国鉄時代、開発された蒸気機関車は『動軸』の数にアルファベットを充てました。
Cが頭に着くと動軸数が3つ。Dが頭に着くと同軸数が4つになります。
蒸気機関車は大量の『石炭と水』を必要とします。
長距離を移動する為には大型の『石単と水を積んだタンク車=テンダー車』が無ければ走る事が出来ませんでした。
その為、機関車のすぐ後方に『テンダー車』を牽引するとバック走行が難しくなってしまいます。
近距離のみを走る蒸気機関車は、機関車後方に『石炭庫と水タンク』を装備した『タンク式機関車』が使用されました。
その『タンク式機関車』の代表が『C56型機関車』です。
『通称=ポニー』とも呼ばれた機関車で『佐久鉄道(後のJR小海線)』を走った『C56型機関車』は特に『高原のポニー』と呼ばれ親しまれました。
『JR小海線・中込駅』には『機関庫』と『転車台』を備えた駅で、昭和47年まで現役稼働していました。
『転車台』とは『蒸気機関車』の方向転換をする為に回転させる『ターンテーブル』の事で、重い『蒸気機関車』を載せて180度回転させ、客車を連結させる方向へ向きを変える為の装置です。蒸気機関車は前進・後進は出来ますが構造上長距離を後進するのは難しく、通常は列車の最前部に位置し前進して客車を牽引するのが普通です。(一部例外の『後押し』も在ったようですが)
此の為『トンネル』が苦手で、後部に連結された客車は『煤煙』に包まれて『トンネル』を走る事に成ります。此れが結構キツイ。SLに乗った事の在る人は解ると思いますが『石炭』の燃える臭いは結構強烈で、客車に乗っているだけでも臭気にやられちゃう人も居ます。
大井鉄道のSLに乗った時の事ですが、後ろ向きに座った事もあり、『千頭駅』に着いた頃にはすっかり酔ってしまいました。その後暫く旅行どころじゃ無かったっけ。
窓ガラスがサッシになる以前の話です。街中が静まり返った夜9時過ぎ頃、蒸気機関車と客車を連結するがチャンという音が千曲川を渡った私の家まで聞えて来たのを覚えています。
運転席は通常左側。他に『釜焚き係』が必要で。『釜』で石炭を焚いてその中の『ボイラー』で蒸気を発生させ、高圧の蒸気圧を使って『ピストンシリンダー』を動かし回転運動を動軸に伝えます。『ブレーキ』も蒸気圧を使ってブレーキパッドを車輪に押し当て減速させます。
幾つかある『バルブ』は『送水』や『蒸気』を操作する為のもので複雑な構造をしています。
此処に展示されている『C56 101』は『三菱重工・神戸造船所』で昭和12年に製造されたものです。
『造船所?』 まぁ世界に通用する日本の技術ですから。
データによりますと機関車単体で36tの重量があり、他に石炭と水が必要です。最高出力592馬力を誇ったそうです。
その性能の高さから、日本が電化を推進した後も海外に引き取られ東南アジア各地で現在でも稼働車両が残っているそうです。
現在でも日本各地で観光列車として稼働しており、『北海道』~『九州』迄各地12路線で走行しているのを観られるそうです。(D51・C56・C62など)