『お地蔵さん』とは『地蔵菩薩』の事で、『菩薩』とは悟りを得て『仏』に成ろうと修行している行者。
特に『輪廻転生』の考えに於いて、死ぬまでの行いによって死後『天国』『人間』『修羅』『畜生』『餓鬼』『地獄』の六つの世界に生まれ変わるとされ、お寺の入り口付近に並ぶ『六地蔵』はこの六道の入り口に立ち、その各界に間違って入り込まないように道案内をしてくれると考えられています。
良い事をすれば『良い世界』へ『悪い事』をすれば『悪い世界』へ行く事を『因果応報』と云います。
又、人間界に於いて様々な『苦しみ』から救ってくれるとされ、特に『子供』を救済するとされるお地蔵様は『赤ちゃん』を連想させる『涎掛け』を掛けている場合が多いです。
道路の脇にポツンと立っている『お地蔵様』も誰かが祈念して彫った(奉納した)物でしょう。
『菩薩』の中でも最高位に在るとされるのが『弥勒菩薩』で、『お釈迦様』の次に『仏』になる事が確約されていますが、『釈迦入滅』の後から『56億7000万年!』の修業期間を得て悟りを開き人々を救うとされています。現在は『兜率天・とそつてん』と呼ばれ、天界で修行をしています。
『高野山・奥之院』などにお墓を造る人は、『弥勒菩薩』が『仏』に成る時、死後の世界から甦ると考えられているからだとか。
地球が誕生してから『約46億年』とされていますが『56億7000万年後』………地球はどうなってるんだろ? 一説では『地球の寿命は後50億年』とされてます。
間に合うかなぁ?

『中山道』は『和田峠』を下り次は『諏訪宿』、此処は『甲州街道』の分岐点でも在り、『諏訪大社』や『温泉』等も在り大いに栄えた町です。
『上方(京都方面)』へ向かうと次は諏訪湖の畔『岡谷宿』、『塩嶺峠』を抜けて『塩尻宿』から『木曽路』に入ります。
現在は国道254号線で『和田トンネル』『湖北トンネル』国道20号線に乗り換えて『塩嶺バイパス』で『塩尻』まであっと言う間ですが、敢えて『旧塩嶺峠』を走ります。
『岡谷I・C』のすぐ近くから『旧中仙道』への入り口を探すのですが、立体交差に阻まれウロウロしちゃいました。『旧中仙道・塩尻峠』から更に下ると『夜通道』 道幅が狭く大型乗用車じゃキツイかも知れません。
『夜通道』と書かれた標識が在りますが、『塩尻』に住むうら若き女性が、男の住む『岡谷』まで毎夜この道を通ったからとされています。 女性が一人で山道を毎夜?
『新潟・番人堂』には『佐渡』に住む女性が毎夜『たらい船』で海を渡って男に逢いに通った伝説が在ります。男が『御堂』に蝋燭を灯し目印にしたそうですが、『男』だったら自分で行動しろ! まぁ『惚れるが負け』かも知れませんけど。

この辺り、『天明の飢饉』で餓死した人を慰霊する為多くの石像・石仏が建っています。
リアル『楢山節考』が在ったのかも知れません。

実は江戸初期(1602)『家康』の制定した『五街道』の一つ『中仙道』は『塩尻峠』を通っていませんでした。
『岡谷宿』を出てから現在の県道254号線を西に向かい、『牛首峠』経由で木曽の『小野』付近から『奈良井川』に沿って南下(木曽街道)していました。
地元の権力者『大久保長安』が木曽谷の森林開発促進の為『牛首峠』を開通させたました。
当初『塩尻峠』は水場も人家も無い山道を数里も歩かねばならず、治安も悪かった筈。
そこで『塩尻峠』に『茶屋本陣』などの施設を造り交通の便を良くしました。
日本海側から塩を運んだ『千国街道』が『糸魚川』~『塩尻』までを繋いでいた為も在って、次第に『塩尻峠』経由の需要が高まります。
享保年間(1716)に『岡谷宿』が『中山道』の宿場町に数えられるようになり、『中仙道』から『中山道』の表記に改定されます。
『牛首峠』経由の『旧道』は『旧楡沢一里塚』などにその痕跡が見られるだけになりました。何時の時代も『道路の進化』が在るんですね。
この『牛首峠』付近に『日本土真ん中』が在ります。
地図上なのか『最端』からの距離なのか。更には球面上の緯度経度から測定?
『日本中心の標』は『辰野町(137.59.36 36.00.47)に在りますし、『日本のへそ』は『平面直角座標系第Ⅷ系原点』として『長野県南牧村市場坂』に存在します。
『石川県珠洲市・緑郷崎灯台』には『日本列島ここが中心の碑』が在りました。
日本の中心は『東京』だけじゃ無いんですゼ。