『入道崎』でも見かけた『菅江真澄』 はて誰だったっけ?
詳しくはググってもらうとして。
『菅江真澄』 =『本名・白石英二(秀雄)』 江戸時代後期の『国学者』であり『画家』『紀行家』 三河(現愛知県)に生まれ30歳の頃より東北・北海道を旅し、各地に詳細な絵画を残す。『柳田国男』に『民俗学の祖』と評された。東北地方において『菅江真澄遊覧記』は当時を知る貴重な資料として『国の重要文化財』指定を受ける。
知らなかったのは私だけ? 何となくと『松尾芭蕉』と『伊能忠敬』『小林一茶』の陰に隠れて(ダブって)いたのかな。
特に『秋田』をくまなく歩き、晩年は秋田に定住76歳で生涯を閉じます。その足跡を『菅江真澄の道』と称しています。
『江戸時代』の後期では各街道が整備され『北前船』による日本海航路が確立された時代。『八郎潟』まだは大きな『汽水湖』であり、『寒風山』から見下ろすと日本海と広大な湖に圧倒されたのでしょう。
1804年にこの『寒風山』を訪れ、スケッチと共に山頂の情景などを記録しています。
車で整備された道を走り、景色を眺めて写真に撮る。現代ではいとも簡単に行える事も、当時は余程の趣味人でなければ成しえなかった(食べていけなかった)業績です。
『左甚五郎』なども各地を放浪し、お金が無くなれば彫刻などを彫って路銀を稼いだとか。技術のある人が羨ましい。
私ゃ差し詰め「おにぎりを下さい」の方に近いかな。それでも『貼り絵』の才能が無いと無理か。
江戸時代に『諸国漫遊』出来たとなると幕府お墨付きの『通行手形』が必要であり本来は自由に遊山など出来なかった筈。それでも『松尾芭蕉』や『小林一茶』などが自由に歩けたのは『幕府公認の隠密=スパイ』だった可能性もあるとか。
『水戸黄門』(実は諸国漫遊などしていなかった)の『風車の弥七』や『飛び猿』なんて『スパイ』その物ですもんね。『助さん格さん』は差し詰めSP?
でも世の中の悪を正してくれるなら大歓迎です。
先ずは『〇〇〇知事』の学歴偽装を暴いてくんないかな。
で次に反逆罪に近い『媚〇国会議員』
やっぱり『スパイ防止法』は必要だと思います(個人的感想です)
さて仕事に戻りますか。
