仁古田飛行機製造地下工場跡

 

 仁古田交差点にポツンと立っている案内を見つけ、山の方へと向かいます。

 

 案内に従い細い山道に乗り入れ、拡幅部に車を停めて歩く事数分で

 

 『仁古田飛行機製造地下工場跡』の洞窟入口に辿り着きます。

 

 

 雪の残ったぬかるんだ泥道を数分進むと

 

 

 山の中腹に突如頑丈な鉄格子が。

 

 洞窟の入り口は閉鎖されていました。

 

 

 二十数本の坑道が50~100m掘られていたとデータが残されていますから、入って調べたのでしょう。

 

 現在入り口からほんの数メートル進んだ場所で崩落が起きており、奥を確認する事は出来ません。

 

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上田飛行場跡

 

 千曲川の氾濫は江戸時代の『戌の満水』が知られていますが、それ以外にも幾度となく氾濫しその都度復旧してきました。

 

 堤防の護岸工事が完成する以前の昭和初期に千曲川の水が増水し、上田市の千曲川西岸地区を襲いました。これにより広大な面積の田畑住居を損失してしまいます。

 

 当初行政は農耕地の復興を目指しますが、余りに広範囲に広がる流失面積と用水の確保の難しさから農耕地の再興を断念。田畑を失った人への救済措置として土木作業員雇用という形をとり生活の安定を図ります。しかし当時の人口数からしても『住宅地』や『工場誘致』の必要性は無く、只広大な真っ平な場所を造っただけでした。上田市はこれを『市営飛行場!』として整備を進めます。(日本に数ある飛行場でも『市営飛行場』は当時二か所しか無かったそうです) 世界情勢は次第に第二次大戦へと向かう中、『上田市営飛行場』も『軍用飛行場』に接収されます。

 

 1941年『陸軍上田飛行場』として発足、多くの訓令生が此の地で練習を重ね上田市上空を飛んでいたそうです。

 

 現在『上田市千曲高校』のテニスグランド脇にポツンと石碑が残っているだけです。

 

 写真を撮ろうとカメラを向けた先、スカート姿の高校生が大勢いたので大慌てで一枚だけ撮影して即移動です。(通報なんかされた日にゃ、どえらい目に遭いそう)

 

 

 当時の安全基準からしても、命を落とした人がいたのでしょう。『南無観世音菩薩』と彫られた碑が痛々しいです。そんなこんなで碑文もろくに読む事が出来ませんでしたが次に向かった先は

 

 

 迷いながら辿り着いた場所。『上田飛行場半地下工場建設跡』

 

 案内看板は建っているのですが………何処?

 

 

 此の『割れたコンクリート』がその施設の一部だそうです。

 

 と言われてもねぇ。周囲には普通の振興住宅地と化してるし。

 

 看板の横も駐車場だし。

 

 戦争遺構がこの場所に在ったとはにわかに信じられませんでした。

 

 で次も戦争遺構。『仁古田』へ移動です。(続く)

 

 

依田神社

 

 『丸子』の依田川西岸には『御嶽堂』とか『富士山』といった中々にして素敵な地名が存在します。

 

 実は此の辺り、『源義仲』が兵を集め、天皇へ直訴の為に京都へ登ろうとした出発点です。

 

 後の『旭将軍木曽義仲』こと『源義仲』は、『征夷大将軍・源頼朝』に反旗を翻し天皇家を味方にするべく上京します。『源義仲』の父は家督相続の争いに巻き込まれ『源義平』に殺されてしまいますが当時二歳の『義仲』は『木曽・中原兼遠』の元で蟄居させられます。(この時幼馴染で共に育ったのが『巴御前』とされています)

 

  元服し、『源義仲』を討伐すべく『上田市・丸子』の地に於いて『挙兵』、『反幕府』の応援を得て一大勢力となり『木曽谷』を本拠地として『木曽義仲』を名乗ります。

 

 『木曽谷』は、その豊富な『森林財産』と従順な『木曽馬』(小型で力が強い)の産出地で在った為に、強靭な『騎馬軍』を形成。『旭将軍義仲』と呼ばれる様になります。

 

 『日本三大美人・小野小町・巴御前・静御前』の三人に数えられる『巴御前』と結婚。

 

 共に戦場にて戦ったとされています。(其の時の有名な言葉が「男に生まれ共に戦いとうございました」です)

  

 

 『御嶽神社』の鳥居の奥、山の上に『木曽義仲館跡』が在るのですが、(看板には400mと書かれてはいますが………)結構急峻な上り坂を行く事に成りそう。

 

 周囲を見渡しても『幟立てのポール』の先、神社らしき建物は見えません。

 

 てことは山頂まで登るのか。で日暮れ迄に行きたい処があるから今回パス。

 

 

 次に向かったのは『依田神社』

 

 

 歴史的には『鎌倉幕府』始めの頃ですから、今から830年前この辺りに武装兵士がウロウロしていた事に成ります。

 

 

 参道には枯れ枝などが散乱していて、余り人が訪れていない?

 

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姥石

 

 国道254号線沿いの『佐久総合運動公園』入り口を少し東側に大きな岩が置かれています。

 

 よくよく見ると『祠』が祀られ『石標』も立っています。

 

 此の辺り、バイパス開通の為に山を切り開いた場所。この岩も移動されたのかもしれません。

 

 

 国道254号線を利用する場合、家からは旧道を通る方が都合がよく、滅多にこの前を通りません。尚且つ『切通し』の陰になって気が付かない人も多いかも。

 

 

 『祠』の側面には「国道工事の為に此の場所に移転」と彫られています。

 

 その左右に『お地蔵様』と『阿弥陀如来様?』 台座は新し目ですが『座像』はかなり年季が入っていそうです。

 

 『祠』の屋根部分も大夫風化しているのか、柔らかい『佐久石』で造ったのか、良い塩梅に寂れています。

 

 近づいてみたのですが特に説明も手掛かりも無し。

 

 何故『姥石』なのかも書かれていません。佐久教育委員会さん出番ですよ。

 

 地獄に行く途中、来ている服を剥ぎ取り、重さを測る『剥ぎ取り姥』がいるそうです。

 

 服の重さでは無く『罪の重さ』を測るらしいのですが………。

 

 私ゃ地獄にゃ行かんもんね。(と思いたい)

 

平賀神社 part2

 

 日影に残った雪の上に幾つもの足跡が在りました。

 

 地域の人に大事にされている証拠ですね。

 

 急な石段を登り(ホント手摺が有り難い)中段に在る『社務所』へ。

 

 何やら神棚も在るんですけど、祀られている御札までは読み取れません。

 

 初詣や秋祭りなんかの時はさぞや賑わうんでしょうね。

 

 

 時計の時刻もピッタリ合っています。多分最近人が入っていますね。

 

 

 『本殿』の石垣をよく見て驚いた。

 

 『切剝ぎ積』の石垣ですが、大分凸凹しています。

 

 石垣の後ろの土が崩れた? 此のままで大丈夫なんでしょうか。

 

 

 膨らんでいるのが伝わるかな。

 

 

 本殿を風雨から護る為の『トタン囲い&ガラス張り』 

 

 貴重な建築物を保存する為ですので仕方ないですけど………カメラ泣かせです。

 

 神様にレンズを向けてはいけないという人がいますけど、撮影禁止以外ならきちんと参拝した後に私は撮影します。(ルールが在れば従います)

 

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平賀神社

 

 広い佐久平の周囲を取り囲む山々には、其々に敵の進入を見張る為の『砦=山城』が存在していました。

 

 そして『城』が在ればその領地には、信仰する『神社』が建てられるのが常です。

 

 『平賀神社』も『平賀城』の建つ山裾に在ります。

 

 戦国武将が領土拡大を求めて敵地に攻め込む時、いかに早くその動向を察知し迎え討つかが重要な防衛策でしたが、甲斐の国の強靭な『武田軍』には到底かないませんでした。

 

 『城』は破壊されてしまいますが『神社』は残されました。

 

 同じく『寺院』も残されますが庇護を受ける為『武田菱』を掲げるようになります。

 

 

 『平賀神社』の一の鳥居は表通りに在りませんので気が付かない人も多いのでは?

 

 近くに『平賀小学校』が在り、道が狭くなったり、カーブ付近の横断歩道が在ったりで『わき見運転厳禁ゾーン』ですので周囲を見る事が出来ないのかも知れません。

 

中込駅

 

 昭和の末頃まで、『中込駅』は高校生の通学利用者数の多い駅で、駅前には『中央名店』や『プラザ』のショッピングセンタービルの他にも『ショッピングモール』などが在り、千曲川に近いエリアでは『飲食店街』が軒を連ね大変賑やかな場所でした。

 

 『新幹線駅』が出来てから、佐久の中心地は『佐久平駅周辺』に移行。尚且つ『飲酒運転撲滅』により『飲み屋街』も大夫寂れてしまいました。

 

 今でも『駅前旅館』の残る風情ある『中込駅』、待合室も大夫変わりました。(何度もブログに書いていますので今回割愛です)

 

 駅の東側には車両保管庫が並び、幾本ものレールで結ばれています。

 

 昔、SL車両基地の在った頃は、此の場所に『機関車転車台』が在り、放射状に『車両保管庫』が並んでいましたが、今では『第一建設工業』や宅地に転用され、その規模も随分と縮小されています。

 

 

 訪れた時、丁度連結作業をしていて、ゆっくりと機関車が動いていました。

 

 

 残念ながらこの先は例の『関係者以外立ち入り禁止』の看板が出ています。

 

 事務所に立ち寄って許可を受ければいいのでしょうけど、個人相手では許可も下りないでしょうし。

 

 現在の機関車編成のほとんどが、先頭=『運転席&機関車』。続いて『客車』の牽引スタイルです。

 

 電気式機関(モーター)車の場合、先頭=『運転席&駆動モーター』、続いて『客車(&駆動モーター)』、最後尾に『運転席&車掌室』となっており、終点で機関車を入れ替える事無く戻ってくることが出来ます。

 

 SLの時代では常に『先頭=蒸気機関』で在る為、一度切り離して機関車の向きを変えなければなりません。

 

 『中込駅』に転車台が在った理由は、『JR小海線』の前身『佐久鉄道(小諸駅=中込駅)』の終着駅だったからで、次いで『小海駅』迄延伸。更に『中央線小淵沢』延伸し、現在の『JR小海線』が全線開通しました。

 

 余談ですが『中込駅』の北隣の『滑津(なめず)駅』を起点に『小諸駅』~『篠ノ井駅』~『松本駅』~『小淵沢駅』~『中込駅』迄を『遠回り』で廻る事が出来たそうです。(遠回りについてはググってね)

 

 現在は『私鉄』が関与するので出来ません。

 

 「昔は良かった」は年寄りの言葉と思っていましたが、「ホントに昔はよかったなぁ」

 

 って俺は年寄か………。

 

下越・諏訪神社

 

 日本における『神社』はおよそ『88000社』在ると云われています(神社庁発表)。

 

 

その中でで一番多いのが『八幡神社』(八幡宮) その数『4800社』と云われています。

 

 次いで『伊勢神社』(神明社・神明宮・皇大神社等含む)、『天神様』(天満宮・北野神社等含む)、『稲荷神』(宇賀神社等含む)、『熊野神社』(王子神社・十二社等含む)そして『諏訪神社』となります。

 

 長野県は『諏訪様』発祥の地ですので各地・各集落で見かけます。

 

 更に『薙鎌』を御神体としてお供えする場合が多く、林業や野良仕事で山に入る人から絶大な信仰を集めています。

 

 でも此れはあくまで『神社』として登録されている数。実際には『小さな祠』等に祀られた物まで数えると全国に10000社を超えるとか。(尤も『八幡様』は40000社以上?)

 

 『諏訪様』は夫婦の神様ですので『縁結び』にご利益在るそうです。(上社・下社で別居中ですけど)

 

 『八幡様』の『戦勝祈願』のご利益(清和源氏の崇拝により全国に広がった)よりずっと平和的ですよね。

 

 

 『長慶寺』さんの隣に鳥居が見えました。

 

 脇柱付きの立派な鳥居ですが色褪せてるのが歴史を感じさせます。

 

 

 雪の上に足跡は無く、取り敢えず参拝。

 

 『社』を護る為に建物で覆われていますが、ガラスが汚れていて中が伺えません。

 

 正月に注連縄を替えていますので、窓ふきもお願いしたいな。

 

 長野県における『諏訪様』は、四方の『御柱』が七年に一度立て替えられます。

 

 この神社には『御柱』が見当たりませんでしたが、昨今は『氏子』の人手不足につき、簡略なのかも知れません。

 

 『祭』の際に建てる『幟立て』も以前は大人数で『太い木の柱』を立ち上げましたが、便利な『金属ポール』が常設されるようになり、滑車で引っ張り上げるだけ。ずいぶん楽になりました。

 

 この『金属ポール』が目印になって、そこに『神社』が在ると解って便利なんです。

 

 只、落雷の危険も在るそうですが。

 

長慶寺

 

 臼田駅に程近く。でも行った事無かったです。

 

 駅より東寄りに『農道・川上佐久線』が開通したのが原付免許を取った頃。それ以降『臼田駅周辺』は通った事無かったです。

 

 

 駅前で見た案内図を頼りに進んで行くと『高札所」が在りました。

 

 尤も明治時代にはすでに用済みの代物で、多分これも掲示板等に利用されて今に至るのではないでしょうか。

 

 『高札所」が在ったとすれば主要幹線道路だった筈です。他に何かないかと周囲を見渡しても他に名残は在りませんでした。

 

 

 『高札所』から進んで行くと『長慶寺・石門』が在りました。

 

 『山寺』であろうとも『石門』は幹線道路に設けられる事が多いですので、やはりこの道は当時から重要な意味が在ったのでしょう。

 

 『正式名称 天台宗・越田山・長慶寺』 (山号は此れで良いのかな)

 

 

 フムフム 『天台宗信越教区実務寺務寺』 ですと。

 

 

 数日前に降り積もった雪が解け始め、『鎖樋』を流れ伝わって落ちてきます。

 

 その音の涼やかな事。

 

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 臼田駅前交差点の脇に

 

 

 『石臼』が置かれています。

 

 てっきり只の『石』だと思っていたのですが、改めて見てみると。

 

 

 新しい『臼田橋』完成の折に、橋の上でセレモニーとして綱引きが行われました。

 

 その時真ん中に置かれた『石臼』に綱を結び付け、橋の両側から引っ張り合ったそうです。其の時の『石臼』との事です。

 

 江戸時代の『戌の満水』と呼ばれる水難災害があり多くの犠牲者が出ました。

 

 毎年8月1日、会社関連は『墓参り』の為休業日として犠牲者の冥福を祈ると共に、地域によっては餅を搗いて振舞い安全を祈願したそうです。

 

 

 ちょっと洒落た地域案内も立っています。

 

 知らない駅で降りたりする時、さて何が在るのかな?と頼りにするアレ。

 

 写真付きだと大変ありがたい。

 

 日本一の『パラボラアンテナ』や『日本一海岸線から遠い地点』や『五稜郭』、『国重要文化財』や『県重要文化財』これ等は全部廻っているから今回はいいや。

 

 

 反対側は地域案内図です。デフォルメされていますのでイマイチ距離感が掴めませんけど。

 

 で見つけたまだ行った事のない『お寺』 次回です。

 

臼田駅

 

 『JR小海線・臼田駅』以前は臼田に或る高校の通学駅として賑わっていましたが、高校の統廃合に伴い学校規模が縮小、利用者数も激減してしまいました。

 

 しかも『臼田駅』から『高校』迄の間にコンビニが無く、隣の『龍岡城駅』で下車する者が多くなりました。

 

 

 『臼田町』には『佐久総合病院』も在りました。

 

 正式には『JA厚生連佐久総合病院』 病床数700を誇り、一日の通院数でも地域一の基幹病院ででした。(後に『小海医療センター』『佐久医療センター』が分院)

 

 『佐久市』には他にも、佐久病院から独立した『佐久医療センター』と市営の『佐久浅間病院』の合計三つの『総合病院』の他、『黒澤病院』『金澤病院』などの入院施設の整った個人病院も多数あります。

 

 佐久市に移住者が多いのは、新幹線による『関東通勤圏』に加え、医療体制の充実が在るみたいです。(更に云うなら幼稚園・保育園の待機児童無し)

 

 只、現在は『病院の分院』に加え『高校の規模縮小』になどが在り、必然駅利用者も減少、商店街にはかつての賑わいが見られません。

 

 

 通学時間帯でも一時間に二本しか停まりませんが(尤も社会人は車通勤がほとんどです)、交通弱者の為にも絶対残しておかなければ………

 

 

 因みに駅員さんの常駐駅です。駅前の電話ボックスといい、映画ロケに如何ですか?

 

臼田橋

 

 『臼田橋』の西詰めはなかなか面白い処です。(と思うのは私だけ?)

 

 『稲荷山』へと続く『鳥居』と石段が綺麗なのは勿論、『祇園神社』や『片貝用水頭首工』、駐車場には『車椅子対応トイレ』も在ります。

 

 道路の脇は一寸した公園になっていて、夏、滝から水が流れる水場やベンチが置かれています。何より此処から観る『浅間山』が素敵。

 

 

 朱塗りの鳥居が稲荷神社へと続いています。

 

 この左の石から水が流れているんですけど、今は冬だからかな。

 

 

 此処から観る浅間山は電線が無く好きなアングルです。

 

 何やらの歌碑が在るんですけど………

 

 

 此処が昨今注目を浴び出したのは『北斗の拳・マンホール』が設置されてから。

 

 『佐久市下水道局』が、佐久平駅周辺のマンホールに『北斗七星』型に『北斗の拳キャラクターデザイン』のマンホールを設置して反響を博し、第二弾として佐久市内中に『アニメシーン』のマンホールを配しました。

 

 臼田橋西詰のマンホールは『トキ』 

 

 何でも『下水道局』が設置する為には『おすい=汚水』か『うすい=雨水』のマンホールにしか設置できなくて、『北斗七星=柄杓型』に配置を選定するのに苦労したとか。(マンホールには『上水道』や『地下埋設電気配線用』なども在ります)

 

 『マンホールカード』を配布した処、『〇ルカリ』などのネット販売では高値で転売した輩が続出。お陰で七枚計画の配布は中止になってしまいました。

 

 安く仕入れて高く売る事は商社を始め、認められてはいる商売ですが、転売目的で入手するってのはどうなんだろ。

 

 不当利益を得ている輩。勿論確定申告してますよね?

 

下の宮公園

 

 『佐久警察・南佐久庁舎(旧臼田町警察署)』付近には『建設事務所』や『森林組合』が軒を連ねていて、まるで官庁街の趣き(規模は小っちゃいですけど)です。

 

 平野部なのに細い道が曲がりくねっていたりして、古くからの街並みを感じます。

 

 『下の宮公園』はそんな一角に在ります。

 

 

 『諏訪神社の境内』を児童公園としたのでしょう。

 

 駐車場は在りませんので拡幅部に路駐して。

 

 

 先ずは『諏訪様』に参拝してから。参道脇には夫婦道祖神などが並んでいます。

 

 

 『郷蔵』が在りました。『郷蔵』とは江戸時代に発達したシステムで、『飢饉や天災』に備えて食料を備蓄したり、公共財産などを保管していました。

 

 いわゆる『防災倉庫』の役割を担っていたのですが、昨今では安全管理された『防災倉庫』が供えられている為、地区の備品管理倉庫として利用される場合が多いみたいです。

 

 壁に『車輪』が掛けられている処を見ると、『祭り屋台』か『山車』が保管されているのでしょう。

 

 

 『諏訪様』に参拝しまして。地方にしてはスタンダードな『拝殿』と瑞垣に囲まれた『本殿』が分かれた造りです。

 

 私が来る以前に、雪の上に参拝者の足跡が在ります。

 

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本新町

 

 『諏訪神社』の幟立ての近くに何かないかとウロウロ。

 

 本新町公会場の片隅に石像や石仏が置かれています。

 

 昔、『本新町』は『取出・百番観音』から『大沢』へと続く幹線道路に在り、狭い道路をバスが走っていました。その後の道路拡幅などで移転せざるを得なくなった『石像』や『石仏』やを一ヶ所にまとめたのでしょう。

 

 

 

 『〇経供養塔』や『六地蔵幢』『如来像』『〇秀〇塚』(明るいに下心の漢字が?)更には『お地蔵様』や『座像』が数体。ほぼ仏教関係の石像です。

 

 フェンスで囲われているので詳しくは解りませんが。

 

 

 更にうろついていると公園を発見。

 

 

 残る雪に足跡は無く、誰も利用していない感じです。

 

 トイレを借りようと思ったら『冬季閉鎖』ですと。

 

 

 あら?なんか音がする。誰か居るのかなと遊具に近づくと

 

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本新町・諏訪神社

 

 佐久市・野沢地区の田んぼが『農業改革・区画整理』により『三反=さんたん』≒900坪の長方形に整理されました。

 

 毎日『大型ブルドーザー』や『パワーショベル』が地面を掘り返し、用水は『U字溝』になり、広大な農地を縦横に水が流れる様に構築しました。

 

 公平を期すため、割り振りは『くじ引き』で決めたそうです。

 

 現在南北に走る『国道141号線バイパス』の計画は当初から在った様で、モノの見事に田圃の区画に沿っています。

 

 『地籍・本新町』の田んぼ中にポツンと『諏訪神社』が建っています。

 

 しかも参道が在ったであろう場所は、区画整理された田圃中。農道もこの部分だけ無理やり曲げられています。

 

 

 鳥居から参拝しようとすると拝殿を裏の方から廻り込んで雪の中を歩かなければなりません。

 

 

 では鳥居前で一礼しまして。扁額に文字は無し。スマホの位置情報から『諏訪神社』で在る事を確認しました。

 

 

 至ってシンプルな拝殿ですが、『瑞垣』を塩萎えた『本殿』が見えます。

 

 

 杮葺きの屋根は銅板で覆われています。

 

 先日のニュースでは、どこかの神社の屋根の銅板が剥がされたと報道されていました。盗んだ銅を売るのが目的でしょうけど何て罰当たりな輩がいる事か。

 

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皎月原

 

 『皎月原・こうげつはら』は地名です。

 

  初めて『皎』の文字を見たのは、『佐久市・横根』に疎開していた『佐藤春夫』さんの小説です。私小説の中に「訪ねてきた友人を皎月原の停留所まで送って行った」(うろ覚え)の一文を見つけ、『停車場』=『駅』と勘違いして、時刻表の鉄道路線図を一生懸命探した覚えがあります。『バス停』だと気付き色々調べて(当時は辞書の頁をめくるしか無かった)みると。

 

 『皎』とは 月が白く光り輝く様。穢れの無い色。 部首は『白』 白が交わる?

 

 『皎月』とは 月が白く光り輝く様。となりりますね。

 

 素敵な名前だと思いバイクで出かけてみましたが、『岩村田』から国道18号線経由『軽井沢』方面への主要幹線道路であり、当時からそこそこ開発されていて、『月』が殊更に綺麗だとは思えなかった気がします。

 

 きっと『中仙道の時代』~『戦時中』に掛けては『街灯』なども無く、月明かりが綺麗だったんでしょうね。

 

 山で観る『月』も周囲に生活光が無いと綺麗ですもんね。

 

 

 フムフム………(この手の説明読むの好きなんです)

 

 『用明天皇』ですと! 前記の『鵲稲荷神社』を調べていた時、『大阪・森ノ宮』に両親を奉る為の神社を建てたのが『聖徳太子』であり、岩村田城に勧進した時、境内に在った『稲荷神社』も一緒に勧進し『鵲稲荷神社』となったと辿り着きました。

 

 佐久地方は意外と『皇族』と関係あったりして。

 

 

 3日ほど前に降った雪がまだ残ってる。しかも足跡が何処にも無い………人気無いのかな。

 

 

 周囲は幹線道路や住宅地、工場や中古車販売店に囲まれた一角。

 

 通りからだと中古車販売店が目立ち過ぎて、入り口を気づかず通り過ぎちゃうかも知れません。

 

 

 注連縄の捲かれた『玉石』や『石碑』が在るんですけど自我読めない………

 

 何の碑? 昔の人は読めたのだろうか?

