常に面白い街です。

 

 『小諸城』は『穴城』と呼ばれ、日本唯一『城上町』(城の足元に街並みが広がるのでなく、城が最下段に在る)が存在します。

 

 江戸からの街並みが残り、『高濱虚子(俳人)』『島崎藤村(作家)』『小山敬三(洋画家)』などの著名人が移り住んでました。

 

 温泉施設が充実し、『菱野温泉』や『中棚荘』など風情豊かな温泉から、浅間連山の『天狗の湯』『高峰温泉』などの秘湯。更にはファミリーユースに打って付けの『あぐりの湯』『小諸温泉』などなど。

 

 『牛に引かれて善光寺詣り』の起点『布引観音』は小諸観光に無くてはなりませんし、現役稼働中の『氷穴』と隣接する『温穴』(隣接するのはおそらく此処だけ?)

 

 私、佐久市民ですけど、『小諸』好きだなぁ。

 

 

 『小諸駅』直営の喫茶店『小諸駅のまど』のウインド一面に『小諸かるた』が張られていました。小物・お土産の販売も手掛けていますのでお気軽にお立ち寄りください。

 

 

 ガラス越しの撮影は難しい………

 

 『草笛禅師 横山租道』 こーちゃん幼少の頃、小諸城内の竹藪近くに座り、子供が通ると『はとぽっぽ』など童謡、大人だと『小諸馬子唄』などを『草笛』で奏でてくれました。

 

 『質素 勤勉 忍耐が売り 小諸商人』 佐久地方に広く広がる『柳田ブランド』 小諸の『柳田商店』で修行した人は朝早くから夜遅くまで精を出して働いたそうです。

 

 『布引伝説 牛に引かれて 善光寺詣り』 不信心な老婆の洗濯物を、仏様が化身した牛が角に引っかけ、老婆がそれを追っているうちに善光寺まで来てしまった。(※布引=善光寺間≒40km在ります。老婆にゃ無理でしょ)

 

 

 駅前交番の裏側『小諸城大手門公園』に『小諸観光交流会』が在り、色々なパンフレットなどが入手できます。(割引券とかあるかも)

 

 『小諸観光』ついでに『ぴんころ地蔵』にも来て下さいね。

 

小諸・駅そば

 

 中学校で『柔道部』に入部(させられ)、その後『地区大会』や『東信大会』などで『小諸駅』を利用するたびに『4番線ホーム』の『立ち食い蕎麦』を食べるのが楽しみでした。

 

 帰りの『小海線』に乗る為、『小諸駅』(小海線登り=中込・小海・小淵沢方面)で待ち時間が在るのですが、当時、始発駅にあたる『小諸駅』には『生そば』と書かれた立ち食い蕎麦がホームで営業していました。

 

 当時でも『小諸駅』『軽井沢駅』『上田駅』などの『信越本線主要駅』の他『中央本線・小淵沢駅』まで行かないと『立ち食い蕎麦』は無く、中々食べる機会が在りませんでした。

 

 暗黙の了解が在り、柔道の試合に勝ったら『かけそば大盛+かき揚げ天ぷら+生卵』¥400の大盤振る舞い。負けたら『かけそば』のみと決めていました。(どちらも支払いは自腹ですけど) 団体戦勝利にかなり貢献したら場合のみ先輩がアイスクリーム奢ってくれました。(¥20のホームランバー一本)

 

 地元に『蕎麦屋』や『ラーメン屋』が無いわけじゃなかったのですが、小遣いの少ない事や、校則の『買い食い禁止令』などが在り滅多に食べられなかったなぁ。

 

 小諸をバイクで走っていて空腹を感じ、そう云えば小諸駅の待合室に『立ち食い蕎麦』が再開されたことを思い出し、一路小諸駅へ。

 

 『小諸城』で『桜祭り』が行われる時期だった為か、小諸駅周辺は平日午後一だと云うのに結構人の気配が在りました。

 

 

 あちゃ~。よりによっての『臨時休業』 まあ『玉屋商店』も予告なく『臨時休業』しますので文句は言えません。

 

 此処の大将。実は『しなの鉄道』の『駅長』だった人で、気さくな人柄にファンも多いみたいです。

 

 わざわざ『張り紙』を出すあたり、その人柄が伝わってきますね。

 

 

 待合室には当時の『ディーゼル車両』で使われていたシートが再現されていました。(但し此処でそばを食べないで下さいと注意書き在り) 昔は禁煙では無く『灰皿』と『栓抜き』が窓枠の下に設置されていました。

 

 高校の部室には、その『灰皿』と『栓抜き』が置いて在りましたけど何故だろう?

 

 

 待合室には他にも『しなの鉄道関係の部品販売所』が在りました。

 

 『北陸(信越)新幹線』開通と共に信越線在来線の『軽井沢』~『横川』間が分断され(そうしないと新幹線利用者が減るから) JRに見捨てられた(?)『篠ノ井駅』~『軽井沢駅』間を民間企業の『しなの鉄道』が引き継ぐようになりました。

 

 『横川駅』~『軽井沢駅』間を『JRバス』が接続運行しているのとはエライ違い

です。

 

 その為『小諸駅』は『JR小海線』と『私鉄しなの鉄道』が併設する駅となります。

 

 経営会社が違うから当然駅長は二人。(内部事情は解りませんがJRの方が幅を効かせていたりするのかな) 都会では『JR路線』と『私鉄路線』が併設去れている『駅』は珍しくありません。 更に云うなら『私鉄・しなの鉄道』と『私鉄・上田電鉄』が併設されている『上田駅』の方が珍しいかも。

 

 

 『枕木』に『レール』を固定する『犬釘』が一本¥300で売られていたり(現在はコンクリートの枕木?にボルト留めが主流です)

 

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〇〇神社

 

 『常田入り口』交差点から県道を北に向かいます。

 

 佐久市と小諸市の境界線の辺り、右手高台に『社』が見えます。

 

 細い道の交差点ながらゴミステーションなども在り、運転に注意が必要なポイント」ですので、気が付かない人も多いかも。

 

 いつもは通過してしまいますが、チョット寄り道です。

 

 

 『赤岩』~『常田』~『中佐都』辺りに掛けて、自然の『丘』以外にもこんもりと盛られた『塚』や『古墳』が多い地帯です。

 

 この高さなら人為的なモノかな。

 

 

 鳥居こそありませんでしたが『参道』築かれ、馬頭観音(仏教)も祀られています。

 

 雨でぬかるんだら絶対滑って登れないであろう傾斜を直登します。

 

 夏草に覆われても登れなくなりそう。

 

 

 山頂までモノの3分。注連縄に紙垂が揺れていました。(神社)

 

 ハテ? 何の神様だろう。扁額も無ければ何も書かれていません。

 

 まさか扉を開ける訳にもいかないし………

 

 

 おっ。鴨居の上に『眠り猫』発見。

 

 でもやっぱり神様不明。

 

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正法寺

 

 『この道を行けば どうなるものか 危ぶむことなかれ』

 

 我が心の師『アントニオ猪木さん』の好きな『道』という詩です。

 

 作者は『一休さん』こと『一休禅師』と云われていますが、実は『清沢哲夫さん』の作品です。

 

 バイクで走っていて、この先何が在るだろう?と思ったら『危ぶむなかれ』

 

 行き止まりだったらUターンすれば良いだけですから。

 

 『根々井』の湯川沿いを走っていて、普通なら絶対入り込まないような細い道に入った処、『お寺の大屋根』を発見。目指して走っていると『佐久市教育委員会』が設置した文化財の案内看板が目に留まりました。

 

 

 まっ、この手の堅苦しい文面は飛ばし読みする程度ですけど、『木曽義仲』の名前を発見。改めてじっくりと読んでみました。

 

 『根井氏?』

 

 『木曽義仲』は ♬ 朝日将軍 義仲も と県歌『信濃の国』にも歌われる武将。その四天王に数えられた猛者みたいです。

 

 広大な牧場を経営しており『馬術』に長けていたとか。当時の戦力で重要な鍵となっていたのが『騎馬』 馬を操りながら『槍術』を使いこなせるかで勝敗が決まります。

 

 鎌倉幕府制定の前ですので『槍・刀』が唯一の武器。

 

 負け=死ですので、勝ち続けなければ四天王には成れません。

 

 

 『正法寺』参道から観る『本堂・大屋根』がが実に気持ちいいです。

 

 

 門前には赤く塗られた『不動明王像』 文字が彫られているのですが判読不能でした。

 

 正式名称『真言宗智山派・天神山・正法寺』 真言密教の秘術により人々を苦悩から救ってくれます。

 

 

 本堂の『地蔵菩薩坐像』を拝ませて頂きます。

 

 『地蔵菩薩』は立像が多いんですけど『県宝』は座像。ワクワクしますね。

 

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前山城跡

 

 『城』と云っても『江戸城』や『小田原城』のように『お堀』や『石垣』、『天守閣』などを備えた広大な面積の『お城』から、防御強化の為に山頂近くに造られた『山城』、更には『見張り』や『狼煙』の為の『砦』なども城として数えられています。

 

 又『城跡』にしても『お堀』に『石垣』、『本丸』などの現存(再建)された『お城』から、昔は此処に『山城・砦』が在り戦争拠点になっていましたが、滅ぼされた後は荒れ放題。それこそ『春望』の『国破れて 山河在り 城春にして 草木深し』になっている処も在ります。

 

 佐久平の西側には『八ヶ岳』から続く山塊の端が迫っています。

 

 『浅間山&八ヶ岳』の噴火堆積物、および『千曲川』の扇状地帯により形成された真っ平な『佐久平野』から、急に山岳部に接する為、低山ながら周囲を警戒する為の『見張り台&狼煙台』を奥には打って付けのちけいです。

 

 『佐久』って意外と『お城(砦)』の数が多いって知っていました?

 

 一つには『土地の豪族』の結束が難しかった事。

 

 エリア毎に『伴野氏』『茂原氏』『望月氏』『大井氏』などが居城を持ち、互いに均衡していた為?

 

 『甲斐・武田軍』の侵攻により、滅ぼされた後『武田軍出城』となった城も少なくないです。

 

 小学生の頃、『旧前山小学校校庭』で遊んでいて、何故か『城跡に登ろう!」と云う事になりまして、校庭傍の『慰霊碑』の脇から山頂を目指した記憶が在ります。

 

 子供の足でも15分掛からない位の登りだったと思ったのですが………

 

 

 え~っ 私此の展望台の先の崖を直登してきました。

 

 以前あった(と思はれる)散策道は見事に藪に覆われ、途中から『藪漕ぎ』して道なき道を直登。草叢を手で掴みながら急斜面をよじ登りました。

 

 注意! 『藪漕ぎ』は手袋が無いと棘が刺さったり手を切ります。衣類に『引っ付きムシ(植物の種子)』がビッシリついて取るのが大変。オーバーシューズが無いと靴の中に枯葉・枯れ枝が入って痛い。 等々 良い事一つもありません。出来ればしないにこした事無いです。

 

 

 説明文を読むと『本丸』や『二の丸』の建物の他、防御の『堀切』や『段曲輪』を備えた立派な『伴野一族居城』です。お城を取り囲むように居住区が在り、現在に引き継がれているそうです。という事は此の山の周囲に住んでいる人は『伴野氏』と関係在るのかも。

 

 『山城』で一番大変なのは『水』です。山頂付近に造られた『居城』も『水』が無ければ住めません。

 

 散策結果、山頂付近に『井戸』の形跡が無いですので、下から汲んで運び上げるしか無かったのかな。

 

 

 『本丸跡』には『大神宮』が祀られていました。他にも小さな『祠』や、お墓を意味する石塔なども多数残されています。

 

 

 『空堀』が残っています。此れで東西のお城を分けています。

 

 西の『二の丸』側から攻撃されても、『本丸』攻めまで迄の時間稼ぎになる筈です。現在は歩いて昇り降り出来ますけど、本来は『崖』だったり『橋』が掛けられていたりした筈です。

 

 この『空堀』沿いに多数の踏み跡が在りました。辿って行くと竹藪の中に散策道が在ります。下って行くと集落から道路に出ました。

 

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倉澤・薬師堂part2

 

 佐久市・野沢地区の西の端『大沢~前山~小宮山』には名刹が多いのですが『倉澤のお薬師さん』も素晴らしいです。

 

 『御堂』其の物も高名な宮大工『小泉吉右衛門』の集大成だそうです。

 

 現在は赤い『トタン葺き』の屋根ですが、屋根の厚さから当時は『萱葺き(こけら葺き?)』だったでしょうか。(瓦葺きなら瓦を交換する筈です)

 

 

 祀られている『十二神将』の、色鮮やかな頃撮られた写真が飾られています。

 

 更に欄間という欄間、全てに緻密な『透かし彫り』や『彩色』が施され、建立者の権力と財力(年貢だったりして)が伺えます。

 

 

 佐久市教育委員会、この建物を重要景観建築物に指定しなくていいんですか?

