私の家から見える本堂の大屋根。そこが『金臺寺』です。
『臺』は『台』の旧漢字。『こんだいじ』と読みます。
門前に『一遍上人初開祖の道場』と刻まれた石碑が在ります。
『一遍上人』は鎌倉時代、比叡山で仏教を学び『時宗』を立ち上げた人です。
『南無阿弥陀仏』と唱えるところは『浄土宗=法然』や『浄土真宗=親鸞』と同じで、『比叡山の担い堂』で喧々諤々の答弁を繰り広げたのでしょう。
『時宗』を立ち上げ全国行脚の中で、文盲や困民にも分かるように『踊りながら念仏を唱える』=『踊念仏』を広めました。
長野県下にはいくつかの『一遍上人の〇〇』と付く名所旧跡が在ります。
峠道の最中に突然水が湧き出ている『一遍水=保福寺峠』もその一つ。
『弘法大使』が旅の途中、のどが渇いたからと杖を地面に突き刺すと水が湧き出た。との逸話にも似ていますが………
日本に『仏教』が広まる前は『神道』の国でした。六世紀半ば『朝鮮半島・百済王朝』より『日本・欽明天皇』に『仏像や経典』が献上された事に始まりました。
当時の朝鮮半島では『高句麗』『森羅』『百済』の三国が争いを繰り広げており、日本を援軍とする術としてそれらが贈られたそうです。
『聖徳太子』の時代、『小野妹子』を『遣隋使』として中国に派遣しました。献上品を贈る事により不可侵条約を結び中国大陸の庇護を得る為でした。
当時の日本には無かった『文字・天文学・暦・医学』などが大量に日本に流れ込んだ事に便乗し、確固たる権力を手に入れるべく『朝廷』は『遣唐使』を中国に派遣します。
630年、『第一回遣唐使・犬上御田鍬』が中国大陸に渡り『唐・太宗』に謁見しています。仏教のみならず随行していた医師などにより『漢方』や『律令制度』なども持ち帰りました。
帰国から数年後の『645年・大化の改新』が発令されます。
『遣隋使』と『遣唐使』当時中国を収めていた国の違いだけでなく『国の規模』や『派遣団』の人数・船団の数などが大きく異なります。
しかし『大和朝廷』は894年に『遣唐使』を突然止めてしまいます。
進言したのは『学問の神様=菅原道真』 理由としては『唐の衰退』と『日本文化の熟成』『命がけの航海のリスクに見合った見返りが期待できない事』
早い話、日本が独立して『日本文化』が確立した年です。
遣唐使として中国から仏教を持ち帰った『最澄』は『比叡山延暦寺』を開き『天台宗』開祖と同時に『仏教を教える為の学舎=根本中道』を開きます。
そこで鎌倉時代に仏教を学んだ高僧が『独自判断』の元、『浄土宗(法然)・浄土真宗(親鸞)・曹洞宗(道元)・臨済宗(栄西)・日蓮宗(日蓮)』などを開きました。
これらを称して『鎌倉仏教』と呼ばれています。
その他にも最澄と同じ船で唐に渡った『空海』の『真言宗』、『一遍上人』の『時宗』『達磨大使』の『黄檗宗・おうばくしゅう』などが知られています。
なにも『仏教』を拡大解釈して自己流に立ち上げるのは過去の話だけでなく、『〇〇学会』や『〇〇佼成会』『〇〇〇真理教』『世界〇〇………連合』なども謂わば『新宗教』
宗教法人は『非課税』故に闇の部分も多いみたいですけど。
新聞・TVでは中々報道されない『沖縄県・辺野古基地』の死亡事故なども宗教がらみの巨大な闇が蠢いているようです。
頭廻らなくて全然『一遍上人』に近づかないので次回に。(昨日飲みすぎたぃ)
