『中部横断道』を『佐久・IC』から『佐久南・IC』方面に南下すると、『新幹線』のガード下を潜るUP・DOWNを過ぎた辺り、左手に朱塗りの建物が見えて来ます。
鳥居が在るので『神社』と解りますが、わざわざ訪ねた事は在りませんでした。
『佐久市・塚原』の『荘山』に建っていますから『荘山稲荷神社』(まんまじゃん)
駐車場とか在る訳じゃ在りませんので近くの道路拡幅部に路駐になります。
旧中仙道沿いに石造りの鳥居が建っています。
ふと鳥居の脇を見ると
個人作ったであろう『パウチ』された説明書きが立っていました。
『稲荷神社』は普通『稲荷神=(穀物の神様・ウカノミタマノカミ)』をお祀りします。(食と書いてウケと読み『保食神=ウケモチノカミ』も同意だと思われます)
文面を読んでみますと創立は江戸時代中期の1714年。当時盛んだった『養蚕』と『五穀豊穣』を祈願する為、村の守り神として祀られたようです。(建立者不明)
『保食神』についての説明
『天照大御神』の命を受け、妹の『月夜見の命』に『葦原の中つ国に住む『保食神』を訪ねます。『保食神』は歓迎の為に口から様々なモノを出し『月夜見の命』に献上しようとしましたが、『口から吐きだしたものを食べさせようとはナント汚らわしい!』と逆上して『保食神』を殺してしまいます。此れが元で『天照大御神』と『月夜見の命』は仲が悪くなり昼夜を分かつ様になります。
その後『天照大御神』は『天上の熊人』を使いに出し、その後の『保食神』の様子を見に行かせます。『保食神』の亡骸からは『蚕』の他『五穀』『大豆』『小豆』などの『苗』が芽吹いたそうです。『天上の熊人』がこれらを持ち帰ると『天照大御神』はそれらを育てます。やがて種子が採れると「これらは人間が必要としたり食べる為の物となるでしょう」と言い、広く人間界に流布したとの事です。(一部拡大解釈在り)
『神道』の日本に『仏教』が伝来し『神仏習合』が広がると様々な弊害も起きる様になります。明治政府は『神仏分離令』を発し『神道』と『仏教』の切り離しを図ります。その結果『お寺の中に在った神社』を無理やり分離したり、『石像・石仏』の破壊行為などが平然とおこなわれました。今でも『寺院』と『神社』が隣接しているのはその名残です。
中仙道からあぜ道を北へ歩きましたが、石段を登った先の拝殿は西を向いています。
ブロック積の上に鎮座しているのは『高速道路工事』の影響でしょうか。
真新しい朱塗りの『鳥居』や『拝殿』、『ブロック壁』のお陰で、一見チープな感じがしますけど実は中々奥深いんです。
参拝してから中を覗いますと
神使の『キツネ』は最近奉納されたのでしょう
境内には他にも摂社が奉られていました。
特に説明等は在りませんでしたが何やら重みを感じます。