 

藤ヶ城・招魂社

 

 『岩村田城』は『藤ヶ城』とも呼ばれていました。

 

 現在の『岩村田小学校』の在る辺り。湯川河岸段丘の上に在るので『上ノ城』とも呼ばれ、現在の地名に残されています。

 

 城の痕跡はわずかに土塁が残っているのみ。お堀も石垣も見られません。

 

 城跡は『小学校』の他にも公園として遺されており、石碑や『鵲稲荷神社』そして『招魂社』が奉られています。

 

 

 鳥居を潜って………

 

 

 ありゃりゃ 屋根がヤバイ。

 

 規制線らしくロープが張られているし。

 

 隣の『鵲稲荷神社』は手入れされているのに、この荒れ様はチョッと頂けないな。

 

 『招魂社』とは、『明治維新』に関して殉職した人の御霊を慰霊する為の神社です。

 

 つまり『坂本龍馬』なんぞも居れば、巻き込まれて亡くなった農民なども『招魂社』に祀られています。 

 

 

 広場の方に行ってみると『慰霊碑』やら『忠魂碑』も建っています。

 

 『忠魂碑』とは『日清・日露戦争』で戦死した方を慰霊する為の碑。

 

 『慰霊碑』とは戦争以外の『災害』などで亡くなった方を慰霊する為の碑。

 

 何にせよ沢山の方々を慰霊する為の場所の様です。

 

 余り物見遊山気分で訪れて良い場所では無いようです。

 

 『神』になられた方に一礼して後にします。

 

岩村田公園

 

 『岩村田城』の跡地に移築される前は、『岩村田小学校』は『天神堂』に建っていました。手狭になり移築場所を検討した結果、当時畑の広がっていた現在の場所に『昭和47年』新築の校舎が完成しました。(詳しくは岩村田小学校のホームページをどうぞ)

 

 

 岩村田小学校の北側に鳥居が建っています。

 

 

 鳥居を潜ると小さな祠が建って居り、その横に『岩村田城址』の石碑が立っています。

 

 湯川河岸段丘の上に在り、遠く浅間の眺望も素晴らしい場所です。

 

 通常『城』は展望の利く場所に建てられる事が多く(と云う事は広い範囲の人から見上げられる位置)、権力と財力を見せつける為にも豪華に造られました。城の周囲には『武家屋敷』で取り囲み、更に周囲に町民を住まわせる事で(城下町)、敵の侵略に対抗しうる備えとしました。(唯一『街並み』より低い位置に城を造ったのが『小諸城』です。その為街並みは『城上町』と呼ばれます)

 

 『岩村田小学校』へのアプローチは狭い道しか無かった為、『城の土塁』に『切通し』を造り、『スクールバス』も通れるようにしました。

 

 

 『鵲(カササギ)稲荷神社』

 

 由来を読んでみますと………『初代岩村田藩主・内藤家』は元々『大阪城』の警護職や『伏見奉行』の要職を任せられていました。『岩村田藩主』に赴いた際にも縁の在った『大阪城』と縁の在る『玉造神社』と『鵲森神社』を勧進し、『鵲稲荷神社』として『岩村田城』の鎮守として祀りました。

 

 『大阪城』も築城当時は、南側以外は海・川に面した段丘上の要塞で、町人を住まわせる為に『河川整備』や『埋め立て』を繰り返した後完成しますが、『家康』の難癖により『大阪冬の陣』そして『大坂夏の陣』により落城。完膚なきまでに叩き壊されます。その後跡地に現在の様な『大阪城』を築城したのは『徳川家康』です。しかし時は流れ『明治』になると『廃藩置県』や『廃城令』が発令されます。更には第二次大戦の空襲によりかなり破壊されてしまいました。戦後修復工事が行われましたが『コンクリート』などを使用した為、『国宝指定』を除外されてしまいます。(以上『ブラ〇モリ』参照)

 

 

 魔除けの『朱色』鮮やかな『鵲稲荷神社』

 

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岩村田城

 

 『佐久市・岩村田地区』には、『大井城跡』と『岩村田城跡』が近接して見られます。

 

 この二つは築城された時代が異なり、『大井城』は鎌倉時代(西暦1220年頃)清和源氏の流れを汲む『大井一族』が領地に建てた城で『王城』とも呼ばれます。『岩村田城』が築城されたのは江戸時代末期、260年間続いた平穏な時代に外国勢力が忍び寄り、又『藩体制』に反感を持つ者達が立ち上がり、『民主』の名の各地で武力衝突が拡大されつつ在った頃、岩村田藩主『内藤一族』により築城された城です。しかし完成前に時代は明治となり『廃城令』が発令された為未完成のまま取り壊されました。同時期に『佐久市・龍岡藩』では『西洋式城建築』の『五稜郭』の築城計画が在りましたが、やはり未完成に終わっています。別名を『藤城』とも『上ノ城・うえのじょう』とも呼ばれ、『上ノ城』は現在でも地名に残されています。

 

 もし『明治維新』『藩籍奉還』が無ければ各地に沢山の『城』が残されたのかも知れませんが、日本の近代化も立ち遅れた事でしょう。

 

 

 現在『岩村田小学校』として跡地が利用されています。

 

 プール横の駐車場に『井戸』の痕跡が見られます。

 

 

 来校者用駐車場で、車が停まっていましたので苦しいカメラアングルになりますが。

 

 湯川の『河岸段丘』の上に広がる平らな土地には、現在新興住宅地が広がっています。

 

 その『湯川』の一角には『牧野富太郎氏』で有名になった『光苔・ヒカリゴケ』の見られる洞窟も在るのですが………この頃余り光らなくなってるみたい。

 

 こーちゃん。店休日が平日の為、訪れたこの日も普通に小学校は授業日です。

 

 カメラを向けていて変質者扱いされても大変ですので(世知辛い世の中)早々に移動します。

 

 佐久市の防犯情報を聞いている(スマホで見てみる)と、『小学生に声掛け事件発生』とか『女子生徒を無断撮影』などの案件が報告される世の中です。

 

 だって『神社仏閣』を参拝していても『カメラ』が『賽銭箱』をがを監視している時代。『瓜田に履を納ず 李下に冠を正さず』です。

 

早太郎温泉

 

 某アニメ『〇るキャン△』で、バイクに乗る女の子がキャンプをした場所に設定された『早太郎温泉郷』

 

 『木曽駒ケ岳・千畳敷カールロープウエイ』へのアプローチとしても人気の場所です。

 

 訪れた日は、生憎と天候は下り坂。麓から『中央アルプス』を眺めても雲の中。

 

 こりゃ『ロープウエイ』で山頂駅まで登っても何も見えん。

 

 急遽予定を変更し早めの温泉巡りとしました。

 

 『駒ヶ根インター』から10分も走れば『早太郎温泉郷』です。

 

 風光明媚な観光地ながらアプローチが良く、『菓子工場』や『ウイスキー工場』などの見学の他、冬は『スキー場』、夏は『キャンプ場』や『吊り橋』、温泉地には人気の温泉宿『二人静』なども在り『若いファミリー層』から『登山者』迄、老若男女を問わず楽しめる場所です。

 

 

 『ロープウエイ』で『千畳敷カール』迄登った後、入浴しようと思っていた『こまくさの湯』です。

 

 温泉内は撮影禁止の為、カメラは車に置いてきます。

 

 露天風呂にゆっくり浸かりながら『山頂駅ホテル』の方をぼんやり眺めていると、時折雲の切れ間にそれらしき建物が見え隠れするのですが、高いお金を払って登って、何も見えなかったじゃつまらない。今回は諦めますか。

 

 

 『早太郎温泉』の名前の由来になった『霊犬・早太郎』を奉る『光前寺』迄程近いのですが、ご飯も食べたし、お風呂も入っちゃった………。

 

 『光前寺』は割と大きなお寺で、県下では『善光寺』に次ぐ大きさだとか。

 

 ゆっくり参拝しても一時間以上は掛かりそうです。

 

 再度『千畳敷カール』を目指した時のお楽しみに取って置きまして伊那谷を北上します。

 

 例年長野県では『伊那谷』から春が北上します。

 

 『天竜川』沿いの『梅』でも開き始めているんじゃないのだろうかと行ってみたんですけど、春まだ遠し。でした。

 

明治亭

 

 中・高と柔道部に所属していた『こーちゃん』 遠征試合の帰りには皆で食事するのが常でした。

 

 いわゆる町の食堂で、メニューも『ラーメン』『餃子』『カツ丼』『とんかつ定食』など定番がズラリと紙に書かれて壁に貼ってある様なお店です。

 

 『カレー』や『とんかつ』はどちらかと云えば家庭で食べる事が多いので、大抵は『ラーメン』や『かつ丼』を注文する中、唯一レストランの息子が『ソースカツ丼』と注文しました。

 

 『ソースカツ丼?』 正直、其の時まで『ソースカツ丼』が何たるや観た事も聞いた事も無かったです。

 

 運ばれてきた『ソースカツ丼』に皆が注目の中、蓋を取ると卵でとじていない『トンカツ』に『ソース』が掛けてあるだけ。それが『どんぶりご飯』の上の『千切りキャベツ』に数枚乗っていました。なら普通の『トンカツ』でいいじゃん。とその時思って以来食べた事は無かったのですが………。

 

 

 今回の『木曽ドライブ』は最終目的地『千畳敷カール』を目指していたのですが、雲行きが怪しくなり、ロープウエイの山頂駅は雲の中で見えません。って事は狩りに登っても何も観えない。何も見えない登山(ロープウエイで登るだけ)程つまらない者は在りませんので今回はパスして温泉でゆっくりしようかと『早太郎温泉』にやって来ました。

 

 前もって調べて置いた特盛の店『ガロ』に向かうもお店の前は長蛇の列。

 

 行列に並ぶのが苦手なので、道向かいの『明治亭・ソースカツ丼』の看板を見つけて急遽変更デス。

 

 

 駐車場の片隅に『ソース勝丼水』が流れていました。試しに飲んでみると。

 

 口当たり優しい普通の湧き水です。

 

 日本各地に湧き出す『湧き水』はほとんどが『軟水』でそのまま飲んでおいしいです。

 

 『お茶』や『コーヒー』文化が栄えた国は概して『硬水』である国が多く、不味い水を飲むために工夫されたのが『紅茶』や『コーヒー』です。

 

 水道水をそのまま飲むのは『不味い&危険!』な為に、一度沸かすか『ミネラルウォーター』を飲むようになりました。折角沸かしたのだから『コーヒー』でも淹れるか。ってのが真相です。

 

 都会は別として、日本の田舎のコンビニでも『ミネラルウォーター』が並んでいるのが不思議。(確かに東京辺りの食堂で『お冷』として出される只の『水道水』を美味しいとは思いませんけど) 需要が無ければ売る訳無い。(私ゃ買った事ないですけど)

 

 そんな日本に『茶道』が広がったのは『千利休』の商才のお陰だとも云われています。貿易商としての才覚を持っていた『千利休』は『茶道』を流行らせる事により、莫大な利益を貯えますが、些細な事で『秀吉』より『切腹』を云いつけられてしまいます。してその財産は………?

 

 田舎のコンビニに『ミネラルウォーター』が並んでいるのも誰か(商社)の差し金では?

 

 

 注文したのは『ロースかつ丼¥1590』

 

 『みそ汁』お替りできます。

 

 

 蓋をお皿代わりに乗っかっている『かつ』を数枚移動しまして、『ソース』をドバドバの『和辛子』をたっぷりの。

 

 ご飯に辿り着く前に暫くキャベツが続きます。此れにもダボダボソース。

 

 でもホントはこーちゃん、『揚げ物』は『醤油派』なんです。

 

 部活帰りに毎日食べてた『カップ麺』&『コロッケ』のドバドバソース掛けのせいでしょうか。

 

マルス・ウィスキー

 

 県内には酒造メーカーが沢山在ります。

 

 『日本酒』『ワイン』『ビール』の順に沢山の『醸造所』が県内に点在しますが『蒸溜所』も在るのをご存じですか?

 

 『マルス・駒ケ岳蒸溜所』 上伊那郡宮田村に在り、『こまゆき道路』で『千畳敷ロープウエイ』や『早太郎温泉』を目指すと必ず目に留まります。

 

 『本坊酒造』のウイスキー部門が造っているウイスキーの商品名が『マルスウイスキー』 県内の大手スーパーでも手に入りますが、願わくば割水前の『原酒』が手に入んないかなぁ。

 

 以前、都内の某スナックに置いてあった『クイズ』に挑戦したら景品で貰ったのが『一升瓶サイズ』の『マルスウィスキー』でした。

 

 『ボトルキープ』の形で預ける事が出来たのですが、通っても通っても減りゃしない。

 

 結局『タダより高いものは無い』に行きつきましたデス。(それがお店の戦略か)

 

 金の無い当時、キープ出来る酒は『〇ントリー・ホワイト』が常で、バイト代が入った時に見栄張って『角瓶』を売れたことが在る程度でした。

 

 まだ『焼酎ブーム』になる以前、お店の電気看板には『オー〇ド』や『ロバート〇ラウン』『スーパー〇ッカ』の絵が描かれていましたけ。

 

 私の名前の書かれた安い『ウイスキーボトル』は目につく棚に並ぶことは無く、どこかに仕舞って在ったのかな。

 

 

 入り口に置かれた『ポットスチル』はよくよく見ると形が違いますが、内部にコイル状に『パイプ』が入っており、そのパイプに蒸気を通して『間接加熱』する仕組みです。

 

 加熱され気化した『アルコール』は上部から『クーリングパイプ』に輩出され、『クーリングパイプ』の周りを水で冷やす事によって『凝結』 溜まった液体が『ウイスキーの元』です。此れを『オーク樽』に入れて最低3年貯蔵。『琥珀色』が着いた頃『水』を足してアルコール濃度を調整し瓶に詰めて出荷となります。

 

 『ウイスキー原酒』は『水』を足す前のアルコール濃度60度前後の原液の事です。

 

 『酒税法』が代わって『等級』から『アルコール濃度』に変わった事により入手困難(いや買えない?)になってしまいました。

 

 

 工場見学を希望する方は此方で受付になります。

 

 暖炉の中、赤々と燃える炎を見ながら軽食も出来るサロンを横目に『売店兼受付』で名前等を記入しまして。(売店に『原酒』は在りませんでした)

 

 

 いよいよ『工場見学』です。

 

 扉を開けた瞬間から漂うウイスキーの香り。お酒弱い人はそれだけで酔いそう。

 

 それにしてもホントに塵一つ落ちてない。どころかガラスに手の跡すらついて無い程の掃除清掃の徹底ぶりです。

 

 

 『仕込みタンク』もピッカピカ。

 

 水で濡れてるとかも無いです。

 

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産直市場・〇リーンファーム

 

 伊那谷を南北に走る道路は幾つかありますが、一番西側を走る『伊那西部広域農道』は信号も少なく、コンビニや道の駅も点在しており大変走り易く好きな道です。

 

 『伊那北インター』そば(出口直結じゃ無いのがミソ)~『飯田インター』迄を結ぶこの道を走っていると『小沢川』のヘアピンカーブ近くに或る『産直市場・〇リーンファーム』 開店前から駐車場は車で一杯です。

 

 この店、最初は野菜の直売から始まったと思いましたが、何時しか雑貨販売から中古バイクなどの古物商まで何でも有りのお店です。

 

 道を挟んで『小動物』(ウサギ・ヤギ・羊)などのふれあいコーナーも在り、休日などは子連れで賑わうようですが、実はヤギも羊も販売用です。

 

 しかも以前は『子熊』も飼われていましたが,流石に現在は別の場所に隔離?されている模様です。

 

 店舗の入り口付近には椅子・机・自転車・スキー・カヌー・冷蔵庫………などなど雑多な商品が所狭しと並んでいて、超格安商品も在れば、誰も買わない様なポン〇ツまで。

 

 

 付いている値段も、何を根拠に?と思えるような価格で、値引きにも応じてくれそうです。

 

 

 この『カナディアン・カヤック』が気になったので値段を見ると¥50000

 

 『ヤフオク』などでも出品されていますが、船底の傷などを確認しないと………

 

 従業員に声を掛けると、〇国人の方が対応してくれました。(ひょっとして出所のヤバイ物も在ったりして) 冷やかしている分には面白いんですけど。

 

 店内の商品ラインナップを見ても、格安の食品やら、賞味期限切れ間近の物。農家さんから直接仕入れたであろう野菜やら果物、別棟では長靴から野菜の種、文房具やら兎に角『〇インズホーム』の個人商店版。(中古品も多いですけど)

 

 『ホームセンター』好きなこーちゃん。ゆっくり見て廻ると一時間じゃ足りないし、ついつい買い込んじゃいそう。

 

 

 オープン当初から在った『馬』が、今も当時の場所に置かれていました。

 

 でも商品の奥に隠れてポツンと寂しそう。

 

 結局は何やかんや衝動買いしちゃって、店と車を三往復もしちゃいました。

 

 近くをお通りの際は是非どうぞ。

 

義仲館

 

 長野県民なら誰でも知ってる『県歌・信濃の国』

 

 その五番に歌われている『旭将軍・義仲』、『木曽義仲』として昨今の大河ドラマで人気ですが、旧姓が『源』だったって知っていました?

 

 『源平藤橘』の『源』です。

 

 詳しくはウイキペディア参照ですが、『倶利伽羅峠の闘い』で『平家』を破り、京都へ入ったのは良いのですが『源頼朝』を敵に回したが為に『源義経』らに討たれてしまう。

 

 『木曽義仲=源義仲』の本当の敵は『源一族』でした。

 

 産まれたのは『現在の埼玉県』ですが、お家騒動で親を殺され手しまいます。当時二歳だった為、木曽に幽閉されますが成人した後『上田市丸子』の地に於いて『平家打討』の為の挙兵を行います。

 

 前回訪れた時は『コロナ過』の最中で閉館でした。

 

 さて今回、『ラップ・夜明けの将軍』を耳にして行ってみたい感が膨れ上がり、日曜日を急遽店休日にしちゃいました。(そりゃ偶にはズル休みもしなきゃ)

 

 

 駐車場に他に車は無し………(嫌な予感)まさか休館日?

 

 

 紋を潜ると出迎えてくれる『木曽義仲と巴御前』

 

 共に幼少期から此の地で育ち、成人して二人は結婚しますが共に戦場に赴きます。

 

 有名な言葉が「男に生まれ共に戦いたかった」 

 

 入り口に灯りが付いているから開館しています。ホントにこんなに美人だった?

 

 

 入館料(大人¥300)を支払い、入館証の代わりのシールを貰います。

 

 この像の前に立つと自動で音声テープが流れ出します。

 

 あれ?聞いた事ある声………某TV番組で『木村拓哉』さんとの掛け合いで「………あるよ!」が好評だった『田中要次』さんです。(そうか木曽出身でした)

 

 正直、展示数はショボい(失礼)ですが、長野県と義仲の関係を事細かく説明してあったり、『夜明けの将軍』のVTRがエンドレスで流れていたりで興味在る人には面白い処です。(夜明けの将軍を撮影しようとしたらバッテリー切れになっちゃいました)

 

 誰かyoutubeniでも挙げてくんないかな。

 

奈良井宿 part2

 

 私が観光地を訪れる時、なるべく人の少ない時間帯を狙いますので、朝早くとか、昼食の時間帯、更には夕方が多いです。

 

 『バスツアー』などの場合、ホテルで朝食を済ませ、皆さん揃ってから出発。此れでは何処に行っても人。人。人。

 

 私がgooglemapなどにアップしている写真は、どれも人が写っていないと云われたことが在りますが、混んでる時間帯をずらしているだけです。

 

 どうしても移動時間の調整が出来ない時は、人混の方向を撮らないようにしているだけです。

 

 

 この時も家を出たのが5:00前。途中で食事したりして時間調節しながら『奈良井宿』の駐車場に車を停めたのが朝7:30。暫く旧中仙道の林の道を散策し、宿場町に戻ったのがまだ8:00頃。すると彼方此方の玄関の前で、人が数人ずつ立ち話をしています。

 

 『保育園送迎バス』の出発の後の井戸端会議の様にも見えたんですけど、それにしちゃあ………? で思い切って聞いてみました。 この日『お葬式』が在るそうで、霊柩車がこの道を通るのでお見送りする為だそうです。云われてみれば確かにそんな感じ。

 

 

 屋根の上には魔除けの『鍾馗様』でも面白いのは屋根を補強しているねじった金具。

 

 気にしなければ『アングル鉄鋼』を使えば強度も増すんでしょうけど景観重視ですかね。錆びた色合いもシックで違和感を感じません。

 

 

 格子戸も実に美しい。

 

 

 『長泉禅寺』には『八方睨みの龍』の天井画が在るそうですので参拝してみます。

 

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奈良井宿

 

 車で駆け抜けるならば流れに乗り易い『バイパス』を走るのが一番楽ですが、偶には旧道をゆっくり走るのも好きです。

 

 それが『旧街道の宿場町』などでしたらやっぱり歩いてみないと。

 

 『中仙道』や『東山道』『善光寺街道』など旧街道が沢山ある長野県下には、それぞれ特徴のある『宿場町』も沢山在り観光名所なども沢山在ります。

 

 『木曽谷』を抜ける『旧中仙道』は『妻籠宿』や『馬籠宿』(岐阜県)などがつとに有名で多くの外国人観光客も訪れていますが、余りにも観光地化して………

 

 『奈良井宿』も国道から観える『木曽の大橋』が余りにも観光的で二の足を踏んでいたのですが、『マリア地蔵』が気になって散策してみる事にしました。

 

 国道沿いの駐車場に車を停め、歩いて『木曽の大橋』を渡ろうと………冬期通行止めです。車を移動し駅近くの駐車場へ移動しました。

 

 『トイレ』や『観光案内所』もある大型バス可の駐車場ですが、地元の人に占拠される事も無く掃除も行き届いて居ます。

 

 偶に在るんですよね。無料駐車場を良い事に、地元民の車が占拠してしまい、観光客が停められない駐車場。乗合で何処かに行くのか、車を置きっぱなしにしたり、土産物店で働く人が一日中停めっぱなし!(日光の上〇石駐車場や岡谷IC入り口駐車場‼)

 

 『ぴんころ地蔵』や『原バラ公園』の駐車場にも、再三の注意に関わらず心無い者が停めっぱなしにしてますけど。(車両管理法違反では?)

 

 『奈良井宿』の北の入り口には『旧中山道の杉並木』が残っています。

 

 先ずは『二百地蔵』の在る辺りの杉落ち葉で埋もれた『旧街道』を歩いてみます。

 

 行き交う『牛馬』や『駕篭』の幅に併せ、細い杉並木の道が、山の中へと続いています。(まぁ触りだけで直ぐ戻りましたけど)

 

 

 『うだつ』や『蔀・しとみ』の残る街並み。

 

 流石に『宿場』の中は舗装され、用水路も暗渠になっています。

 

 

 こんな素敵なお店(閉店)も在ったんでしょうか。

 

 

 『消火用具箱』も木でカモフラージュされ、えっ『プラスチックのゴミ箱?』と思ったら『融雪剤』が入っていました。

 

 

 街中には『喫茶店』や『食事処』『土産物店』なども在るのですが、目立ちすぎる事無く営業しています。

 

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マリア地蔵

 

 実はどうしても『奈良井宿散策』してみたいと思ったのが『グーグルマップ』で見つけた『マリア地蔵』です。

 

 『摩利支天』とか『仏教の神様』?では無く、『聖母マリア』の『マリア地蔵』

 

 江戸時代、九州地方の『キリシタン』が『キリスト教弾圧』から逃れる為に『仏壇』の中に『聖母マリア像』を隠していた『からくり仏壇』を観た事在りますが、どうやらそれとも違うみたい。自身で観て確かめたい。

 

 

 この『奈良井宿』は中仙道一細長い宿場町だそうで幾つかの『寺院』と『神社』が建っています。

 

 前記『二百地蔵』の在った『旧中仙道杉並木』も宿場町北の外れの『八幡宮』入り口付近に在ります。

 

 宿場町の中程に在る『大宝寺』さんの境内に在るのらしいのですが。

 

 

 参道には『七福神』が並んでいます。

 

 『七福神』も『神』と名の付いていますが『ヒンドゥー教』や『仏教』『神道』混合の神様で、しかも『布袋様』は中国に実在した僧侶を元にしているとか。

 

 更には『吉祥天』や『達磨』『奴奈川姫(糸魚川)』を加え、末広がりの『八福神』としている処も見られます。

 

 まぁそもそもが『宝船』の乗組員なのですが、『平安時代』に良い初夢を見る為のアイテムでした。

 

 当時『アイドルユニット』的存在で在り、『絵』や『御朱印』『参拝』を『コンプリート』するのが全国で流行ったのが今に伝わっています。

 

 

 訪れたのが午前8時。私の前にもう参拝している人がいました。(100円玉が置かれていました)

 

 拝観料は維持保存の為に必要と思いますので素直に納めます。(でも京都・有名寺院の¥1000とかは納得いかない!何で職員駐車場に高級外車が並んでいる⁈)

 

 残念ながら本堂は施錠されており御本尊は拝めませんでした。

 

 墓地の一角に石碑が在り

 

 

 あらら。『首なし地蔵』だったんですね。

 

 明治政府発令の『廃仏令』により多くの石像が壊されてしまいました。

 

 細くなっている『首』の部分で壊されている為『首なし地蔵』と呼ばれますが、其のまま安置されている石像が多いです。

 

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二百地蔵

 

 正直な処、石像が200並ぶくらいは珍しくないです。

 

 『千葉県・鋸山』の麓には夥しい数(1900位?)の石像が並んでいますし、某TV番組で紹介された『〇百景』では、富山の『ふれあい石像の森』にはスーツ姿の石像などがズラリ。他にも『五百羅漢』とか在りますし、『観音様』に至っては『百体観音』などが一つの御堂の中に安置されています。(佐久市・取出にも在りますよ)

 

 『修那羅峠』の石仏群も1000を数えるそうですが、此処のは神様だったり仏様だったりと実に様々な石像郡です。

 

 お地蔵様だけで200を数える『奈良井宿・二百地蔵』行って確かめてみますか。

 

 

 『奈良井駅』からほんの数分。民家を幾つか抜けた先に『八幡宮』の案内が立っています。石段を少し登れば

 

 

 『杉並木』のと在りますが此処が正真正銘の『旧中仙道』

 

 江戸時代に整備された『五街道』のひとつ『中仙道』が当時の幅、土剥き出しの状態でご存されています。

 

 『中仙道』は『参勤交代』や『皇族の宮入』で使われただけで無く、旅人や行商・物資運搬の牛馬なども此の道を歩いた事に成ります。(杉木立の写真は露出失敗です。フルオートなのに時々この現象が起きるのは何故?)

