『高峰山』山頂の『高峰神社』を訪れた時、どうしても『一の鳥居』から潜りたかったけど場所が解からず断念。『高原ホテル』裏手の鳥居を潜って参拝登山しました。
でも『高峰神社・一の鳥居』が気になって『深沢ダム』から山の中へ。一応『林道』が通っているんですけど伐採作業の為進入禁止になっていました。
でグーグルマップで見つけた『塔の峰五輪塔群』行ってみようかなと。

スマホのマップを頼りに(バイクにナビが無いもんで)それらしき場所に到着。
でも道が無い?

アプローチを変えて『くるみの大木』側から。
でもやっぱり辿り着けない。

ならば南側からって、舗装路が在るじゃん。スマホでmapを拡大したらちゃんと道路が書き込まれていました。

なるほど。落雷により焼失したお寺は移築したけど、『五輪塔』は此の地に残されたって事ですか。
でも『諸地区』には『遍照寺』は存在せず、『佐久市・臼田』に『遍照寺』を見つけました。
何でも『千原〇いじ』さんの師僧に当たる方がお勤めするお寺だとか。(行った事無いなぁ。今度行ってみますか)
で『遍照寺』さんについては分から終いです。室町時代に在ったそうですけど………

何だこの数は。
簡単に説明すると『室町時代』後期から流行った『貴族・武士』のお墓や供養塔にあたるものです。
石塔の風化具合が歴史を感じさせます。
『鎌倉幕府』が崩壊すると、足利尊氏推薦の京都に擁立した『光明天皇=北朝』と、『吉野』を都とした『後醍醐天皇=南朝』の二つが同時代に誕生してしまいました。
そりゃ当然武力衝突が起き『南朝家臣=楠木正成』の名前が世に広まりました。
でも『皇居・丸の内公園』に何故『楠木正成』の像が在るのかはまた後日。
結局、時の三代将軍『足利義満』によって和平が結ばれるのですが………詳しくはウィキペディア。

大きな石に彫られた『仏画』 解りづらいです。

桜の老木が雰囲気出してますが、倒木により損壊しなきゃいいんだけど。

何とも言えない不思議な空間でした。
私、よく『お墓』とか『墓標』を訪ねたりもします。
『日光東照宮奥社』って『徳川家康公』のお墓ですし、『中尊寺金色堂』は『奥州藤原氏』の遺体を収める『棺』です。
『ねずみ小僧次郎吉』のお墓なんか参拝者が『墓石』を砕いて持ち帰っちゃったんですから。(現在禁止!)
お墓ですので『合掌』してから退散します。