長野県はぐるりと山に囲まれていますので、他県に出るには『峠越え』が当たり前です。
尤も『長いトンネルを超えたら、そこは他県で在った』と作家が言ったとか言わなかったとか。
高速道路のトンネルの中に県境が在ってもちっとも嬉しく無いのは何故?
クネクネ道を抜けるのでもなく、急坂の果てに開ける視界が在る訳でも無し。
『恵〇山トンネル』が一番つまらん。
『佐久』から『小諸方面』に北上する以外、何処に向かって走っても『峠越え』が待ち構えています。
『軽井沢』からは『碓氷峠』 お勧めは『旧軽井沢』~『旧中仙道・旧碓氷峠』から観る『妙義』の眺望。
『佐久』からは『内山峠』 『荒船山・艫岩』が印象的。ビューポイントは『荒船キャンプ場』
『田口峠』は最高地点に県境が無く、群馬県側に数㎞下った処に突如県境標識が立っています。
『旧佐久町』の『十石峠』現在は完全舗装路ですが、以前は道幅も狭く荒れた凸凹道。一日に『十石=1500㎏』の佐久のお米が、峠を越えて上州に運ばれたとか。一頭の馬の背に載せられる荷物は150㎏とされていますから、毎日10頭の馬が馬子に曳かれて峠越えをしたのでしょう。明治中期、『困民党』が政府軍に追われ、『秩父』からこの峠を越えて『佐久~『小海』へと逃走しました。江戸時代なら『一揆』、現代の世の中に起きないとも限りませんゼ。
その下(南側)『相木村』~『群馬県上野村』へは『ぶどう峠』 古くは『武道』と表記されていましたが昨今はひらがなで書かれます。(不思議) 『日航機御巣鷹山墜落事故』の時、長野県側の『警察官・消防署員・消防団・公務員』などの多くがこの峠を越えて捜索の協力をしたそうです。
『大弛(おおだるみ)峠』 一般車両が日本で一番高い地点を走行できる場所です。(因みに国道に限ってなら『志賀草津道路』) 一般車両走行禁止ならば『立山室堂』専用バスのみ走行可です。(でも富士山新五合目の駐車場に日本一標高の高い道路と書かれていたような?) 『大垂水峠』と同じ発音ですが此方は国道20号線(山梨=東京)です。
で『信州峠』ですが取り敢えず措いといて。
更に隣が『平沢峠』 『野辺山駅』から真っ直ぐ南下し、『獅子岩』直下を通る『旧佐久甲州街道』です。「善光寺詣で』や甲州との物流に重宝しました。
『八ヶ岳』を横切る『麦草峠』は国道標高第二位の高さを誇ります。
『旧中仙道』の『和田峠』は『中仙道一の難所』と云われており『山賊』なども暗躍したそうです。現在は整備されて緑豊かな歩き易い散策路になっています。
『和田峠』の北に位置するのが『扉峠』 佐久から浅間温泉差経由で松本方面に繋がっています。
以上がざっと『佐久』を取り巻く『車・バイク』で通行可能な『峠』です。
これ以外に『徒歩』でのみ通行可能な『峠』まで含めると一体幾つあるのか?

で『信州峠』

『長野県』と『山梨県』の県境になっていて、『長野県川上』と『山梨県・増冨』更には『昇仙峡』までを結ぶ道路は『クリスタルライン=荒川林道』と呼ばれています。
県境付近には駐車スペースが在り、『横尾山』や『小川山』への登山口になっています。

『増冨』の人は『川上村のスーパー』まで買い出しに出たりするそうです。(韮崎のスーパーより安いとか)
でもこの『峠』需要の程はどれ位あるんだろう?と調べてみたら、『江戸時代』川上村付近の木材を関東へ向けて運び出す際、この峠を『馬車・馬そり』で越え、『韮崎』から『富士川』を『筏』で下ったそうです。その後『清水港』から江戸へと海路を運ばれたとか。(今なら大型トラックでビゅ~ン)
時代により交通量も激変しましたが、『峠』にはそれなりの理由が在ったんですね。