やすらぎの里

 

 佐久市内に同じ名前の、JA主体の葬祭場『やすらぎの里』が在りますがまるっきりの別物です。

 

 実は『余地ダム』に向かう時に道沿いの看板が気になっていたのですが、『美味しい物は後に取って置く主義』のこーちやん。最後にたっぷり時間を掛けて………。

 

 

 看板を観る限り、『お寺?』 まさか『アミューズメントパーク』なワケ無いし。

 

 有料だったら引き返せばいいや位の気持ちで坂道を下りました。

 

 

 いきなり『仁王門』 でも『参道』や『本堂』らしき建物は見当たらない………どころか広場には

 

 

 鉄骨を溶接している作業の真っ最中。

 

 作業音の止んだ瞬間を見計らって、見学可能か訪ねると「いいと思うよ」

 

 邪魔にならないように片っ端から写真に収めます。

 

 

 『涅槃像』

 

 

 『阿弥陀如来坐像』

 

 

 干支の守り本尊。『普賢菩薩』『虚空蔵菩薩』『勢至菩薩』などなど。

 

 

 『仏教』の開祖『お釈迦様』は、今から2500年前、現ネパールの『釈迦族』の王子として生まれる。何一つ不自由の無い身分に生まれながら、貧困に喘ぐ人々を見て疑問に思い、29歳の時家を出て修行に励み6年間の歳月の後、蓮の池のほとりで『悟り』を開き、自らを『仏陀』と呼ぶようになる。この『悟り』を後世の人達は『仏の教え』すなわち『仏教』と呼ぶようになり、『仏の言葉』=『お経』を唱える事により苦しみから救われると布教に努める。

 

 出家したばかりの頃は『豪華な装飾品』や『上品な衣装』を身に纏っている姿が像として遺されていますが、修行を終え悟りを開いた頃には一枚の『麻の薄衣』を身につけたのみ。

 

 『仏教』の根源。『人は苦しみや死から逃れる事は出来ず、それらを恐れるのが当たり前。誰もが何時かは死を迎えるのだから、諸行無常の心構えで常に心穏やかに』(私的見解です)

 

 私が35歳の時。小さい子供が3人いて、仕事と家庭の両立で毎日がてんやわんやの毎日。風呂上がりに飲む缶ビールが唯一の息抜きだったかな。

 

 

 御妃の『摩耶(マーヤー)夫人』が花園で休んでいる時、突然脇の下から赤ん坊が生まれ、すぐに七歩歩いて『天上天下唯我独尊』と言葉を発したそうです。其の時天から現れた9匹の龍が口から聖なる水を掛けたとされています。

 

 此れが『釈迦生誕祭』=『花祭り』として現在の『甘茶』を掛ける『灌仏会』に繋がっています。

 

 何処のお寺でも『灌仏会』をしているかと云えばさにあらず。私の知る限り『佐久・貞祥寺』や『小諸・布引観音』位でしょうか。(4月8日の灌仏会に参拝しなかっただけで、実際はもっとしている筈ですが………)

 

 

 トイレを借りようと奥の建物に向かうと何やら不思議なガラス張り。

 

 まさかの『マジックミラー』? 

 

 

 換気の為に開けていたのでしょうか、隙間から見ると『風呂』でした。

 

 何でこんな場所に?

 

 疑問を持ちつつも早々に撤退です。

 

 う~ん。此の場所。一体何なんだ?