千秋公園

 

 『秋田県』の旧国名は『出羽国・でわのくに』

 

 平安時代以降鎌倉時代まで、広く東北地方を支配していたのは『奥州藤原氏』、『中尊寺金色堂』を建立した方です。

 

 時代は流れ『徳川』(江戸)の時代、『出羽の国秋田』の地を納めていたのは『久保田藩』、『関ケ原の戦い』以降『徳川幕府』に与した為『外様大名』です。

 

 『外様大名』は江戸から遠く離れており、『参勤交代』の際に莫大な費用が掛かるシステムでした。(藩財政削減政策)

 

 明治時代になり『藩』から『県』に移行した際も、多くの『外様大名』は『藩の中心地』=『県庁所在地』を『県名』とする事を許されませんでしたが『秋田藩』は『秋田県』を名乗っています。何故?

 

 

 『千秋公園』の蓮池。『甘露』とでも言うべき雨露が『蓮の葉』の中に揺れていました。『蓮の花』は初夏の筈。

 

 

 朽ちていく『蓮の葉っぱ』と対照的に、散ったばかりの真っ白な花弁が風に押されて流れて行きました。(この日は10月初頭) もしかして『お釈迦様』が?

 

 てっきり『秋田駅』に近いから『秋田城』かと思っていたら『久保田城?』

 

 別の場所に『秋田城跡』もあるみたいですけど先ずは散策してみます。

 

 

 『久保田城概略図』 水堀に囲まれて侵入経路も複雑そう。

 

 此れが『久保田氏居城』ですか。

 

 

 常陸の国から国替えになった『佐竹氏』の居城と書かれています。

 

 行政の『鶴の一言』でいきなりの転勤は今も昔も変わらないって事ですか。

 

 管理が『市』だったり『県』だったりと複雑ですが、数える事15代目の『佐竹義榮(よしなが)氏により寄贈』ってそれまで登録は個人所有だったって事ですか。

 

 

 『日本の都市公園100選』にも選ばれている『千秋公園』の『千秋』は『千=長き年月』栄える『秋田』の意味だそうです。

 

 

 そぼ降る雨の中、それでも駅近なので沢山の人が訪れていました。(皆、大人の休日倶楽部かな)