高岩駅

 

 この駅も以前ブログに記載しましたので今回は簡単に。

 

 『佐久広瀬駅』が『小海線一の秘境駅』ならば『馬流駅』は『小海線一の面白い駅』

 

 先ず入り口。車で辿り着けるどころか細い路地を進むといきなり『駅のホーム』です。

 

 「黄色い線の内側………」には人一人立つのがやっとの狭いホーム。

 

 ホームに『民家の出入り口』が在る。などなど。

 

 

 

 

 此の地は『秩父困民党』が政府軍に鎮圧された地で、『秩父困民党』が陣を構えた民家(現在在住の為写真は在りません)も保存されています。

 

 『秩父事件』とは明治17年(1884年)に起きた『農民蜂起』の事で、江戸時代ならば『百姓一揆』です。

 

 『現・埼玉県秩父』の農民が『政府の悪政』(此処大事!)や『悪徳高利貸し』の取り立てに対し『秩父困民党』を結成します。元々秩父は『絹』生産で裕福な土地だったのですが需要の減少などにより借金をして農家に転換、しかし不況や不作により高額に膨れ上がった利息に返済不能になってしまいました。

 

 そんな土壌を舞台に『自由党』が結成されれ、『困民救済』を政府に訴えました。

 

 しかし『悪政』と結託していた『高利貸し』は過酷な取り立てを敢行。農民らを『武装蜂起』にまで追い込みます。

 

 『秩父』で起きた『農民蜂起』は『上州』各地にも飛び火し、各地で決起集会を起します。

 

 『明治政府』も武力で鎮圧しようとし『武装蜂起』した『秩父困民党』と幾たびとなく衝突。追われた『秩父困民党』は『長野県境・十国峠』を越え『東馬流』に到達。政府軍の一斉攻撃に鎮圧されます。この時一般民間人も巻き添えの犠牲になっています。

 

 『秩父困民党』は最盛期、10000人規模の集団でしたが最終決戦に於いて多数の戦死者を出し、幹部は死刑・無期懲役の判決を受けます。

 

 尚且つ政府の判断により『秩父困民党』=『クーデター』と位置付け、戦死者の墓を許可しませんでしたが『秩父暴徒戦死者の墓』とする墓石に刻む事で埋葬が許可されたそうです。

 

 『令和の米騒動』と呼ばれる昨今の『米高値』 まっとうに働いているのに食べる事すらできない人が居る反面、外国人でありながら(今まで納税すらしていない)『生活保護申請』し、それを許可する『自治体』と受給する『〇国人』 

 

 『日本の国家主席』が『自民党〇〇』じゃその内『一揆』が起きてもおかしくない!

 

 誇張された『SNS』の投稿を鵜呑みに出来ないですけど、正義を振りかざしているだけの『マスメディア』の偏った報道も全てを信じる訳にはいかない。

 

 

 『フェンスの切れ目』が民家の入り口。

 

 駅舎の掃除や草花の手入れをしているみたいだから有難い事です。

 

 50数年前まで、此処を『蒸気機関車』が走ってたんですから。

 

 羨ましい………いや『五月蠅かった』だろうなぁ。

 

 「次は 高岩 高岩駅 停車です」