皎月原

 

 『皎月原・こうげつはら』は地名です。

 

  初めて『皎』の文字を見たのは、『佐久市・横根』に疎開していた『佐藤春夫』さんの小説です。私小説の中に「訪ねてきた友人を皎月原の停留所まで送って行った」(うろ覚え)の一文を見つけ、『停車場』=『駅』と勘違いして、時刻表の鉄道路線図を一生懸命探した覚えがあります。『バス停』だと気付き色々調べて(当時は辞書の頁をめくるしか無かった)みると。

 

 『皎』とは 月が白く光り輝く様。穢れの無い色。 部首は『白』 白が交わる?

 

 『皎月』とは 月が白く光り輝く様。となりりますね。

 

 素敵な名前だと思いバイクで出かけてみましたが、『岩村田』から国道18号線経由『軽井沢』方面への主要幹線道路であり、当時からそこそこ開発されていて、『月』が殊更に綺麗だとは思えなかった気がします。

 

 きっと『中仙道の時代』~『戦時中』に掛けては『街灯』なども無く、月明かりが綺麗だったんでしょうね。

 

 山で観る『月』も周囲に生活光が無いと綺麗ですもんね。

 

 

 フムフム………(この手の説明読むの好きなんです)

 

 『用明天皇』ですと! 前記の『鵲稲荷神社』を調べていた時、『大阪・森ノ宮』に両親を奉る為の神社を建てたのが『聖徳太子』であり、岩村田城に勧進した時、境内に在った『稲荷神社』も一緒に勧進し『鵲稲荷神社』となったと辿り着きました。

 

 佐久地方は意外と『皇族』と関係あったりして。

 

 

 3日ほど前に降った雪がまだ残ってる。しかも足跡が何処にも無い………人気無いのかな。

 

 

 周囲は幹線道路や住宅地、工場や中古車販売店に囲まれた一角。

 

 通りからだと中古車販売店が目立ち過ぎて、入り口を気づかず通り過ぎちゃうかも知れません。

 

 

 注連縄の捲かれた『玉石』や『石碑』が在るんですけど自我読めない………

 

 何の碑? 昔の人は読めたのだろうか?