一遍上人

 

 1239年、伊予の国(現・愛媛県)の豪族に生まれ、若くして『最澄開祖』の『比叡山延暦寺』にて仏教を学ぶ。我流の解釈の元、『時宗』を創設し諸国行脚の旅に出る。

 

 鎌倉時代に『延暦寺』にて仏教を学んだので『鎌倉仏教』と云われ、他にも『法然・親鸞・道元・栄西・日蓮』などが独自の宗派を開く。

 

 全国各地で『賦算(念仏札)』を配りながら『踊念仏』を広め、佐久の地に於いては『金臺寺』を開く。

 

 狭いお堂の中で、大勢の男女が『南無阿弥陀仏』を唱えながら踊り続ける事で、ある意味『トランス状態』になったのでは? ディスコ(私の頃はクラブなんて言わなかった)で激しく踊った後の脱力感に似てるかも。

 

 で仲良くなった男女が子宝に恵まれ………

 

 ※現在では『跡部・西念寺』さんが踊念仏を継承しています。

 

 この『金臺寺』入り口の石門から石畳の参道を進むと

 

 

 『紫雲山』と書かれた扁額を掲げた『鐘楼門』 

 

 子供の頃、脇の階段を登って回廊を走り回って怒られた記憶が。

 

 今の私の体重じゃ階段を壊しちゃうかもしれないから登るのは遠慮しときます。

 

 

 普通『八方睨みの龍』は目の位置が天上の中心にある筈ですが、この絵はチョットずれてます。えっどこが眼か分からない?

 

 

 鐘楼門の東側(本堂に向かって右手)には『社』在り、『天満宮』と『熊野本宮』の二柱が祀られています。故に鈴緒が下がっています。(参拝は二礼二拍手一礼)

 

 仏教と神道が融合(神仏習合)していた頃の名残です。

 

 明治政府が発令した『神仏分離令』のお陰で壊された仏像などが多いのですが………

 

 明治政府は『明治天皇』を象徴とした国造りに力を注ぐ為に『神道』を残し、仏像・石像の多くを壊したり、敷地を分断して別の『神社』と『寺院』としました。

 

 『神道』から分離させられた『寺院』は『神宮寺』と呼ばれました。

 

 ※『諏訪大社上社本宮』の隣に在った『神宮寺』はその規模も広さも『上社本宮』を上回っていたそうです。今は住宅地が広がっています。そしてその先に『北斗神社』う~ん暇だからパチンコ行こっかな。