『竜飛岬』の『階段国道』を登り切った辺りに
『津軽海峡冬景色歌碑』が立っています。
到着したのが朝の8時前、私以外に車は無し。
お土産売り場の人もまだ出勤していないみたいです。
上の写真、歌碑の背後が『竜飛崎』(山の形状)で、右側にひょこり見えるのが『自衛隊のレーダー?』 真ん中左寄りに『竜飛崎灯台』、『携帯電波中継アンテナ』も見えています。
で『歌碑』の前にある『赤いプッシュボタン』
赤い色の『非常停止ボタン』に似ていますがこちらは押しても大丈夫。
『ボヤッキー』じゃないですけど(知ってる人は昭和世代) 「押してみようか………ポチっとな」 爆発はしないですけど大音量でイントロが流れ出します。
イントロに続いて ♪ ご覧あれが 竜飛岬 北の外れと~ と『津軽海峡冬景色』の二番が流れ出します。(歌碑には一番から書かれています)
『津軽海峡冬景色・一番』は青森港の『旧青函連絡船埠頭』に立っています。
こちらも『ボタン』を押すと、イントロが流れ出し ♪ 上野発の 夜行列車 降りた時から~ と大きめの音量で曲が流れます。
私が『青春18きっぷ』で初めて青森を訪れたのは『青函連絡船』が廃止になるのが決まった時です。冬、終点の『青森駅』で電車を降り、長い連絡ブリッジを渡って連絡船乗り場に向かいました。強風でも行き来し易いように、壁とガラス窓に囲まれた長い連絡通路をトボトボ歩くと、何か寂しさが込み上げてきたのを覚えています。
乗船待合室では暑いくらいにストーブが焚かれていました。
その時食べた『立ち食いソバ』が旨かったなぁ。(駅弁とか高くて買えない貧乏旅行)
『連絡船・羊蹄丸』(乗船券と記念スタンプを貼ったノートが出てきました)の二等部屋に場所を取り、確か2時間半位で『函館港』に到着。予約していた『駅前旅館』(というかラブホ?)に宿泊し、『函館夜景』と翌日の『函館朝市』で『海鮮ラーメン』食べて直ぐ又『青森港』に戻りました。
今でも『青盛港』には当時の『青函連絡船・八甲田丸』(当時の経営は国鉄でした)が保存されています。
そして『貨物列車』を車両ごと連絡船に乗せて運んでおり、その為の『貨車引き込み用ブリッジ』が在りました。(現在も保存されています)
流石に『青函連絡船』で『紙テープ』はありませんでしたが(私が気が付かなかっただけ?) 『連絡船出航=別れ』に紙テープは付きものでした。
『吉田拓郎・洛陽』 ♪あの爺さんときたら わざわざ見送ってくれたよ おまけにテープを拾ってね 女の子みたいにさ
と歌詞にある『テープ』は『紙テープ』の事です。
『フェリー』や連絡船に乗船する時、乗客に紙テープが配られ、『船べり』から見送りに来た人に向かって投げると誰彼構わず拾ってくれます。(この時、必ず少し伸ばしておいて端を持っていないと切れてそのまま飛んでっちゃう)
『礼文島』に行った時、『稚内港=香深港』の行き帰りにフェリーを利用しました。
帰り『香深港』で船に乗り込む時、『桃岩ユース』からだったか船会社からだったか定かではないですが、一人5個づつ紙テープを手渡され、船べりから投げました。
見送りに来ていた『ユース』や旅館関係者、港近くの売店のお姉さんやら暇なおじいちゃんおばあちゃん。兎に角盛大な人数で出航を見送ってくれて、誰もがテープの端を掴んで手を振ってくれました。
『風・海岸道り』 (作詞作曲は後の『かぐや姫・伊勢正三』さんです)
♪ 貴方が船を選んだのは 私への 思い遣りだったのでしょうか 別れのテープは切れるものだと何故 気づかなかったのでしょうか
船旅に紙テープは必須だったのに『海が汚れる!』と反対運動が起こり、今では余ほどの事が無いと禁止だとか。(香深港でもフェリー出航後に紙テープを回収する為の小型船が待機していて、海に沈み切る前に網で掬ってました)
それでも離島の卒業シーズンには先生とのい離別を惜しむテープがたなびくそうです。(う~ん絵になるなぁ)
『紙テープ会社』が需要の激減に対し、苦肉の策で商品開発されたのが『のり付き付箋』や『マスキングテープ』だそうです。潰れなくて良かったぜぃ。
そういえば『新婚旅行』の車に縛り付けた『空き缶』も無くなっちゃいましたね。
披露宴の後、ガラガラ音を立てながら走ってました。角を曲がった辺りで待機していた人が外したらしいです。
今なら飲酒運転&騒音公害防止違反&積載物落下防止違反!
