丸木屋

 

 旧中仙道を挟んで『濱屋』の向かいの『丸木屋』も公開されていました。

 

 しかし此方には照明が無く、薄暗くて余り良い写真に成りませんでした。

 

 というか江戸時代、あっても『行灯』位でしょう。窓を閉めた家の中って昼間でも薄暗いから当時の人は暗さに慣れていた。(現在が防犯理由で明るいだけなのかも)

 

 『長久保宿』を東から下って来て交差点に差し掛かる処に何やら石碑が在りました。

 

 

 中仙道は此処で折れて『和田宿』に向かいます。

 

 反対方向に行けば『依田窪』経由で上田方面、『善光寺街道』や『保福寺峠』経由で『北国街道』へと繋がります。

 

 ん! 柱は何だ?

 

 

 何やら書かれた跡が在るのですが判読不可能です。

 

 丁度その時、『第一村人発見』いや買い物袋をぶら下げた人が通りかかりました。

 

 「スミマセン。この柱が気になるのですがご存じですか?」

 

 その方の説明では「文久年間(1861~)長久保宿が大火に見舞われ、街道に面した建物が軒並み消失してしまったそうです。翌年には『皇女和宮』が『十四代将軍徳川家茂』に嫁ぐ事が決まっており、『京都~江戸』迄を中仙道を道中する事も決まっていましたので宿場町では大急ぎで復旧に取り掛かります。再建された街並を護る為、火除けの神様『三峯神社』を勧進し宿場町の入り口に奉ったそうです。

 

 柱の上の『御社』も珍しいですね。

 

 長和町教育委員会さん。説明書きが必要では?