まだ蒸気機関車が『上野』~『長野』~『直江津』を結んでいた『信越本線』を走っていた頃、佐久に一番近い駅は『御代田駅』でした。(場所によっては小諸駅)
独立した貨物線の無い『信越本線』では『貨車』の操車場を備えた広い駅構内が必要であり、トラックを横着けして荷物を積み込んだそうです。
その後『佐久鉄道』が『小諸駅』~『中込駅』区間で1915年開業。物資の積み替えは『中込駅』が担うようになりました。
しかし『南佐久郡』内の伐り出した『木材』の運搬などには不便も在り、『小海駅』まで延伸し『国鉄・小海線』に成ります。(当時は小諸行きが上りだった筈)
1935年には『中央本線・小淵沢』まで開通します。
『SL C62 』が客車を牽引して小海線を走り『高原のポニー』と呼ばれました。
中でも『小海町』は大きく発展し、映画館が二軒、銭湯が数件、料亭や歓楽街まで有ったそうです。
『八ヶ岳』の『稲子岳』の麓には伐り出した木材を運搬する為の『森林鉄道跡』が残っています。『トロッコ』に木材を積み込み、ブレーキ操作だけでトラックの乗せ換え場所迄運んだそうです。そして空になったトロッコは馬に曳かせて伐り出し場まで運び上げました。
現在は『ハーベスタ』などの『重機』が道なき道を切り開きながら山の中へ入り込み、アタッチメントで木を切りながら枝払い・均一の長さにカット。待ち構えていた『クローラー』に積んで道なき道を下り、トラックに積み込んだらそのまま長距離輸送。
少ない人数でも山を禿山にするのは訳無いそうです。
木の無くなった禿山では『太陽光発電パネル』がズラリと並んでいたりします。
山に木が在り、樹木に枝葉の有った頃は降った雨や雪が時間をかけて地面に落下し、土の中に吸収されていきますが、『太陽光パネル』に降った雨は表土を流れ、集中した水は時に土砂を削りながら流れ下ります。山道の両サイドの側溝は土砂で埋まり溢れた雨水は道路を流れます。未舗装路では土がえぐれて車の走行が出来なくなり、(林道にゴム板が道を遮るように埋められているの観た事無い?)舗装路でも縁の切れ目などから斜面に流れ出して土を削り、道路の法面崩落を招いたりします。私ゃ太陽光発電は賛成ですが、『メガソーラー発電』と呼ばれる大規模な自然破壊は反対です。(しかも原資はほぼ大陸系)
それも道路を車で走っているだけではぱっと見『メガソーラー』が解らないようにカモフラージュされてる場合が多いから腹立つ! 山などに登った時に、眼下に広がる『太陽光パネル』なんぞを観た日にゃ………

『ショッピングモール・アルル』が出来た頃、テナントには生鮮食料品店・花屋・靴屋・レストランなどが在り、大変賑やかな場所でした。
此処の『トイレ』が有名であり(私ゃ男性用しか見た事無い)『和式トイレ』のドアを開けると一面が便器! 足を乗せる場所が在り、水を流すと足場以外を水が渦巻きながら流れる代物。今でも在るのかな?
『蕎麦』の幟が揺れていましたから『食堂』は営業しているみたいです。

この駅は『北相木村・村営バス』『南相木村・村営バス』(って事は越境していた)の発着の他にも『松原湖行き』や『八ヶ岳循環バス』などが在り、『八ヶ岳』他のアプローチに欠かせないターミナルになっています。
山登りって車で行くと目的地と駐車場の往復しか出来ないから、『縦走・通り抜け』には公共交通機関が必要です。(一部例外在り)
登山客専用の車の『回送専用代行運転』も場所によっては在りますが、お値段結構するのよね。
例えば『黒部立山アルペンルート』を『扇沢』で車を乗り捨て、『立山駅』まで回送して貰うのに基本¥27000+ガソリン代+高速代。(此処は代行者がケーブルカーやロープウェイ・電気バスで移動できるからまだ安い方です) 例えば北アルプス縦走を計画したとして、『上高地』から入山し『白馬』等へ移動する場合は『バス・電車』を利用できるから安価で移動できます。『バス便』などが無い場合『タクシー』って事になりますが、単独行動では馬鹿にならない金額だったりします。更には『回送』、人気の高いルートでは多社が競合しますので納得出来る料金の範疇ですが、『八ヶ岳』を東西に横切る場合、『回送料金』は馬鹿にならない金額です。(基本料金が人件費×2+ガソリン代)

『小海駅』は何度かブログに取り上げていますので今回割愛しますが、こんなの見つけました。
顔出し看板『しあわせ戦隊KOUMIマン』(ピンクは女性じゃ無かったっけ? イエローも胸のふくら………) 男女格差はいけません。ウエストが太く感じるのは遠近法のせいです!

駅構内には『佐久厚生連・佐久総合病院付属・小海診療所』が在ります。
『備蓄米』の放出で何かと問題視される『農協』の厚生施設が『厚生連』です。
特に『佐久総合病院』では『若槻俊一院長』が就任、『農村医療』の改革を目指し、休日を利用して無医村地帯に出張診療を始めました。多くの医師が共感し『集団検診』や『相談員巡回』などの基礎を造り上げました。
私は当然全国規模で同じ事が行われていると思ってましたが、実は『佐久病院』がその先駈けでした。今では日本の離島・アジア・アフリカなどでも『国境な無き医師団』が活躍しており、『若槻俊一院長』はその功績を称えられ『マグサイサイ賞』を受賞。
『アジア版ノーベル平和賞』とでも云うべき賞で『医師・故仲村哲さん』や『黒澤明映画監督』2024年には『宮崎駿アニメ監督』らも受章しています。
『小海駅』行ってみたくなったでしょ?