『中佐都駅』も降りた事無いです。
昔は田圃中にポツンとホームだけが在ったと思います。(50年も前?)
『中里』ならまだしも、『中佐都』 地名ですかと調べてみると地籍は『長土呂』
『佐久鉄道が『中込駅』まで開通したのが1915年、その後1935年には『小淵沢駅』まで開通し『小海線』になりました。
駅名を着ける時、『中山道』の傍に位置し、『京都と東京の中間に在る佐久』から造られた駅名だそうです。『長土呂駅』じゃ『秩父・長瀞』と混同しちゃうから?
因みに新幹線の『佐久平駅』 何故『佐久駅』じゃ無かったのかご存じですか?
『国鉄』以降『JR』の現在も、切符の誤購入を防ぐ為に、同じ名前の駅名は使ってはならない規則が在ります。
『佐久駅』は北海道に既に既存していた為『佐久平駅』としました。
私が学生の頃、北海道をツーリングして『駅泊』しようと訪れた『佐久駅』、当時周囲に民家も無く、電話ボックスに灯が在るだけの無人駅でした。
夕方、やっとの思いで辿り着いても人影無し。店も無し。昼に一袋5円で買った『パンの耳』の残りで食事を済ませ、酒を吞む事も無く(未成年!)寝袋に潜り込みました。夜中にディーゼル機関車(非電化路線)が駅に着きましたが降りる人も無く、何事もなかったように機関車は出発。元の静寂に包まれました。(ホントは虫の鳴き声がうるさい!し、『蚊』も飛び回ってた)それでも体が疲れ切ってて朝まで爆睡したなぁ。
そんな『佐久平駅』 子供探偵の映画Hitのお陰で『アニメ聖地巡礼』をする人が多く、カメラをぶら下げて駅の写真何ぞ撮っていようものならオタク扱いされそう。
で今回敢えて『佐久平駅』はパスします。

30年前、新幹線『佐久平駅』が完成すると接続する『小海線』を『高架』にする為の大規模な工事が行われました。其れまで砕石の上に置かれた『木製の枕木』に『犬釘』で固定されたレールでしたが、『コンクリート製枕木(木じゃ無いけど)』に『固定クリップ』で固定されています。
周囲は新興住宅街。昔は何も無かった様な………

踏切脇のフェンス沿いが進入路です。
この右手に畑が在りおばちゃんが作業していましたので軽く会釈(不審者に思われないように)

駅舎は小綺麗に掃除されています。さっきのおばちゃん達のボランティアかな。
ステンレス製の四角い箱は『使用済み切符回収ボックス』
前方にいる運転手(小淵沢方面行き)が回収できない時に使用するボックスです。
赤い『郵便ポスト』の様な物は『乗車駅証明券発給機』
『ワンマンバス』などに乗る時に乗車口で受け取る『乗車ナンバー』が印刷された『整理券』の様な物で、駅名が印刷されています。清算の際に必要になります。
この駅も駐車場・トイレ・水道は在りません。
踏切傍に『ハッピー〇リンク』の格安飲料自販機が在ります。
初夏の強い日差しに焙られ、冷たい飲み物が嬉しい!
でも空になった『ペットボトル』は自販機備え付けの『回収ボックス』へ。これ絶対です。