 

 

 『唐破風』の内側の垂木の曲線。美ですねぇ。

 

 そして彫刻の数々。

 

 佐久教育委員会さん。重要景観建築物第二号候補に推薦します。

 

 

 『石造り薬師如来立像』は秘仏で公開されていません。代わりに境内には

 

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倉澤・薬師堂

 

 『佐久市・前山』の『倉沢川』を遡ると、集落の一番外れに『倉沢・薬師堂』が建っています。

 

 西から東に下る傾斜地ですので山門や御堂の向きは東を向いています。

 

 『御堂』の間口の向きに決まりはないみたいですが、参拝し易い様に集落の方向(参道)を向いている場合が多いです。

 

 山門前にバイクを停めまして。

 

 

 山門は『鐘楼門造り』 一礼して潜りますと

 

 

 奉納された『詩歌』の額が掲げられていましたが、おしむらくは天井画。

 

 素晴らしい『獅子』や『沙羅双樹?』が描かれているのですが保存状態がイマイチ。

 

 出番ですよ『佐久市・教育委員会』or『文化財保護団体』さん。

 

 

 石段を上り本堂へ。レンズが汚れていますね。(撮影時気が付かなかった)

 

 一見、極普通の薬師堂みたいですが中に入ってみますと

 

 

 ブルーシートが無粋な感じですけど、常時門戸は解放されているのでしょう。経年の『埃感』は致し方無いとしても『厨子』の中の『薬師如来』 他にも『仏神』と呼ばれる『仏様』を警護する『十二神将』がズラリ。

 

 さぞや権力・財力の在る方が建造した『薬師堂』では?

 

 佐久市内、これ程の『木像十二神将』の揃った『寺院』は他に知りません。

 

 いや県下でも珍しいかも。

 

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景観重要樹木

 

 『景観重要樹木?』 聞きなれない言葉ですけど、読んで字のごとく『景観が特に素晴らしい木』です。

 

 佐久市認定の『景観重要樹木』は私の知る限り『二本』だけ!

 

 第一号は『上平尾・守芳院』の門前の大木『禅生の杉』です。詳しくはgooglemap。

 

 そして第二号は『跡部』の『茂原邸の赤松』です。

 

 

 個人住宅の庭木ですので、先ず許可を貰ってから。

 

 門前には『土日のみ公開』と書かれていましたが、ダメ元で入ってみます。

 

 大きな門構えを潜ると目の前に赤松が見えるんですけど、玄関まで行かないとインターホンとか無いみたい。

 

 玄関で声を掛けると暫くしてお爺さん登場。快く許可してくれました。

 

 

 門からは気が付きませんでしたけど、庭に入って観るとこの枝、実に長い!

 

 元々は『盆栽』などで樹の形を整えていたのでしょうけど、中々12メートルの枝ぶりはありません。

 

 

 う~ん カメラ泣かせだ。(パノラマで撮影すれば良かったかな)

 

 庭石や置物にも風情があり、流石地元の名家みたいです。

 

 「どちらから来られた?」と会話が始まり、奥ではお茶まで用意している雰囲気が伝わってきます。いえいえそこまで甘えられませんので丁重にお断りして後にします。

 

 佐久市・教育委員会。立った二本だけで良いのか?素敵な樹木は他にも在るぞ。

 

 『五本木公会堂・咲き分の桜』『野沢・夫婦木の欅』『常和・白山神社の櫟(イチイ)』などなど。

 

 『常和』が出てきた処で『常和・白山神社』(通称=へ~びっさ)の社殿が『佐久市重要景観建築物第一号』です。(此方もグーグルマップクチコミ参照願います)

 

 でも第二号からはどうすんの?

 

山部・愛宕神社

 

 『笠取峠』の麓、『芦田宿入り口交差点』の先から『旧中山道』へと分岐します。

 

 『母娘道祖神』から『旧中山道』は一般車立ち入り禁止の『石畳』になります。

 

 此処は旧国道を走ってみようと坂道を選びますと『鳥居』が見えて来ました。

 

 

 直ぐ下を、新しく『バイパス』が開通した為、ほぼ交通量はゼロ。傍らにバイクを停めまして。

 

 ふと周囲を見回すと、神社と反対側の崖下にコンビニ弁当やらビールの空き缶など、かなりの量のゴミが散乱しています。おそらくですけど昼に食べたゴミをなどを、人目の無い事を良い事に袋のままポイ捨て。神様の前でいい度胸してるじゃん。中にはビールの空き缶なども在るから飲酒運転常習犯?その内バチが当たります。いや警察が動きます。(てか一報入れとこ)

 

 

 扁額に刻まれた文字が読めませんでしたけど、グーグルマップと垂らし合わせて納得『愛宕神社』と読むのか。(イヤ読めないって)

 

 木の『ひび割れ具合』がウロコの様に見えて、額の周囲に彫られた『龍』が生き生きして観えます。

 

 一礼して鳥居を潜り、石段を上ります。上り詰めると道路脇、なんだ車で来れるんじゃん。

 

 拝殿前の広場も特に何も無し。拝殿も特にこれと云った特徴無し。強いて言えば『拝殿前』に何故ベンチが置かれている?

 

 

 参拝の邪魔でしょうが。誰かのいたずら?

 

 雨の日此処で弁当食べて、帰りにゴミポイ?

 

 神様。不届きモノにバチをお与えください。

 

ふるさとの見える丘

 

 国道142号線を佐久方面から走ると、『道の駅 ヘルシーテラス 佐久南』『道の駅 ほっとぱーく 浅科』『道の駅 女神の里 立科』と割と近い距離に三つの道の駅が存在します。市町村が異なるから運営としては良いんでしょうけど。

 

 『道の駅』 昨今、単なる休憩施設から脱皮し、情報発信元はもとより、地域特産品や、生鮮野菜などが割とお徳に購入できます。

 

 しかも『主要幹線道路沿い』に立地している事と、全国共通の『道路案内表示』の為、慣れない土地を走っていても直ぐに解ります。

 

 裏技として、『〇〇パーク』とか『✕✕スキー場』などの割引券などが置かれている場合も在りますから利用しない手は無いです。

 

 運営は市町村などが主体となっている場合が多く、建物や付随する施設など綺麗なうえに無料!と大変ありがたい場所です。(税金?でしょうねぇ)

 

 『道の駅女神の里立科』も地場産の新鮮野菜などがお徳に購入出来る道の駅です。

 

 そんな道の駅の裏手には『ふるさとの見える丘』が在ります。

 

 

 正式名称『立科町 交流促進センター 耕福館 信州ふるさとの見える丘 第0101号』

 

 下に見える建物が『道の駅 女神の里 立科』です.

 

 車を『道の駅』に停めても、歩いて3分です。

 

 

 佐久平の向こうに『浅間六連山=右から浅間山・黒斑山・高峰山・湯ノ丸山・三方ヶ峰・烏帽子岳(山・岳・峰の違いが良く解らん)』が良く見えるのですが、この日は春霞。山の眺望はイマイチでした。

 

 

 『友好』と刻まれた石碑。『立科町』は『アメリカ・オレゴンシティー』と姉妹都市だったんですね。知らなんだ。

 

 実はこの丘の駐車場に隣接して『立科町クラインガルテン』が在ります。

 

 数件の庭付き戸建て住宅が立ち並ぶこの施設は、立科町に移住を考える人が居住体験出来る様にと建てられたもの。

 

 気候の良い時ばかりでは無く、冬の厳しい寒さも体験したうえで移住してきて下さい。という行政の考え方なのでしょうか。

 

 

 詳しく聞きたくて体験学習施設の『耕福館』を訪れましたが人の気配がありません。(車が停まっているのに?)食事に出も出かけたか。

 

 まぁ詳しく知りたければグーグルに尋ねれば何でも解かる時代です。『立科町・クラインガルテン』で検索して下さい。

 

 『立科町移住』をお考えの方、是非ご一考を。(佐久にも来てね)

 

聖徳太子神社

 

 『大型トラック』もバンバン通り抜ける『望月地区』の国道153号線。スーパーや有名なラーメン店の並ぶ通り沿いにその神社は在ります。

 

 信号の角地に建っている為、気が付いてはいたんですが中々立ち寄る機会はありませんでした。

 

 陽気も良くなってきたし、そろそろバイクの出番かなと出かけました。

 

 

 『聖徳太子』を神と祀る『聖徳太子神社』は各地各所に観られます。

 

 中にはお寺の境内に祀る処も在りますもんね。

 

 

 境内には、思わずウフフのあれが奉られていました。

 

 

 『古事記』にして、『イザナギノミコト』が『イザナミノミコト』に向かって

「私の余っている処で、貴女の足りない処を補いましょう」と口説き子作りに励んだとか。(そりゃぁ男と女ですから)

 

 『子孫繁栄』はもとより、『五穀豊穣』『商売繁盛』に霊験あらたかなご利益が有るそうです。

 

 『全ての願望、これ叶うものなり』

 

 しからば『今すぐプー〇ンがくたばります様に』と願掛けします。

 

 

 他にも『後輩輪』を纏った『大日如来』と思しき像や、『六地蔵幢』更には文字の彫られた『グラマラス』な石まで。

 

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札幌市場

 

 小樽から戻り豪華な『札幌プリンスホテル』で一休み。

 

 都会ながら『露天風呂』(前日の『登別温泉』とつい比べてしまうと、あれを露天風呂と呼んでいいのか…?)でゆっくり手足を伸ばして夕食は『カニ食べ放題』の『バイキング』 勿論他にも『海鮮・ステーキ・寿司』なんぞも食べ放題!

 

 大満足な食事の後に『夜のススキノ』をチラリとだけ見学して早めに就寝(信じる信じないはご自由に)です。

 

 翌日の朝食も『バイキングスタイル』 まぁ本日の目的は『札幌朝市』ですので軽めにパンとコーヒーで済ませます。

 

 此処で宿泊電子クーポン『LOVE HOKKAIDO 割』を使ってお土産を購入します。

 

 なかなかホテルの売店も充実していて、目ぼしい北海道のお土産は手に入ってしまった。しかも1泊につき¥2000だから、2泊=¥4000のお土産。結構なものが買えますです。

 

 チェックアウトは10:00迄OKなので、荷物を部屋に御置いたまま、ホテル待機の『タクシー』で一路『札幌市場』へ。

 

 

 まぁどこの『〇〇市場』も大して変わりは無いですけど、やっぱり北国、カニが水槽の中でわっさわっさ動いています。

 

 

 カニは流石に手が出ませんでしたけど、念願の『ミズダコ』を購入。お土産用に冷凍して在って、家に着くころ丁度スライス出来る解け具合だそうです。

 

 しかも格安。生のまま食べられるのに何故流通しないんだろう?私は『真蛸』より好きです。

 

 ホテルに戻り、お土産をバックに詰め込み『千歳ライナー』に乗るべく『札幌駅』へ。

 

 暫しまどろむ間に『千歳空港 』着。

 

 搭乗手続きを終え、『ラーメン道場』で最後の〆にラーメンを食べて。

 

 さらば。北海道! 又来る(希望)ね。

 

小樽

 

 流石に風呂の写真だけは撮れませんので(男湯であってもそっちが趣味の人も居るかも知れません)露天風呂につかりながら雪見と洒落込んでました。(雪見酒じゃないのが残念)

 

 夕食はバイキングで『海鮮』『日高牛』『ジンギスカン』『鮭釜飯』他、『寿司』から『デザート』までそれは豊富な種類が用意されていました。

 

 私、食事に関しては残飯の事を考えると『バイキング』反対派です。

 

 でも今回は大目に見ちゃう。だって美味しい! beerが美味い!

