
参道は石垣に囲まれた石畳を歩きますが、脇にはこんな素敵な『苔の古道』も在ります。保護の為に立ち入り禁止ですが。
湿度が高くて直射日光が当たらない場所に苔が生えるのは当たり前の事ですが、緑に輝く『苔』って心洗われます。
此れが『京都』辺りの寺院だと『拝観料』とか取られちゃうんですからねェ。
佐久にも『貞祥寺』という『曹洞宗』のお寺が在りますが、『苔』に差し込む光との調和が大変美しいお寺です。三重塔も在り、秋の紅葉期お勧めです。しかも無料。

石畳の参道を進むと『三門』です。
普通、寺院には『門』が在ります。
昔は『土葬』だった事も在り、集落から離れた山間部にお寺が建てられました。
石段などを登った山の上に在ったので『山門』
若しくは『山号』と『寺院名』が刻まれているからとの説もあります。
門番として『邪悪』なモノの進入に睨みを利かせていたのが『仁王門』
『禅宗』などの寺院に多く見られる『三門』は『悟りの境地』を表し『三解脱(空・無相・無作)』の境地を意味します。
同じ『さんもん』の発音だからややこしい。
他にも『鐘』が吊るされた『鐘楼門』や『薬医門』などが在りますが興味持った人ウィキペディア。
『門』と云っても単なるでは入り口では無く、『俗界』と『聖域』の境界を意味する場合も在ります。
『輪廻転生』の際、生まれ変わる世界を間違えないように『六地蔵』を奉っています。
門を潜る際はこれから聖域に足を入れますと謙虚な気持ちを持ち一礼を捧げます。
開閉式の『扉の在る門』では、『敷居』が横たわっている場合が在りますが、この『敷居』は踏んではいけません。必ず跨いでください。
『家の敷居』を踏むな。とは昔の家は基礎の造りが簡素で在った為、無理な力を掛けるなという意味合いが在ったのでしょう。
『寺院の門』は『現世』と『あの世』との境を意味し、『敷居』はどちらの世界にも属さ無い『あやふやな場所』と考えますので足を踏み入れない方が宜しいかと。
中には跨ぐのも一苦労する程『高い敷居の門』(物理的に)も在ります。
まぁ中には違った意味で『敷居の高い場所』が在るみたいですが。

二階の在る門では、門の上に『仏像』などが安置されている場合も在ります。
本堂の方を向いている場合や、来訪者を見守っている場合、奉られている像も『如来』だったり『菩薩』だったり『十二神将』だったりと実に様々です。
階段が在るので上がれるのでしょうけど………大抵落とし戸は開きません。(防犯上仕方ない)

組木の美しい門です。
この先、本堂では撮影禁止。ルールを守って参拝です。