 

 

 規模は余り大きくは無いですし、数も大目に見ても200………という事にしときましょう。

 

 

 代表して御堂の中のお地蔵様に合掌。

 

 あら、『首なし地蔵』だったのね。

 

 明治政府の『廃仏毀釈令』のお陰で心無い者によって多くの仏像が破壊されてしまいました。しかし壊されても大切に祀っている人がいます。

 

 変な都市伝説のお陰で『首なし地蔵』が有名になってしまいましたが、壊されてもなお人の行くべき道を教えてくれるのが『お地蔵様』です。

 

奈良井宿

 

 国道19号線を走っていると『奈良井川』に掛かる木製の美しいアーチ=『木曽の大橋』が見えます。

 

 駐車場にトイレが在り、此処に車を停め(無料)橋を渡って『奈良井宿』散策が出来ます。…………が、冬は『冬季閉鎖』(人道橋なのに?)で渡れませんでした。

 

 きっと滑って転んだ人でもいたのでしょうか。

 

 仕方ないので『奈良井駅』の傍の駐車場へ移動します。って橋の向う側に在るんですけどね。

 

 

 橋の上部が板張りだから、積雪時の考慮で仕方ない。

 

 

 宿場町は線路の向こう。観光客は地下道を潜って。

 

 

 水路も地下道を潜っていました。

 

 『奈良井宿』は水場の多い宿場町で、あちこちで水が滾々と湧き出ています。

 

 

 ※場所によっては飲用不可の場所も在りますので要確認。

 

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贄川宿

 

 『木曽路は全て 山の中である』 島崎藤村・夜明け前の冒頭です。

 

 現在は国道19号線が貫き、『塩尻』=『中津川』間を1時間半で走れます。

 

 『旧中仙道・洗馬宿』を過ぎると両側に山が迫り、『国道』と『中央西線』と『奈良井川』とが狭い谷間を通っています。

 

 塩尻から南下して『桜沢トンネル』の手前から旧中仙道へ入ると『是より木曽路』の石碑が在るのですが、今回は急ぎますのでパス。

 

 先ず目指したのは『贄川駅』です。

 

 

 情緒を感じる駅舎です。ベンチとポストが無ければ昭和初期の風情です。

 

 

 此方は食事処。石垣といい駅舎にマッチしています。開店前だったので中の様子は解らず終いですけど。

 

 

 少し南下した場所に『旧贄川関所跡』が資料館として復元されているんですけど時間的に開館前。帰りに寄る事にして先を急ぎます。

 

浅科・交流文化館

 

 立ち寄り温泉『穂の香乃湯』の向かいには『佐久市交流文化館・浅科』が在ります。

 

 『図書館』や『会議室』『コンサートホール』などの施設が在ります。

 

 

 駐車場は満杯状態。さぞや大勢の人が利用しているのか?とまず図書館へ。

 

 係員さん以外誰も居ません。じゃホールで何か催し物でも在るのか………何もやってませんし誰も居ません。

 

 時間は午前10:30を廻ったばかり。

 

 

 『穂の香乃湯』に隣接した『柔剣道場』も閉ざされたまま。

 

 ひょっとして皆さん。平日の朝から温泉に入ってるの?

 

 ふと温泉施設の駐車場を見ると、ほぼ満車です。

 

 実は先日『穂の香乃湯』に入浴した時、この交流館の前に『モニュメント』らしきものが在ったのですが、暗かったので今回改めてカメラを持って確かめに来ました。

 

 

 何だ『日時計』だったのか。

 

 此れにて散策終了『温泉入ろうかな』とも思ったんですけど、混んでそうなのでパス。

 

 他にも気になる処を廻ってみますか。と思いながら車はパチンコ屋へと向かったのだった。

 

のぞみグランピング

 

 以前、『日本郵政』が経営していた『かんぽの宿』が佐久に在りました。

 

 民営化に伴い集客率の落ちている処から整理され、民間企業に売却され、2024年現在『かんぽの宿』は消滅してしまったそうです。(郵政簡易保険の利益で建てたのにね)

 

 佐久に在った『かんぽの宿・のぞみサンピア』は現在その建物を利用して『養老施設』と『保育園』『食堂』と『立ち寄り温泉施設』を経営していましたが昨年『グランピングキャンプ場』を開設しました。

 

 『かんぽの宿』の頃から『温泉』を利用させてもらいましたが宿泊した事は在りませんでした、(だって家から車で10分ですもん。直ぐ近くに友人宅も在り、呑んだ後は泊めて貰えます)

 

 冬の夕方。屋上の露天風呂から眺める『浅間山のアーベン・ロート』が好きで時々出かけました。

 

 

 こんな雪の中で泊ってる奴何て居ねぇだろう…………居たんです。

 

 宿泊者以外はフェンスの中に入れませんので、テントの中とかの詳細は『のぞみグランピング』で検索して下さい。

 

 

 『グランピング・テント』と云っても冷暖房完備の完全独立スペースで『トイレ』『シャワールーム』を備えたベッドルームの他、雨天でも『焚火』可能な『BBQハウス』がテントスペース内に建っています。

 

 更には『ペット可能』の宿泊棟も在り、『専用ドッグラン』まで備えているとか。

 

 

 見学可能なのは玄関の在る山側だけで、白いフェンスで囲まれた各エリアは段差を利用して室内が覗けない様になっており完全にプライバシーが守られるようです。

 

 夜は『佐久平の夜景』や『満天の星空』を眺めながら眠りにつけるのが売りだとか。

 

 

 直ぐ隣接して『薬草の里・榛名平公園』があり、春先から秋にかけ様々な薬草が花咲かせます。(現在冬季閉鎖中)

 

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茂来館

 

 『佐久穂町・海瀬』に在る『生涯学習館・花の郷』と銘打たれた施設で、『海瀬保育園』も隣接している為か、山の中(失礼)に在る割には結構頻繁に人の出入りが在ります。

 

 降雪の在った数日後に出掛けたのですが、他の道路にはまだ雪が残っていたのに『茂来館』迄の坂道は除雪が行き届いていました。

 

 『茂来館』の名前の由来は『茂来山』から来ているのでしょうか。でも『花の郷』?

 

 花の時期に来ないとねェ。

 

 

 『茂来館』の正面玄関

 

 

 『駐車場』から観る『茂来山』へと続く山並み。登られる方『スノーウォーク』になりそうですけど。

 

 

 『佐久穂町・北沢』の田んぼの畔にポツンと建って(勃って)いた『大石棒』ですが、現在修復・保全の為に此処『茂来館』に保管されています。

 

 コンクリート製のレプリカが造られたのですが、余りにも綺麗すぎたので泥とかで汚したと新聞に書かれていました。

 

 実物は、田圃の畔に地上高2m近い高さで立っていましたが、土に埋まっていたであろう部分は30㎝程。

 

 えっ、こんなもんで軟弱地盤に建っていたの? 良く地震とかで倒れなかったね。

 

 『大石棒』はズバリ『男性』を象徴しています。今から4000年前の『縄文時代』の物と推察されています。『縄文時代』は『狩猟移民』から『農耕』へと生活が安定しつつある時代、きっと『子孫繁栄』『五穀豊穣』を祈願して建てられたものでしょう。

 

 国内最大級の大きさを誇る『大石棒』もっと関心持ってもらいたいな。

 

音だまくらぶ

 

 こーちゃん。寒い時期の楽しみの一つが『温泉めぐり』です。

 

 幸いな事に、私の家から車で30分も走れば『立ち寄り入浴施設』が20ヶ所は在ります。

 

 片道1時間の範囲なら50ヶ所以上!と実に恵まれた環境です。(ホテル・旅館の温泉含む)

 

 今回訪れた温泉は小諸市・千曲川西岸の『布引温泉・こもろ』です。

 

 此処の『露天風呂』から眺める『浅間連山』が大好きで、山肌の見える明るいうちから露天風呂に浸かっています。

 

 近頃めっきり目が悪くなってきて、遠くの景色を見詰るのが目に良いとか。そんな訳も在って『山』に登ったり(トレッキング程度ですが)、遠くの景色を眺めたりしています。

 

 そんなわけで『布引温泉・こもろ』を訪れたのは2月12日・振替休日の午後。

 

 ゆっくり山を眺めながら温泉に浸かって、のぼせた体を休ませようとロビーに向かうと………。

 

 

 『音だまくらぶ』のメンバーさんによる『楽器演奏会』が開かれていました。

 

 『音だまくらぶ』の詳細はググって頂くとしまして。

 

 

 メンバーは『医療関係者』 音楽の持つ『癒し効果』で、多くの人の心に『安らぎ』を届けています。

 

 写真は『東北沖大震災』の避難所で演奏する『音だまくらぶ』のの皆さん。

 

 現在『能登大震災』の被災地への訪問を計画しているそうです。

 

 そうと聞いたら『投げ銭』位は協力しなけりゃ。

 

 

 お望みならば『生演奏』による『生オケ』もリクエスト可能との事です。

 

 本業が医療現場で働いている方達ばかり。忙しい仕事の合い間を縫って集まれる方の出演ですのでご希望に沿えない場合はご容赦下さいとの事です。

 

 幹事さん。出演依頼如何でしょうか?

 

ゆうすげ温泉

 

 私の家から車で30分圏内に在る立ち寄り入浴出来る温泉は、15 いや 20カ所はあるかも。一応一通りは入っていますが、中には入館料¥1500の総合温泉施設や、ひなびた感じのただ湯舟が在るだけの入浴施設¥500なんかも存在します。尤も『戸倉温泉』や『霊泉寺温泉』『鹿教湯温泉』なんぞには入浴料¥200/大人なんぞも存在します。

 

 今回是非とも紹介したい立ち寄り入浴できる温泉施設は軽井沢町の西の外れ、国道18号線と18号バイパスの合流する立体交差のすぐ近く『ゆうすげ温泉旅館』です。

 

 江戸五街道・旧中仙道の脇に建ち、広いテニスコート場なども在りますが、何といっても穴場的に空いている事と料金の安さ(¥500)です。只し露天風呂は在りません。

 

 広い敷地の中には、夏場色々な『花』を栽培・販売していて、栽培棚にズラリと並んだ花々が出迎えてくれます。

 

 

 小さい池の向こうに在るのが玄関で、入ると赤々と薪の燃えている『薪ストーブ』が出迎えてくれます。

 

 

 浅間山の麓に在る『石尊山・せきそんさん』登山(と云うよりハイキング)の後に立ち寄るのに丁度持って来いです。

 

 夏休み時期はテニス合宿の学生さんなんかで結構賑わう時も在りますが、午後早めの時間だと独りで独占状態です。

 

 

 受付周りには『アメジスト』や『SLナンバープレート』更には御主人が釣った『魚拓』なんぞが所狭しと飾られています。

 

 ロビー兼休憩所には昔懐かしい『TVゲーム』も置かれています。(電源が入っていませんでしたので稼働中か不明)

 

 

 現在でも温泉宿として宿泊できますが泊った事は在りません。だって家まで車で30分だもん。

 

 此の温泉で飼っているのでしょう、広い庭を人懐っこい猫が駆け回っています。

 

 大の猫好きのこーちゃん。何とか近づこうとするんですけど『岩合さん』みたいにはいきません。いつも逃げられちゃう。

 

 『ゆうすげ』とは『キスゲ』の事で良く知られている『ニッコウキスゲ・日光黄菅』もこの仲間です。日当たりの良い斜面に群生する様が好きで、毎年初夏になると『車山』や『野反湖』なんぞに観に行きます。

 

 でも此の『ゆうすげ温泉』で『ゆうすげ』観た事無いけどなぁ。

 

腕木式信号機

 

 鉄道に於ける信号機が電化される前は、全て手動の信号機でした。

 

 あくまで信号ですので『止まれ』と『進め(通過して良し)』の二つしか表示できません。それでも過去、悲惨な衝突事故が起きてしまいました。

 

 『複線』(上り・下りで専用の線路を有する区間)以前の『単線区間』では、衝突事故を防ぐ為に『通行許可証=タブレット』の無い車両は走行できない決まりになっていました。(観た事ありません?ホームの端に螺旋の『タブレット受け』が在って、大きな輪の付いた『タブレットキャリア』を投げ入れ、代わりにホームの端に立つ駅長から次の区間の『タブレットキャリア』を受け取るのを。高倉健さん主演の『鉄道員・ポッポや』だったかな)

 

 基本の列車編成では、先頭部分に運転席の在る機関車が位置し、運転手が目視による安全確認をしながら客車・貨車を牽引します。

 

 例外が在るのは『スイッチバック』の時。『姨捨駅』では在来線各駅列車は現在でも『バック』して引き込み線=『姨捨駅構内』に進入します。

 

 この『スイッチバック』 1985まで、『信越本線(現妙高はねうまライン)新潟県・関山駅』や『長野縣北佐久郡・御代田駅』(1968年廃止)などに残っていました。

 

 電化のお陰で『電車』は車両編成の前後に運転席を備えており、一旦停止した前方運転席から運転手が後方運転席に移動、(確か車掌さんが後方運転席で待機していて、運転手さんの到着を待ってから前方運転席に移動。面倒な事するんだなと思っていたら、万が一の時でもどちらかがブレーキ操作出来る様にする為の手段だったとか。此れが小学校5年生の時の臨海学校で『鯨波』に行った時の課題でしたから今でも覚えています)

 

 

 残念ながらチェーンで固定され動かす事は出来ませんでした。

 

 

 確か『腕木』が水平だと『止まれ』の意味です。夜間は電球が灯り、赤いレンズが『赤信号』を表示する仕組みです。機械式でレバー操作すると『腕木』が下がり、連動して青いレンズが電球の前を覆う仕組み。

 

 

 更には『手動式レール切り替え装置』も保存されています。

 

 レバーを運転台から見て左右に操作する事で、レール可動部も左右に動きます。

 

 反対方向から進入する場合は『信号板』も連動する事で『直進』又は『分岐』を表すそうです。

 

 此の辺りオモチャの『プラレール』でも再現されていて感心した事ありましたっけ。

 

C56 101

 

 国鉄時代、開発された蒸気機関車は『動軸』の数にアルファベットを充てました。

 

 Cが頭に着くと動軸数が3つ。Dが頭に着くと同軸数が4つになります。

 

 蒸気機関車は大量の『石炭と水』を必要とします。

 

 長距離を移動する為には大型の『石単と水を積んだタンク車=テンダー車』が無ければ走る事が出来ませんでした。

 

 その為、機関車のすぐ後方に『テンダー車』を牽引するとバック走行が難しくなってしまいます。

 

 近距離のみを走る蒸気機関車は、機関車後方に『石炭庫と水タンク』を装備した『タンク式機関車』が使用されました。

 

 その『タンク式機関車』の代表が『C56型機関車』です。

 

 『通称=ポニー』とも呼ばれた機関車で『佐久鉄道(後のJR小海線)』を走った『C56型機関車』は特に『高原のポニー』と呼ばれ親しまれました。

 

 『JR小海線・中込駅』には『機関庫』と『転車台』を備えた駅で、昭和47年まで現役稼働していました。

 

 『転車台』とは『蒸気機関車』の方向転換をする為に回転させる『ターンテーブル』の事で、重い『蒸気機関車』を載せて180度回転させ、客車を連結させる方向へ向きを変える為の装置です。蒸気機関車は前進・後進は出来ますが構造上長距離を後進するのは難しく、通常は列車の最前部に位置し前進して客車を牽引するのが普通です。(一部例外の『後押し』も在ったようですが)

 

 此の為『トンネル』が苦手で、後部に連結された客車は『煤煙』に包まれて『トンネル』を走る事に成ります。此れが結構キツイ。SLに乗った事の在る人は解ると思いますが『石炭』の燃える臭いは結構強烈で、客車に乗っているだけでも臭気にやられちゃう人も居ます。

 

 大井鉄道のSLに乗った時の事ですが、後ろ向きに座った事もあり、『千頭駅』に着いた頃にはすっかり酔ってしまいました。その後暫く旅行どころじゃ無かったっけ。

 

 

 窓ガラスがサッシになる以前の話です。街中が静まり返った夜9時過ぎ頃、蒸気機関車と客車を連結するがチャンという音が千曲川を渡った私の家まで聞えて来たのを覚えています。

 

 

 運転席は通常左側。他に『釜焚き係』が必要で。『釜』で石炭を焚いてその中の『ボイラー』で蒸気を発生させ、高圧の蒸気圧を使って『ピストンシリンダー』を動かし回転運動を動軸に伝えます。『ブレーキ』も蒸気圧を使ってブレーキパッドを車輪に押し当て減速させます。

 

 幾つかある『バルブ』は『送水』や『蒸気』を操作する為のもので複雑な構造をしています。

 

 

 

 此処に展示されている『C56 101』は『三菱重工・神戸造船所』で昭和12年に製造されたものです。

 

 『造船所?』 まぁ世界に通用する日本の技術ですから。

 

 データによりますと機関車単体で36tの重量があり、他に石炭と水が必要です。最高出力592馬力を誇ったそうです。

 

 その性能の高さから、日本が電化を推進した後も海外に引き取られ東南アジア各地で現在でも稼働車両が残っているそうです。

 

 現在でも日本各地で観光列車として稼働しており、『北海道』~『九州』迄各地12路線で走行しているのを観られるそうです。(D51・C56・C62など)

 

ガソリンカー

 

 『電気自動車』を盛んに売り出している現在、肩身の狭い思いをしているのが『ガソリン自動車』………の『自動車』の事じゃ無くてですね、線路上を走る軌道車両の『ディーゼル車』に対する『ガソリンエンジン』を動力源に走る軌道車両の事です。

 

 『蒸気機関』が発明され(ワットさんのお陰です)、移動・運搬手段に革命が起きました。

 

 大量・高速移動の手段として『鉄道』がもてはやされ、日本各地、地方都市や山間部にまで鉄道網が構築されつつ在りましたが、『自動車』の台頭と、蒸気機関の公害問題により『ガソリンエンジン』若しくは『ディーゼルエンジン』を動力機関に持つ車両が開発されました。しかし摩擦係数の小さな『鉄道&鉄輪』にとって『ガソリンエンジン』は必ずしもコストパフォーマンスに優れた訳では無く、『低速回転トルク』の強い『ディーゼル機関』に分があった様です。

 

 極短期間、限られた場所を走っていた『ガソリンカー』が『JR小海線』の前身となる『佐久鉄道』を走っていたことは意外と知られていません。

 

 

 『旧中込小学校』に隣接する『成知公園』にはその貴重な車両が展示保存されています。

 

 

 『旧中込小学校受付』で申し込むとフェンスの鍵を開けてくれて、自由に見学できます。

 

 

 前後に運転席が在るって事は『単独車両』で運行されていたからでしょうか。

 

 『ブレーカー』が在る方が主席かな。

 

 で手回し式(丸ハンドル状)の『機械式非常ブレーキ』が前後に着いています。

 

 

 鉄道車両を運転した事ありませんから解りませんけど、一頃流行ったゲームに『電車でGO』が在り、数回チャレンジしましたが私には向いていなかったのか余り面白いとは感じませんでした。

 

 電車の運転は基本『慣性走行』です。

 

 現行車両の多くは『マスターコントローラー(通称マスコン)』を前後に倒す事でアクセル動作とブレーキ動作に対応しています。

 

 蒸気機関車の時代では『左手マスコン』に『右手ブレーキレバー』がそれぞれ独立していました。

 

 『マスコン』は自動車の『アクセル』に相当し、発車・加速時の『POWER ON』に使います。或る程度のスピードになったら『慣性走行』で停車位置を目指します。モチロン途中に上り坂などが在れば車速は落ちますので『マスコン』により加速が必要になります。

 

 駅のホームが近づくと『ブレーキレバー』を操作して減速し停車位置に止めます。

 

 此処が運転技術の差が出る処で、上手い運転手さんの技術では極端なGを感じる事無くピタリと停車位置に停めます。都内で電車通勤をしていた頃、吊革に摑まっていても身体が持って行かれるような運転する車両に乗り合わせると「新人運転手さん。頑張れよ~」と心の中で声援を送っていました。決して「ヘタクソ!」なんて………。

 

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成知公園

 

 『成知(なるち)公園』は『旧中込小学校』の校庭跡地を利用しています。

 

 周囲を住宅地に囲まれた中、芝に覆われた広場や遊具が並び、日頃小さな子供達が走り回っています。

 

 只、公園利用者は『旧中込小学校駐車場』に車を停める事が出来ず、『第二駐車場』を利用する事となっています。と云っても30mしか離れていませんけど。

 

 『旧中込小学校及び資料館』は有料施設の為、優遇されるのは仕方ないか。

 

 この小学校の庭には『藤』の古木が在り、色付くと初夏を感じますがまだまだ先の事。

 

 早く温かくならないかな。

 

 

 この公園の一角には『SL C56』と『ガソリン機関車・キハホニ56号』が展示保管されています。

 

 

 普段は施錠されていますが、『旧中込学校受付』に申し込むと解錠してくれて自由に見学できます。

 

 先に資料館を見学しておくと『佐久鉄道』についてより詳しく解りますのでお勧めです。(何度もブログに書いていますので今回割愛します)

 

 

 で、今回はフェンスの中に入りまして。

 

 見学者への告知が『ガソリンカー及び蒸気機関車の見学』と書かれている様に『ガソリンカー』って現存車両は滅多にお目に掛かれません。

 

 『ディーゼル機関車』は電化の進んでいない路線では現役稼働中ですが、『ガソリンカー(厳密には車じゃ無いんですけど)』は残念ながら日本では走っていません。

 

 燃費がネックになったのと、万が一の安全性に於いて『ディーゼル機関』に分があったみたい。

 

 現在の『自動車業界』はに於ける『電気自動車VSガソリン自動車』みたいなもんですかね。

 

 ゆくゆく『内燃機関』は淘汰されてしまうんでしょうけど。

 

 でも『電気自動車』のバッテリーを充電する電気は、結局は『火力発電』だったり安全が保障されていない『原子力発電』だったりします。本末転倒じゃない?

 

 まだまだ続きますけど次回です。

 

チョウザメ

 

 『チョウザメ』と聞けば誰でも思い浮かべるのが、『世界三大珍味のキャビア』ですが、『ウォッカ』などを呑みながらなら兎も角、それだけ食べても塩辛い&油っこくて、余り美味しいとは思いませんでした。

 

 他の『トリュフ』や『フォワグラ』にしても、『ワイン』や『スコッチ』を呑みながらだと美味しいのでしょうけど………高級すぎて口に合わないだけかな。

 

 それとも食べた『キャビア』が安物で美味しくなかっただけかも知れませんけど。

 

 

 でかい! 水中ですので光の屈折などの加減で大きく観える事もあるでしょうけど、優に1m50㎝は超えています。

 

 

 『チョウザメ』は大変長寿な魚だそうで、個体差が在るでしょうけど120年生きた魚体も在るそうです。20年近く前、子供を連れて『チョウザメ』を見学に行った事が在りますが、其の時と同じ魚体かも知れません。

 

 此方の水産試験場では、特に採卵目的で飼っているのではなく、小学生などの見学者にこんな魚も居るよ。と見せる為だそうです。

 

 『チョウザメ』から『キャビア』を取り出す際、お腹を『メス』で切り開き、卵を取り出した後、縫合すれば数年後又『キャビア』を採取できるそうです。

 

 『チョウザメ』にすればたまったもんじゃ無いですけど。

 

 それでも『フォアグラ』は、ガチョウを殺して肥大した肝臓を取り出す事を考えると………いやはや人間の欲望ときたら。

 

 

 他にも『イトウ』や『草魚』の大型魚が居ますが『チョウザメ』のインパクトが強すぎて。『自動給餌機』の横にユラリと魚影。2m近いかも。

 

 

 『ウグイ』は大きさにより『稚魚』『幼魚』『成魚』の他、採卵用の『親魚』の『生け簀』も在りました。その数合わせて数万匹とか。

 

 他にも『ニジマス』や『シナノユキマス』の『採卵・孵化』も行っていますのでいったいどれだけいるのかは正確に解らないそうです。

 

 直ぐ下流には『養殖業者』の生け簀がズラリと並び『イワナ・ヤマメ・ニジマス。鯉』などがやはり数万単位で飼われています。

 

 風の冷たい中ウロウロしてたら体が冷えてしまいました。

 

 今夜は『熱燗』に『鮟肝』にしようかな。

 

佐久水産試験場

 

 私が子供の頃には在りましたから築どの位なんでしょう?