 

 部屋も奮発して個室にしましたんで、誰かさんの『いびきが五月蠅い』なんて事も無く熟睡。お陰で翌朝一番風呂を堪能しまして。

 

 『登別温泉』から『札幌駅』までは送迎バスで送って貰えます。(だって帰りに空港からのお客乗せるんだから)

 

 『札幌駅』で『レンタカー』を手配………「ご予約していない?本日の貸し出しは全て終了しています。」とにべも無い返事。レンタカー会社は他にも在るぜ。と他を当たるも全て手配できませんですと。じゃぁ『ジャンボタクシー』(今回5人同行でしたので)を手配と思ったら、全てご予約で埋まってますですと。それでも何社かに問い合わせ、「1時間後に帰庫予定の車が在りますので洗車無しで宜しければ………」承諾するしか無いですね。

 

 大都会の駅近レンタカーなんていつでも借りれるなんて思ったのが間違いでした。

 

 1時間の待ち時間の間に『札幌大通公園・時計台』と見ちゃいましたので、『小樽』へ向け出発です。因みに借りれた車は『カロー〇フィールダー』 五人分の旅行鞄を積んで五人乗車でそれ程窮屈さを感じなかったです。(運転してましたんで)

 

 

 ♬ 逢いたい 気持ちが ままならぬ  

 

 小樽運河で 気分はすっかり『裕次郎』です。(『裕次郎記念館』は閉館しちゃったのね)

 

 『小樽運河』の前は大勢の観光客で溢れんばかり。やっと人の途切れた瞬間にパチリ。

 

 イマイチだな。

 

 小樽と云えば『寿司』とばかりに『寿司屋横丁』を目指すも丁度お昼時のpeakとあって待ち時間掛かりそう。「腹減った。何処でもいいから直ぐ食べれる処」と云うことに成りまして。

 

 

 トットと『運河離脱』です。

 

 足の向くままに辿り着いたのが

 

 

 撮影の瞬間に横切るな!っーの。外国の方。

 

 『面白そうじゃねーか。」の一言で『出世前』に吸い込まれていきます。

 

 て事は『これから出世する』と考えればね。

 

 

 突き当りの『たばこ屋』と思いきや『鮮魚トロ箱』が積まれている店。

 

 『豚丼』から『海鮮丼』『焼き魚』等々何でも御座れのお店です。

 

 beerが運ばれ(私ゃ運転手)海鮮丼を掻き込み、数種類の焼き魚&焼貝を頼んだらお会計ビックリ。(それでも安い方なのかな。)

 

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登別温泉・間欠泉

 

 『間欠泉』とは読んで字のごとく『間隔を開けて吹き(湧き)出す(温)泉』の事。

 

 定期的に高く水柱(湯柱?)を吹き上げるのから、お湯が溢れる様に盛り上がるパターン迄様々です。

 

 中には『諏〇湖畔間欠泉』の様に、湯量が減ってしまった為に圧力ポンプを使って『湯柱』を演出していた。なんて処も在りますけど。

 

 

 『地獄谷』から戻ってくると、『ホテル』の脇に『源泉公園』が在り、色とりどりの『金棒』が並んでいます。

 

 

 階段下には『源泉』が在り、轟音と共にモクモクと湯気を立ち上らせています。

 

 

 近くで撮影を試みましたが、レンズが曇ってしまい鮮明な写真が撮れません

 

 動画投稿サイトにUPする為でしょうか、ず~っと陣取って撮影している人がいました。誰もが撮影できるような動画、誰も見ないから早くどいてくれないかなぁ。

 

 (写真撮影と違って動画撮影は場所の占有時間が長すぎる。グループ撮影なんぞに遭遇しようものなら「ハイ交代」とかで10分以上待たされる何てザラ。しかも待ってる人に何か一言ある訳じゃ無し。特に中国〇人。マナー位守れよな!)

 

 

 暫く見ていましたが『ゴウゴウ』と音が響いていましたが、吹き出す様な事は在りませんでした。3時間に一回じゃあ………次の時間が分かれば待つんだけど。

 

 まぁ誰かが動画UPしてんでしょ。

 

登別・地獄谷

 

 『登別温泉・石〇亭』へチェックインし、荷物を置いて『地獄谷』へ行ってみるかとなりまして、フロントで「タクシー呼んで下さい」 「どちら迄行かれます?」「地獄谷までなんですけど」「皆さん歩いて行かれます。どうしてもならば手配できますが、歩いても10分ですよ」「じゃ仕方ない。歩くか………」

 

 長野県民、普段よっぽど歩いてないみたいですね。

 

 何処へ行くにも自宅から車。『door  to  door』で車に乗り込んで、スーパーでも入り口に近い処へ停めたがる。

 

 健康の為にウォーキングする人も居ますけど、(私含めて)三日坊主が多いみたいですね。

 

 

 『登別温泉』には『赤鬼・青鬼』のモニュメントが多数存在します。

 

 町を挙げて『鬼=地獄』をアピールしているみたいです。

 

 『地獄谷』自体は日本各地の温泉に存在します。『火山性ガス』のお陰で草木が生えずかなり殺風景、硫黄の匂いが立ち込めていたり、黄色い硫黄や火山由来の白色が目立ち、とても心休まる風景とは言い難い場所です。(『渋温泉・地獄谷』は『野生の猿』が温泉に入る事で通名ですがそこまで地獄っぽく無いですけど)

 

 ロープウェイで見下ろす『大涌谷』なんか絶景だし、『別府・〇〇地獄』なんかは絶好の観光ポイントです。

 

 さてさて『登別温泉・地獄谷』は如何に。

 

 

 あちらこちらから『湯気』が立ち上り、さながら亡者が彷徨う地獄の様(見た事無いですけど)

 

 昭和の頃は、手摺や散策道も完備されておらず、自由に歩け廻れたそうです。酔っ払いが高温地域に落ちてから立ち入り規制が始まったとか。(リスクヘッジの時代です)

 

 

 雪の残る山肌をバックに地獄谷の中の地熱はかなり高そうです。

 

 

 そんな地獄谷を見下ろす高台に『観音様』が安置されていました。

 

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登別温泉

 

 ♬ 湯気が 天井から ぽたりと背中に(ババンバ バンバン バン)

 

 此処は 北国 登別の湯 

 

 と土曜の八時になると聞えてきた『ザ・ドリフターズ』の唄声。

 

 何時か行ってみたい。と子供心に思っていたのは今から50年も昔の事。

 

 その後『バイクツーリング』や『家族旅行』で訪れていますけど、ホテルや旅館に泊まった事は無かったです。

 

 今回の『阪急交通社・北海道2泊3日の旅』は『松本空港』=『千歳空港』往復航空券+『千歳空港』~『登別温泉・石水亭』迎バス。翌日『札幌駅』迄の送バス。『札幌プリンスホテル』 加える事のバイキング形式の夕食・朝食各2回。唯一の出費が昼食3回と『札幌駅』~『千歳空港』までの『札幌千歳ライナー』乗車賃のみ。

 

 此れで『五万円!』ですが、更に『北海道割引(1泊につき¥5000)』が付いて驚愕の『四万円‼』 更に『北海道クーポン』が1泊につき¥2000。二泊で¥4000在ればお土産代に充分です。

 

 今回『商店街旅行』の参加人数は5人でしたので、奮発して一人部屋に『グレードアップ』 料金+¥12000 他に旅行保険が¥2000 空港使用料が¥1000 

 

 つまり 5000-1000+12000+2000+1000=¥53000。

 

 『バイキング』の中には『蟹 食べ放題!』やら『ジンギスカン鍋』やら『握りずし』『日高牛ステーキ』『海鮮丼』などなど。唯一食べられなかったのは『ウニ』位のものでした。

 

 

 登別温泉までのバスを待つ間に『千歳空港』の施設内で食事&お買い物。

 

 先ずはフードコート目指して行くと何故に『〇ラえもん』?

 

 『北海道新幹線』の『津軽海峡トンネル』の中には『海底駅』が二つ在って、途中下車出来るって知ってました?

 

 その内のひとつが『〇ラえもんの街』を模しているそうです。行ってみたいけどどうなんだろう。行った事ある人情報お願いします。

 

 

 『千歳空港』から高速道路で1時間。登別温泉到着です。

 

 『登別温泉・石水亭』はプリンスホテル管轄。経営難になった旅館を買収した感じです。

 

 若干『経年劣化』の感が在ったり、各部屋のドア―が『カギ式』だったりしますけど、メインは『温泉』 案内によると屋上には露天風呂も在るとか。

 

 『チェックイン・ロビー』は『コロナワクチン接種』の確認や、『北海道割電子クーポン』の応対に時間が掛かって15分は待たされたかな。(唯一のマイナスポイント)

 

 先ずは部屋に荷物を置いて、明るいうちに『地獄谷』へ行きますか。

 

 

 ホテル脇を流れる川は心なしか濁って………いえ此れは温泉が流れているんです。

 

 『クスリサンベツ川』の上流は天然の温泉が湧きだしていて『足湯』が設けられているとか。行ってみたいけど『冬期通行止め』しかも車窓から見た遊歩道入り口には『熊出没注意』の看板があったな。明るいうちに『登別地獄谷』行ってこよう。

 

 で次回は『登別地獄谷』です。

 

新章スタート

 

 正月から色々と出かけましたので、寒い2月はホント何処にも出かけませんでした。(只単に寒いの嫌い) 反動からか3月は初頭から飛んでけ~

 

 

 で我が家から2時間の松本空港。高速料金も掛からないし駐車場も無料!

 

 只『札幌・福岡・神戸』の三路線しか無い………トホホ。

 

 以前『熊本地震』の際に救援物質を持って熊本の知人のところへ駆けつけるのに利用したのが『松本=福岡便』そして今回搭乗するのが『松本=札幌便』

 

 

 晴れに恵まれ『北アルプス』の山々が手に取るように解ります。

 

 あの稜線を歩いている人が居るんだろうなぁ。

 

 実は『商店街旅行積立』がまとまった額になったので、みんなで何処かに旅行しようとなりまして、たまたま見つけた『阪急交通社・長野支局主催』の『北海道・登別=札幌2泊3日』に申し込みました。

 

 『阪急交通社・トラピックツアー』に大感謝の3日間でした。

 

 

 松本空港・発着の飛行機は『FDA=フジ・ドリーム・エアライン』の『ブラジル製・エンブラエル』 旅客機の中では小型の部類で、一列左右に四人掛け。つまり1/2で窓際に座れます。只JALとの共同運航ですのでJALチケット優先(料金設定お高め)かも。

 

 窓の外には『仁科三湖』の『木崎湖・中綱湖』が見えて来ました。

 

 今回の飛行コースは『松本空港』から北に向けて離陸。そのままアルプス沿いに北上して行きます。

 

 

 このギザギザ具合はおそらく『剣岳』 (登った事無いですけど)

 

 歩いて登って観る山の景色と、他所から観る山は印象が全然違います。

 

 やっぱり『山』を観るだけなら『飛行機(ドローン)』がいいな。

 

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神田明神part3

 

 江戸時代の通貨は 『金貨=大判・小判』『銀貨=豆板銀・1朱銀など』『銭貨=銭、寛永通宝など』でしたが200年間続いた江戸時代の初期と後期では大きく資産価値が変わってしまいます。

 

 『金貨』の中でも、特に『大判』は報奨金として幕府が下賜したもので、『慶長大判』は現在の価値にして400万~2000万!(金の相場変動や、美術骨董的価値履みして)

 

 庶民が滅多に手にする事が出来なかった『小判』 印象に在るのは『故 藤田まこと』扮する冴えない『与力=中村主水』、実は報奨を得て恨みを晴らす『必殺仕事人』 行政では裁けない諸悪をバッサバッサと一刀両断にしていく『痛快娯楽時代劇』です。

 

 時代劇なのにトランペットが響くとクライマックス。『中村主水』が一撃必殺で相手を倒します。実はこのシリーズに『和田アキ子』さんも共演されてました。(必殺の武器はパンチ!)

