木曽義仲・挙兵の地

 

 「あ~~~っ やっちまったい!」

 

 今使っているパソコンが『Windows11』に不対応の為(ナンセ10年前のデス)やっとの事で『Windows11対応ノートパソコン』を導入しました。『パソコンのデータ引っ越し』の為に『USBメモリー』に一時データを移動してから『ノートパソコン』へ移植と思ったんですが………

 

 余りに一度にデータを移動しようとしたら『エラー』が発生。『ダイアログボックス』で『スキップ』を選択したら、………? 元のデータは何処に行ったのヨ。

 

 1/3程の写真がどっかに行っちまったい。

 

 まぁスマホに少しは残っているからチマチマと同期しなきゃ。

 

 で気を取り直して。

 

 『木曽義仲』 『長野県歌・信濃の国・五番』に『朝日将軍 義仲も………』と歌われる『木曽義仲』

 

 そもそもは『源』一族出身で『源義仲』を名乗っていました。『源頼朝・義経』とは従妹にあたります。

 

 『平家物語』に於いて『木曽谷を平定した義仲=朝日将軍』と呼ばれるようになり、幼馴染の『巴御前』と結ばれ数々の戦歴を残しています。

 

 『木曽谷』は『木曽五木』(杉・桧・椹・………?なんだっけ)と呼ばれた良質の大木を擁していました。

 

 平安末期に於いて『巨大な神社仏閣』や『城の心柱』に巨木が必要であり、『木曽川』を筏で下って『大阪』から『奈良』や『京都』『琵琶湖』へと運ばれていきました。

 

 その為『木曽義仲』の財力は莫大であり、強靭な『木曽馬』と併せその軍事力は目を見張るものが在りました。

 

 元々は『武蔵の国・現埼玉』に生まれ『信濃源氏』として『上田西岸・現丸子』周辺を収めていましたが、『以仁王・もとひとおう』に請われ『挙兵』し『都』に向かいます。

 

 

 この『丸子西岸地区』には『木曽義仲』に纏わる場所が多く、歴史好きには堪らないかも。

 

 でも地元の人しか走らない様な道沿いですので、知らない人が多いのも事実です。

 

 

 『挙兵の地』の看板の下には、小さな『馬頭観音』がポツンと一つ。

 

 『依田城』は山城の為、この暑さ(七月下旬で30℃超え)の中、山歩きしたく無いなぁと延期デス。(何時か行きますけど)

 

 

 『高築地城』の跡が在りましたので、『40mなら行ってみるか』と。

 

 

 左の山の上が『依田城跡地』 頂上に旗が上がっています。(今回はパス)

 

 『館跡』迄舗装路が続いているのか。と思いきやその奥には畑が広がっていて普通に生活圏でした。

 

 

 いやこの『草叢』じゃ何処に形跡が在るのかも分からない。

 

 草枯れの頃に再訪しますか。