 

 水路を利用した『ニジマス釣り掘り』や、消防団の『放水練習』に駐車場を使わせてもらったことも在ります。

 

 『チョウザメ』の飼育がTVで取り上げられたことも在り、子供が小さい頃観に行ったことも在ります。

 

 千曲川に隣接し『片貝用水』の豊富な清流を利用した『養魚場』も在ります。

 

 

 見学者は先ず管理棟で受付をしてから。

 

 声を掛けると寒風の中、わざわざ表まで出てきて説明をしてくれました。

 

 多分所長さんかな。

 

 

 玄関脇に設置されている水槽の魚たちの説明から始まりました。

 

 真っ白に輝く『シナノユキマス』や産卵期には真っ赤な体色に変化する『ウグイ』『フナ』などが泳いでいます。

 

 『ウグイ』などは佐久地方では『ハヤ』と呼ばれ、昔は浅瀬が赤く見える程魚影が濃かった時も在りました。

 

 『つけば』と呼ばれる『釣り休憩所兼食事処』では『ハヤのから揚げ』が名物で、夏場、川風に吹かれながら飲むビール。最高!でした。

 

 残念ながら2019年の台風被害で川底が荒れてしまい 『アユの友釣り』もめっきり廃れてしまいました。でも漁協の努力で再興しつつあります。又賑やかな『鮎の友釣り解禁日』が戻ると良いのですが。

 

 『ヤマメ』が川を下り、海で育つと『サクラマス』になると某『グルメ漫画』で読んだ事在ります。

 

 「台風被害の河川氾濫で、さぞや多くの『ヤマメ』が海に流され、『サクラマス』となったのでしょうね」と言った処、実際には海まで流される事は無いそうです。魚の泳力はとてつもなく強力で、仮に流されたとしても流れの弱まった場所を見つけ隠れたり、支流に逃げ込むそうです。

 

 『魚』は大きく分けて『淡水魚』と『海水魚』に分かれますが、『塩分濃度の低い汽水域』まで流されると淡水魚は死に物狂いで遡上するそうです。

 

 逆に『鮭』の遡上なども塩分濃度が変わるという事は、魚にも大変な負担が掛かるそうで、産卵後に力尽きるのは『細胞単位』で身体が壊れていくからだそうです。

 

 それともう一つは『水温変化』 山の上流部に棲む『ヤマメ』が仮に海までたどり着いたところで、高い海水温度では棲息出来ないそうです。

 

 北海道や外国なら若干の可能性が在るそうですが。

 

 魚釣りを『ゲームフィッシング』として『キャッチ&リリース』する人がいますが、冷たい水温の中に棲んでいる魚=『魚の体温』を36℃の人間の手が触れば火傷するのと一緒だそうです。ましてや体表のぬめりなどが取れてしまえば死活問題だとか。リリースされても多くは死んでしまうそうです。

 

 『釣った魚』は食べましょうよ。

 

 そう云えばもうじき『松原湖・氷上ワカサギ解禁』ですね。

 

 大抵日曜日なんですけど今年はサボって行っちゃおうかな。

 

川村吾蔵

 

 佐久市出身の彫刻家位の知識しか在りませんでした。

 

 『龍岡城』傍に『川村吾蔵記念館』が建設されていたのも知ってはいましたが中々縁が無くて………。

 

 冬寒の休日。バイクに乗るにはしんどいなと、近場を車で廻ってみようかと思い立ち、カメラをぶら下げて近場散策開始です。

 

 先ず立ち寄ったのが『鎌倉彫記念館』 佐久市出身の『木内翠岳』さんの作品に驚嘆し、次に向かったのが『川村吾蔵記念館』です。

 

 両館とも佐久市営の扱いですので入館料は格安です。

 

 

 入り口に貼られたポスターに『丸山晩霞・作品展示』と在りました。

 

 『丸山晩霞』は東御市出身の水彩画家で、里山などの風景画を得意とし、その優しい色使いは観ていてやすらぎを感じます。

 

 東御市の『丸山晩霞・記念館』や『茂田井・間の宿・大澤酒造』さんの『しなの山林美術館』などでその作品を堪能できます。

 

 それが今回、『川村吾蔵記念館』では特別展示として無料で観る事が出来ちゃいます。

 

 『川村吾蔵作品展示室』は入館料¥310が発生しますが、何故『丸山晩霞』をこの場所で?

 

 残念ながら館内撮影禁止ですのでカメラは一旦受付に預けます。

 

 最初にロビーで『川村吾蔵』についてのDVDを観る事を進められました。

 

 『川村吾蔵』について『佐久出身の彫刻家』に位しか知りませんでしたのでこれは是非ご覧になってください。正味20分位で、後半『なんでも〇定団』に出品された作品も収録されています。

 

 果たしてお値段は?イチ・ジュウ・ヒャク・セン………。

 

 DVDを見終えた後、『川村吾蔵展示室』へ。

 

 作品点数は多くありませんが、DVDに紹介されていた作品の数々が展示されています。

 

 『ヘレン・ケラー』や『マッカーサー元帥』などの胸像も在り興味深いですが『牛の吾蔵』と呼ばれただけに『牛』は必見です。

 

 作品自体は小さなものですが、圧倒的な力強さを感じます。これは乳が出そうな牝牛!

 

 10分も在れば観終えてしまいますが、特別展示室の『丸山晩霞』へ。

 

 一足早くヨーロッパで活躍していた『丸山晩霞』と『川村吾蔵』は手紙のやり取りを通じて親交があり、『吾蔵』のアメリカ行きを後押ししたのも『丸山晩霞』だそうです。

 

 ニューヨークへ渡った『吾蔵』の元に送った手紙なども展示して在りました。

 

 作品は優しい色使いの『水彩画』でモチーフは『山岳美術』や『里山風景』が中心。

 

 観ていてどことなくほんわかした気持ちになれます。

 

 DVDから『川村吾蔵』・『丸山晩霞』と観ても40分も掛かりません。

 

 お近くをお通りの際は是非どうぞ。

 

鎌倉彫記念館

 

 建物前の道は良く通りますが、ついつい入りそびれていました。

 

 そもそも『鎌倉彫』が何故此の地に?くらいな事しか思ってませんでしたから。

 

 佐久市(旧臼田町)出身の彫刻家『木内翠岳・すいがく』さんが極めた『鎌倉彫』とは、彫刻作品に幾重にも『漆』を塗り重ねて仕上げます。

 

 日常生活で使う為の『民芸品』と違って『美術品的要素』が強く、お値段も桁違い。

 

 『日本工芸品』にも認定されています。

 

 

 ぱっと見、普通の民家に見えなくもないですが、入り口を入ると(バリアフリー)受付が在ります。

 

 入場料は大人¥100。 鎌倉彫の展示室は感想を防ぐ為に暖房が在りません。

 

 冬は防寒着のまま入室して下さい。残念ながら館内は『写真撮影禁止』ですので写真はありません。

 

 係員の方が親切丁寧に付きっきりで解説してくれます。

 

 彫刻には『桂』が多く使われるようで、『鎌倉彫』がブームになった昭和後期には、大量の『桂の大木』が消費されたようです。

 

 『桂』の葉っぱは『ハート型』をしており、『別所・北向き観音』境内の『愛染かつら』の葉っぱは『縁結び』の御守りとして人気が在ります。

 

 映画『愛染かつら』を知っている人なら、切ないすれ違いの『悲恋』と知っているのでしょうけど。

 

 『鎌倉彫』の作品を順次見て廻っていたら、『牡丹』(正式作品名忘れました)の作品の前で衝撃を受けました。

 

 係員の方に「凄い作品ですね」と言ったら「私もこの作品が大好きです」ですと。

 

 全部見て廻っても10分少々ですけど、此の『牡丹』は何時までも見ていられそう。

 

 佐久市市営の美術館の扱いです。此れで¥100は絶対お得。

 

 チョットした目の保養に是非どうぞ。

 

 

初詣

 

 初詣は毎年『諏訪大社』へ出かけます。

 

 『交通安全祈願』を願掛けする為に、新年最初に行くのが『諏訪下社』です。

 

 そして次に行くのは『少林山達磨寺』 商売していますので縁起担ぎで『達磨』を買いに毎年訪れています。

 

 が、元旦は何処にも行かないで、初日の出を拝んで、朝風呂入って酒飲んでゴロゴロ。

 

 何とはなしにTV視ながら気が付きゃ寝てます。

 

 今年も『神社』と『寺院』の参拝。いっぱい行きたいな。

 

 出来れば『富士浅間神社・奥之院』 富士山登山しなきゃですけど。

 

新春

 

 毎年、元旦の恒例行事として『初日の出』を拝みに行くのですが、今年は寝坊して『日の出』では無く『太陽』に両手を合わせました。

 

 朝一番の『若水』を汲んで『神棚・仏壇』に御供えし、その後『朝風呂』にて身を清め『雑煮』の朝食(いやお昼)です。

 

 毎年、暮れは大晦日まで仕事に追われているので、二週間ぶりにゆっくりできました。

 

 でなんやかんやで夕方。地震発生。

 

 初詣で『今年は良い年になります様に』と願掛けした日に甚大な被害をもたらすとは、今年の行く末を示唆しているのでなければ良いのですが………。

 

 世界各地に勃発しとぃる『紛争』や『虐待』 海洋投棄された『プラスチックごみ問題』や『森林破壊』 何時までも見て見ぬ振りをしても居られない世界情勢に声を挙げなければければ。と痛感した一年の幕開けです。

 

 取り敢えず『返礼品無しのふるさと納税』を『珠洲市』に納税したい処です。

 

 亡くなられた方にお悔やみを申し上げます。そして被害に遭われた方には少しでも多くの救済が届きます様に。

 

 

外宮

 

 今回の『紀伊半島一周』は、『神様・仏様』参拝が目的です。

 

 普段『神社仏閣』に参拝しても、『願掛け』はしません。

 

 お賽銭を入れ、『参拝させて頂きます』と『礼』又は『合掌』します。

 

 毎年訪れる『少林山・達磨寺』だけは『商売繁盛』を願って『縁起達磨』を頂き、『開眼法要』して頂きます。以前は『正月三ヶ日』は混雑して大変でしたけど、『お祭り騒ぎ』は『高崎駅西口』に移ったので割と落ち着いて参拝出来ます。(但し露天商での買い物は出来ませんけど) 『七日法要』の日だけは大混雑しますから注意。『七草粥』の振舞を求めて長蛇の列です。

 

 『願掛け』をして願いが叶ったら『願ほどき』をしないといけませんから、中々訪れる事の出来ない神社仏閣で願掛けすると大変です。

 

 今回『熊野三山』『高野山金剛峰寺』『神宮』を廻って願掛けしたのは『戦争終結』です。

 

 『ロシアのウクライナ侵攻』や『パレスチナ難民問題』更には『中国の傍若無人な振舞』や『ロヒンギャ難民』を筆頭に諸国に巻き起こる『弱者虐待』

 

 世界中の人が不安に感じている筈です。

 

 『戦争終結』を今回廻った様々な場所で『願掛け』して来ました。

 

 『神宮』を参拝するなら『外宮』を先に『内宮』を後にと云われています。

 

 『皇族』の方が参拝する時も必ず外宮が先とか。

 

 という訳で、やって来たのは『外宮』の駐車場です。

 

 某『駐車場貸し出しサイト=ア〇ッパ』で予約をしていましたが、煽り文句とは裏腹に無料駐車場ガラガラ。平日でも朝から駐車場の空き待ちで渋滞ができると書いたのは誰だ?きっと駐車場の貸し出し側の人だろうけど、余りフェイクニュースを謳い上げない方が良いのでは。

 

 『外宮』に来た事無かったと思っていましたので今回の『伊勢参拝』を決めたのですが、正面の入り口に来てみると………あれ?来た事あるかも。

 

 『外宮』は正式名称『豊受大神宮』 何処にも『外宮』と書かれていません。

 

 以前『バスツアー』で来た時、『二見ヶ浦』の『夫婦岩』や『伊勢志摩』などを観光する目玉として『神宮参拝』が在ったのですが、『内宮』しか参拝していないと勘違いしていたのは『豊玉大神宮』という名前が印象的だったからでしょうか。

 

 私の爺ちゃん、名前を『豊治』と云いますが、『玉屋』の屋号と『豊治』の二つを兼ね備えている神社だなぁと思いながら参拝した事を思い出しました。

 

 『火除け橋』を渡って玉砂利の参道を進みます。

 

 潜る鳥居は『笠木』に反りの無いシンプルな『神明造り』 原点の様な潔さです。

 

 反りの在る『笠木』の下に『島木』を持つのが『明神造り』で、チョット紛らわしいです。

 

 『鳥居』はそもそも『神に仕える鳥=鳳凰』が『とまる木』とされています。

 

 『丸太』を組み合わせただけの『鳥居』も在りますが、格の高い鳥居の『笠木』は『五角形』をしています。その下の『貫(ぬき)』と呼ばれる横木は、左右の柱を突き抜けていません。そして『笠木』と『貫』を繋ぐ『額束』と『扁額』が無いのも主な特徴です。

 

 シンプル故に『白木』の場合が多く、風雨に晒され耐用年数が低いのが難点で、数年に一度建て替えられます。

 

 さて『外宮本殿』 『玉垣御門』を潜り瑞垣の手前で参拝します。

 

 格式高い神社などでは『二礼・四拍手・一礼』とされたりしていますが、『神宮』は『二礼・二拍手・一礼』です。

 

 そして此処では『個人的な願望』を願う事はせず、あくまで公的な願い事をお願いします。

 

 例えば『日照りが収まり、雨が降ります様に』とか『疫病が一日も早く収まります様に』などです。私は今回『世界中で一日でも早く争い事が無くなります様に』と願掛けしました。

 

鳥羽・アジサイの宿

 

 『神宮』と名の付く神社は『明治神宮』『鹿島神宮』や『香取神宮』など在ります。

 

 しかし単に『神宮』と云えば伊勢に在る『伊勢神宮』の事です。

 

 『外宮』と『内宮』が在り、下宮から先に参拝すべきとされています。

 

 今回唯一、二食付きプランで泊った『鳥羽』のホテルは『伊勢海老御造り』『焼鮑』『松坂牛ステーキ』と三拍子揃った夕食が売りのホテルです。

 

 『ゆこ〇こ』で探した昭和を感じるホテルはそれなりの経年劣化を感じますが、その分料金がお得!一泊二食付き¥12800という格安で『伊勢海老・鮑・松坂牛』が食べられるのですからホテル外装なんか二の次です。

 

 若い従業員の方がテキパキ対応してくれて、部屋まで荷物を運んでくれます。最近はホテル形式のセルフスタイルが多いからチョット驚きです。

 

 部屋は『昭和』の新婚旅行全盛の頃建てられた感の造りですが、この宿泊料金暴騰のご時世にこの料金設定は魅力。さてさて夕食時間になり席に着きますと。

 

 私ゃ『バイキングスタイル』には少し抵抗が在ります。ホテル側にすれば給仕の手間が無く、人件費削減に繋がるのでしょうが、諸所問題点を感じてしまいます。

 

 『車椅子の方』は付き添いの方や従業員が手伝っていましたが、混雑時は利用をさけているようでしたし、マナーの悪い客が料理の前でしゃべりながら料理を取ったり、綺麗な盛り付けを崩したりで………。

 

 『揚げたて天ぷら』や『ステーキ』なども客の数を観て早々に終了してしまったり、『カニ食べ放題』のカニは身がスカスカだったり。

 

 一番の危惧は残飯の量。仮に従業員の賄いになるとしても毎日の残飯量はどの位に成るのだろう。家畜の飼料にするとはいえ、膨大な無駄を感じます。

 

 広間のテーブルには、例のごとしの御膳の用意が済んでいて、何と云っても『御燗、ぬるめで』 

 

 『伊勢海老』は一匹の値段の割には食べる処が少なく、『テルミドール』などで誤魔化す処が多いですが此処は御造り。甘い身で日本酒が美味いのなんの。

 

 『鮑』はやっぱり小さめですが生き貝の『残酷焼き』(ホント人間はは可哀そうな事しますよね。食べますけど) なるべく蓋をして見ないようにして。

 

 鮑ととこぶしの違いが判らない………。

 

 『松坂牛』は小鍋仕立ての『すき焼き』 どれも高級食材。お腹いっぱい食べるモノでもないので丁度いい位の量かな。それでもご飯はしっかりお替りしましたけど。

 

 だって『海鮮みそ汁』だけでご飯三杯はいける。

 

 料理に使った『サザエ』や貝殻が綺麗に掃除されお土産にどうぞと置いて在りました。子供は喜びそうなサービスですね。

 

 古くなった『ホテル・旅館』は採算が取れなくなるので廃業してしまう場合が多いそうです。このホテルは若い従業員の方が引き継いだのか、活気とアイデアが在ります。

 

 温泉街に建ち並ぶ廃墟を見るより、頑張っている人を応援する為にも私ゃこういう『ホテル・旅館』利用したいです。安いもん。

 

 でも普段は素泊まり鹿しか利用しないんです。年寄りは朝が早いから。朝食時間まで持て余しちゃう。それなら出発しちゃうから。

 

 このホテルでも朝5時には目が覚めちゃって朝風呂前に海沿いを散歩です。

 

 冷えた体を温泉で温めて朝ごはん。自家製の干物の美味い事。朝からお替りだぜぃ。

 

鳥羽

 

 車に戻りスマホのカーナビに今夜の宿をインプット。(車載カーナビは古すぎて)

 

 以前バイクで、『和歌山市』から『松坂』へ抜けようとして国道24号線を走っていたら、何故か物凄い『鈴鹿山脈』の山の中へ入り込んでしまい結局時間が掛かったという苦い経験があったので、此処は素直に時間優先カーナビの指示に従いますか。

 

 『紀伊半島』は『高速網』が開発されつつ在り、校則に乗る時はS-Aなどで手に入る『高速map』が貰えたのですが、最近は経費削減なのか『インフォメーション』ですら紙の地図は手に入らなくなってきています。道路の開発スピードと、印刷のギャップがクレームになったり、更新されたら大量の地図が無駄になってしまう。

 

 当店にも毎月かなりの量がFAXされてきます。片面印刷で無駄にしてしまうのが勿体ない! メモなどに使っていますがそれでも物凄い枚数になります。FAXの印刷用に裏面を使ったりもしますが、偶に送信しなければならない事も。其の時裏表間違えて送信しちゃった事がしばしば。

 

 銀行関連や保険関係などは『紙資料』として保存しとかなければ不安ですが、それ以外なら電子メールで充分かな。(大量の迷惑eメールにも困りものデスが)

 

 知らない携帯番号から如何にも『詐欺』のフィッシングメール(SMS)が送られてきたりします。携帯会社も迷惑メールの発信元が解っているなら何故携帯SIMを無効にしないんだろ。『オレオレ詐欺』と呼ばれてていた頃から、携帯会社が対策を取っていれば被害は少なかったんじゃ無いのだろううか?(携帯会社がグルだったりして) 何故国会で討議されないんだろう。国会も下らない議論ばかりしてないで、法律違反者は『永久追放・賞与無し』に決めちゃえばつまらない『国会議員』は淘汰されるのに………。

 

 大手企業なども躍起になって『LINE』の要録を促したり、メールアドレスを収集して絨毯爆弾宜しくくだらないメールを大量に送り付けて来る。迷惑だという事が解っていながら誰もが黙認している事実。なんかおかしくない?

 

 大企業が許されているから『詐欺グループ』がメール・SMSを大量に送り付けて来る。挙句『下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる』で詐欺に引っ掛かる人が出てくる始末。

 

 『メール・SMS』を有料にして、受信側が迷惑ですと判断したら迷惑料を支払わせるってどう? 迷惑でも何でも無ければ迷惑料の支払いは発生せず普通に送受信できるシステム。前払いで一回¥100を供託金として携帯会社に前払いし、迷惑と感じた受信者には携帯会社から支払われる。メール送信側はかなりの資金力ある企業じゃ無きゃ無理。

 

 『IPフォン』は無料だからと海外から掛けてくる悪い奴らがおおいし。(私ゃ050発信には絶対に出ません)

 

 そもそも『携帯番号検索』で迷惑の評価の電話番号を何故取り消しできない?絶対に料金未納だろうに。(迷惑だけなら無料というシステムを見直す時ですよ各携帯会社さん)

 

 え~っ。長々と『携帯電話』及び『メール・SMS』の迷惑行為に対しての規制要請の意見ですが本文に戻ります。

 

 『高野山』で『鳥羽』をカーナビに入力したら『高野山』『国道371』を指示されました。此れがとんでもない山路………。

 

 まっ、長野県の山間部を良く走る私にゃ普通の山道ですが、クネクネの細い山道。対向車も追従車も一台も無しで1時間程走りました。

 

 途中、道路工事の走行時間規制が在り、間に合うように飛ばしていたんですがたった一台、追いついた軽トラックが時速30キロ以上出さないでやんの。

 

 煽る訳にもいかずひたすらノロノロ走行。お陰で道路閉鎖につかまりました。

 

 それも『一時間半走行禁止』ですと。ガードマンが気の毒に思ったのか、「工事車両が走る後ならついて行っていいよ」と助け船を出してくれました。暫くして数台のダンプカーが連なる後をノコノコついて行きましたが、たかだか1キロ区間の道路工事を完全封鎖する意味あるの?

 

 だって他に通行車両ゼロ!なんだから。工事の合い間にだけ通過させればすむ事じゃん。

 

 そんなこんなで『高速道路』ではチョット急いで何とか『鳥羽』へ。何とか夕飯間に合いました。

 

金剛峯寺・奥之院

 

 高野山の核心『奥之院』迄やって来ると、奥之院駐車場からバスや車で来る人達でごった返しています。

 

 此方の参道沿い墓地は近年に開発され、有名企業や個人名の墓標がズラリと並んでいます。最近はニュースにもならなくなった某芸能プロダクション『ジャニー〇多川』の名前が在り、人が群がって撮影してました。インスタとかの投稿用かな。感心できませんけど。

 

 基本亡くなられた方のお墓ですから、縁故をお惜しむ方が参拝すべき場所なのですが、ぶっちゃけ観光名所になっちゃってます。写真撮影などして騒がずに合掌するのが宜しいかと。

 

 驚いた事にストリートビュー迄在ります。ラウンド・カメラ背負って歩いたのでしょうか。

 

 石畳の先に建物が見えてくると『金剛峯寺・奥之院御供所』数段の石段を登ります。

 

 この石段、僅か数段ですが、現世との境を示しています。車椅子の方の為に石造りのスロープが在る辺り、優しさを感じますね。

 

 手水舎で清めてから向かいの『御札・御守り・御朱印』の領布所へ。

 

 特に御朱印集めに興味は無いですし、おみくじは引かないタイプ。御守りも幾つも身に着けるものじゃ無いので横目で眺めるだけです。

 

 そもそも『御供所』とは『弘法大使・空海』の為に朝晩の二回、御供えする食事を造る場所です。よくTVとかで大きな箱に食事を入れ、二人掛かりで担いで『御廟』へ向かうシーン見た事無いですか。

 

 今年は『弘法大使・空海』生誕1200年という事で『真言宗』では祭典を行う寺院が多いみたいです。

 

 でも『弘法大使』は『御廟』に入っても亡くなった訳では無いと考えられているので、今でも朝晩二回の御供えを欠かさないそうです。

 

 『御廟橋』手前にズラリ並んだ『水掛け地蔵さん』 一つ一つに謂われが書かれています。一つに水を掛けたらついつい全部に掛ける羽目に。だって途中で止められないじゃない。

 

 『御廟橋』から先は聖域とされ、カメラ撮影や大声での会話、スマホなどの『マナー違反』は全てNGです。NHKの特番であれ撮影許可は降りませんから。

 

 だからと橋の手前から望遠レンズなんてのも無粋な事。

 

 『春日局』の『供養塔』の前を通りまして『奥之院』へ。

 

 『線香』を香炉へ。『蝋燭』を『灯明棚』へお供えしまして御堂の前で合掌。

 

 正直、神聖過ぎて頭がボ~っとした感じです。

 

 当然『弘法大使御廟』へは立ち入り禁止。

 

 お辞儀をして戻ります。

 

 でもやっぱり何だかボ~っとしたまま。 

 

 周囲の人も一言も語らずに歩いています。

 

 山門まで来てやっと我に返った感じ。やっぱり『弘法大使様』の神通力のお陰だったんですかね。

 

高野山奥の院・墓地

 

 『お墓参り』 毎月必ず一度は行きます。先代の月命日にお線香あげに。

 

 他にも『徳川家康』とか『真田昌幸』とかの歴史上の有名人・著名人等のお墓にも結構『お墓参り』しています。

 

 『お墓=墓標』には必ず遺骨が埋葬されている訳でも在りません。

 

 亡くなられた方を慰霊する為に、参拝し易い場所や、その人の縁の場所、他には此処『高野山・奥の院墓地』の様に高僧の開いた聖域にお墓を造る場合が多いそうです。

 

 仏教では『釈迦』が悟りを開いて『仏』になり、入滅後『56億7千万年』後に『弥勒菩薩』となってこの世を救うとされています。地球が生れて『48億年』と云われていますから、まぁ確認のしようがない壮大な話ではありますけど。

 

 『高野山・奥の院墓地』では有名所の『戦国武将』のお墓が並んでいます。

 

 とにかくでかい。小さなものも在りますがほとんどが2m以上の高さが在ります。

 

 『五輪塔』は五つの部位に分かれ、上から『空輪:宝珠形』『風輪:半月形』『火輪:三角形』『水輪:球形』『地輪:方形』の形で重なっています。それぞれに『梵字』が刻まれています。

 

 『戒名』では無く生前の名前が刻まれていたり、一族の代表として『〇〇家先祖供養』などと刻まれている場合が多いみたいです。

 

 『豊臣秀吉』とか『武田信玄』『上杉謙信』『伊達政宗』『毛利………。』

 

 歴史好きのみならず、『TVドラマ』や『ゲーム』でも名前が出て来る人ばかり。

 

 他にも著名な会社の創始者の墓も在ります。例えば『UCC・上〇珈琲』とか『キュー〇ーマヨネーズ』とかのお墓も。特徴的な『墓標』(コーヒーカップやマヨネーズチューブ)が在り一目でそれと解ります。

 

 でも感心したのは『創始者と社員一族を奉る』と刻まれていた事です。

 

 社員想いの会社は上場企業の中でも優良企業が多いみたい。

 

 やはり『社員』を大事にする会社は違うなぁと感じました。

 

 戦国武将の時代の墓には『大名』と『家臣』の名前が共に刻まれることはまずあり得ない事です。

 

 そして『親鸞上人』のお墓も! えっ『浄土真宗総本山・本願寺』じゃないの?