 

 仮に『遠山金四郎』が『北町奉行』で活躍していた『12代将軍・家慶』の頃(西暦1820)と仮定すると、当時庶民が夜食として食べていた『二八蕎麦』が『2×8=16文』

現在の『かけそば一杯=¥500』と換算すると『1文≒30円』 江戸時代の通貨は『1両=四分=16朱=4000文』と云われていますので『1両=12万円』

 

 「お大臣様、山吹色の菓子でございます」「越〇屋、お主も悪よのぉ~」で懐にしまい込む紙包みの小判は25枚。300万円‼ (時代劇や落語で仕入れた知識です)

 

 『千両箱』に1000枚の小判が入っていたら『1億2000万円⁉』

 

 因みに『千両箱』の重さは、頑丈な木箱込みで≒20㎏。『ねずみ小僧』が悪徳商人の蔵から盗み出しても、肩に担いで屋根から飛び降りたり、走り回れるか………(小説ですからね)

 

 こーちゃんが山に登っていた頃、肩と腰で支えても20㎏のフレーム・ザックは正直無理でした。

 

 『大判・小判』が徳川家の莫大な財宝から造られた『金貨』に対し、『大阪』の主流通貨は『銀』でした。

 

 『米=お金』の秀吉の時代から、米相場を牛耳ってきた『船場』の通貨として発展したのが『銀貨』で、重さによって価値が決められていました。鋳造技術も未熟な時代、秤で図って金額を確認したそうです。豆粒みたいな塊りが通貨として通用していました。たまに『必殺仕事人』にも出てきました。

 

 何かドンドン話が逸れてますのでここら辺にしときます。

 

 

 正月・松の内ですが『茅の輪くぐり』が設えて在りました。

 

 正式な参拝方法は、大変時間の掛かるやり方なので、正月三ヶ日の人出ではどれだけ行列が延びたんでしょう?多分略式で一礼して通り過ぎるだけかな。

 

 大黒様裏手の大きな建物は『結婚式場』や『レストラン』などを備えた『EDOCCO会館』結構商売上手ですね。

 

 

 随身門の裏手なんですけどガラス張りは撮影の天敵、どうしても上手く撮れません。

 

 

 『商売繁盛』として大企業や商社も列挙して参拝に訪れる『神田明神』

 

 『御茶ノ水』近辺をお通りの際は是非お立ち寄りください。

 

神田明神part2

 

 まだ『松の内』でしたから境内には沢山の人。そして拝殿前に設えられた大きな『賽銭箱』も残されていました。

 

 お賽銭は投げるものじゃ無く『納める』ものです。いくら混雑しているからといって遠くから投げる事はNG。故に滅多な事では『元旦』に初詣には行かないです。

 

 拝殿内へは『御祈祷』の人しか入れないみたい。お祓い料を払った人のみ案内されていました。

 

 参拝を済ませ、ふと辺りを見廻すと『神馬舎』の前には

 

 

 『信州・佐久高原』産の子馬が居ました。まだ生後半年チョットで親馬から離されて独りぼっち………強く生きていくのだよ。『あかりちゃん』

 

 

 本殿裏には『金比羅神社』や『稲荷神社』などの摂社が建ち並んでいます。

 

 

 そしてやっぱり『神田明神』と切っても切れない『銭形平次の碑』

 

 土台は江戸時代の通貨『寛永通宝』のデザインです。

 

 砂浜に造られた大きな『寛永通宝』のサンドアートが在るのは『香川県・観音寺市・琴弾公園』

 

 何で香川県なの?と調べてみましたよ。

 

 寛永時代、領内の見回りに訪れる殿様を歓迎する為に、土地の人々が協力をして、当時の通貨である『寛永通宝』のサンドアートを一夜で造り上げたとか。

 

 でも此の『砂の寛永通宝』 直径が東西122m、南北90mと実は楕円形です。

 

 近くの山頂から眺めると丁度良い角度になり、『寛永通宝』が丸く観えるとか。

 

 『ナスカの地上絵』も、巨大過ぎて近くじゃ何が何だか解らないのと一緒ですかね。

 

 現在でも町内のボランティア総出・人力で手入れしているそうです。

 

 TVドラマ『銭形平次』のオープニングで撮影されて有名になりました。

 

 今ではgooglemapの航空写真で簡単に見る事出来るんですもんね。

 

神田明神

 

 「親分~。大変だぁ。大変だ~っ」と大声で叫びながら『がらっぱち』が『岡っ引き・銭形平次』の家へ飛び込んでくる。「〇〇がころされた~」 で『銭形平次』と『がらっぱち』が現場に駆け付けると 「遅かったな~。明神下の~。」と『三ノ輪の満七親分』が先に来ていた事を得意げに声を掛ける。

 

 かなり昔。我が家にTVは一台しかなく、チャンネル権は『爺ちゃん・婆ちゃん』が最優先。当然『時代劇』が主流で『水戸〇門』や『大岡〇前』そして『銭形〇次』も当然視てました。

 

 『明神下の平次親分』とは通り名で、『神田明神』の坂下に住んでいたから。『三ノ輪の満七親分』も同じように『三ノ輪』に住んでいた事に由来します。

 

 江戸時代に警察的役割を果たした『岡っ引き』(目明しとも呼ばれます)は『奉行所』の役職では無く、『奉行』『同心』『与力』と続く階級の一番下の『与力』の手下で、『親分』と呼ばれているように、地域でブイブイ云わせていた『顔役』だったり、スパイ的な活動を条件に司法取引をした『元犯罪者』だったり。

 

 まぁ『御奉行様』なのに、背中に『桜吹雪』のタトゥーを彫った人も居ますから。(創作話ですからね)

 

 実は『銭形平次』も『某〇くざ組織』の親分で、手下の子分の持つ情報力や犯罪知識などを総動員して事件を解決に導いていました。『与力』から『十手』を預かってはいましたが『逮捕権』は無く、手柄は全部『与力・同心』のもの。いくら給料を貰っているからといってそりゃ無いよなぁ。しかも薄給の為に、奥さんは『髪結い』や『飲み屋』で働かざるを得なかったそうです。尚且つ『行政(幕府)』の不正や犯罪には一切口出し出来なかったそうです。

 

 前置きが長くなりました。では『神田明神』スタートです。

 

 

 『神田明神』 正式には『神田神社』の事ですが『徳川家康』が『必勝祈願』に訪れたり『国家安泰』を祈願し『徳川家』が信頼を寄せた神社です。

 

 庶民からも『明神さん』と親しみを込めて呼ばれていた為『神田明神』が通り名に鳴りました。

 

 『明神』とは、社格の『名神』とは異なり、地域の方が特別な神社だよ的な意味合いだったそうです。(同じ様なのに『川崎大使』を『お大使さん』とか『柴又・題経寺』を『帝釈天』と呼んだりかな)

 

 

 鳥居を潜った参道も車がバンバン通る道ですが、並んだお店が実に楽しい!

 

 

 神社ですから『随身門』が構えています。

 

 手水舎で清めてから門を潜ります。

 

 

 コロナ騒動の中、柄杓はありませんが工夫されて水が流れていました。

 

 今後このスタイルになるのかな。

 

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神田・聖橋

 

 年明け、東京に用事が在りましたのでついでに商売の神様『神田明神』で参拝しました。

 

 『御茶ノ水駅』に降りたの何年振りだろう。

 

 東京に住んでいた頃アマチュア無線やってましたので『秋葉原』の電気街や、プロレス観戦の為『後楽園ホール』(野球じゃ無いんだなこれが)に度々出かけました。

 

 『聖橋』から見る『中央線』の立体交差が好きで、神田川沿いを歩いたもんです。

 

 

 『中央線』と『総武線』そして『丸の内線』がひょこっと日に当たる『聖橋』

 

 三路線を走る電車を一遍に撮りたくて、暫く粘ったのですけどダメでした。

 

 辛うじて『総武線(オレンジ)』と『中央線(黄色)』のすれ違いです。

 

 

 『入徳門』を潜れば『湯島聖堂』

 

 

 『大成殿』は閉ざされていました。

 

 『湯島聖堂』は『五代将軍・綱吉』が『孔子』を祀る為に建てた『孔子廟』ですが、後に幕府が『学問所』を創設。日本の学業の原点の場所です。

 

 まぁ『学問』をとは縁遠いですからサラッと参拝だけして次。

 

 向かうは『神田明神』  次回です。

 

黄檗宗・少林山・達磨寺

 

 『おうばくしゅう・しょうりんざん・だるまでら』と読みます。

 

 『黄檗宗』は中国を起源とする宗派で、『石の上にも三年』の『達磨上人』で有名です。

 

 毎年新春。商売繁盛を祈願しまして、『高崎』まで達磨を求めに行きます。

 

 以前、正月の『達磨寺』周辺は車が大渋滞して、駐車場に入るまで大変時間が掛かりましたが、数年前に『露天商』とのイザコザが勃発し、高崎駅前に場を移した『露天商』のイベント『高崎だるま祭』が大々的に開催される様になりました。お陰で純粋に『達磨寺』参拝を希望する者にとっては渋滞が解消し随分と楽になりました。只し、露天商はほぼ出店していません。

 

 この日も河川敷駐車場に停める事無く『達磨寺・境内』裏の駐車場まで誘導されました。

 

 

 『達磨・御焚き上げ供養』が片隅で行われていましたがその数の多い事!

 

 1/15日(昨今は第二日曜日とかで風情が無くなりました)、正月行事『どんど焼き』(地域によっては『さんくろう』や『左義長』)が各地で行われます。

 

 佐久でも『岩村田・鼻顔稲荷(はなづらいなり)でも『縁起物』や『ダルマ』の御焚き上げをしますが此処まで規模は大きくありません。

 

 私が消防団在籍時代、地区の『どんど焼き』に火の始末係として駆り出された事が在ります。

 

 『ダルマ』は底の部分に『粘土の土台』が付いていますが、此れを最後に片付けるのが大変。今では『カッター』等で粘土部分を取り除いてから積み上げるようです。

 

 

 『本堂』脇に在る『納め所』に『達磨』を納めまして、先ずは『香炉』に『線香』を焚きます。

 

 カラフルな紙に包まれた線香が一束¥100でセルフ販売されています。

 

 昨今『セルフ販売』を良い事に『餃子』や『肉』まで窃盗する人が居ますけど、『神仏』はお見通しですから。バチが当たりますよ。

 

 私の車の中には『参拝セット』が常備してありますので『お線香』も自前です。

 

 奮発してお高めの『お線香』ですので良い香りがします。

 

 他には『賽銭用』に『五円玉』が沢山入った小銭入れ。『線香用風防付きターボライター』が入っています。

 

 『高崎』まで『達磨』を求めに行く理由は『開眼(かいげん)』に在ります。

 

 『達磨』なら何処ででも手に入れる事は出来ますが、『達磨開眼』は『少林山・達磨寺』ならでは。境内で達磨を買うと『開運達磨大師』のお札を背中に貼って頂けます。

 

 更には顔の両側に書き入れる文字『商売繁盛』『家内安全』『良縁祈願』『満願成就』などや『達磨の色』なども選べます。

 

 それを『開眼堂』へ持参すると、ご住職が経文を唱えながら『開眼』してくれます。

 

 『開眼』とはご住職が左目中央に墨で点を着けて開眼する事。その後自宅にて自分で目を墨書きします。間違っても『マ〇ックペン』じゃご利益出ませんから。

 

 一応は『寸志奉納』となっていますけど『大人の額』を納めましょう。

 

 で此の辺からカメラのバッテリー切れで写真が一切ありません。

 

 トホホ。

 

万治の石仏

 

 新年最初に訪れたのが『万治の石仏です』

 

 『諏訪大社下社・春宮』から歩いて数分ですので車を『春宮・駐車場』に停めます。

 

 

 『諏訪大社下社・春宮』へ参拝する前に『舐川』の河川敷にある『浮島』を歩きます。

 

 此処は川に囲まれた『中州』なんですけど、橋を渡った瞬間から神聖な場所に足を踏み入れている感がヒシヒシと伝わってきます。

 

 此れが実に心地よい。(逆に嫌な雰囲気を感じる場所は『邪悪』が満ちているかも。『君子危うきに近寄らず』で、何か不穏を感じたらとっとと立ち退きます)

 

 

 松林の中、ゴミ一つ落ちていない手入れの行き届いた参道はとても歩き易い場所です。

 

 もう一度『朱塗りの橋』を渡りまして『舐川』右岸ッ沿いに上流へ。

 

 

 造られたのが『万治』は西暦1658~1661年の極短い間です。

 

 それでも此の『万治の石仏』のお陰で『江戸初期』の年号は良く知られることとなりました。

 

 

 『岡本太郎氏』にして曰く。「これ程面白い芸術は見た事が無い」そうです。

 

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大谷資料館part2

 

 石段を降りていくと、不意に目の前が開けます。

 

 この巨大空間。 思わず声が出てしまいました。「お~ぉ」

 

 

 この雰囲気何処かで感じたような。そうだ『大塚美術館・システーナ礼拝堂(コピー)』だ!

