『海尻・医王寺』の参道に『海尻城跡』へと続く登り口が在ります。
正確な築城年は分かっていませんが1540年に『海尻城決戦』の記録は残っています。
『佐久市・前山』の『伴野氏』配下『井出長門守』の城として造られた『海尻城』は南から攻めて来る『甲斐武田軍』との最前線としても重要な場所でした。その為信濃の国東部に影響力を持っていた『村上義清氏』も参戦し『武田軍』と対決、此れが『海尻城決戦』です。『村上軍300』に対し『武田信虎群3000』と圧倒的な戦力差に敗退してしまいます。以降『武田軍』の信濃攻め拠点として使われました。逃げ延びた『村上義清氏』は『上杉謙信』に助けを求め後の『信玄VS謙信・川中島の決戦』へと続きます。
『醫王寺』の屋根に『寺紋』が掲げられていますが『武田菱』です。
東信地方の寺院の多くに『武田菱』が見られますが、『武田軍』に忠誠を尽くしている処を見せないと最悪壊されてしまうから?
北信地区では『上杉謙信』の影響力から『竹雀』の紋や『毘』の文字が見られる寺院が多いみたいです。
因みに『仙台伊達家』の家紋も『竹に雀』、戦国武将同士で血縁関係を結ぶ事は戦略の一つでも在り、『上杉家』も『伊達家』から養子を貰いこのお返しとして『竹に雀』の紋を贈られます。(デザインは若干違うみたい)
因みに『真田氏』と『伊達家』も様々に繋がりが深く、『真田の姫様』を『伊達家』がかくまった事も在ります。そのお陰で上田地方に『ずんだ』の文化が根付いた?
『海尻城』とだけ書かれていますが距離とか時間の情報が在りません。
スマホで『グーグルマップ』を確認。遊歩道までは書かれていませんが大体の位置関係からそんなに苦労はしないだろうと歩き始めます。
実はさっき買ったお茶の残りが余りない………
散策路は木陰に覆われているみたいだから何とかなるかな。
10分少々で山頂です。ベンチが在るから一休み。
海尻の地士の協力により一度は『村上氏』優勢にもなったが『武田軍』強すぎでした。
山頂の一角に何やら奉られています。
う~ん読めない。何だか聖域の様な感じがしたので余り近づかず遠くから撮影し礼を捧げます。
此処、国道から直線距離で100mも離れていません。
大型トラックがガンガン走り回っているのに物凄く静か。
ウグイスの鳴き声に癒されてさて、下りますか。