 

 たまたま墓地を管理している方に遭遇したのでお話を伺いました。

 

 この広大な敷地に建つ『五輪塔』ですが、『阪神大震災』の大揺れの時でも、倒壊したのは数基だけで、崩れても割れた物は無かったそうです。これも弘法大使様の神通力のお陰でしょうか。

 

 『阪神大震災』で思い出しましたが『東北大震災慰霊塔』も建っています。

 

 あくまで『お墓』ですので写真撮影や、騒ぐ行為はNG。厳かな気持ちで参拝させて頂くのが宜しいかと。

 

 観光地では在りませんのでお墓の位置情報とかの案内は在りません。

 

 でも『googlemap』では確認出来るんですけどね。

 

 『奥之院』への参道沿いの墓地です。せめて入り口で合掌してから参拝しましょうね。

 

 此処。日本人なら絶対訪れるべき場所です。(外人さんもメッチャ多かったですけど)

 

精進料理

 

 真言宗の総本山『金剛峯寺』で『真言密教』の神髄にちょこっとだけ触れまして『奥の院』へと向かいます。

 

 『奥之院参道入り口』付近に民間駐車場は在るのですが営利目的見え見えの料金設定です。

 

 『神社仏閣』で維持の為の『拝観料徴収』では致し方ないとしても、来訪者用駐車場は無料が多いです。しかし訪問者に対して駐車キャパが少ない為(人が集中しやすい時間帯に停めようとする為)、近くの個人or企業が『コバンザメ商法』で稼ごうとしているの見え見えデス。更に最近は『〇キッパ』なる『個人駐車場予約代行サービス』まで出現する始末。

 

 この『ア〇ッパ』なる『駐車場予約代行サービス』、一度借りてみましたが………。

 

 必要以上の煽り文句と裏腹に、神社仏閣の専用駐車場が空いていたり、思った以上に距離が離れて居たり。おそらくは高評価を投稿した人は『サクラ』?

 

 嘘が在ると人は見抜き、見抜かれた嘘は必ず人伝に伝わります。『アキッ〇』の駐車スペース貸し出し主はその点を解っているのかな。(税務署にチクられないようにね)

 

 話戻します。

 

 奥之院駐車場へと向かっていると道路沿いに四角くペイントされたスペースがズラリと並び、沢山の車が停まっています。しかも『パーキングメーター』が無く、『駐車券発券機』も見当たりません。道路に駐車禁止の表紙句も無い為『無料駐車場』なんだ!

 

 恐らく『奥之院駐車場(無料)』だけでは駐車スペースが足りない為、国道を拡幅し駐車場を造った感じです。

 

 丁度『精進料理』のお店を見つけたので予約無しでも食べられるか確認した処OKでした。

 

 駐車料金が浮いたと考え精進料理¥2000コースにチャレンジです。

 

 選んだお店は『み〇ま』一応通り沿いのお店ですが、奥之院参道の標識は裏道を指示する為、多くの車は裏道に入って行きます。

 

 暖房の効いた席に座って、料理が運ばれてくるまでの間、店内にあった旅行雑誌をペラペラめくると『精進料理』紹介のページにこのお店が掲載されていました。それも何誌も。立地条件が少し悪い為か、店内収容人数が少なめな為か予約なしで注文出来て尚且つお得な料金設定。かなり良心的です。

 

 まぁ『精進料理』の内容は何処も似たようなモノでしょうから私ゃ大満足で食事を終えました。

 

 さて歩いて『奥之院墓地入口』から参道を行きますか。

 

 以下次回です。

 

金剛峯寺

 

 今の今まで『金剛峰寺』と思ってました。『峯』だったんですね。

 

 この漢字。他に見た事無いです。

 

 『壇上伽藍』から歩いて『金剛峯寺』まで参道を行きます。

 

 正門前に無料駐車場が在るのですが一杯で待機路線も無い為、運が悪ければいつまでも行ったり来たりしそうです。

 

 横断歩道に信号は無く、係の方が交通整理をしています。

 

 一礼してから太鼓橋を渡りまして参道へ。

 

 石段を登ると山門が在ります。潜ると目の前に聳え立つ『金剛峯寺・本堂』です。

 

 『蝋燭と線香』を備えまして靴を脱ぎ建物の中へ。

 

 拝観料¥600を払い1200年続く『真言宗』をの中枢へ入ります。

 

 昇降口から先、撮影禁止の場所が多いですのでカメラをバッグしまいまして。

 

 場所によっては撮影可も在るからややこしい。

 

 『〇〇の間』などと書かれた幾つもの部屋には、素晴らしい『天井画』や『襖絵』の数々。詳しく知るには観光ガイドを雇うか、ガイドブックが必要ですけど、どうせすぐに忘れちゃうんだから「ふ~ん。綺麗だな」程度で済ませてしまいました。

 

 休憩所の大広間では湯茶接待(セルフサービス)が在りました。ボタンを押せばお茶が出て来るアレ。でも意外な事に美味しい。コンビニのコーヒー同様、機械が進化しているのでしょうか。お替りしちゃいました。

 

 売店で『弘法大使様姿絵』をお土産にしました。

 

 通路を進むと国内最大の『枯山水庭園』を望む回廊に出ます。

 

 皆さん盛んに写真を撮っています。

 

 最後に『御台所』を見学して終了。天井から吊るされた『ねずみ除け』の食糧庫や、当時から修繕しながら使われている『竈』などを見学できます。

 

 普通の民家では『竈』や『井戸』には神棚が祀られていますが、この建物には無いみたい。(当たり前か)

 

 ゆっくり廻っても1時間と掛かりませんが、あれ『本堂』は無いのね。

 

壇上伽藍

 

 TV・写真等で一度は観た事が在ると思います。

 

 丸い多重塔は、『仏舎利塔』を示し、中には『仏様の骨の一部』が納められています。

 

 先ずは『金剛峰寺金堂』で参拝。自己申告制の拝観料¥500ですが、お釣りの必要な人及び領収書!の必要な人は『御供所』で受け付けてくれます。

 

 神社仏閣で領収書って初めてかも。記念に貰っとこ。

 

 『金堂』内部は撮影禁止。(でも写真で見た事ないですか?)

 

 内部は仏様を中心に『立体曼荼羅』を模しています。日本人なら必見です。

 

 続いて『壇上伽藍』赤く塗られているのは『魔除け』の意味を込めているからだそうで、『神道』にも共通して使われます。

 

 『仏舎利塔』としての『壇上伽藍』、白い色は『漆喰』でしょうか?。朱塗りと白のコントラストが美しく、見とれてしまいます。

 

 お勧めのアングルは『金堂』の回廊から。(写真無いんです)

 

 ついつい座り込んで眺めていました。

 

 更に境内をくまなく巡ります。境内には『神社(御社と山王院)』も在ります。

 

 『卍』マークの並ぶ中に『⛩』のマーク。神仏分離令の現在に於いて不思議。 

 

 そして『金剛峰寺西塔』実に趣きが在ります。(写真無いんです)

 

 『金堂』と『西塔』の間に立っている松の木が『三鈷の松』

 

 此処で『三葉の松葉』を拾いました。 まだまだ続きますです。

 

高野山

 

 云わずと知れた『弘法大使・空海』開祖の『真言宗総本山』です。

 

 和歌山県の『高野山』の麓、『大門』から始まり『壇上伽藍』『金剛峰寺』『奥之院』と車で移動するだけでも結構な距離と時間の掛かる、一つの街が形成されています。

 

 『紀ノ川』で船を降り、山の中の『高野街道』を一日登り続けて『大門』へと辿り着きいます。

 

 今回は『九度山』から『国道370号線』を車で登りましたが、九十九折の急な坂道を登る事1時間弱。突然目の前に現れる大きな建造物『大門』が現れます。

 

 少し離れた無料駐車場に車を停め、先ずは『大門』前の細い『高野街道旧道』の細い道を歩いてみます。100m程下ってみましたがいきなりの急坂。登り返すのが結構キツイ。

 

 『旧道』を昇り詰めると目の前に急に現れるのが『高野大門』その大きさに圧倒されます。

 

 これから『高野山』を参拝させて頂きます。圧倒的な仁王像の大きさ。必見です。

 

 山門を潜り、一旦『お助け地蔵尊』へと向かいます。

 

 山道を行くと小さな『地蔵堂』が建っています。引き戸を開けて参拝。

 

 このお地蔵さん、一つだけ願いを叶えてくれるお地蔵さんとして有名です。

 

 丸くて重い石が置いて在り(8㎏位?)、持ち上げてから願掛け。願いを伝えた後にもう一度持ち上げた時軽く感じれば願いが叶うとか。

 

 願いはひとつ

 

 『全世界の戦争終結』です。 お地蔵さん。お願いしますね。

 

 あ~ぁ。写真データが全て壊れるとは………トホホ。

 

 確か建物の脇に古めかしい『地蔵尊』が在ったと思ったんですけど。そちらにも参拝。

 

 何のお地蔵さんだったか思い出せないのが痛いなぁ。

 

 再び大門に戻って山脈を眺めてみました。

 

 『空海』は此の場所をどうやって知り得たのだろう?

 

 伝説では帰国の船の上から「私の行くべき道を示せ」と、密教仏具の『三鈷杵』を投げ、落ちた処が『高野山』の松の枝であったとか。(その松は今でも『三葉の松葉=三鈷の松』が見られるそうです。)

 

 『空海』は金色に輝く『三鈷杵』をさがして日本中をくまなく歩いたとか。

 

 ※日本各地に『弘法大使』伝説が残されており『能登半島・見附島』や『諏訪大社下社』等にも『三鈷の松』が存在します。

 

 いや日本をくまなく歩くって、何十年かかるの?何て事は考えない様に。

 

九度山

 

 和歌山市内のビジネスホテルで一泊して『アーリーチェックアウト』

 

 食事付きだと時間制限が掛かり、朝一のスタートが遅くなるから『素泊まり』がいつものパターンです。(夕飯は地元の名店を尋ねられるし。まっ居酒屋関係ですけど)

 

 朝5時にパーキングタワーから車を出庫して貰うのは、いささか気が引けますけど。

 

 一路東へと進路を取り向かうは『九度山・真田ミュージアム』

 

 到着予定時刻には開館していないのは重々承知の上で『九度山』へ。

 

 『九度山』には『大坂冬の陣』で敗退した『真田昌幸・幸村』が蟄居させられていた場所です。

 

 『紀ノ川』に流れ込む清流の近く、山間の地にその居住跡は在ります。

 

 現在は開発されて住宅地に囲まれ、更には色々な土産物屋さんまで。

 

 『真田の郷』の様な『牧家的風景』を想像していただけにチョット拍子抜けです。

 

 駐車場も開いていなかったので、空き地に停めてそそくさと『善名称院』通称『真田庵』へ。

 

 お寺だけあって24時間、開いててよかった。(拝観料徴収の神社仏閣は開門時間とか在るから………営業時間と表示すれば?)

 

 山門を潜ると『真田昌幸のお墓』が在ります。遠い異国の地で埋葬された場所として墓標が建っていますが、その後お墓は真田の地に移されています。

 

 尤も今日行く予定の『高野山・奥之院墓地』にも各国の有名戦国武将に混じってお墓が在るとか。

 

 『豊臣秀吉』や『伊達政宗』『武田信玄』『上杉謙信』なんぞのお墓が建ち並ぶのは、『釈迦』入滅後の56億7千万年後に『弥勒菩薩』が現れる時、悟りを開いた『空海』も甦るとされていて、其の時あわよくば一緒に甦りを期して、or近くで再来を拝む為。らしいのですけど………なんせ地球が誕生してから48億年とされる以上に長い時間が必要ですから何とも言えない壮大な話です。

 

 『善名称院』さんは割と小さなお寺です。と云うより『真田家住居跡』を寺院として保存している感じですかね。

 

 山門から始まる境内には『手水舎』『地蔵堂』『本堂』などの他『真田昌幸のお墓』も在ります。

 

 至る所に『真田六文銭』が翻り寺紋もやはり『六文銭』

 

 『昌幸』墓前に五円玉を六枚納めまして合掌。

 

 ホント周囲は普通の民家の建ち並ぶ中、真田の無念を感じる場所でした。

 

 近くに在る筈の『真田抜け穴』とかも観てみたかったんですけどなんせ車が気になってゆっくり見学できませんでした。次来る時は『真田ミュージアム』も行きたいな。何時になることやら。

 

 コンビニでコーヒーとパンを買いまして、イザ『高野山』

 

三段壁と千畳敷

 

 『潮野岬』を後に次に向かったのは『海中展望塔』の在る『串本水族館』

 

 ですが、時間的に余裕が無くなり今回はパス。決して入場料………。

 

 海岸線を走る国道42号線は片側一車線の追い越し禁止道路です。前を走る車がきっちり制限速度で走ってくれていますので(道交法遵守)長い車の列が出来ています。

 

 その車が『水族館駐車場』へとウインカーを出したのでついついパスしてしまいました。ホントは海中の中へと降りる展望塔、観たかったのに。

 

 鈍行車がいなくなったので車の流れはスムーズになりストレスは無くなりました。

 

 現在『紀伊半島南部』には高速道路が構築されつつあります。

 

 『恋人岬』や『エビ・カニ水族館』など見所満載なので、『南紀白浜』までは下道を選択します。(高速道路は時間的に早いけど楽しい景色じゃ無い)

 

 『すさみ』の道の駅に在る『エビとカニの水族館』は有料。(道の駅だけ利用しました)

 

 『恋人岬』は普通の海岸。確かに景色は良いですけど、若いカップルが夕陽を見て思わず………って場所ですね。(ハイハイお幸せに) 潮の加減によっては、沖の島を廻った波が左右からぶつかる様を観られるそうですが今回はタダの波でした。

 

 『ダイビングスポット』の『すさみ海中ポスト』も陸から観る訳に行かないし。

 

 時間的節約を考えて途中から高速を利用しました。(やっぱり早い)

 

 『南紀白浜インター』降りると『南紀白浜空港』のすぐ脇を通り抜け一路『三段壁』へと向かうのですが『空港』や『旅客機』に普段縁遠い『佐久市民』にとって、離発着しつつある飛行機も大好き。ついつい車を停めて見てました。(だから時間が足りなくなるの)

 

 『三段壁』 『ミニ東尋坊』ですかね。某お土産売り場からエレベーターで海面迄降りれるそうですがお値段それなり。(私にゃボッタくりです)写真だけ見て良しとします。

 

 『千畳敷』 『宮崎・千畳敷海岸』のように荒々しい感じはなくのっぺりした巨大な一枚岩。でも必見です。

 

 さてホテルチェックインの時間があるので高速をかっ飛びますか。

 

潮岬

 

 云わずと知れた『本州最南端』

 

 其処には『本州最南端の碑』と展望テラスが在ります。

 

 広い駐車場の周りには訪問客を当て込んだお土産屋さんや飲食店が軒を並べています。

 

 国道を渡り、草地を200mも歩けば『本州最南端の石碑』と『展望テラス』

 

 写真を撮る為に『シャボン玉』を飛ばしました。風に乗ってかなり遠くまで飛んでいきます。(だから………写真が無いんです)

 

 駐車場の脇には一段高い所に『展望タワー』が建っていますが入場料¥1500。

 

 で見える景色はたいして変わらないと思うんですけど………。

 

 少し西寄りに『潮岬灯台』が在ります。此方は灯台内の狭い階段を昇りレンズのある部分まで見学できたはずですがやはり有料だった筈。(確か¥300位?)

 

 今回はどちらもパスしましたけど。

 

 この灯台の足元にスポットライトが在り、海面に向かって夜間強い光が照射されます。

 

 海面すれすれに岩礁が在り、目視できるように照らしているのでしょうか。

 

 訪れた11月末、風は強かったですが温かくてTシャツ一枚で歩いている人も居た位。

 

 昨日は出発直後の『和田峠』で雪の為に1時間閉じ込められたのにね。

 

 長野県民には『水平線』を見ているだけでもごちそうです。

 

 おなか一杯堪能しまして向かうは『南紀白浜』です。

 

紀伊大島・トルコ記念館

 

 今回の『紀伊半島一周』に関して写真が一切在りません。

 

 一番最後の『神宮内宮』で神様(?)にぶつかりそうになった時、それまで撮り貯めておいたカメラの撮影データが全て消えてしまいました。

 

 写真はグーグルマップ等でご確認下さい。

 

 紀伊半島南端は『串本町』 その東側に『紀伊大島』が在ります。

 

 島へと渡る橋はループで高度を稼ぐ仕組み。橋の下を船が通れるようにする為です。

 

 この『ループ』が出来る前は『跳開橋(勝鬨橋)』や『施回橋(天橋立)』や『昇開橋(筑後川橋梁)』などが主流でしたが『可動橋』に比べメンテナンスや維持費が安い事から橋桁の高い橋が主流です。高度差を稼げる直線距離が無い場所では『ループ』で高さを稼ぐ工法が取り入られています。

 

 この『ループ』バイクで走ると実に気持ちいいんです。

 

 佐久から一番近い『ループ』は、お隣『山梨県・小淵沢』にある『インター白州ライン』です。暇になったらバイクで走りに行こうかな。

 

 『紀伊大島』に何故『トルコ記念館?』と思うでしょ。

 

 1889年、トルコ王国からの使節団650名を乗せた軍艦『エトワール号』が嵐の中、帰国の途に着くが、紀伊半島を廻った『紀伊大島沖』で座礁してしまいす。荒れる海をものともせず救助に向かった地元漁師は奇跡的に『69名』を救助します。

 

 お陰で『トルコ』と『串本町』に友好が生れ、現在では慰霊碑のみならず『トルコ記念館』を建設し『文化交流』しています。

 

 『海金剛』~『樫野崎』には大小様々な岩礁が連なり、荒れた海に船が流されたらひとたまりも在りません。嵐の中を命懸けで救助に向かった漁民の勇気に感謝し『トルコ』が記念碑を建設しています。

 

 『トルコ』のお土産屋さんも在り、『ペルシャ絨毯』や『ガラス細工』『トルコ・コーヒー』や『トルコアイス(伸びるヤツ)』の販売などもしています。

 

 『トルコ・アイス』は『長い金属ヘラ』を使ったパフォーマンスが楽しいんですけど、季節外れの為かそのパフォーマンスは観られませんでした。(youtube参照)

 

 『樫野崎灯台』は外階段の展望台無料。太平洋の水平線が素敵。地球が丸く感じます。

 

 紀伊半島を大きく迂回する輸送船は『カーキャリー』かな。

 

 海なし県民には何時間でもいられる場所です。

 

橋杭岩

 

 国道42号線を南下していくと見えてくるのが『橋杭岩』の奇岩です。

 

 海の中に一直線に屹立した岩が並んでいます。その高さ数メートルから10mオーバーの物まで在ります。

 

 『道の駅・くしもと橋杭岩』の駐車場に車を停め、海岸線へ。

 

 『道の駅』ですから『売店・トイレ』や『展望テラス』を併設しています。

 

 でも此処は海岸線を歩いて………干潮時は歩いて沖合の『蛭子大明神』まで行けるそうですがまだ行った事無いです。多分大潮の時とか夏場サンダル履きじゃ無いと渡れないのかな。

 

 大勢の人がカメラ・スマホを向ける景勝地の中、一人だけ人影が入り込むのもなんだかなぁの感じだったので早々に海辺から上がります。

 

 ホントは行ける所まで行ってみたかったな。

 

ぶつぶつ川

 

 『那智の滝』で心が洗われた後、一路海岸線迄下り再び国道42号線。

 

 道路の脇には『ミカンの無人販売所』が並んでいます。

 

 素人眼には違いが解りませんけど、ほぼ同じ数入った袋のミカンが¥500・300・200と三種類の料金設定。モチロン一番安いやつ買いましたけど。(これでも充分の甘さと美味しさ)無人販売所の横には『ミカンの樹』が並んでいて手を伸ばせば………。

 

 長野県にもりんごの無人販売所などが在り、やはり手を伸ばせばりんごの実に手が届きます。やはり心無い者が悪戯する事もあるみたいでリンゴ農家さんは心を痛めているとか。ミカン農家さんも同じ気持ちでしょう。とるのは写真だけ。(その写真が………。)

 

 前回紀伊半島を一周した時にはその存在すら知らなかった『ぶつぶつ川』

 

 カーナビに音声入力するとちゃんと案内が始まりました。

 

 正直、物好きじゃ無きゃ特に訪れる事も無いでしょうけど私ゃ好奇心旺盛です。

 

 湧き出す水が石垣の間から流れ出し、10m程で他の川と合流します。

 

 この湧き出し口から合流地点までの流れに名前が付いていて『ぶつぶつ川』と言うそうです。

 

 そして公式認定『日本一短い川=ぶつぶつ川』と表記されています。

 

 魚が泳ぐわけでなく、水草が揺れるのでもない普通の川なんですけどネ。

 

 写真在りませんのでググってください。

 

 それより車を停めた駐車場から『海水浴場』の砂浜の方が海なし県民にとっては素敵かも。

 

那智の滝

 

 滝好きのこーちゃん。北は『知床・カムイワッカの滝』から『西表・マリゥドの滝』更には山登りしながら眺めた名もなき滝やら、名前のインパクトから訪れた『殺人の滝』まで幾つの滝を観てきた事やら。(通常は観るだけなら『タダ』だからなんですけど)

 

 『日本三大瀑布』に数えられているのは『日光・華厳の滝』『茨城・袋田の滝』そして『熊野・那智の滝』と云われています。

 

 過去、和歌山県も何度か訪れましたけど、何でだろう?『那智の滝』だけは訪れた事無かったんです。(神聖な場所すぎて私的に『ラスボス』扱い?)

 

 でも『華厳の滝』は『中禅寺湖』の水門から流れ出ているし、『袋田の滝』は大きな『嘗め滝』だし。

 

 私の『日本三大瀑布』は甲乙つけずに『立山・称名滝+ハンノキ滝』『那智の滝』『須坂市・米子瀑布』を提唱したいです。

 

 で『那智の滝』 『熊野那智大社別宮・飛瀧神社』の御神体として奉られています。

 

 那智大社へと向かう道路沿いからも遠望できるんですけど此処はひとつ『飛瀧神社』参拝がてら滝の傍まで行ってみます。

 

 『青岸渡寺』から歩いても神社入り口まで300m位だから、足腰丈夫なうちにどうぞ。

 

 杉並木の中、清楚な空気の中を数十段の歩き易い石段を降りて行きます。

 

 鳥居と石の欄干の奥に『那智の滝』が拝めますが、『特別拝観料』を払って『御瀧祈願所』まで行ってみます。

 

 拝観料を払うと『延命長寿の御瀧水』を掬うための『水杯』と『お守り』を頂けます。

 

 時代でしょうか『コロナ対策』の為、一つずつ杯が個別包装されていてそれで水を受けて飲む仕組みです。(杯はお持ち帰り可)『杯』は良い御土産です。

 

 少し登り上げると『那智の滝舞台』に到着。平日昼間でも結構な人が佇んでいます。

 

 確かに特別な雰囲気が在り、その場所にいるだけで心身共に清らかになる気がします。

 

 立ち去りがたい気もするんですが他の人の為にも場所を開けなきゃ。

 

 帰路、一方通行途中の『大黒堂』なども参拝しまして出口の『領布所』で御札を頂きました。

 

 登りの石段では少し足取りが重くなりましたがそれでも絶対行く価値あり!

 

 いや。日本人なら行くべき場所です。

 

 今回。写真データを全て紛失してしまったので写真はグーグルマップ等を参照してください。(あ~ぁ。500枚以上の貴重な写真が………)

 

熊野那智大社

 

 紀伊勝浦で泊った宿のすぐ前は『勝浦漁業協同組合・競り市場』が在り、朝3時頃には漁船が帰航し、クレーンによる荷上げ(荷下ろしかな?)が行われていました。

 

 舟やクレーン車のディーゼルエンジンの響く音にとても寝てられたもんじゃ在りません。(だから部屋のアメニティに耳栓があったのか)

 

 『夜討ち朝駆け』は私の旅行の常套手段ですから、3時起きでも全然平気。

 

 近くのコンビニで『ホットコーヒー』を買っていると『漁業関係者』らしき方(だって皆さん長靴)が三々五々集まってきます。

 

 『クレーンフック』が船倉の底まで降りていくと、暫くして数匹の『生マグロ』が尻尾を吊るされた状態で競りの場所に降ろされ、『手鉤』がを持った『若い衆』が『種類・大きさ』別に並べて行きます。

 

 一通り大まかな分類が済むと『移動式台貫秤』で一匹ずつ(小型のマグロは数匹まとめて)重さを測り紙に記入して貼り付けて行きます。

 

 それはもう見ていて鮮やかな流れです。

 

 『大卸し』らしき業者は『競り』の前に『目ぼしいマグロ』を確保しているみたい。

 

 一時間ほど見ていましたけど全然飽きません。皆さんも一度見学すると良いかも。

 

 荷物をまとめ『アーリーチェックアウト』で『ルームキー』を戻し、向かうは海岸線です。カーナビの地図から車で行けそうな『お蛇浦海岸』で待つこと数分。

 

 見事な日の出を拝めました。こんな綺麗な海岸が『蛇』とは何でだろう?

