『乙女』 何とも『ロマンチック』な響きです。(乙女チック?)
元々名前の由来は『小諸城・二の丸』が千曲川河畔の絶壁の上に建ち『大遠見』の別名を持っていました。『大遠見』へ続く坂道が『乙女坂』、やがて『二の丸』の事も『乙女城』と呼ばれるようになりました。
『乙女湖公園』の南側には高台が在り、南からの侵略(武田軍)に備え見張りの為の『砦』が在ったそうです。(現・信濃仏舎利塔の辺り)
遠くを見渡せるから『大遠見』、其処から『乙女』になった説も有ります。
まぁ『小諸』は坂が多く、チョットした小高い山に登れば『遠くが見渡せる』事から『遠見』や『富士見』の地名が見られます。
案外『東御』の名の由来も此の辺りだったりして。(東部町+御牧村の合成語です)

『乙女駅』は橋の袂から階段を下ります。
駅舎裏手に民家の屋根が見えますけど(今は無人?)其処に廻りこむ舗装路でも駅に辿り着けます。

一見すると『複複線(レールが6本)』にも見えますが、手前の2路線は『JR東日本』から『しなの鉄道』に払い下げられた線路です。維持管理が大変そう。
高校時代(今から40年以上前)『柔道の地区大会』が『上田市体育館』で行われました。終了後に私たちは上田駅から信越線に乗り『小諸駅』で『小海線』に乗り換えです。一方『軽井沢』まで帰る『軽井〇高校・柔道部員』が一本遅れて『信越線』に乗車した模様です。小海線は『東小諸駅』に停車の後、加速の最中に『軽高部員』を乗せた『信越線車両』に追いつかれました。並んで走る『信越線車両(電化)』と『小海線(ディーゼル機関車)』 お互いを確認し最初は窓を開け「来年も頑張ろうな」などとエールを送り合っていたのですが『先輩』からお前らも何か言え! の命令に大声で『来年もやろうな』みたいな事を叫んでました。その内先輩が発した『お前の柔道着、臭かったんだよ』から『ガキの口喧嘩』宜しく罵詈雑言の応酬が続きました。暫くして小海線は『乙女駅』に停車する為、あっという間に両車は離れましたが、車掌さんが『乙女駅』到着のアナウンスの際に、「次は乙女駅に停まります。綺麗な名前の駅ですので余り下品な言葉はお控え下さい」に車内は大爆笑。私たちは顔真っ赤!
余裕のあった時代です。今なら『スマホ撮影』してSNSに即投稿。大炎上でしょう。

ああ。わが青春の分岐点。 因みに線路幅は共に『狭軌=1067㎜』です。
何故半端な数字かというと、『鉄道発祥のイギリス』では『インチ』が使われていたからで『1/2㌅』などを㎝換算した結果だとか。『狭軌・広軌』などの違いは単に車軸幅が狭いと用地買収などのコストが抑えられるから。その代わり『狭い客車』や『スピード』などに制限が付きます。『新幹線』のレール幅(軌間)は1435㎜。此のレール幅の上に車軸が乗り、横5人掛け+通路の客車が乗って時速300㌔で走るんですから。
因みに『ユーロトンネル』(ドーバー海峡海底トンネル)の線路幅も1435㎜です。
おなじ線路幅の為『小海線のディーゼル機関車』が『信越線』に乗り入れ『上田駅』まで走った事も在りました。(昭和45年の頃?)

頑張ってる『しなの鉄道』の銘板は?

橋の脇かが駅入り口です。
では駅に降りてみますか。でも次回です。
「次も乙女~。乙女駅で~す」