『遊佐卯之助』という名前。覚えておいてください。
第二次大戦の最中、多くの若い犠牲者を出した『特攻』
被弾し、海に落ちるよりは少しでも相手に被害を与えたいと敵艦への『体当たり』をしたパイロットを英雄視し、その後は爆弾を抱えたまま体当たりする事を優先した海軍の作戦です。
戦闘機には片道分の燃料しか入れず、無事に変える事は儘ならない状況だったそうです。
『特攻出撃命令』が下ると飛行場で『水杯』を交わし、『敵戦艦』を目指して飛び立ちます。
一説によれば『水杯』に『薬物』を盛られ、正確な判断が出来ない状況だったとか。
そして上官の命令により飛行場を飛び出したが最後、生きて帰る事は出来ませんでした。
其の時、多くの『特攻隊員』を送り出した上官は「必ず後を追うからな」と誓ったそうですが………
以上のシーンは戦争映画などに良く描かれるシーンです。
でも本当に『後追い自殺』をした方がいます。
戦死した『特攻隊員』を憂い、約束を果たす為、終戦の三日後、幼い娘と奥さんを道連れに自害した飛行教官の名前が『遊佐卯之助』さんです。
『猫山児童公園』の一角に慰霊碑が建っています。

『卯之助』さんは軍人ですから、『特攻隊員』との約束を果たす為に自害したのは悲しいですけど、自分の『幼い子供』と『奥さん』を手に掛けたのは………自責に耐え切れず精神的にまいっちゃったのか。
自分が自害した後の、世間の風当たりを考えたのかも知れませんけど、子供に罪は無いじゃない。
子供と奥さんの遺体の在った場所が記されていました。

『猫山』の東斜面、交通量の多い道沿いです。
以前は擁壁だった場所に階段が付けられ標柱が立って居ます。 駐車場は在りませんが、道向かいの空き地に車を停められます。
後日、自害した8月18日に、有志による供養が行われたと新聞に書かれていました。
訪れた8月初頭は階段も荒れていました。多分この階段を通らないのか。

生後僅か27日の『長女・久子』さんと『妻・秀子(22歳)』の自刃現場は更に登ります。

木陰の道をしばらく進むと

今は遊歩道の完備したハイキングコースの様な処に『自刃現場』の碑が在りました。
花が手向けられ多くの方が慰霊に訪れているようです。
自害を肯定する気はありませんが、良心の呵責に耐えられず妻に相談し、夫婦共々自害を決心します。
残される幼子を独り残す事も出来ず、考抜いたえた挙句道連れにしました。
何とも悲しすぎる話ですが事実です。
『遊佐卯之助 妻・秀子 長女・久子』 あなた方の名を忘れません。