 

 その後一路『熊野那智大社』へ。

 

 早朝だったので、駐車場すら開業していない状態。何とか車を停められましたけど。

 

 表参道口から石段を登り始めます。

 

 『熊野三山』の最後のひとつ『熊野那智大社』

 

 長い石段の左右には土産物店などが建ち並びます。息が上がる頃『二の鳥居』の到着。ふと横を見ると『山門』(青岸渡寺)へと続く石段が別れています。

 

 神社ですので『二礼二拍手』の参拝儀式を終え、領布所前に立つ『胎内くぐりの樹』を潜ります。

 

 この時『護摩木』の参拝に願いを書いて大木の『ウロ』を潜り抜けるのですが、危うく『腹』がつっかえて………。まぁ無事潜り抜け『戦争終結』がの『護摩木』を納める事が出来ました。

 

 石段を下る事無く隣の『青岸渡寺』へ繋がっている参道を行くと、やはり『神社』の『陽』と対照的な『寺院』の『陰』を感じます。

 

 こんなに空気感が変わるものなのか。

 

 『神社』の特徴は『鳥居』『手水舎』『狛犬』『拝殿』『賽銭箱』『鈴緒』『大祓い』『御供え』『本殿』など。

 

 『お寺』の特徴は『山門』『仁王門』『六地蔵』『手水舎』『狛犬』『本堂』『鰐口』『賽銭箱』『御本尊』『脇観音』『仏像』『多重塔』など。

 

 『飛鳥時代(六世紀中頃)』、『神道』の国、日本に『仏教』が伝来します。

 

 時の権力者『天皇』は『遣唐使船』を中国へ派遣し『正しい仏教』を取り入れようとします。(神社が仏教を認めた)その後『疫病』などの収束を祈願し各地に『国分寺』の建設が勧められます。

 

 『開祖者』の解釈の違いから『様々な仏教(概ね14宗)』が生れ更に一般庶民に『仏教』が浸透していきます。

 

 生活の中で当たり前のように『神仏習合』が繰り返され『神社』の敷地に『寺院』が建てられたり、『寺院』の境内に『神様』(稲荷神など)が祀られたりします。

 

 『全ての神は仏の化身』という『本地垂迹・ほんちすいじゃく』という考え方まで広がります。

 

 明治政府は混沌とした『神社』と『寺院』の結びつきを禁じる為『神仏分離令』を発令します。

 

 ホント『明治政府』は『西洋文化』を取り入れるばかりでなく、『廃城例』『廃藩置県』『太陽暦』『廃仏令』など荒っぽい政策がお好きだったみたい。

 

 『太陽暦導入』により『明治五年12月3日』をいきなり『明治六年1月1日』と切り替えちゃったんですから。

 

 現行では『天皇陛下崩御』により『元号改革』しても『日にち・曜日』は受け継がれますから。

 

 『神道』と『仏教』、『陽』と『陰』を考えるのに持って来いの場所でした。

 

熊野本宮大社

 

 『熊野速玉神社』がで参拝を終え、次に向かうは『熊野本宮大社』 

 

 『熊野三社』の二つ目です。

 

 確か『木曽川河口』付近に『愛知県境』が在ったと思いますから『紀伊半島』の東海岸線のほとんどは『三重県』です。で『和歌山県』との境が『熊野川』 その『熊野川右岸』とのを遡る事30分程で『熊野本宮大社』到着です。

 

 駐車場に滑り込んだ頃は結構本格的な雨でした。傘を差しながら参道を進み石段を登り始めた頃………ピタッと雨が止み、雲間から青空も見えて来ました。(この辺りも一切写真・動画データ在りません)

 

 風格ある『熊野本宮大社』拝殿で参拝。『八咫烏』二羽めgetです。

 

 『日本武尊・ヤマトタケル』が『熊野』を平定し『橿原』へ向かう時に道案内をしたとされるのが『八咫烏』です。

 

 『初代天皇・神武天皇』のおじいさんにあたるのが『日本武尊』です。(確か?)

 

 『天の神一族』の末裔にとっては『熊野』を統治する一族はある意味『敵』でした。

 

 つまりは異なる『信仰=宗教』は、武力を持ってしても排除すべき相手………

 

 何だか『イスラエル=ユダヤ教』VS『パレスチナ=イスラム教』をハナから否定も出来ないような気がします。(ウクライナ侵攻は別。プー〇ンが悪い!)

 『神社参拝』は『拝殿前』の『鈴緒』を大きく振って鈴を鳴らし参拝しますよの合図を送ります。『賽銭箱』にお賽銭を入れ(投げ無い様に)『二礼二拍手』(二礼四拍手の処も在ります)

 

 『拝殿』と『神様』の鎮座まします『本殿』の間には『御簾』と『階段』で隔てられています。参拝者が拝むことが出来るのは『御簾』の前の祭壇に祀られている『鏡』や『御幣』『お供え物』など。その奥は決して拝めません。

 

 私が地元の氏神様『諏訪神社』の『祭事係』を請け負った時、大掃除で『本殿』も掃除しました。『神事』という事で『お祓い』を受けてから雑巾がけしたと思います。

 

 『御社』から『御簾』をまくって『御神体』の周りも掃除した記憶が在ります。

 

 正直な話。『神社』の参拝はどれも似たような記憶になりがちです。(今回、写真が無いから特に)

 

 参拝を終え、車に戻る途中の長い石段を下っているとまたもや雨が降り出してきました。

 

 日頃の行いが良いから参拝時だけ、雨を降らせるのを止めてくれた。と思いたい。

 

 宿泊予定の『那智勝浦』迄は『自動車専用道』も使えるので割と順調に流れます。

 

 暗くなり始めた頃には『ゲストハウス』到着。丁度この日は『港まつり』が行われる日で、『花火』が打ち上げられるとか。港周辺は活気が在りました。

 

 『生まぐろ』が有名な『那智勝浦』 街中至る所で『生まぐろ』の文字が見られます。

 

 地元案内のパンフで見つけた『桂〇』に運よく入店出来ました。格安の刺身定食を頂きながら伺うと20:00から『マグロ解体ショー』が行われるとか。『花火』を獲るか『マグロ解体ショー』を獲るかで結局はホテル自室から花火を観ました。だって寒かったんだもん。

 

花の巌神社

 

 道の駅に車を停め『花の巌神社』を参拝します。

 

 この『花の巌神社』は日本書紀にも記されている『日本最古の神社』とされています。

 

 参道を進み神域に足を踏み入れると凛とした空気感に身が引き締まります。

 

 拝殿や本殿は無く、『御神体』としての『巌』に参拝します。

 

 何故最古の神社とされているのか?

 

 『伊弉諾尊・イザナギノミコト』が奥さんに迎えた『伊邪那美尊・イザナミノミコト』は様々な『子供=神様』を産みます。『蛭子神=恵比寿様』や『大綿津見神=海の神様神最後に産んだのが『火之迦具土神・ヒノカグツチノミコト』で全身に火を纏って生まれてきます。母体である『伊邪那美尊』はやけどを負って絶命(神様だから『黄泉の国』に行く事に成ります)してしまいます。奥さんを諦めきれない『伊弉諾尊』は『黄泉の国』迄『伊邪那美尊』を探しに行くのですが………知れはまた何時かの機会に。

 

 『伊邪那美尊』の亡骸を葬ったとされる場所が『花の巌』とされています。と同じ場所に『伊弉諾尊』の恨みを買い殺されてしまった『火之迦具土神』をお祀りしています。

 

 『日本の神々の母』を祀っているので『日本最古』という訳だそうです。

 

 大岩に掛けられた『御縄』の不思議な模様に神々しさをも感じます。

 

 是非とも道の駅で休養がてら、聖なる場所を訪れてみては如何でしょうか。

 

 次に向かうは『熊野速玉神社』 『熊野三山』のひとつで『熊野川』を渡って『新宮市』に入ると直ぐ案内が見えて来ます。

 

 駐車場に向かうと神官さんが空き駐車スペースを案内してくれていました。

 

 一の鳥居から入り直して先ずは参拝。(写真が無いのでうろ覚えですが)

 

 『熊野速玉大神・クマノハヤタマオオカミ』をお祀りしているので『速玉神社』と名乗っていますが、一番新しく建立されたので町の名前が『新宮』となっています。

 

 境内で許可販売しているであろう『もうで餅』 余り売れていないみたいで売り子さんが疲れた顔色でしたので一箱買いました。黄な粉がまぶしてある『大福』ですね。

 

 そっか『山門市』なんぞで午後暇になり、持て余している時に『参拝者』が買ってくれるのはある意味同情もあるのか………

 

 あっという間に平らげて次に目指すは………次回です。

 

紀伊半島

 

 かなり遅い『夏休み』という事で11月中旬、『紀伊半島』へ行ってきました。

 

 初日=鬼ヶ城・獅子岩・花の巌神社・熊野速玉神社・熊野本宮大社・那智勝浦泊。

 

 二日目=熊野那智大社・青岸渡寺・那智の滝・ぶつぶつ川・橋杭岩・紀伊大島樫野崎・潮岬・南紀白浜三段壁・千畳岩・和歌山泊。

 

 三日目=九度山真田住居跡・高野山(大門~壇上伽藍~金剛峰寺~奥之院墓地~奥之院)鳥羽泊。

 

 四日目=神宮外宮・神宮内宮

 

 と『紀伊半島一周・熊野三山 高野山 神宮』満喫の三泊四日の旅です。

 

 最初に『伊勢』を通り越し『熊野』から始めるのがミソ。

 

 某旅行会社の『紀伊半島三泊四日ツアー』で同じ様な見所を廻ると¥150000~でした。

 

 まっ私の場合泊まるのは『ゲストハウスorビジネスホテル』素泊まりプラン。

 

 最後の『鳥羽』だけ一泊二食(伊勢海老・アワビ・松坂牛)¥12000の贅沢しましたけど。

 

 で!

 

 今回の旅行で撮った写真は500枚以上。

 

 それが………全てデータが壊れました。(あ~っ自分に腹が立つ)

 

 その出来事は最後の最後『神宮内宮』を参拝し終え、別宮の『風日祈宮』へ参拝に向かった時に起きました。

 

 実は『風日祈宮橋』迄は一度来たのですが『皇大神宮』を参拝する前に別院はどうかと思い一度引き返しました。二度目に『風日祈宮橋』迄来た時、小さな女の子が走って来て私とぶつかりそうになりました。この時私は今回何枚ぐらい写真を撮ったのだろうと『カメラデータ』を歩きながら確認していたのですが、『撮影した覚えのない動画』が在りましたので削除しようとボタン操作をしている時でした。不意に視界に入った女の子を避けようとして大きく体を捻った際に『カメラ』を高く持ち上げました。其の時今まで聞いた事のない音がカメラから鳴りました。幸い女の子とはぶつかりませんでしたけどカメラが気になって『撮影データ』を観ようとすると『エラー』 データが全て消えていました。

 

 えっ⁉ データが無い? 頭の中が真っ白になりながらさっきの女の子はと目で追うも影も形も在りませんでした。

 

 神社も参道は、真ん中は神様の通り道だから左右に避けて真ん中を歩いてはいけないと云われています。カメラを操作しながらの『ながら歩き』をしながら何時しか参道の真ん中を歩いていたみたいです。更に『寺院御本尊』や『神社本殿』を撮影するのは良くない事。とする考えも在ります。

 

 今回『撮影禁止』以外では記録に残そうとかなりの枚数写真を撮っていました。それが最後の最後に参道の真ん中を『ながら歩き』して女の子とぶつかりそうになった『データ損失』 これは逆に考えれば、何処か心の中に散漫さがあり、事故になってもおかしくないぞという警告だったのでは………。

 

 参道中央でぶつかりそうになった『女の子』は『ながら〇〇』を諫めてくれた『神様?』 『風日祈宮』は『伊弉諾尊・イザナギノミコト』の子供を祀っています。

 

 『級長津彦命・シナツヒコノミコト』と『級長戸辺命・シナトベノミコト』 颯爽と消えた女の子は『風の神=シナトベノミコト』だったのかも知れません。

 

 という訳で『三泊四日紀伊半島の旅』 写真一切なしでスタートです。

 

 

 前日の『雨雲レーダー』を確認すると山岳部で一部『雪!』(11月なのに?)の表示です。長距離を走る為『スタッドレスタイヤ』の履き替えよりは『タイヤチェーン』を持って行こうと決めました。

 

 朝5時に家を出て『新和田トンネル』の手前に差し掛かった処薄っすら雪が積もり始めました。あと二百・三百メートルでトンネル入り口と云う処迄来た時、前方にハザードランプが見えました。ノーマルタイヤで坂道発進は出来ないので、右手に見えた『融雪剤置き場』の拡幅部に滑り込んで『タイヤチェーン』を捲く準備に取り掛かりました。

 

 その時ふと思ったのが『トンネル内チェーン禁止』だったかな?

 

 長いトンネルを走行中、チェーンが摩耗して切れてしまいボディに当たり走行に支障をきたしたり、切れたチェーンの鋭利な断面が後続車のタイヤに刺さり、パンクの原因・事故誘発の危険が在る為だったと思います。(過去私が雪道で経験したパンク原因はこの切れたチェーンでした)

 

 停めた車内で情報を仕入れようとスマホをいじっていると『パトカー』が赤色灯を回転させながら登って来ました。対向車が下ってこない処を見ると『事故だな。最悪通行止め解除まで待つか………』 三十分程車の中で音楽を聞いたりして待っていると、対向車が続々と下ってきます。それにつれ登り方向の車も流れて行きます。道路に巻かれた『塩カル』が効き始め道路上の雪は轍部分で完全に解けています。此れは今を逃さず行くしかない。発車させると果たして無事トンネルを通過できました。トンネル先は………道路濡れても居ないじゃん。

 

 そのまま高速『岡谷インター』から一路『熊野尾鷲道・熊野大泊インター』迄。

 

 国道42号線に降り、最初の観光ポイントが『鬼ヶ城』です。

 

 大きく隆起した岩場を熊野灘の荒波が浸食し、幾つもの洞窟が並びます。

 

 そのごつごつした洞窟の床では、海賊と云えども生活は出来ないんじゃない?

 

 尤も山頂には戦国時代の頃から『山城』が築かれていたそうですから『軍船』を隠す為には持って来いだったのかも。

 

 沖合に在る小さな島は『釣りの渡し舟』が出る位人気スポットで、大物を狙う釣り師が棹を振っていました。

 

 以前来た時はガラガラに空いていましたが、今回は駐車場が満杯なほど車が停まっていました。『レンタカー』やら『外人さん』が特に多いみたい。

 

 本来は海岸沿いの散策道や、山頂の展望台まで行けるのですが、「こりゃかなりの人出だろうなぁ」という事で次なる場所へ。

 

 『獅子岩』は口を大きく開けた『獅子』に見える場所です。レストラン併設の駐車場が利用できます。

 

 そのまま国道42号線を新宮まで南下。次に向かうは………次回です。

 

上宮寺

 

 『佐久市・田口』には『五稜郭』や『新海三社神社』が在り、観光に訪れる人も多いエリアです。

 

 江戸時代、優良なお米が産出された為、『幕府管轄地』として『御三家』の一人『松平家』が統治していました。

 

 江戸時代末期『松平 乗謨(のりかた)』が築城しようとしたのが『五稜郭』で有名な『龍岡城』ですが、時は流れて『江戸幕府』から『明治政府』になり、『廃城令』『神仏分離令』が発令されます。

 

 『五稜郭』も『工夫』や『大工』の為の『御台所』の建築(唯一完成)と『お堀の石垣』が未完のままで築城が禁止に成ります。

 

 『新海三社神社』に於いては『神仏習合』の名残で、『新海三社神社』の東側に立派な『三重塔』を持った『神宮寺』が在りました。

 

 『明治政府』により『廃仏毀釈令』が発令されると多くの『寺院』は打ち壊されたり『火』を着けられたり。『仏像・お地蔵さん』なども頭部が壊されてるの見た事ありません? 

 

 『発令』には『猶予期間が』在り、財力の在る地域では『寺院』を新たに建て、『仏像』や『仁王像』などを移設出来ましたが、泣く泣く壊された像などがかなりの数になるそうです。

 

 『新海三社神社』の『神宮寺』は、『上宮寺』として『雨川沿い』に建て直され『仁王門』も新設されました。その中には『県宝』として『仁王像』が安置されています。

 

 

 この迫力。

 

 

 眼光の鋭さ。

 

 只、如何せん保存状態が宜しく無い。仁王門の隙間から差し込む陽光に塗料は剥げ、風雨の当たる部分は痛みも大夫進んでいます。

 

 『仁王像』は『県宝指定』だから手が出せないにしても『仁王門』の早急な修繕が必要です。(市長。見てくれるかなぁ)

 

 

 正直言って、入り口がかなり解りづらいです。

 

 

 参道を歩いて来て『仁王門』を潜るのですが、何故かその先は広場になっていて行き止まり。『本堂』は左手奥に在り、参道は『鐘楼』の方向に曲がっています。

 

 地元の方に伺った処『仁王門』を真っ直ぐ進む参道が在り、『雨川』を渡った対岸に『本堂』が在ったそうです。

 

 今でこそ上流部に『ダム』が在り、管理河川になっていますが昔はかなりの『暴れ川』だったらしく『崖造り』の本堂は流されてしまったそうです。

 

 その後『本堂』が新たに建立され『御本尊』を安置し、今の『上宮寺』になっています。

 

 当時『新海三社神社』から移設された『梵鐘』と『金剛力士像(仁王像)』は県宝指定を受け現在に至ります。

 

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北斗の拳デザインマンホール

 

 佐久市出身の有名人の中で、漫画原作者と云えばこの人『武論尊』

 

 本名『岡〇善行』さんは『野沢中学校』の大先輩です。(後輩には『和久〇映見』さんや『中〇美穂』さんも居るんデス)

 

 『自衛隊時代』に『漫画家・本宮ひろし』さんと出会い、原作者の道を歩き出します。

 

 子供の頃読んだ『ドーベルマン刑事』や『北斗の拳』(パチンコで知った)の原作者として、つとに有名です。

 

 『佐久市下水道局』とのコラボで実現した『北斗の拳・デザインマンホール』が佐久平駅周辺に施行され、大変好評だったので第二段。『佐久市中』に『北斗の拳デザインマンホール』をばら撒いちゃいました!

 

 

 先ずは『野沢商店街』 『ケンシロウ』の百裂拳。あたたたた~っ。

 

 『玉屋』から100mの所です。

 

 

 『龍岡城五稜郭・であいの館』は展示です。(地面に置かれていません)

 

 『リン』

 

 

 『臼田橋西詰交差点』から北へ100m程の歩道上。『トキ』

 

 

 『中込カメラ』さん前の遊歩道上。『ユリア』

 

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丸子城跡展望台

 

 『上丸子』の依田川西岸沿いに在る山脈は、『三才山峠』から流れて来る『内村川』と『星糞峠』から流れて来る『依田川』に挟まれて重要な戦略拠点になった場所です。

 

 城主は『真田家』 関ケ原に向かう途中の『徳川秀忠軍』の侵攻を足止めし、『天下分け目の合戦』に間に合わせなかった曰く付きの『丸子城』ですが、実戦が行われ、戦死者を慰霊する『忠魂碑』も建っています。

 

 規模から云えば『砦』なんでしょうけど『足軽居住地』や『空堀』、『貯め井戸』なども残されていて、『籠城戦』の準備もしていた事が伺えます。

 

 

 『二の丸跡展望台』 国道から山の稜線に見える『黒い二階建ての展望台』が此処です。

 

 

 『内村川』の流れを望む西側の展望(180度パノラマ)です。

 

 左手が上流。

 

 

 『依田川』を望む東側の展望(180度パノラマ)です。

 

 右手が上流。

 

 

 一部稜線は岩の剥き出た足場の悪い道を進みます。

 

 足腰弱って来るとこんな処で躓いたりしちゃうからご用心。

 

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丸子公園

 

 依田川の西岸に『丸子公園』が在ります。

 

 『安良居神社』に隣接して児童遊具の置かれた『チビッ子広場』が在り、此処から『丸子城跡展望台』に登る事が出来ます。

 

 

 この『丸子城』は『真田家』が治めており、『徳川軍』の『上田攻め』の際に実際籠城戦が行われました。勝敗はつかなかったのですが『神川の闘い』に続いて『徳川秀忠』をニ度も足止めし『天下分け目の関ヶ原合戦』に合流させなかったとして名が残されています。

 

 

 公園を抜け、この『きづな像』の裏手を登ると………。

 

 

 20分程で『東屋』に到着。眺めはイマイチなので二の丸展望台を目指します。

 

 

 山頂まではまだまだ在るのですが、この辺りに兵士は住んでいたとか。

 

 水などどうしたんだろう? 運び上げるしかない筈。

 

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丸子軽便鉄道

 

 『上田市・丸子』を走っていると『丸子駅前通り』と書かれた交差点が在ります。

 

 此れは『養蚕業』が盛んな頃、『大屋駅』と『丸子』間を『丸子軽便鉄道』が結び、『丸子駅』が在った名残です。(現在駅跡地はバスロータリーとして使っています)

 

 

 貨物車両兼客車を牽引する為の『電気機関車・ED251』が『丸子文化会館』の向かいに保管されています。

 

 横目でちらりと見て知ってはいましたが、ワザワザ停まって迄見る事は無かったです。

 

 

 開業当初は『蒸気機関車』が牽引していたのですが、僅か数年で電化され『ED251

型』が登場します。

 

 『丸子町』には『大手絹糸工場』が在り、周辺の『養蚕家』の育てた『蚕』から『絹糸』を造っていました。

 

 昔は『農業』と『養蚕』の兼業農家も多く、農家の二階部分では『蚕棚』を設え、餌となる『桑の葉』を与えていました。

 

 友達の家でも『養蚕』しており、遊びに行くと『桑の葉』を刈り取る手伝いをした事が在ります。

 

 『桑の樹』には『実(ドドメ)』が成るのですが、色素が強く、食べると口の中が『紫色』に染まります。此の紫色を『ドドメ色』と云います。白い服にでも着けると色が落ちないんで、親に叱られましたっけ。

 

 沢山の蚕が『桑の葉』を食べる音が、階下に居ても聞こえたそうです。

 

 その物流に大きな力を発揮した『軽便鉄道』ですが車社会の発達と共に衰退の一途を辿ります。

 

 『上田電鉄』は唯一現存する『別所線』以外にも『丸子線』『西丸子線』『青木線』『北東線』なども在りました。

 

 『別所線』は『別所温泉』&『北向き観音』などの観光要素が在ったからこそ存続できましたが、他の路線では維持費が捻出できなかった模様です。

 

 『草軽電鉄』の章でも書きましたが、現在なら『軽便鉄道』其の物が観光目的になる筈。 惜しいけど仕方ないか………

 

深山諏訪神社

 

 上田市・丸子・腰越の深山地区。(大字とか小字はどうなってるんだろう)

 

 国道142号線の『笠取峠下』から、国道152号線の『腰越』へ抜ける時に通る所なんですけどホント何も無い………

 

 『諏訪神社』を探して深山地区を派擦り廻ったのですが解らなくて一度は断念しました。後日グーグルマップで目星をつけて行ってみると。

 

 

 確か此処も探したんだけど、以前来た時は雑草が繁っていて看板すら見つけられなかった。ってか此処が参道?

 

 

 『害獣除けフェンス』を二つ抜けた先に『鳥居』が見えました。

 

 

 しかも鳥居と反対側に歩道橋が掛かっていました。

 

 表参道は此方かも。一の鳥居から参拝したいと思い、集落へ向かって歩き出しましたが行けども行けども山の中。こりゃさっきのが『一の鳥居』だろうなぁ。

 

 

 鳥居前にて一礼し、神域へ足を踏み入れます。

 

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らいてうの家 part2

 

 『平塚らいてう』の話をしてると、ボランティアさんがお茶を入れてくれました。

 

 身長150㎝に満たない華奢で小柄な女性ですけど、年上男性と不倫関係に在り、心中未遂事件を起こし週刊誌を賑わせます。

 

 

 『衛門架け』の丹前の小さい事!子供用かと思った。

 

 

 文机の上には何故か『香炉』が置かれていました。

 

 この机の上から『戦争反対』や『女性解放運動』を声高に叫んだのかもしれません。

 

 

 床の間の掛け軸に書かれていたのは『原始 女性は太陽だった』

 

 右のは?

 

 

 書庫には『青鞜』の初版本が在りました。

 

 パラパラと読み飛ばすと

 

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平塚らいてうの家

 

 『らいてう』=『雷鳥』ですから、『平塚市の林間学校』と思っていました。

 

 だって近くに『カトリック横浜教区山の家』とか『光塩学園山荘』とかも在るんですもん。(『あづまや高原ホテル』は廃業してしまいましたが)

 

 『平塚らいてう』は男尊女卑の時代、女性解放の先駈けとして雑誌『青鞜』を刊行した女性です。

 

 詳しくは検索して貰うとして。

 

 

 実に『五回目!』の訪問にして初めて入館出来ました。

 

 『ボランティアさん』が遠方から通って来る為、開館日は『GW~10月一杯の土日祭日』のみ。(冬期は雪深い山の仲の為、ホテル廃業の現在は除雪が儘ならないらしいです)

 

 

 入館料代わりの『協力金¥500』を払いまして館内へ。

 

 ボランティアのおばさん二人が『東御市』から当番制で通ってきているそうです。

 

 

 裕福な家庭に生まれ、教育熱心な環境で育ち、語学に堪能のみならず『禅』を通して精神修行を身に付けます。自由奔放な性格から不倫関係に在った人と心中事件を起こすも一命を取り留めています。又年下の男性と恋に落ち『若いツバメ』の語源もこの人の行動から出来た言葉です。雑誌『青鞜』を立ち上げ『女性解放』や『反戦運動』に奔走しました。

 

 

 五歳年下の『奥村博史』と結婚をせずとも同棲し出産。その『奥村博史』の作品も沢山展示しています。

 

 後半へ続く。

 

須坂市動物園part2

 

 動物園を訪れたのは実に30年振り? 子供が小さい時、一緒に行って以来ですから。

 

 『須坂市動物園』は私が幼少の時以来。実に五十数年振りでしょうか。

 

 始めて飲んだ『コカ・〇ーラ』の記憶と共に、サボテンを触って『棘』を刺した痛い思い出の『動物園』です。

 

 

 入浴タイムの『カピバラ』

 

 

 私のカメラはオートフォーカスの為、手前の柵にピントが合っちゃった。

 

 

 『シマフクロウ』も昼間は就寝タイム。

 

 お手軽料金の割には楽しめます。

 

 お近くをお通りの際は是非どうぞ。

 

須坂市動物園

 

 『臥龍山』と『竜ヶ池』の他にも『球技場』や『遊園地』更には『赤カンガルーのハッチ』で有名になった『須坂市動物園』も在る『臥龍公園』、元々は『豪族・須田氏』の治める『須田城』が在った場所です。『上杉景勝』配下に在った為、『景勝』の会津左遷の際に同行し、廃城となりました。

 

 ゆっくり『臥龍山』を巡っても一時間程、紅葉期、結構人が歩いていました。

 

 

 『須坂市動物園』は『ハッチ』で有名になりました。

 

 入園料大人¥200の財布に優しい動物園は市民憩いの場所です。(私は市民じゃないですけど)

 

 

 動物園に入って直ぐ、『SL D51』が置かれています。

 

 確かわたしが子供の頃には置かれていたような記憶が?