 

 『ローマ法王』が逝去した時、世界中から『枢機卿』が集まり、『バチカン市国・システーナ礼拝堂』に集まり『コンクラーベ(投票)』を行います。全員が中に入ると外から鍵が掛けられ、結果が出るまで外部との接触は一切遮断され手しまいます。中から外に出る手段はありません。夕方までに次期法王が決まらなければ煙突から『黒い煙』が立ち上ります。法王が決定した時は『黄色い煙』を上げ外部から扉が開けられて外に出る事が出来ます。トイレとかは在るんでしょうけど食事とかはどうなんだろう。

 

 『トムハンクス』主演映画『天使と悪魔』に詳しく描かれていますので興味ある方はどうぞ。

 

 『ミケランジェロ』最高の壁画と称賛されている『システーナ礼拝堂』の天井画はきっと見た事ある筈です。

 

 何故『大塚美術館』? 

 

 『元気はつらつ・〇ロナミンC』や日本で一番最初のお茶缶『ジャワティーストレート』を世に送り出した『大塚製薬(製薬会社だったことに改めて驚き)』が開発した『陶板画』の技術の粋を集めた美術館です。

 

 『絵画』の模索と違い原寸大の大きさで再現されている数々の名画が、画家やテーマ毎に展示されています。

 

 有名な絵画の図案を見て知っていても、その大きさまでは掴めません。

 

 驚いたのは『パブロ・ピカソ ゲルニカ』の巨大さです。

 

 本物を見るなら『フランス・ルーブル』や『大英博物館』『アメリカ・メトロポリタン』迄出かけていく事考えたら『大塚美術館』絶対おすすめです。

 

 しかも本物は触れる事どころか撮影も禁止ですけど『大塚美術館』触っても、フラッシュ撮影してもOK! 何時間居ても見飽きないです。(その為館内にレストランが用意されています。チョットお高め)

 

 入館料は美術館としてはお高めの¥3400。 でも一日見ていられるから2時間映画¥1900と比べても『コスパ最高!』(某バンジージャンプ何て¥10000/1分ですもん)

 

 

 『中島〇ゆき』さんが紅白で歌った場所だそうです。

 

 

 更には『光と水のオブジェ』があったり

 

 

 映画のロケに使われたり。

 

 でも実はそれだけではなく

 

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大谷資料館

 

 ♬ 風の中の昴~ 砂の中の銀河~

 

 と『中島みゆきさん』が年末の紅白歌合戦で歌った事で有名になりました。

 

 『大谷石』と云われてもピンときませんが、住宅の周囲を取り囲む石垣などに使われるざらざらした感じの石。

 

 以前は平べったいブロック状に切り出した『大谷石』を積み重ね、セメントで接着しただけですが、東北大地震の際に倒れ、道路を塞いでしまう案件が多発してしまいました。

 

 現在は倒壊防止の工夫がされているのだと思いますが。

 

 

 カーナビに従い駐車場に車を滑り込ませると、夕暮れ間近だと云うのに結構車が停まっていました。

 

 

 受付までの通路沿いに大きな『大谷石』が聳えています。

 

 地上でこの高さ。さらに地下にはどれ位埋蔵している事やら。

 

 

 料金大人¥800を払い中に入ると展示室になっています。 

 

 この一見つまらないような空間って、実は計算されて造られているんだそうです。

 

 時間が無い人はパッと見てサッサと素通り。余裕と興味のある人はじっくり見学できるようになっていて、混雑の緩和や団体さんをばらけさせるのに有効だとか。

 

 落語の寄席では、トリを務めるのは実力のある真打。夕方から始まる夜の部で、たっぷり落語を堪能しているといつの間にか終電間近かなんて事もあります。

 

 寄席では普通下足係がいます。靴を脱いで下足札を貰い、帰る時に札と交換に自分の靴を出して貰います。

 

 観客が一斉に『オチ』を聞いて立ち上がると下足係がてんてこ舞い。そこで大看板を務める落語家さんは『オチ』の後もダラダラとつまらない話を続けるそうです。

 

 『オチ』を聞いて時間の無い人はもう充分と席を立ちます。まだ話を聞きたい人は師匠のつまらない世間話などに付き合うそうです。

 

 更には「私、最近都都逸を覚えまして………」なんてワザと下手な都都逸などを披露するそうで、下手くそな都都逸に呆れて帰る人も居れば最後まで付き合う人も居るとか。

 

 これ、落語家さんが下足番が困らない様にお客さんを帰す為の技で『三段帰し』と云うそうです。

 

 『大谷資料館』は通路が狭く人一人がやっと通れる様な所も在ります。一遍に大勢が入れないように展示場が良いされていて、この場合『三段入場?』とでも云うんでしょうか。

 

 

 薄明りに中を地下に向かって階段を降りて行きます。

 

 う~ん『ピラミッド』みたい。(行った事無いけど)

 

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二荒山神社・最終回

 

 日本に仏教が公伝したのが6世紀半ばとされています。

 

 その後『聖武天皇』が遣唐使を発見し大陸の文化・宗教(仏教)などを正式に取り入れます。

 

 天平時代になると『勝道上人』により『二荒山(男体山)』は修験の場として開山され『四本龍寺』が建設されました。奈良時代には『天台宗・輪王寺』が建設されます。

 

 『源頼朝』の寄進なども在り『関東一の霊場』として栄華を極めた日光は寺町として発展していきます。

 

 日本は『神道』の国でしたが『仏教』伝来以降、二つが融合していき『神仏習合』と云う考え方が庶民に迄浸透していきます。そして『神道』の神々は『仏』が変化したと考える『本地垂迹』が流行します。

 

 時は流れて江戸時代初期。日本を平定し徳川幕府を開いた初代将軍『家光公』は『軍神=東照』と崇められます。

 

 『家康公』亡き後、遺言に従い遺骨を『久能山』の『霊廟』に収めましたが、江戸城の『鬼門』の方角を護る意味で『日光』に『宝塔=霊廟』が造られ移されます。

 

 『二代目将軍・秀忠』の命を受け『久能山東照宮』が建設されます。

 

 しかし『遺骨』を日光に移したので『秀忠』『三代将軍・家光』により、莫大な経費が投入されて『日光・東照宮』が建設され、『神社』として発展します。

 

 『家光公』亡き後は遺骨を『輪王寺・大猷院霊廟』に祀ったりと『徳川家』と縁の深い地域ですが、明治政府発令の『神仏分離令』により『神社』と『寺院』を区別しなければならなくなりましたが、余りにも密接な『日光』は『二社一寺』(輪王寺・二荒山神社・東照宮)と総称して分離令を逃れています。

 

 現在は『世界文化遺産』にも登録され『修学旅行』や『ツアー』の他にも、広く世界中から『日光』を目指して人々が訪れています。 

 

 

 『神橋』『輪王寺』から始まり『東照宮』『二荒山神社』と廻りましたが、『二荒山神社・神苑』で疲れてしまい『輪王寺・大猷院』は又何時かにしときます。(そうすれば又来たくなるもんね)

 

 

 多分一番荒らされていないであろう『輪王寺本坊』は立ち入り禁止。

 

 庭の一部の苔が拝める位です。

 

 

 そして『旧日光街道』の石畳を歩いて下ると『長さか滝』の石標。

 

 此の石段脇の落差が滝………ですかね?(悪く云っちゃえばU字溝)

 

 『日光・二社一時』を訪れる時、車やバスを利用すると『東照宮』隣接の大駐車場がスタート地点になってしまいます。

 

 お勧めは『上鉢石市営駐車場』しかも無料! 只地元民の駐車が多いのが難点。

 

 

 11月初旬。日光は確実に秋の気配です。

 

二荒山神社・part7

 

 『日光』の語源となった『二荒山・ふたらさん』は『男体山』の事です。

 

 なかなか『二荒山山頂・奥之院』へは行けないので『遥拝所』を探して『二荒山神社』の拝観エリア(有料)へ入りました。

 

 石畳沿いに進めば『神輿舎』の次に見えてくるのが『大黒殿』です。

 

 

 『本地垂迹・ほんちすいじゃく』の観点より『神道の神々は仏様の化身だった』と考えられるようになり『神仏習合』が起こります。

 

 『大国主命』=『大黒天』の考えもその一つです。

 

 『七福神』にも数えられる『大黒天』ですが本来は『ヒンドゥー教』の神様です。

 

 因みに『七福神』の中で国産の神様は『恵比寿』だけって知ってました?

 

 

 さて『大黒殿』に入ろうとしたその時。角に立つ厳つい目つきの石像が目に付きました。

 

 『大国田道間守・おおくにたじまもり』

 

 『菓子』を製造販売する者にとってとても有難い神様が『田道間守』

 

 『垂仁天皇』が『田道間守』に命じて『常世の国』から持ち帰り献上したのが『非時香菓・ときじくのかくのみ(橘の実)』で、菓子の元祖と云われています。

 

 で手に持っているのが『非時香菓(橘の実)』 柑橘類の一種です。

 

 (そう云えば婆ちゃん、『果物』の事を『水菓子』といってたなぁ。)

 

 足元に小さいながら賽銭箱が在りましたのでお賽銭を入れまして。

 

 「美味しいお菓子を造って食べた人が喜んでくれます様に。商売繁盛します様に。」

 

 滅多に願掛けはしないんですけど此処ぞとばかりに両手を合わせます。

 

 

 でもそんなにしかめっ面しなくても良くない?

