『丸子』の依田川西岸には『御嶽堂』とか『富士山』といった中々にして素敵な地名が存在します。
実は此の辺り、『源義仲』が兵を集め、天皇へ直訴の為に京都へ登ろうとした出発点です。
後の『旭将軍木曽義仲』こと『源義仲』は、『征夷大将軍・源頼朝』に反旗を翻し天皇家を味方にするべく上京します。『源義仲』の父は家督相続の争いに巻き込まれ『源義平』に殺されてしまいますが当時二歳の『義仲』は『木曽・中原兼遠』の元で蟄居させられます。(この時幼馴染で共に育ったのが『巴御前』とされています)
元服し、『源義仲』を討伐すべく『上田市・丸子』の地に於いて『挙兵』、『反幕府』の応援を得て一大勢力となり『木曽谷』を本拠地として『木曽義仲』を名乗ります。
『木曽谷』は、その豊富な『森林財産』と従順な『木曽馬』(小型で力が強い)の産出地で在った為に、強靭な『騎馬軍』を形成。『旭将軍義仲』と呼ばれる様になります。
『日本三大美人・小野小町・巴御前・静御前』の三人に数えられる『巴御前』と結婚。
共に戦場にて戦ったとされています。(其の時の有名な言葉が「男に生まれ共に戦いとうございました」です)
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『御嶽神社』の鳥居の奥、山の上に『木曽義仲館跡』が在るのですが、(看板には400mと書かれてはいますが………)結構急峻な上り坂を行く事に成りそう。
周囲を見渡しても『幟立てのポール』の先、神社らしき建物は見えません。
てことは山頂まで登るのか。で日暮れ迄に行きたい処があるから今回パス。
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次に向かったのは『依田神社』
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歴史的には『鎌倉幕府』始めの頃ですから、今から830年前この辺りに武装兵士がウロウロしていた事に成ります。
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参道には枯れ枝などが散乱していて、余り人が訪れていない?
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本殿んも至って質素。
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敷地内には『慰霊碑』や『祝詞の碑』なども在るのですが、何か『長居は禁物』的な雰囲気が漂っていますので早々退散です。