 

 

 良いなぁ。機械って感じ。

 

 

 ペイント塗り直しは仕方ないですけど、偶には埃を払いたいなぁ。

 

 現在『大井川鉄道』でもSLの運転席に乗車できるんですけど、ゆっくり眺めてる暇無かった。

 

 ゆっくり観たかったんですけど、次々と子供が来るので譲りますか。

 

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臥竜公園

 

 須坂市に在る『臥竜公園』では『菊花展』が開かれていました。

 

 駐車場はいっぱいでしたが、運良く丁度一台出庫する所だったので待たずに駐車出来ました。

 

 池を廻って『弁天橋』を渡ります。

 

 

 先ずは池を一周し、紅葉を愛でます。

 

 

 弁天島に在るのは『弁財天』

 

 

 『弁財天=弁天様』は『芸能・音楽』の神様のみならず、『銭洗い弁天』にも在る様に『金運』をもたらせてくれるとされています。

 

 

 先ずは参拝です。

 

 でもこのチェーン。なんかあったの?

 

スパイラル

 

 『長野冬季オリンピック』開催の際に、『ボブスレー&リュージュ』の滑走コース

に使われたのが『長野スパイラル』

 

 『スパイラル』とは『螺旋』とか『連続する曲りくねり』の事ですが、正に『ボブスレーコース』は曲がりくねりの連続です。『フィギアスケート』で片足だけでスラロームする事も『スパイラル』と云うらしいです。

 

 今回の『スパイラル』は『螺旋』の方です。

 

 

 『螺旋』と『筒』を組み合わせ、低位置に在る『水』を高い位置まで斜めに汲み上げる事が出来る為『灌漑用水』等に海外の未開地などで観られる設備ですが、これは逆。

 

 上流から流れ落ちる力で発電モーターを回す仕組みの『発電装置』をです。

 

 

 場所は『須坂市・米子不動里宮』の近くです。

 

 何故此の場所に『発電装置』が必要なのかは、背景の『害獣除け電気柵』に注目。

 

 この電線には、常時『6000~8000V』の電圧が掛かっているそうで、『猪・鹿除け』として効果が在るそうです。

 

 仕組みは一秒間にほんの一瞬しか電気が流れない為、触れた瞬間痛みを感じますが殺傷能力は無いそうです。

 

 当然人間が触っても電気ショックを受けますので心臓の弱い人は近づかない方が良いかも。

 

 冬場の『静電気ショック』程度の痛み位かな。

 

 この仕組みを見たのは初めてです。

 

 この少し上流には

 

 

 見づらいですけど『横向き水車』で発電している『電機柵』も在りました。

 

 

 水の流れを『ダクト』で『水車ランナー』に強制してぶつける事で発電量は二倍になるそうです。

 

 一番下。『信州大学工学部環境機能工学科………!』

 

 大学の先生推奨の実験機構だったんですね。

 

 『農業用水』とか『自然水利』とかは縦割り行政の管轄が在り、個人で勝手に水利を利用しては成らない筈。

 

 だって『水力発電』とかが許可されれば、個人で河川に『発電機用水車』を設置できちゃう。

 

 お役人が株主になってる『〇〇電力会社』とかとかが困っちゃうからおいそれと許可が出ないんでしょうけど。

 

 『太陽光発電』も個人で自宅屋根とかに設置する分には良いけど、山林を切り開いて『メガソーラー』を開発すれば、大雨の時などに被害が発生してしまう。

 

 『スパイラル発電』は水量の少ない時でも確実にシャフトを廻す為に考案されたのかな。

 

 一番嫌な『スパイラル』は『デフレスパイラル』

 

 政治家さん。私腹ばかり肥やしてないでさ。『頭』回転させようよ。

 

 

駒形岩

 

 『依田窪病院付近』から『腰越』方面へ『依田川』沿いにショートカットする道が在ります。

 

 一部道が細く、地元優先の道路ですので普段はあまり走らないのですが『駒形岩』を観たいなと。

 

 

 ゴミ回収ステーションの脇に車を停めるスペースが在り、説明看板が立っています。

 

 

 かつて『チョウゲンポウ』が営巣していたとか。昨今佐久周辺ではとんと見かけなくなりました。

 

 

 う~ん確かに『駒』に観えなくは無いけど………。

 

 自然が創り出したのなら、確かに馬の形に観えます。

 

 もっと観光に力を入れればいいのにね。

 

もみじ橋

 

 私にとって『紅葉』を観るなら此処!って場所が幾つかあります。

 

 『若葉繁れる頃』ならあそこ。とか、『桜』を愛でるならあの場所。なんかも在りますけど。

 

 

 『もみじ橋』は『上田市武石』に在ります。

 

 『武石(たけし)』の名前の由来は『鉱物の武石(ぶせき………紛らわしいから以降ひらがな)』から来ています。

 

 金色に輝く立方体の美しい『ぶせき』は現在中々見つけるのが難しいそうですけどナイショの公園で見つけた事あります。

 

 『長和町周辺』では『黒曜石採取』も厳禁ですが、この『武石川河川敷』でも見つける事が出来ます。

 

 

 『花の命は短くて 苦しき事のみ多かりき』では在りませんが、この場所で一番美しい時の紅葉を観た事は在りません。(他所に行ってるからかな)

 

 今回もチョット早すぎたかも。

 

 

 『イロハモミジ』は緑から深紅、茶色と色々なグラデーションが観れるので好きです。

 

 ちなみに単に『もみじ』と云う種類はありません。

 

 『ムクロジ科・カエデ属』の総称で、切れ目の深い葉っぱの『イロハモミジ』『オオモミジ』などと、切れ目の浅い『カエルの手』の形の『カエデ』に大分されます。

 

 『カナダ国旗』に描かれるのは『砂糖カエデ』の葉っぱで、樹液から『メープルシロップ』が造られます。

 

 

 『もみじ橋』の周囲には『小さな滝』のもあるんですけど分かるかな?

 

 夏。子供が水遊び出来る程の清流です。

 

 今年の秋は気候の変化が激しく、今日11月6日で、外気温が23度!

 

 ニュースでは『ひまわり』が満開ですと。………変な秋。

 

Four in one

 

 『One for all, All for one』はラグビーですが『For in one』はバイク好きしか知らないかも。

 

 『ホンダ・ドリーム CB400FOUR』は1974年に登場したバイクで、当時『自動二輪免許(限定解除)』と『中型限定免許(400cc以下)』と『小型限定免許(125cc以下限定)』に『二輪免許証』が分類され、特に『限定解除免許』は収得困難な免許でした。

 

 メーカーHONDAが発表した『CB400FOUR』はエキゾーストパイプの取り回しが大変美しいバイクです。

 

 コーナーでエキパイが目立つほどバイクを傾け、コーナーを駆け抜けていくシーンに憧れました。

 

 発売当初は『408cc』の排気量で、限定解除所有者しか乗れなかったのも憧れのひとつです。

 

 後年、中型免許でも乗れる『398cc使用』が販売されましたが違いは『タンク・サイドカバーの色』と『タンデムステップの位置』だけ。

 

 中には『408偽装バイク』に乗っていた『中型免許』も居ましたっけ。

 

 私が中型自動二輪を(学校に内緒で)収得したのは高校二年の時。

 

 当時は『暴走族対策』で免許習得が難しかった時代です。『原付バイク』以外は収得許可が下りず、学校に内緒で試験場に通いました。(バレたら退学も在りの時代)

 

 

 国道152号線を走っていて『Oh~⁉』 慌ててUターンしました。

 

 マフラーこそ『ヨシムラ』に変更されていますけど『Four in one』

 

 しかも『リア・ドラムブレーキ』 タンデムパートナーがスイングアームボルトオンの『408!』 生きていたのかい。逢いたかったぜ。

 

 近年になって『CB400 SuperFour』として再版されましたけど、やっぱりオリジナルにはかなわない。

 

 何時もは日除けの為に閉めているシャッターの奥には………

 

 

 解る人にはこの一枚で充分。

 

 お宝の山です。

 

 このお店『土屋輪業』さん。大好きなメーカーは『Kawasaki』と豪語するだけあって『MachⅡ』から『Z1000』さらには『ZⅡ』などのバイクがズラリ。

 

 偶々お客さんから預かった『HONNDA・CB400four』のレストアが済んだので、引き取りに来る時間に合わせて店頭に出した処でした。

 

 話の分かる若いオーナーさんのレストア技術はピカイチで、バイク雑誌などにも良く取り上げられています。

 

 ずっと話していたかったけど、客でも無い見学者の為に手を煩わせるのも気が引けますので早々に退散です。

 

 『Kawasaki』の旧車好きは是非ともどうぞ。

 

 私は『オフロード派』ですが、昔のバイクはどれもこれも個性が在って好きです。

 

 バイクの事か居ていたら走って来たくなっちゃった。仕事ヤメヤメ。

 

佐口湖

 

 佐久穂町・西部に在る『佐口湖』は知名度が低い為、訪れる人も少ない貯水池です。

 

 水鳥の集まる『佐口湖』は、『鷽の口分水』から清流の流れ込む小さな池ですが、周囲が紅葉に染まる頃、その水面が美しい色に染まります。

 

 隣接して『のらくら農園』や『森の時間』と云う『貸きりコテージ』も在るみたいです。(このコテージ、何故か多数の県外ナンバーが集まったりする不思議な空間。まさかヤバイ集まりじゃ無いとは思いますが………)

 

 

 まだ紅葉にはちょっと早すぎたみたい。

 

 『東山魁夷』さんが、この池で写生したなら一躍有名観光地になっていたでしょうけど。

 

 

 冬になり農業用水の需要が無くなると水を抜きますので、この光景は初冬までです。

 

 ゆっくりしたい時は『Coleman・peak1』でお湯を沸かし、コーヒーを淹れたりするんですけど、今回は何も持ってこなかった。

 

 下ると『北やつハム』の工場兼売店が在ります。

 

 チョット贅沢だけどつまみ用に『生ハム』でも買って行こうかな。

 

八岳の滝

 

 国道141号線の『松原湖入り口』と国道299号線通称『メルヘン街道』を結ぶ、県道480号線が好きです。

 

 『松原湖』~『八峰の湯』~『シャトレーゼ高原リゾート・星空の湯』~『レストハウスふるさと』と楽しさ満載。

 

 途中で『稲子の湯』『本沢温泉入り口』方面に曲がると『八岳の滝』が在ります。

 

 道路拡幅部に車を停め、整備された散策道を歩く事5分で『八岳の滝』です。

 

 

 歩き易い平坦な散策道ですが、一部水路が崩れ、水が通路に流れ込んでるでる場所が在ります。靴には防水スプレーを掛けておくと安心です。

 

 冬期、水が凍結、融解、凍結と繰り返す為し、ツルツルになりますので靴用滑り止めが必要です。

 

 車は当然『スタッドレスタイヤ』と万が一の為に『チェーン』『折りたたみスコップ』を積んでます。(今まで自分の為にスコップを使ったことは在りませんが)

 

 この『八岳の滝』は、陽当りが午前中の一部しか無いので『虹』と『八岳の滝』を撮るなら朝がお勧めです。

 

 

 『レストハウスふるさと』からは『佐久平』越に、遠く『浅間連山』が望めます。

 

 『カラマツ』が色着き始めると『秋本番』

 

  カラマツの林を過ぎて カラマツをしみじみと見き

  カラマツは寂しかりけり 旅ゆくは寂しかりけり

 

  カラマツの林を出でて カラマツの林に入りぬ 

  カラマツの林に入りて また細く道は続けり

 

  カラマツの林の奥も 我が通る道はありけり

  霧雨の掛かる道なり 山風の通う道なり

 

  カラマツの林の道は 我のみか人も通いぬ

  細々と通う道なり  寂々と急ぐ道なり

 

 北原白秋の『からまつ』ですがこの詩の意味が解かる様になったら………歳かな。

 

 因みに4番の 『寂々(さびさび)』をず~っと『寒々(さむざむ)』と思い込んでいました。

 

 針葉樹で在りながら落葉し、道路に溜まっていると『滑る!』からライダーは要注意です。(イチョウの葉っぱが一番滑る)

 

もみじの滝

 

 国道299号線、通称『メルヘン街道』を西走すると、『八千穂高原自然園』の看板が目に入ります。『トリデロック遺跡』訪問の際にも此方の駐車場を利用させて頂きました。

 

 『国道141号線・佐久穂IC』から『麦草峠』を越えて『奥蓼科』に至るまでに『コンビニ・ガソリンスタンド』などは無く、飲料自販機・食事の出来る数少ない場所のひとつです。

 

 街道沿いに『食事』『そば』『うどん』などの幟に混じって『もみじの滝』の幟も在りました。

 

 受付で大人¥300の入場料を払い、管理された『自然園』の中へ。(昔はタダだった様な気がするんですけど?)

 

 

 手入れの行き届いた散策道を歩きます。

 

 『自然園』とはいえ『樹木』には『ネームプレート』と簡単な説明書きが添えられています。

 

 この『八千穂高原自然園』には『所要時間』や『体力』に併せて三つのコースが在ります。

 

 二つの滝のみを廻る『白コース』(所要30分)、滝に『遊亀湖』迄を含めた『青コース』(所要50分)、更に『熊穴』や『九輪草群生地』を巡る『青コース』(所要90分)

 

 時間や体力に合わせてお好みのコースをどうぞ。

 

 

 『飛竜の滝』です。『滝』には『〇〇の滝』などの名称が付いている場合が多いですが、イマイチ『飛竜』を感じないのは気のせい?

 

 因みに『滝』と『瀧(旧字体)』が在りますが意味は同じ、落差のある水の流れです。

 

 『滝』は常用漢字、『瀧』は固有名詞(名前や地名)に使われる場合のみ使われます。

 

 

 『もみじの滝』 一日中日陰に在り大分『もみじ』が散ってしまいましたが。

 

 実は単に『もみじ』と云う植物は無く、『イロハモミジ』と『オオモミジ』『ヤマモミジ』の事を指します。

 

 しかも種類的には『カエデ』の仲間で、『切り込みの深い葉っぱ』を『モミジ』、つながっている様に見えるのを『カエデ』と云います。

 

 『カエデ』とは『カエルの手』から来ている言葉だそうです。

 

 通常、真っ赤な『紅葉』が観られるのは『湖水・河川』などの水辺の傍で、湿度が関係してきます。

 

 『滝』の傍には『イロハモミジ』の深紅が似合いますね。

 

稲子の湯

 

 『八ヶ岳連山』の『稲子岳』麓にある一軒の温泉宿です。

 

 私が免許取りたての頃、アプローチは道の悪い林道しか在りませんでしたが、現在は全線完全舗装で、夏季はバスの巡回便も在ります。

 

 元々が登山者の為の『山小屋』ですが、『立ち寄り入浴』が可能、且つ『小海駅行き』のバス停が在る為、下山ルートに利用する人も多いです。

 

 只残念ながら、私は泊った事ありません。だって家から車で1時間半ですもん。

 

 

 此方をベースに一泊して『八ヶ岳』に入る方も多いらしく、県外ナンバーの車が数台停まっていました。今頃は『オーレン小屋』にでも辿り着いたかな。

 

 近頃の『山小屋』は風呂が在るのは当たり前。トイレ処理に『バイオ式』を使っていますので大量の水が必要です。

 

 

 玄関で靴を脱ごうとすると、沢山の登山靴が並んでいました。

 

 脇のロビーではバスの到着を待つ人が10人程くつろいでいました。

 

 ひょっとしてお風呂混んでるのかな?と思いながら受付で入浴料¥650を支払いまして。

 

 温泉には誰一人いなくて独り占めです。

 

 流石に風呂場にカメラを持ち込めませんので………

 

 湯舟には熱めの温泉が『かけ流し』の状態で流れ落ち、冷たい水で温度調整する仕組みです。(水を出しっぱなしにすると直ぐぬるくなっちゃうから注意)

 

 小一時間程浸かったり休んだりしていましたが、他に誰も来ません。

 

 ゆっくりし過ぎてのぼせちゃいそう。

 

 

 駐車場からは『みどり池』への登山道が伸びています。

 

 これからの季節。紅葉が美しいんだよなぁと思いながら車に乗り込みました。

 

  『秋の夜の 鶴瓶落とし』 あっという間に暗くなります。

 

 此れから山道に入ろうなんて考えちゃダメ。

 

 

小串鉱山

 

 活火山である『浅間山』~『白根山』の北西に掛けて、昭和初期まで『硫黄鉱山』が幾つか在りました。

 

 『硫黄』の採掘目的は『火薬材料』です。『マッチ』の需要もそうですが、一番使われたのは『弾薬』 そう『戦争』の為です。

 

 先日、母のアルバムを見ていたら、若かりし頃の母が暮らした『小串鉱山』の写真が出てきました。

 

 須坂市に出生した母は、戦争で父を亡くし、一家揃って『鉱山会社』の労働者募集に応じて『小串』に移り住んだそうです。

 

 当時の『小串』は大勢の鉱夫とその家族が暮らす『街』が形成され、『分校』『診療所』『食堂』『銭湯』や『映画館兼芝居小屋』なども在ったそうです。

 

 母は其処の『床屋』で働いていたと聞いた事が在ります。

 

 私が子供の頃、母が髪の毛を切ってくれました。『手動式バリカン』で丸坊主にされながら、「何でバリカンが家にあるの?」と尋ねた時、『小串』の話をしてくれました。

 

 

 誰が撮ったのかも記されていませんでしたが、噴煙を上げる『浅間山』の位置から考えると『小串岳』から『小串の街』を見下ろしているようです。

 

 『鉱口』から延びる『トロッコ』の線路が、『策動』への積み替え処迄伸びているのが観えます。

 

 『策動』で『毛無峠』迄運び上げ、トラックに乗せ換えて『高山村』~『須坂』~『北長野貨物基地』で貨車に積み替えたそうです。

 

 この『トラック』に載せてもらって『須坂』に出るのが何よりの楽しみだったとか。

 

 其処で『親父』と出逢ってゆくゆく私が生れるんですけど。

 

 当時は『バス』の代わりに『乗合馬車』が『須坂』と『小串』を結んでいたそうで、片道3時間掛けてデートしてたそうですけど、今なら飛行機で『台湾』辺りまで行けちゃう。

 

 

 この街は今はもう存在しません。

 

 鉱山の閉鎖に伴い『全ての建物』や『坑道口』を爆破解体したそうです。

 

 犯罪者の隠れ場所に成ったり、鉱山を掘り返したりできない様にする為の処置だったそうです。

 

 その後『四駆愛好者』の格好の舞台になってしまい道路も閉鎖。『毛無峠』から片道1時間45分掛けて登山道を歩くのが唯一の交通手段です。

 

 現在確認できるのは『通風孔』の『セメントドーム』と『策動』跡の『鉄塔』『お地蔵様』だけです。

 

 今まで何度か訪れていますけど、『毛無峠』から『小串』まで下った事は在りません。

 

 足腰丈夫なうちに行ってきますか。

 

俺の名を言ってみろ

 

 パチンコ・パチスロの題材として人気の高い『北斗の拳』

 

 「199X年 世界は核の炎に包まれた」で始まるオープニングはショッキングでしたけど、『北斗の拳』の原作者『武論尊』さんは佐久市の出身、私の中学の先輩にあたります。(後輩には『和久井〇見』さんや『中山〇穂』さんも!)

 

 原作を元に絵を描いたのが『原哲夫』さん。著作権は『武論尊』さんに在るらしいです。

 

 『北斗の拳』は『一子相伝』(総伝?)の『暗殺拳法』 「アたたたた~」の『北斗百裂拳』で悪者を次々」と倒して世直ししていくストーリーです。詳しくは『北斗の拳』のコミック参照です。

 

 『佐久市』と『武論尊』の結びつきは強く、町おこしの一環として、『漫画塾』や『佐久市所有熱気球』に『北斗の拳』が描かれています。

 

 下水道局がマンホールの蓋に『北斗の拳』をあしらい、『マンホール・カード』を製作すると、フリマサイトで高値で販売する不逞の輩が出る始末。

 

 更には『佐久平駅周辺』のマンホールに『北斗の拳・主要キャラクター』が描かれ、設置場所が『北斗七星』になる様に配置されていたりします。

 

 此れに気を良くして第二段。佐久市全域を使い、大きな『北斗七星』を造ろうとしています。近日公開予定。

 

 

 原作者の『武論尊』さんが一番愛してやまない『北斗の拳・登場人物』が『ジャギ』だそうです。

 

 卑怯卑劣な手段で相手を攻撃する嫌われ者ですが、『主人公ケンシロウ』の兄にあたります。

 

 佐久市内の鉄鋼メーカーさんが御厚意で製造寄付した『ジャギ』が『佐久平新幹線駅構改札内』に設置されています。えっ『入場券¥150』必要じゃん。

 

 広い駅構内。他に設置場所無かったの?

 

 偶にご当地物のオブジェが、心無い何者かによって破壊されるニュースが報道されますけど、防犯上致し方無いのかな。

 

 

全芳院

 

 続きまして『竜頭山・龍福寺』さんの『御札・御朱印』を領布してくれる『全芳院』さん。

 

 『曹洞宗・嶺南山・全芳院』 昔『丸子城』の置かれていた『城山』の南山裾に在るからでしょうか、山号は『嶺南山』としています。

 

 東御市・祢津に在る『臨川山・定津院』の末寺とされています。

 

 そもそも『山号』とは、呼んで字のごとく『山』の名前です。古来中国では相当数の寺が在り、同じ寺の名前も多数存在しました。そこで本家本元『総本山』の在った山の名前を前置きしたり、修行の場の在った山の名前を付けたりしました。

 

 遣唐使が中国から仏教を持ち帰ると、『天台宗(最澄)』と『真言宗(空海)』が広がります。更に後『天台宗』の『比叡山延暦寺』で修行した僧侶が自己解釈の末独立し『鎌倉仏教』と呼ばれる『宗派』を開くと、各々が『総本山』を名乗るようになります。

 

 『院号』の付いているお寺は、『菩提寺』として奉られている人が、『貴族階級』出身であった場合などに多く見られます。

 

 お寺を取り囲む『白塀』が在るお寺の中でも、白壁に線が入っているお寺は格式が上とされます。

 

 更には誰が建設しようとしたか? 時の『国家権力者』(天皇or将軍)の一声で決まったのか、各大名が領地に建設したか。

 

 又、信仰する宗教の場を身近に置いておきたいが為に、『勧進』したり『末寺』として迎えたりと、実に様々なパターンが存在します。

 

 『全芳院』さんの場合、『東御市・祢津』に在った『禅寺の定津院』の末寺とし、開創は天文22年(1553)、開山は『定津院第七世年室宗長大和尚(後に兵庫県永澤寺輪住、謚号大圓禅師)』、開基は丸子城主丸子三右衛門の父、『武田信玄の武将・依田肥前守』となっています。(開山は寺院の創始者、開基は寺院や宗派を創立する事)

 

 

 上の案内文を読んでいたら一番終わりの方に『大工棟梁・佐久郡野沢村の小泉彦七吉信』と明記されています。

 

 残念ながら扉は施錠されていて御本尊は拝めませんでした。

 

 世知辛い世の中ですのでご用心ご用心。

 

 

 

 暑い日差しを避ける様に並んでいた『六地蔵様』はカンカン帽を被っていました。

 

 オッシャレ~。

 

長光寺part2

 

 日本に在る宗教の中で、人の名前が付いている宗派は『日蓮宗』だけだそうです。

 

 『長光寺』さんは『日蓮宗』のお寺ですので、『経文』の事を『お題目』、『御朱印』の事を『御首題』と云うみたいです。

 

 足音の主はご住職で、本堂の片隅に『御首題』を書く(画く)為の机が設えて在り、時には長い時間をこの前で過ごすそうです。

 

 

 日蓮宗の総本山『身延・久遠寺』も何度か行った事あります。

 

 本堂の仲は黒を基調とした重厚感のある空間で、其処に座っているだけで何となく心が穏やかに成って行くのを感じました。

 

 ついでに云うなら『膝』が悪い為、『正座』が出来ず、『楽座or胡坐』でしか座れませんが、一切咎められた事は在りません。

 

 『曹洞宗・永平寺』で『禅』を体験した時でも「無理に足を組む必要は在りません。膝が悪いのでしたら椅子に座ってする事も修行です」と『目からウロコ!(キリストの言葉らしいです)』の衝撃でした。

 

 

 見事な『螺鈿細工』は先代ご住職が中国(インドだったかな)で手に入れて来たもの。

 

 

 何故に『キツネの剥製?』 住職の説明によれば本堂完成の直前に、歴代上人の墓の前で一匹の狐が迷い込んできたまま亡くなっていたそうです。外傷なども無くキツネも『即身仏』に成りたかったのであろうと『明玉霊神』と名前を付けて祀りました。

 

 『御首題』に『キツネ』が描かれているのはその為だそうです。

 

 

 『判子』を使うにしても、主要部分は全てご住職の手による『筆書き』

 

 精神集中が必要な作業の為、量産出来ず、予約を頂いて現在数日間待ちの状況だそうです。

 

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長光寺

 

 国道152号線の『腰越橋』の辺りから南の高台を観ると赤い柱が印象的な『御堂』が建っています。

 

 前々から気にはなっていたんですけど、どうやって行くのかな?