 

 

 『大黒殿』ですから祀られているのは『大黒様』

 

 でもイメージと違うんですけど。一応『小槌』も在りましたけどこのご時世、触りたくないし………。

 

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二荒山神社・part6

 

 『朋友神社・みともじんじゃ』 朋友とはマブダチの事。

 

 『大国主命』のマブダチの『少彦名命・スクナヒコナのミコト』を祀る神社です。

 

 実は『少彦名命』は『天照大神』率いる『天の神』の子孫であり、『須佐之男命』(天照大神の弟)の子孫『大国主命』(芦原中国の神)と共に諸国漫遊し国造りに尽力した農業の神様です。

 

 そして『大和の国』が出来あがると人知れず天に帰って行ったとか。

 

 

 

 でも何でカエル? しかもふてぶてしい態度。

 

 

 『弁天様』が在れば

 

 

 やっぱり在りました『銭洗い』

 

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二荒山神社・part5

 

 庭の奥の方には『霊泉』が在ります。(並びのカフェが写らない様にアングル取ってます)

 

 

 『京都・清水寺』の『音羽の滝』宜しく三筋の水が流れ落ちています。

 

 

 目に不安が在りますので、両手を洗ってそっと瞼を濡らしてみました。

 

 それにしても………。

 

 

 更に裏手には『日光連山』を模した散策道が在り、『神苑』を成しています。

 

 此処を参拝し歩くだけで『二荒山神社奥宮(男体山)』を参拝した事に成ります。

 

 『遥拝所』とは読んで字のごとく『遠くから拝む』の意味で、『奥宮』まで行けない人の為に此処で拝んでくれれば良いですよ。の『拝殿』若しくは『神域』です。

 

 御朱印コンプリートの方は拝観料徴収所で頂けます(有料)

 

 

 木製だから割れる事は無いでしょうけど『かわらけ投げ』の一種みたいです。

 

 似たようなので、ミニチュアの『破魔矢』を投げる処も在りますが罰当たりな気がするんですけど。

 

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二荒山神社・part4

 

 11月ともなれば大分山間では紅葉が色付き始めます。

 

 

 本殿の裏山に『鈴緒』が見えます。

 

 何だろうと思ったら確かめなきゃ。

 

 

 本殿を後ろから見下ろせる位置に『鈴』と『賽銭箱』

 

 『心願成就』と書かれています。

 

 此処はやっぱり『プー〇ンの暴挙が終結します様に』

 

 

 山肌に沿って沢山の石像などが並んでおり、その一つが『なにくそ石』

 

 見方によっては『亀』だったり『顔』に見えたり。

 

 そして沢山の石像の傍らには『お賽銭箱』

 

 何だか小銭がドンドン減っていく。

 

 

 至る所に掲げられたテーマが『良縁』とか『縁結び』

 

 そして至る所に『賽銭箱』

 

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二荒山神社part3

 

 参道を進んで来て、正面の拝殿迄は誰でも参拝出来ますが、『本殿』や『神苑』と呼ばれる泉に行く為には、拝観料が必要になります。

 

 『東照宮』が余りにも『金襴豪華』だったので、朱塗りの垣根が目に優しく感じます。

 

 

 神社で拝観料はあまり聞かないなぁと反発心ムラムラと感じましたが、逆に料金を払ってでも観ておきたいモノが在るのかも。と大人¥300を支払いまして本殿の在る庭へ。

 

 

 あっ。狛犬までは無料エリアです。

 

 コロナ過の為、触れる事は無かったですが。

 

 

 最初に目についたのが『日枝神社』 

 

 『東京・赤坂』の『日枝神社』がつとに有名ですが、元々は『川越』に在った神社。

 

 『皇居』と縁が強かった為に、『家康』の時代に勧進したそうです。

 

 『二荒山神社』には摂社として祀られていました。

 

 

 本殿脇に一本の桜。

 

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二荒山神社part2

 

 鳥居を潜って参道を進むと。

 

 『結び大黒』ですと。 

 

 普通、『大黒様』は米俵の上に立っています(罰当たり!)が、この『大黒様』米俵に座っています。(それもどうかなァ)

 

 『水戸の黄門様』が農家で水を所望した際、米俵に腰を下ろして農家の婆ちゃんに箒で叩かれたそうです。(TVドラマです)

 

 大黒様なら許される………訳無い!

 

 

 注連縄が巻かれていますので『御神木』です。

 

 『杉』の大木に『楢』が『宿り木』(寄生)しているから『縁結び』ですと。

 

 

 幹は杉ですが、葉っぱは広葉樹。不思議~。

 

 

 金色のウサギ。

 

 まさかしっぽがギザギザで『ピカ〇ュウ』なんて鳴き声じゃ無いよね。(あれはネズミか)

 

 イヤイヤ。『大黒様=大国主』の本拠地『出雲大社』にも『金色のウサギ』は無かったぞ。

 

 ウサギが手にしている黒くて丸い物。

 

 何故だか『ウサギ』は、時に自分のウ〇チを食べるという事を思い出してしまいました。しかも草食動物のウ〇チは丸い。

 

 しかも『金運』ですと。 う~ん 次行きます。

 

二荒山神社

 

 『二荒山・ふたらさん』は『男体山』の別名で在り、『勝道上人』により修験の山として開かれました。 『二荒』=『日光』の語源とされています。

 

 『勝道上人開祖』ですから、仏教的意味合いが強いので『日光山・輪王寺』というお寺も存在します。

 

 『日光・東照宮』『二荒山神社』『日光山・輪王寺』を併せて、このエリアを『日光・二社一寺』と総称し『ユネスコ世界遺産登録』されています。

 

 『東照宮』は『家康公』をお祀りする神社。『二荒山神社』は『男体山」を御神体とする山岳信仰。『二荒山神社』『輪王寺・大猷院」は『家光公』の『廟所』が在ります。

 

 だから其処もかしこも『三つ葉葵』 

 

 

 人の流れに付いて行きますと、『二荒山神社』の鳥居と『家光公霊廟』の案内が見えます。此処でも『鳥居』と『山門』かぁ。

 

 

 その広さ。3400ha! 1haが 100m×100m だから それが3400。

 

 と云った処でピンと来ないですけど。

 

 

 日光の街中から歩いて来ると『神橋』を渡りますが、『神橋』二荒山神社』の参道にあたります。そして『旧日光街道』

 

 続きは次回です。

 

日光・東照宮・薬師堂

 

 一端『陽明門』を出まして『薬師堂』へと向かいます。

 

 拝観料は『東照宮』と込みの料金です。

 

 因みに『薬師堂』正式には『日光山・輪王寺・薬師堂』 お寺です。

 

 『東照宮』は『神社』 ホントややこしい。

 

 

 青銅の『廻し車』が在りますけど柵が在り触れる事は出来ません。

 

 

 で又靴を脱いで薬師堂に上がりますと………撮影禁止ゾーンです。

 

 『袈裟』を着た『お坊さん』が30人位づつをまとめて案内してくれます。

 

 『鳴き龍』で有名な広間が在り、『拍子木』を叩きながら歩いて「ここでは鳴きません。この位置で叩くと龍の鳴き声の様に響きます。そしてこの位置まで来るともう鳴きません。」 余りに手慣れた説明にゆっくり反響を聞く暇もなくハイ次の人。

 

 そりゃ修学旅行生を始め、一日に何十回と同じ事を繰り返すんですから、説明する方もゆっくり時間を掛けていられないのは解りますけど………。

 

 待ち時間5分。『鳴き龍の間』1分。まぁしょうが無いですけど。

 

 『鳴き砂海岸』にしろ『鶯張の廊下』にしろ、ゆっくり確認出来た試しが無いような。

 

 聴力の低下を感じる今日この頃。

 

 

 いったい『東照宮』には『三つ葉葵の紋』が幾つあるのだろう?

 

 案外『隠れ〇ッキー』みたいな一見では気が付かない仕組みもあったりして。

 

日光・東照宮part8

 

 長い石段を上ったら、下らなければ戻れない。

 

 実は足腰がこたえるのは下り坂なんです。(若い時には分からないんだな此れが)

 

 順風漫歩に歩んでいても、何時しか下がる時が来るかもしれません。其の時に『耐える=堪える』余力を残しておかないとね。

 

 

 『奥宮』からの下りで『御本院』の大屋根を見ていてフト違和感。

 

 写真の右手が『奥宮=霊廟』の方向で、立っている樹から延びる枝が、奥宮側にしか無い様に見えません?

 

 人為的によるモノか、自然現象なのか解りませんけど。

 

 

 『坂下門』の屋根が見えて来ました。

 

 

 『坂下門』は白を基調とした門です。『天井画』が描かれえている処は『仏教建築』みたい。

 

 門を潜った先の『瑞垣』の『鴨居』に彫られているのが『本院側=眠り猫』 では坂下門側は? 此れから潜ります。

 

 

 『猫が眠っているので雀があそんでいる』と云われています。

 

 いや『雀』は羽ばたいているぞ。 地表で遊んでいるなら羽を閉じている筈。

 

 なんて『不謹慎』な事を考えながら潜り抜けました。

 

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日光・東照宮part7

 

 『日光東照宮』の『霊廟』です。

 

 『お墓』と云わないのは『仏教様式』では無く、『神道』の先祖の霊を敬う場所=『御霊屋』(建築物の扱い)だからです。

 

 

 上の写真は『久能山・東照宮』の霊廟です。

 

 よくよく比べてみると細部が違いますがほぼ同じ形。

 

 この中に『家康公の遺骨』が納められています。

 

 火葬の歴史は古く、仏教の伝来した7世紀頃には高貴な人は火葬されたそうです。

 

 江戸時代になると、庶民は『土葬』、皇族など特権階級は『火葬』が主流となって行きます。墓地に埋められた遺体から『リン』が発生し、酸素に触れて発火、青白い『人魂』が見られたそうです。

 

 現在の日本では、法律で『火葬』しなければなりません。

 

 病院以外で亡くなると、警察の調査。医師による死亡診断。行政に死亡届提出。行政に火葬許可証発行請求。火葬場で火葬。と許可証やらの手続きが結構大変です。

 

 頼みもしないのに『葬儀社』が通夜前に来るのは何故?どこから情報が………

 

 

 ふと傍らを見ると行列が。『叶杉』ですと。

 

 何でも東照宮建設当初には『叶杉』が在ったとか。だとすれば樹齢400年以上。

 

 

 洞に願うと叶うから『叶杉』 家康公の霊廟の脇なのに自分の願いを込めるのね。

 

 私も並びました。

 

 『すぐさまロシアのウクライナ侵攻が終結し、〇ーチンがこの世からいなくなります様に』

 

 この際『商売繁盛の願掛け』は止めときましょ。

 

 

 『久能山東照宮』で聞いてみた事が在ります。

 

 「家康公の遺骨はどちらの霊廟に在るの?」

 

 答えは「久能山に在るのか日光に在るのか。又は分骨されているのか400年間、一度も開けられていませんので誰も知りません。」

 

 と云う事にしときますか。

 

日光・東照宮part6

 

 『家康』亡き後も暫くは死亡した事を伏せていました。

 

 『家康』の亡骸は、かねてより遺言に在った『久能山』の『霊廟』に最初は葬られていましたが、その後『日光』に移されます。

 

 『江戸城』の鬼門の方角にある『日光・東照宮』に『軍神・家康』を祀る事により、江戸を風水的に守ろうとしたからです。

 

 

 『陽明門』から続く『瑞垣』に在るのが『眠り猫』 この下を潜ると『坂下門』へ出ます。

 

 この門から『奥之院』へと石段を上ります。

 

 絢爛豪華な『東照宮』とはガラリと空気感が変わり、墓地としての『聖域』を感じます。

 

 そして途中に

 

 

 『東照公御遺訓』

 

 人の一生は重荷を負て遠き道をゆくか如し いそくへからず 不自由を常と思へばふそく無し こころに望み起こらば困窮したる時を思ひ出すヘし 堪忍ハ無事長久の基 いかりハ敵と思ヘ 勝事はかり知りて負くる事志らされハ害其身にいたる お乃れを責て人をせむるな 及ばざるハ過ぎたるよりまされり 慶長九年卯月家康

 

(人の一生は重い荷物を背負って遠い道をゆくようなものである。急いではならない。不自由を常と思えば不足もない。心に望みが起きれば困窮した時を思い出せ。堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え。勝つことばかり知り、負けることを知らなければ害がその身にいたる。おのれを責めて人をせめるな。及ばざるは過ぎたるよりまさる。)

 

 冒頭 『人の一生は 重荷を背負いて 遠い道を行くが如し」 と

 管末 『及ばざるは 過ぎたるより 勝る』 が良く知られていますね。

 

 ホントは 『過ぎたるは 及ばざるがごとし』と勘違いしてました。

 

 

 『家康公』は『東照公』と云う神に成りましたので『東照大権現』

 

 入り口は『鳥居』です。

 

 長~い石段を上りながら思いました。(前の人。遅いなぁ。避けてくんないかな)

 

 

 『神社』ですから『拝殿』が在ります。

 

 先ずは参拝です。

 

 通路に従い迂回しますと

 

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日光・東照宮part5

 

 『陽明門』を真っ直ぐ進むと『唐門』に突き当たります。

 

 特別階級の人だけが通れる特別な門です。パンピーは迂回。

 

 

 柱の『昇り龍・下り龍』の他、『木鼻』部分には『花』が彫られています。(じゃ『木花』で良いじゃん)

 

 漆喰に施されている『梅』は『鏝絵』でしょうか。

 

 更に『鴨居』の上の彫刻。被っている帽子が『大陸系仏教』の様に思えるのは私だけ?

