広い佐久平の周囲を取り囲む山々には、其々に敵の進入を見張る為の『砦=山城』が存在していました。
そして『城』が在ればその領地には、信仰する『神社』が建てられるのが常です。
『平賀神社』も『平賀城』の建つ山裾に在ります。
戦国武将が領土拡大を求めて敵地に攻め込む時、いかに早くその動向を察知し迎え討つかが重要な防衛策でしたが、甲斐の国の強靭な『武田軍』には到底かないませんでした。
『城』は破壊されてしまいますが『神社』は残されました。
同じく『寺院』も残されますが庇護を受ける為『武田菱』を掲げるようになります。
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『平賀神社』の一の鳥居は表通りに在りませんので気が付かない人も多いのでは?
近くに『平賀小学校』が在り、道が狭くなったり、カーブ付近の横断歩道が在ったりで『わき見運転厳禁ゾーン』ですので周囲を見る事が出来ないのかも知れません。
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