 

 『腰越ふしぎ発見探検ガイドブック』を見て納得。幹線道路からもう一本裏道に入らないといけなかったのね。

 

 

 入り口が解りづらかったけど、道路脇に駐車場も備え、山門も在ります。

 

 

 門前の掲示板には『今月のお言葉』みたいな筆書きが張り出されていることが多いですけど、『限定御首題』って何だ?

 

 トレードマークが『キツネ』って何んだろ? しかも絵が上手。

 

 

 『明玉山』と書かれた山門の両柱に『仁王様』が祀られていました。こういうパターンも在りなのね。

 

 更に門に掲げられた扁額には『妙寿門』と在ります。

 

 この門を潜ると『妙なる寿を授かる』のかな。

 

 

 社務所の花窓には『井桁に橘』の日蓮宗の紋が刻まれています。

 

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竜頭山・龍洞山・龍尾山

 

 深山地区には昔大きな『柳の樹』が在り、其処を棲みかに一匹の『龍』が棲んでいたそうです。村人を苦しめる悪い龍だったそうで、ある日『高僧』が村を訪れた際、龍を『柳の樹』に封じ込めたまま、この樹を切り倒してしまいました。其の『柳の樹』から三体の『観音様』を彫り三ヶ所のお寺『竜頭山・龍福寺』『龍洞山・宝蔵寺』『尾野山・平等寺※廃寺』に分けられ安置されました。

 

 これが『一龍三体(いちりゅうさんたい)伝説』です。『一柳(いちりゅう)三体』だったかな?

 

 柳の樹を切った場所は今でも地名に『柳切』として残っています。

 

 『龍洞山・宝蔵寺』は『依田城』の麓に在る『岩谷堂』や『曼殊沙華』の有名なお寺で、『源(木曽)義仲』が挙兵の際、必勝を祈願して植えた桜『義仲桜』が有名です。

 

 『尾野山・平等寺(へいとじ)』は現在の『上田市・須川湖』の南東に位置する山の仲に『廃寺跡』として地図に残されています。私が訪れた時は『小牧山』の急峻な崖の下に『畑」が広がっており、柱を支えたであろう『基礎石』などの痕跡を見つける事が出来ませんでした。

 

 この現在廃寺の『平等寺』にも謂れが残されていました。『真言宗上田海善寺末寺』として『尾野山・平等寺』が建てられましたが、正保2年(1645)『僧侶・俊海』により現在の『龍尾山・龍泉寺』の場所に移籍し『光明寺』と名を改めました。更に後に『秀慶』が万治元年(1658)に名を『龍尾山・龍泉寺』と改めたと記録に残されているそうです。

 そうか『山寺』と呼ばれていた『尾野山・平等寺』は移築されて『龍尾山・龍泉寺』の事だったのか。ならば『観音像』も受け継いでいる筈。

 

 『丸子・信州国際音楽村』の西に広がる『尾野山地区』 もう一度行ってみる価値在りそうです。

 

 

 『竜頭山・龍福寺』の裏山には墓所が在り、頻繁に墓参りに人が訪れているみたいです。でも『水』はと思っていると、山服に井戸が掘られていました。

 

 お墓参りに便利ですね。

 

 折角高台にまで登ったのだからと周囲を見廻すと

 

 

 朱塗りの鳥居が並ぶ『稲荷神社』が在りが建っていました。

 

 

 『稲荷神社』は『五穀豊穣・商売繁盛』の神様ですので先ずは参拝です。

 

 『神仏混載』で『神道・稲荷神』と『仏教神・ウケノミタマノカミ』を同一視する考えが生まれた結果『神社』にも『寺院』にも『稲荷神社』が存在します。

 

 『神道の神』は『仏陀』の生まれ変わりとする『本地垂迹』の考えが在るんですから何でも在りなんですけど………ネ。

 

龍頭山・龍福寺

 

 『岡森・諏訪神社』で参拝を終えた後、次は………。

 

 『歴史探訪 腰越 ふしぎ発見探検ガイドブック』を再び手に取りまして確認すると『遺跡』が発見されたのか『土器』の絵が描かれています。

 

 暫く歩き廻ったのですがそれらしき場所は発見できず。

 

 ならばと次に向かった先が

 

 

 『天台宗・龍頭山・龍福寺』 『鳥羽堂観音』とも呼ばれている住職不住のお寺です。

 

 以前『鳥羽城』の置かれていた『鳥羽山』の中腹に在ったそうですが、現在の場所に移築されました。

 

 『鳥羽山』には『依田川』沿いに幾つもの洞窟が在り、『鳥葬』の跡が見られたそうです。

 

 でも道が無いから、対岸からズームして覗いただけですが。

 

 写真を観ても解かる様に『動物侵入除けフェンス』が張られています。

 

 って事は………鹿で在ります様に。

 

 

 『フェンスのゲート』から先、急になる坂道を登って行くと、高台に立派な建築物が見えて来ました。

 

 いつも思うんですけど、重機が資材運搬する前の時代、これらの『建設資材』を運び上げたのは『人力?』(+牛馬でしょうけど)

 

 電線も引き込まれていますので、住職さんの生活が在ったのかも知れませんが、現在は不在みたいです。(通いの和尚さんは当然いるでしょう)

 

 

 『伐り剝積み』の石垣を見ると時代的には新しいのかな。

 

 赤い『奉納幟』が並んでいますけど、破れているものもチラホラ。

 

 

  先ずは参拝。 

 

 奉納された幕には『行者輪宝紋』 『天台宗輪宝紋』(延暦寺)とは少し違うみたいデス。

 

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岡森・諏訪神社

 

 『丸子』と『武石』の間に在るのが『腰越』です。

 

 『依田川』に掛かる『腰越橋』の袂を曲がると『観光パンフレット』の入った『ポスト』が置かれています。

 

 中のパンフレットを頂きまして。

 

 

 八つ折りのパンフを開くと

 

 

 此のパンフ『令和元年 上田市わがまち魅力アップ応援事業』の一環として、『腰越自治会』の協力の元 『腰越村(?)記録の会』が製作しています。

 

 デフォルメですが見やすい地図は絵心ある人が書いたに違いない。

 

 とても見やすく解り易いです。

 

 

 『腰越』を大きく3つに分け、国道沿いを『町』 川沿いを『向井』 峠に続く『深山』と観光案内の略図と簡単な案内が添えられています。

 

 道路沿いで何時までもパンフ見てても始まらないから取り敢えず出発します。

 

 山に向かって走っていると

 

 

 参道を進み鳥居を潜るとだだっ広い不思議な空間。

 

 パンフを読み返しますと此処は明治時代、『小学校』が在ったそうです。

 

 この広い空き地は『校庭』だったのでしょう。

 

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むかたん

 

 何のこっちゃですけど『昔探検会』略して『むかたん』です。

 

 平成の合併で『佐久穂町(佐久町+八千穂)』となり『旧八千穂中学校』が廃校の憂き目に遭いました。只壊すだけじゃ脳が無いから何とか存続させようという事で『むかたん』が出来ました。

 

 早い話が『民俗資料展示館』です。

 

 

 如何にもな『中学校』の正面玄関を入ると『事務室』or『受付』の在った場所でしょうか係員の方が詰めています。

 

 

 『受付とかこちらですか」と声を掛けると「特に手続きとか無いですからご自由にどうぞ」ですと。「写真撮影とか大丈夫ですか」「好きなだけ撮ってください。SNSでも何でも自由にあげて貰って結構です」 嬉しいなぁ~。

 

 

 『珪化木』 これ先日本で読んだばかりです。

 

 噴火により『樹木』が地中に埋没し、地中に含まれる『珪酸』の作用により『石化』した物で、『石炭』との絶対的な違いが『炭化』していない事。その為『年輪』などの美しい模様が残されている。

 

 

 丹念に見ていた為か、不審に思われたのか、係員の方が展示場にまで来てくれて説明会が始まりました。

 

 その方入り口に名前の在った『白倉盛男』さんのお子さんにあたる方で、地質学の教員免許を持ち、今では『むかたん』の一員として対応してくれます。

 

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分水嶺

 

 長野県の分水嶺、最南端は『国師岳』山頂から東へ100m程の処と思っていましたが、先日地図を見ていて『中央アルプスの茶臼山?』と気づきました。

 

 『奈良井ダム』へ向かう木曽山脈の最北部『胸突ノ頭』がそれ。

 

 東に向かって『小黒川』が流れ出す処だからてっきり太平洋へ流れると思い込んでましたけど、『奈良井川』に流れ込んだ水は『奈良井宿』を通って『梓川SA』付近で『梓川』に合流し『犀川』『千曲川』と名前を変え『信濃川』になって日本海へ流れ込みます。

 

 日本一長い川は『千曲川』(新潟県では信濃川)に違いないですけど『奈良井川源流』の方が遠くない?

 

 

 

 『野辺山駅』から南に3.5km程の所に在る『平沢峠』は『佐久甲州街道』が通り、交通の要所でした。

 

 『八ヶ岳』を眺望するこの場所は『飯盛山』の登山口としても人気が在ります。

 

 

 小学生の遠足でも登る山として人気が在ります。

 

 コースはなだらかな登りが続くコースで、尾根に出ると眺望が素晴らしい。

 

 

 結構人が居たので山頂では無く山の中腹で恒例のシャボン玉。

 

 風に乗ってクルクル回りながら結構な距離を飛んでいきます。

 

 あんまり洗剤成分を撒き散らすのも偲ばれますのでそそくさと山を降ります。

 

蓮池

 

 『志賀高原』は『佐久市出身・神津藤八さん(長野電鉄創業者)』が故郷の『志賀』を偲び命名しました。

 

 湧き水の豊富な処で、幾つもの『沼』が存在します。

 

 『湖』と『沼』の違いとは、水深が浅く、湖底にまで水生植物の繁殖が観られるものを『沼』と云い、水深が深く岸辺付近にしか植物の見られない場合は『湖』と大別しています。人工的に川を堰き止めた湖は『ダム湖』 その他人為的に造成された場合は『池』と呼ばれる事が多いですが、必ずしも厳密な定義がある訳で無く、地名や呼称との兼ね合いで使い分ける場合も多々あります。

 

 

 『志賀高原』では『沼』や『池』の名前をランドマークにする場合が多く『蓮の咲く池』が在る場所だから『蓮池』とか、楽器の『琵琶』の形の『琵琶池』 丸っこい『沼』だから『丸沼』、一番大きいから『大池』(現在は『大沼池』と表記されています)などと呼ばれ、「〇〇池の交差点そばの赤い屋根のホテル」とか「〇池の交差点を右折」などと使われています。

 

 

 一周歩いて10分程の『蓮池』の水面には『蓮』が群生しています。

 

 

 『蓮の花』が咲いているって事は根っこは『蓮根』

 

 食用じゃないでしょうし水深が在るから誰も採らない(採れない)でしょう。

 

 

 里では6月頃に開花し、7月になると『ハチス』と呼ばれる『額』の部分が肥大します。

 

 8月の終わりでまだ花が咲いている『志賀高原・蓮池』に標高の高さを感じます。

 

 でこの後バイクに跨ると『大雨』 折角の『志賀草津ルート』何も見えやしねぇ。

 

 

奥志賀高原

 

 『新潟県・津南』に始まり『中津川』沿いに遡上した『秋山郷』の終点は奥志賀高原です。此処まで来ればホテルも在るし自販機なんぞも利用できます。

 

 今から40数年前………まだ『志賀草津有料道路』(現在の国道292号線)の料金所が『渋峠』に存在していた頃の話です。

 

 『草津』経由で『志賀高原』に入り、『秋山郷』でキャンプする計画を立てました。

 

 昔は11月3日が『文化の日』で学校は休み。日曜日が絡むと連休になり、春の『ゴールデンウイーク』に対して『シルバーウイーク』と呼ばれていました。

 

 土曜日、授業終了と同時にバイクに跨りイザ『秋山郷ツーリング』出発。

 

 『志賀草津有料道路』を登っている頃は辺りは真っ暗になり、標高2000m以上を走り続けていたので体は芯まで冷えていました。

 

 料金所でお金を払おうとすると「後一時間もすれば料金所が閉鎖になるからその後は只で走れるぞ。それまでストーブにあたって温まって行け」 当時安い時給(¥370/時間)でやっとこさ貯めたお金でバイクを買い、金欠病の真っ只中では「タダ!」の言葉は魅力的でした。(寒かったし)

 

 結局その後一台も車が通過する事無く『お茶とお茶菓子』の接待を受けながら控室で雑談していました。

 

 『志賀高原・蓮池』から『奥志賀高原』を目指すと案内が出てるから道は解り易い』

 

 道路の情報を仕入れ(当時ナビ何て無いし、バイクでは地図で確認しながら走るのも難しかった)イザ出発した時は夜の7時を廻ってました。

 

 更に悪い事に『霧雨』が降って来る始末。『カッパ』を着こんで『蓮池』から『奥志賀』、分岐を右折すると凸凹の『砂利道』でした。

 

 もう此処まで来たからには行くしかない。と腹をくくって水溜まりの残る凸凹の林道をソロソロと進んで行きます。

 

 水溜まりを避けながら曲がりくねった道を進んで行くと、カーブを曲がった先、道路沿いの林の中に煌々とした明かりが灯り、『撮影』でもしているのか幾つもの人影が蠢いていました。

 

 そのまま林道を進んだんですけど誰かに停められる事も無く脇を通過。暫くして振り返ったら明りは消えていて『何だったんだろう?』

 

 その時は疲れと寒さで兎に角『テントを張らなきゃ』としか考えていませんでした。

 

 後で思い出してみると道路には車は一台も停まっていなくて、機材や人はどうやって運んだんだろう?しかも煌々と輝いていた明りは気が付いた時にはあっという間に真っ暗闇。まさか見てはいけない物………

 

 なんとかかんとか『秋山郷』の集落に入り、広場らしき場所を見つけ『テント』を張って寝袋に潜り込みました。(食事抜き)

 

 そのまま朝を迎えると辺り一面の『雪景色』 凍える手でバイクの荷台に『テント』を括り付け辺りを見廻すと其処は『小学校』の校庭でした。

 

 見つけた『ガソリンスタンド』でストーブにあたらせて貰って話をしていたら「夜の林道下って来るなんて誰もしない」と云われました。

 

 林の中で見た『撮影隊』の事を話すと「辺鄙な場所で撮影何かするか?」ですと。

 

 やっぱり見ちゃいけない物だった?

 

 今回もバイクで走りましたが、全線舗装路で走り易いの何の。

 

 あの時の『明りの場所』も特定できませんでした。

 

 

 昔はこの先ず~っと凸凹の泥道。水溜まりにヘッドライトの光が反射してそれが林に写り、凸凹に併せて光の輪があっちに行ったり突然消えたり。ホントに薄気味悪かった。

 

 

 国道です。(酷道でしたけど)

 

 

 『奥志賀』~『志賀高原』の区間は『自転車競技』の会場として近く大会が在る為か、各大学が合宿してトレーニングに励んでいました。

 

 『自転車』は道路左を走ってんですけど『伴走車』が邪魔。ず~っと反対車線走っているし。

 

 

 河川の『禁漁区間』や『大きさ規制』の案内も出ていました。

 

 渓流釣りに人気が在るのかな。

 

 『志賀高原』は『佐久市・志賀』出身の『神津藤平さん(長野電鉄創業者)』が故郷を偲んで名付けた場所です。

 

 そして地図を見ていてふと脳裏に浮かんだのが『ガラン沢川』(地図には記入されていません)

 

 けっして踏み入ってはいけない場所として有名ですが其の話は何時か又。

 

秋山郷・大滝

 

 『秋山郷(長野県栄村)』を流れる『中津川』は、『野反湖(群馬県)』から流れ出る『雑魚川』と『奥志賀高原(長野県)』から流れ出る『中津川』が合流して結構な水量となり、硬い岩盤層では『滝』となって流れ落ちます。

 

 そのひとつが『大滝』です。

 

 

 写真では案内が読めない? この案内の前に車を停めた方は他の人が読むであろうことを考えもしないんでしょう。車が邪魔して写真撮影すら難しい状態でした。

 

 案内・説明の看板前に車を停める方。少しは考えようね。

 

 

 以前この道を通った時、この『大滝』の案内は在りませんでした。

 

 駐車場からどれ位歩くのか(距離・時間・高低差)表記されていませんので不安材料では在りますけど。

 

 『滝』を観に行く時、一番明記して置いて欲しいのは滝の近くまで行けるのか? 遠くから眺めるだけなのか? そして駐車場からの移動距離と高低差(階段数など)です。

 

 苦労して『観瀑台』までたどり着いたら、遠くから小さく眺めるだけだったりすると一寸ね。

 

 『滝』を近くで見る事が出来る場合、その川面まで駐車場から下る場合が多いです。その高低差が地図などではわかりづらい。階段などが在るなら何段くらい在るのか明記してあると助かります。

 

 『大滝入り口』では『奥志賀渓谷コース全長2.3km』と書かれていましたけど、果たしてどれ位の時間を要する事やら。

 

 下り始めると『左=大滝』と『右=三段の滝・ハーモニカ滝』『巡り合い滝』と分岐が在りました。

 

 先ずは『大滝』からだな。

 

 

 距離表示も無い不安のまま、川面迄下るのだろうか。と考えながら散策道を歩きます。

 

 滝音が聞こえてくると、『鎖場』ならぬ『ロープ場』が出てきます。

 

 折角だから下りますけどサ。(足腰弱い人には難しい場所です)

 

 

 斜度が解りづらいですけど、スニーカーじゃ滑ります。

 

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切明温泉

 

 『秋山郷』を流れる『中津川』の最上流部には『切明温泉』が在ります。

 

 そう。時々TVでも放送される、河原を掘ると温泉が湧き出て、川の水を引き込んで湯温を調整し、自分好みの温泉を『造れる』のが『切明温泉』です。

 

 温泉旅館の『雄川閣』で食事・宿泊も出来ます。

 

 此処はひとつ『雄川閣』で『スコップ』を借りて、温泉造りに挑戦してみては如何でしょうか。(私は掘った事ありませんけど。だって大雨の後以外は誰かしら掘った温泉が残っているから)

  

 

 『雄川閣』の駐車場にバイクを停め(一言断わりを入れ、尚且つ売り上げ協力するのがオトナの常識)この吊り橋を渡って対岸から河川敷に降ります。

 

 

 此の河川の上流部には『中部電力』管轄のダムが在り、大雨の時には『緊急放出』する場合が在ると危険勧告の案内が出ています。

 

 空模様を確認し、雨は降りそうも在りませんのでイザ『河原の温泉』へ。

 

 

 河川敷に置かれた『土管』にはブクブクと温泉が湧いています。

 

 なにも此処だけじゃ無くて、河川敷の何処を掘っても温泉が湧くんですけどね。

 

 

 どっかに『お風呂』は無いかいな?と河川敷を歩くと、大岩の下に誰かが掘った跡を発見。試しに手を付けてみると適温です。

 

 辺りを見廻し、誰も居ない事を確認してから『スッポンポン』の丸裸!

 

 一応誰かが来るかもしれませんからタオルを持って湯舟の中へ。

 

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秋山郷・観音堂・薬師堂

 

 初めて『秋山郷』を訪れたのは高校二年生の晩秋。

 

 志賀高原経由で『秋山郷』に到着した頃はもう真っ暗で、おまけにシトシトと霧雨が降って来る始末。

 

 テント泊を予定していましたが適切な場所が見つからず、やっと見つけた広場にテントを張りました。食事は『パン』のみで『シェラフ』に潜り込み、寒さで外を確認すると辺り一面雪景色でした。

 

 しかも広場と思っていた場所はどうやら『分校』の庭。

 

 今回その場所を確認しようと『栄小学校・分校』を訪れたのですが近代的な校舎になっていました。(今校庭にテントなど張ろうものなら間違いなく警察が来ますね)

 

 

 フラフラとバイクで走っていて見つけた『御堂』

 

 鳥居が無いですから仏教系です。バイクを降りて参拝です。

 

 

 先ずは真っ直ぐ進んだ所に在る『薬師堂』で参拝。

 

 何故か『Tシャツ』などに名前が書かれて奉納されています。

 

 御本尊は拝見できませんでしたけど、頻繁に『読経』されているのか掃除が行き届いています。

 

 

 続いて隣の御堂へ。此方は『地蔵堂』となっていました。

 

 何故か『薬師堂』の方を向いています。

 

 此方には『お地蔵様』のみならず色々な『木像』『石像』が治められています。

 

 きっとこの里の人達が『願掛け』の為に奉納したのでしょう。

 

 上段の奥には『閻魔像』や『羅漢像』でしょうか。

 

 交通安全を祈願しまして出発です。

 

 

蛇淵の滝

 

 日本には『蛇』の付く地名・名所が割と多いです。『蛇川』とか『蛇沢』『蛇掘』なんて処も在りましたか。

 

 『蛇淵の滝』の案内が在りましたので行ってみました。

 

 

 徒歩10分と在りますけど、誰を基準にしたのか解りませんし、急峻な上り坂が在るのかも解りません。まぁ大抵は川床に向かってかなりの斜面を下る場合が多いんですけど。(って事は帰りは登り)

 

 示された道を進むとやがて田んぼの畦道になります。

 

 

 田んぼの外れに公園らしき広場が在って東屋が建っています。

 

 ナント嬉しい事に水飲み場が在りました。(水道?)

 

 

 由来が書かれていました。

 

 昔、漁師が熊を追ってこの川の淵迄来た処、大きな丸太橋が掛かっていた。橋を渡ってふとこんな処に橋が在ったかなとよくよく見ると大きな『蛇』が横たわっていた。

 

 いやいや、橋を渡る前によくよく見るでしょう。で『大蛇』と解ったら『鉄砲』でズドン。(あくまで由来ですから)

 

 

 案の定『鉄製の階段』が在りまして、「この階段で川まで降りて生きのかな」と不安になってきた頃『展望台』に着きました。

 

 頑丈な鋼鉄製の『展望台』に、此処までどうやって建設資材を運んだんだろう?と疑問に思いました。(昨今はヘリコプターによる荷下ろしも在るか)

 

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 こーちゃんの”毒談と変見”

 ぴんころ地蔵から車でほんの数分も走れば、黄金色輝く田圃が広がります。浅科区では五郎兵衛米というお米が獲れます。内緒にしておきたいくらい美味いです。

 

新米が出回るのはまだまだ先ですが、一度お試しください。道の駅、お土産売り場等で買えます。五郎兵衛米です。ブランド価格します。

 

40年も昔の話。田圃にコンバインの姿が無く、稲刈りした稲束をハゼという棒に掛けて天日乾燥させていました。

 群がるのは  イナゴ。バッタのことですが漢字では  蝗。稲穂を食いつぶす害虫です。

 

 小学校の授業の一環で、イナゴとり  がありました。イナゴを全員で採取して駆逐し、尚且つ業者に売るのです。その利益で図書館の本や備品購入代金にするのです。

 買った業者はどうするのか?佃煮にして売るのです。

 信州三大珍味。(ゲテモノ?) ハチの子ご飯。イナゴ、カイコの佃煮。ザザムシの佃煮。えっ?本当に食べてたんです。今でも缶詰や瓶詰で売られています。しかもお値段なかなかの高級食材。

 都内某所の居酒屋で、イナゴの佃煮7~8匹で¥500でした。

 

 高級食材入手の際、田圃でのトラブルはお避け下さい。


 北大路魯山人 の逸話に、「田螺の生茹でが大好物。この田螺に寄生していたアニサキスのせいで早死にした。」とあります。ほんとうかどうか真意はさて置き、田螺もたべていました。

 秋の味覚のひとつです。


 こーちゃんの"毒談と変見”

 

 信州佐久は、誇れるものがたくさんあります。


 晴天率もその一つ。昼間は太陽光発電が威力を発揮していますし、夜は天体観測にもってこい。少し山間に入って生活光の届かない処で車を停めれば、肉眼でもはっきり見える天の川。宇宙飛行士  油井さん  の搭乗している宇宙ステーションもその軌道が肉眼で見えます。

 

 油井さんといえば、佐久の隣、南牧出身です。


 ついで宇宙つながり。JAXAの打ち上げた「ハヤブサ」を覚えていますか?通信不能になり行方不明になった「ハヤブサ」を諦める事無く追い続け、地球帰還に導いた影の立役者「日本最大パラボラ電波アンテナ」があります。(写真はまた今度)


 ちなみに写真は ちょうげんぽう だとおもいますけど。


  浩ちゃんの ”独断と偏見”

 28/8/2015


 いらっしゃいませ。玉屋の こーちゃん です。

 

 パソコンで遊び出してまだ間もない為、多々不愉快な点等御座いますが、平にご容赦願います。

 

 ホームページも初めて。ブログも初めて。何から何まで暗中模索で楽しく? 苦しんでいます。

 

 キーを叩くのも指一本で足りてますから、その更新ぶりも推して知るべし。目標は1日1本のアップです。

 

 前置きはさて置き。

 

 ぴんころ地蔵。

 

 正式名称は [長寿地蔵尊] とお腹に書いてあります。

 

 今では日本各地に、長寿祈願のお地蔵様がありますが、元祖本家本元この地で生まれました。

 

 歴史的にはまだまだ浅く、巣鴨の「とげ抜き地蔵」さん何かと比べられると…。

 

 でも、その柔和な笑顔が こーちゃん は好きです。