 

 『上海』の寺院で観た彫刻によく似ています。

 

 もし此処が只のお寺だったら『廃仏毀釈』で壊されていたかも知れなかったです。

 

 敦煌の洞窟仏を破壊した『タリバン』、貴方達は決して償う事の出来ない過ちを犯しました。そして『プー〇ン』、世界がお前を許さない。さっさと野垂れ〇ね!

 

 

 唐門側から見た『陽明門』は只々豪華絢爛過ぎちゃって………

 

 組木に施された装飾の細かさ。一階部分鴨居の『獅子』、二階部分の『龍』と蹄と角を持った………『麒麟』(伝説の動物。あっ龍もだ)か!

 

 唐破風の大屋根に載る『鬼瓦』も勿論『金』 

 

 落っこちてたら絶対拾うな。(拾得物横領は犯罪です)

 

 昇降口から先は撮影禁止ゾーンです。なのに写真を上げている人が居たりして?

 

 『御本社』と呼ばれる建物は寺院で云う処の『本堂』にあたります。

 

 『須弥壇』の中には『家康公位牌』が納められています。が写真等の資料が無いから良く思い出せない。かなり待たされ、50人位づつが女性の案内で進みます。大きな賽銭箱前で合掌した後、一段下がった『家康公須弥壇前の間』を通り通り抜けた先が『お守り・御札領布所』 「此処でしか買えません」と書かれた文字に引いちゃった。(結局何も頂きませんでした)

 

 東照宮のメインな筈なのに何か疲れた。

 

 で『眠り猫』の待つ『坂下門』から裏手の山中へ。

 

 

 鴨居の素朴な彫刻、迷路かと思って視線で追っちゃいました。

 

 ラーメンどんぶりに無かったっけ?こんなの。

 

 『眠り猫』と云うけど、猫はこんな格好で寝ないですよね。

 

 猫が寝る時は前足を内側に折り曲げます。(甘いね『甚五郎君』)

 

 一説には下を通るネズミを狙っているそうですけど。

 

日光・東照宮part4

 

 中鳥居を潜って石段の手前には、右側に『鐘楼』左側に『鼓楼』が建っています。

 

 一見してその建物の中に『鐘』や『太鼓』が在るとは解りません。

 

 『鐘楼』は『除夜の鐘』などに使われる『仏教』由来のものですし、『太鼓』は神事に使われる『神道』由来です。

 

 仏教が伝来(遣唐使として)してから900年後の江戸時代初頭、『家康』の亡骸を納めるべく建設された『日光・東照宮』には不思議がいっぱいです。

 

 

 まさか『国家安康』とは刻まれて無いですよね。

 

 『京都・方広寺』の鐘に難癖をつけ、挙句『秀吉』が滅んだ原因です。

 

 

 石段を上ると余りに有名な『陽明門』 その煌びやかさに目を奪われますが要は『随身門』です。

 

 『左大臣・右大臣』が『弓と刀』を携えて『悪しきモノ・邪悪』などの進入に目を光らせています。

 

 私も通れましたんで、心清き者って事で………。(拝観料を支払えば誰でもが通れるんですけど)

 

 

 ついつい『陽明門』ばかりに目が行ってしまい、左右に続く『瑞牆』がおろそかにされがちですが、岩絵の具?で松葉の一本一本にまで施された彩色や、孔雀の羽の緻密さ。

 

 『陽明門』は金箔を何枚張り付けたとか、金に換算して何㎏(何t?)とか云われてますけど、瑠璃色の岩絵の具って何から造ったんだろう?

 

 この垣根の一番端を左に曲がると『家康公霊廟』への石段入口ある『眠り猫』が鴨居に彫られています。

 

 

 『陽明門・左大臣』と反対側の『金獅子』

 

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日光・東照宮part3

 

 『三猿』で有名な『神馬舎』は、『中鳥居』の立つ中庭に在ります。

 

 『上神庫』と呼ばれる倉庫には、『象』の彫刻が施されていますが、この時代にはまだ象は伝来していません。像の実物を見た彫刻師はいなかった為に、絵や人づての話を聞いて想像で彫ったとされています。(だからデフォルメされているのか。)

 

 

 『陽明門』の撮影ポイントにもなる中庭には団体撮影用の長いすが並び、修学旅行生の撮影待ちが続いていました。交代のタイミングを狙って。

 

 

 『手水舎』はコロナ対策の為に立ち入り禁止。

 

 

 なるべく人が写り込まない様に撮影していますが、流石に無理!

 

 

 『中鳥居』から『陽明門』

 

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日光・東照宮part2

 

 『五重塔』から先は『拝観料』が必要です。

 

 『表門』下の石段脇に『チケット販売ブース』のごとく『チケット自販機』が並んでいます。

 

 私の前が『中〇人グループ』で自販機の前で「%$#”&’#”<」と喋っているばかりで買い方が解らないのかな?

 

 たまたま隣の列が空いたので、中国人の肩を叩いて「こうやって買うんだよ。べらんめぃ」とばかりに1000札を入れ、ボタンを押して『チケット』とお釣りを取り出すと「&%$#”!”#’」  その言葉と表情は間違っても「謝謝」じゃ無かった。

 

 

 石段を上りながらふと思い出した。

 

 「人生とは 重荷を背負いて 坂道を行くがごとし 焦るべからず」

 

 

 『表門』手前に『もぎり』(今でも、もぎりって云うのかな)の方が待機。

 

 チケットの半券部分を、果物なんぞを『もぎり取る』様にちぎるから『もぎり?』

 

 チケットの不正使用を監視する為に考え出された方法ですけど、将来必ず『電子決済』に成るんだろうな。

 

 先日も久方ぶりにスマホ『suica』で改札を通ろうとしたら、いきなり赤いランプが点灯。三年近く使っていなかったから? ただ単にスマホの表裏を間違えただけでした。いや~恥ずかしいの何の。

 

 

 参道を進むと左手に見えてくるのが『左甚五郎』の『三猿』で有名な『神馬舎』です。

 

 早い話が『馬小屋』の欄間部分の彫刻に『猿の一生』が彫り込まれていて、幼年期に当たる三匹の子猿がいわゆる『見ざる・聞かざる・云わざる』

 

 此れは『人の悪い所は見ない・悪口を云わない・悪い評判を聞かない』だそうです。

 

 私は『秩父(知知夫)神社』の『元気三猿』『物事をよく見て・火との意見をよく聞いて・自分の意見を述べる』の方が好きかも。

 

 

 『神馬舎』だから当然以前は馬を飼っていた筈です。

 

 現在でも『白馬』を飼っている神社が存在しますが(塩竃神社)、中には『白馬の人形』を置いている処も見受けられます。その内ロボットになったりして。

 

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日光・東照宮

 

 神社仏閣の参道。色々なパターンが在ります。

 

 『出雲大社』は緩やかに下りますし、『久能山・東照宮』は急な石段を1159段も登ります。(金毘羅さんよりキツイ)

 

 白い玉砂利の続く『神宮』や広い『石畳』の参道など、実に様々。

 

 『日光東照宮』表参道も太い杉木立に挟まれた広い参道を緩々と上って行きます。

 

 右は苔むした『輪王寺』の石垣が続き、左側に杉並木。

 

 細かな砂利が敷き詰められていて歩くのに気持ち良い参道です。

 

 

 神社参道の真ん中は、神様の通る道とされています。

 

 けど皆さんスマホ・カメラ片手に真ん中を陣取って………私もその一人か。

 

 

 金色に輝く『三つ葉葵』 『徳川』を感じますね。

 

 因みに『東照宮』は『日光』『久能山』のみならず他にも存在します。

 

 『徳川家康』を神格化し主神に祀っている神社が『東照宮』です。

 

 本来は『徳川家康公』の遺骨を埋葬した『霊廟』なんですけどね。

 

 

 イザ『鳥居』を潜ろうとしたら黄色い帽子の一団が駆けだしてきました。

 

 修学旅行の小学生かな。

 

 コロナでろくな行事も出来なかったんだろうから楽しんでってね。

 

 と思っていたら、境内黄色い帽子ばかり。

 

 しかも引率の先生が声を張り上げているから、静かに拝観は出来そうもない。トホホ。

 

 

 『東照宮境内』には『五重塔』が建っています。

 

 神社でありながら『多重の塔』が建っているのは日本で7カ所と云われています。

 

 実は『佐久市・新海三社神社』にも在るんです。

 

 お近くをお通りの際は是非寄って行ってね。

 

勝道上人

 

 そもそも『日光』の『男体山=二荒山』を修行の場所として開山したのが『勝道上人』で今から1250年以上も前(奈良時代?)の話です。

 

 『聖武天皇』(神道)の令により遣唐使を派遣し、外国(中国)文化を取り入れようとしていた頃、『最澄・空海』らによって日本仏教の基礎も中国経由で日本に広まります。

 

 仏教以外でも厳しい自然環境に身を投じ『山岳信仰』などを通じて『滝行』や『登山』などの厳しい修行をしてきた『行者』『修験者』などが現れます。

 

 『日光・二荒山』に修行の場を求め『開山』した方が『勝道上人』と云われています。

 

 混乱してきちゃいますが『上人』とは仏教で位の高い僧侶の事です。

 

 『中善寺』や『輪王寺』の建立に携わったとされていますが『二荒神社』にも関わっています。

 

 『神仏習合』の時代はそれで良かったのかな。

 

 

 此処も旧日光街道沿いです。良かった他にも観光客が居て。

 

 

 世界遺産に登録された『日光二社一寺』は『日光東照宮』『日光二荒神社』『輪王寺』の3つですが、そもそも『日光・東照宮』って『徳川家康』のお墓(仏教)として建てられたんじゃなかったっけ? まぁ後に神格化され、神として『神社』に祀られたんですけど。

 

 

 『輪王寺』まで来ると大型バスがバンバンやって来て修学旅行の団体であっという間に人だらけ。良かった先にトイレ行っといて。あっという間に長蛇の列だもん。

 

 

 『三仏堂』は撮影禁止ですのでトラブルを避ける為にバックにカメラをしまいます。故に写真無しです。

 

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世界遺産・日光の社寺

 

 日光の第一歩『神橋』は渡って通り抜けが出来ませんので、戻って歩道を歩き『神橋交差点』で横断歩道を渡ります。

 

 『東照宮表参道』は此処から50m程左手にその入り口が在りますが、今回は『開運の鳥居』を潜りたくて直進します。

 

 観光バス・自家用車だと『東照宮』直下の駐車場に誘導されてしまいますので、『神橋』付近の観光スポットは省略されてしまうケースが多いんです。

 

 『東武日光駅』からバスに頼らず歩くか、車の方は『市営上鉢石駐車場』を利用するのが便利です。

 

 

 『東照宮』への近道はこの石碑から真っ直ぐ石段を上って行きますが、今回は『開運の鳥居』を潜りたいので

 

 

 『二荒山神社・別院』への参道を進みます。

 

 

 余りこの参道を選ぶ人はいないのか、何だかうらぶれた感じ。

 

 『開運の石鳥居』と案内が在ったけど、日当たりの具合なのか、放置された落ち葉なのかイマイチなパワースポットと感じてしまいました。

 

 

 11月初頭。平日の午前中な為か、歩いて東照宮表参道以外を選ぶ人は少ないのか、散策路には誰も居ません。てかチョット不安になって来た。

 

 ひょっとして、まさかの『東照宮、定休日?』(神社仏閣である訳無いとは解っちゃいるけど)

 

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日光・神橋

 

 『日光』は『東照宮』をはじめとして見るべき所が沢山あり過ぎて、とても日帰りじゃ足りません。かと言って『お泊り』する程の時間とお金に余裕が無いですし………

 

 今回は『東照宮周辺』に絞ってみました。

 

 『大谷川』沿いの無料駐車場を利用しますが、観光目的より地元関係の車両でほぼほぼ満車です。

 

 運良く一台分のスペースが空いていましたので滑り込みセーフ。

 

 『観光用駐車場』に地元ナンバー(栃木)がズラリ。中には店名の書かれた車両迄ある始末。そりゃ『栃木ナンバー・エリア』から観光に来てるのかも知れませんが、如何にも商売関係の車で、1日中停めっぱなしじゃないのか?

 

 『東照宮』周辺を半日かけて観光した後、駐車場の車はほとんど入れ替わっていないみたい。それで良いのか『日光の観光関係者?』

 

 従業員専用駐車場の無いスーパーなどでは、一番入り口から遠いスぺ―スを従業員が使っています。それがサービスで在り当たり前。

 

 因みに店舗名の書かれた車、結構有名な土産物店の車でした。絶対に買わん! 

 

 

 ぱっと見『双葉山』(力士じゃないての)と読めましたが『二荒山神橋』

 

 国道が通る前の正式な日光街道がこの橋を渡っていました。

 

 橋を渡るのにも入場料がかかります。文化財保護と考えればね。

 

 

 受付で¥300/大人を支払い鳥居を潜ります。

 

 

 朱塗りの欄干は保護の為触れる事は出来ません。

 

 『大谷河』の清流に掛かる橋の起源は古く、石製橋脚を持つ『はね橋』形式では日本一古いとされています。

 

 

 『橋姫明神』と、対岸の『深沙大王』で男女一対の『橋の守護神』となっている事から『良縁の橋渡し』の意味合いが在ります。

 

 カップルで渡ると結婚に繋がるとか。

 

 この橋の上で結婚式を挙げるカップルも居るそうです。

 

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草木湖

 

 『群馬県・桐生市』と『栃木県・日光』を結ぶ国道122号線。

 

 新緑の頃や紅葉シーズンになると走りたくなる道です。

 

 今回は『日光・東照宮』を訪れる為、紅葉シーズンを選びました。

 

 正直な処、『長野県・佐久市』から『日光・東照宮』をカーナビに入力すれば、全線高速道路を指示するでしょう。

 

 でも『内山峠』~『高崎』~『伊勢崎』~『桐生』~国道122号線を走れば時間にして約4時間弱。高速道路で休憩含めて3時間の事を考えれば全然下道(一般道)でOKです。

 

 日本の高速道路は高すぎる。(free wayじゃ無くてhigh wayは料金の事か)

 

 

 『わたらせ渓谷鉄道』と併走しながら『草木湖』へ。

 

 お目当ての『富弘美術館』は開館迄まだ1時間半も在るから、湖畔を散策して時間調整です。

 

 『星野富弘さん』は不慮の事故に遭い、手足がマヒ状態に陥ってしまいましたが、唯一動く口に絵筆を咥え、画家として数々の作品を残します。

 

 小学校で絵葉書の販売会が在り、その存在を初めて知りました。

 

 その作風の柔和さや優しさに一目ぼれし、小遣いで数枚購入した記憶が在りますがハテその後どうしたのか思い出せない?

 

 写真ありませんので『星野富弘』さんで検索してみてください。

 

 

 絵葉書の様に美しい紅葉と湖の蒼さに癒されます。

 

 

 入り口のオブジェが気になったので

 

 

 『そら豆』でした。

 

 上の横棒は地面を表しているそうです。

 

 う~ん近代芸術は良く解らない………

 

牛久

 

 昔、茨城の高速道路を走っていて「なんじゃ、ありゃ?」と思ったのが建設途中の『牛久大仏』でした。

 

 『立川志の輔』さんの新作落語『身代わりポンタ』じゃ無いですけど、流石に下の台座から始まり上へ上へと積み重なっていきます。

 

 建設途中の足場を見た時、こんな田舎(失礼)に何が建つ?と思っていました。

 

 ひょっとして『ロケットセンター』なら嬉しいとか勝手に思ってましたけど完成したのは巨大な『大仏立像』

 

 それも近くに比例対象する建設物が無いから、大きいのか小さいのか一目ではピンときませんでした。

 

 

 『浄土真宗・東本願寺派・本山東本願寺』 

 

 浄土真宗はご存じ『親鸞』開祖の『京都・東本願寺』を総本山とするお寺です。

 

 罪人だろうが高貴な人だろうが、異宗派だろうが(宇宙人だろうが?)『南無阿弥陀仏』を唱えれば『仏様』が導いてくれると考える宗派です。

 

 『南無阿弥陀仏』略して「ナンマイダ」でも良しとされていますし、小さな子供なんぞは「なむ~」でもOKです。

 

 

 拝観料¥800を払い庭園内へ。近づくとその巨大さが伝わってきます。

 

 

 正面の門2階部分には『阿弥陀三尊像』でしょうかガラス越しに祀られています。

 

 『門』と云っても現代風な建物で『山門』のイメージからは程遠い感じです。

 

 

 『日本一高い大仏』の前には『日本一の大香炉』 

 

 まぁ謳ってるって事は根拠が在るんでしょう。

 

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土浦散策

 

 土浦うぃ訪れたのは11月5日。

 

 『日本三大花火大会』のひとつに数えられる『土浦全国花火競技大会』の桟敷席招待券が手に入ったので、急遽店は閉店(仕事なんかしてる場合か!)一路『土浦』へとやって来ました。

 

 ホテルチェックインまで時間が早かったので土浦市内を散策。

 

 『亀城跡』やら市内をブラブラと歩いていると、いやぁ『土浦』面白いじゃん。

 

 

 レンガ造りの『藏』(倉庫っちゃ倉庫なんですけど、どう見ても『藏』)

 

 壁面にに入った亀裂と補修跡を見るに、蔵に施した只の模様では無く、しっかりレンガが積み上げられているみたい。

 

 2019/3/11の大震災ではかなり揺れたろうに、堂々とした姿です。(もしかして亀裂は其の時?)

 

 

 時代を感じさせる有名な天ぷら屋さん『ほたて』には店の外にもズラリと行列です。

 

 全国から人が集まる花火大会が在る日ですから、特に今日は混んでいるみたいです。

 

 コンビニでおにぎり買おうっと。

 

 

 『街をきれいにしましょう』 『世界を平和にしましょう』

 

 

 真っ白な漆喰の『倉庫カフェ』はお寺の参道から入れます。

 

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亀城公園

 

 今回は新作花火コンテストが行われる『土浦全国花火競技会』

 

 日本三大花火大会に数えられる花火大会です。 では新章スタートです。

 

 佐久から高速道路を乗り継いで『土浦』まで行けますが、ナント無駄な距離を走る事でしょう。

 

 『佐久IC』から『下仁田IC』まで行くのでさえ大廻りと感じていますので何時も『内山峠超』です。

 

 更にナビに従うと『関越道経由~外環道~常磐自動車道』の『お金持ちコース』を推奨してくれますけど、アクセル踏み込み気味の燃費と高速代金。更には途中の休憩なんぞを計算すると私が選ぶのは下道(一般道オンリー)です。

 

 特に高速道路の割引率が変わってから、時間優先以外は下道専用です。

 

 『糸魚川』や『長岡』、『清水市』や『名古屋市』『日光』などへ行くのも高速道路は使いません。(建設途中の高速道路無料区間はたまに使いますけど)

 

 『佐久』~『土浦』で考えると

 

 高速使用=走行時間約3時間(休憩込み)高速代金約¥4000。更に燃料代。

 

 一般道 =走行時間訳5時間半 他燃料代。

 

 要は時給¥2000の人なら痛くもない出費って事ですかね。

 

 議員と呼ばれるお偉い(つもりなんだろうなぁ)さん。最低賃金で働いてみたら‼

 

 

 毎日朝5時には起きてますので、自然の流れで出発。

 

 コンビニ等で休憩しながらそれでもお昼ごろには『土浦』到着です。

 

 余り早くてホテルにチェックインも出来ませんのでひとまず観光。

 

 で訪れたのが『亀城公園』です。

 

 『土浦藩』の拠点となった『亀城』は霞ケ浦の水を防御にした難攻不落のお城だったそうです。

 

 現在でも『裁判所』や『郷土資料館』などが建ち並び、如何にも行政の中心かと思いきや、『市役所』がありません。

 

 『市役所』は何処? ナント『駅ビル』に入っちゃってます。

 

 正確には転居した商業ビルの利用に困り、いっそのこと『市役所』が入っちゃえとなったそうですが。

 

 ですから他階には『スーパー』やら『お土産売り場』『100均』なんかも在って至極便利。(地元の人は駐車場が混むので大変だと云ってます)

 

 

 11月初頭。関東でも紅葉がチラホラ。

 

 漆喰の白さが際立っています。(工事フェンスはご愛敬)

 

 

 城内に祀られていた『聖徳太子堂』 鳥居が在るから神社の扱いです。

 

 『お寺』でも『聖徳太子像』をお祀りしている処がありますが、鳥居を構えない場合が多いみたい。

 

 

 土塁に植えられていた大木。力強い生命力です。

 

 子供が走り回っていてどうしても写りこんじゃった。

 

 それだけ地域住民の憩いの場でも在るんのでしょう。

 

 以下次回です。

 

日向神社

 

 『岸野・根岸地区』をバイクで走っていて、此の辺りの地名が『日向』で在る事に気づきました。

 

 確かひと山向こうの『沓沢地区』には『日陰観音』が在った筈。と思ってgooglemapを開いたら『日影観音堂』でした。

 

 『日陰』と『日影』やっぱり似て非なる物ですか。

 

 気になったのでググりました。

 

 『日陰』=太陽光が物体の陰になり暗くなっている『場所』の事。

 

 『日影』=太陽の光具合を示す言葉で太陽の状態。

 

 だから何だってね。

 

 『日影観音堂』からは綺麗な夕日が拝めるのかもしれません。

 

 『訪れる場所候補』見っけ。

 

 

 『日向地区』の奥まった場所の高台に、新し目の建物が建っていました。

 

 

 『厨子』が置かれ、『如来』や『観音様』………ってお寺じゃん。

 

 『十六弁の菊の紋』が見えたから『皇室』=『神社』と思いきや、仏像を治める『御堂』でした。

 

 『常夜灯』からしてアレ?って思ったんですけどね。

 

 ふと見廻すと並びに鳥居が見えました。

 

 

 『日向神社』は此方です。で石段を昇りますと。

 

 

 小さな『祠』に参拝しまして。

 

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?

 

 農道をバイクで走っていたら『?』を見つけました。

 

 石柱には『長野鼎』と旧字体で掘られています。

 

 

 二つの柱の間に『注連縄』(多分紙垂の残り付き)が在りますから『神社』の管轄だと思うのですが。

 

 二段になった石積は『切込み接』ですので、石を電動のこぎりでカットする技術以降の物だと思われます。

 

 下の段は方形。上の段は円形の二段に使われている石の大きさや材質はほぼ同じ。

 

 何処かで加工された石を、此の場所に積み上げたのだと思いますけど何故此の場所に?

 

 

 鳥居は参道に対し直角・垂直に立っていることが多いですので、その奥は

 

 『浅間山』 (実際には少しずれています)

 

 石垣や石柱に何か刻まれていないか探しましたが手掛かりなし。

 

 正直な処、何も解りません。

 

 ご存じの方googlemapに情報修正お願いします。

 

竹田・水と環境を守る会

 

 『トトロの道』や『パノラマライン』の道標を立てたのは、どうやら『竹田地区』の有志みたいです。

 

 地元に愛着を感じ、「俺たちが守るんじゃ~!」が伝わってきます。