岩村田城

 

 『佐久市・岩村田地区』には、『大井城跡』と『岩村田城跡』が近接して見られます。

 

 この二つは築城された時代が異なり、『大井城』は鎌倉時代(西暦1220年頃)清和源氏の流れを汲む『大井一族』が領地に建てた城で『王城』とも呼ばれます。『岩村田城』が築城されたのは江戸時代末期、260年間続いた平穏な時代に外国勢力が忍び寄り、又『藩体制』に反感を持つ者達が立ち上がり、『民主』の名の各地で武力衝突が拡大されつつ在った頃、岩村田藩主『内藤一族』により築城された城です。しかし完成前に時代は明治となり『廃城令』が発令された為未完成のまま取り壊されました。同時期に『佐久市・龍岡藩』では『西洋式城建築』の『五稜郭』の築城計画が在りましたが、やはり未完成に終わっています。別名を『藤城』とも『上ノ城・うえのじょう』とも呼ばれ、『上ノ城』は現在でも地名に残されています。

 

 もし『明治維新』『藩籍奉還』が無ければ各地に沢山の『城』が残されたのかも知れませんが、日本の近代化も立ち遅れた事でしょう。

 

 

 現在『岩村田小学校』として跡地が利用されています。

 

 プール横の駐車場に『井戸』の痕跡が見られます。

 

 

 来校者用駐車場で、車が停まっていましたので苦しいカメラアングルになりますが。

 

 湯川の『河岸段丘』の上に広がる平らな土地には、現在新興住宅地が広がっています。

 

 その『湯川』の一角には『牧野富太郎氏』で有名になった『光苔・ヒカリゴケ』の見られる洞窟も在るのですが………この頃余り光らなくなってるみたい。

 

 こーちゃん。店休日が平日の為、訪れたこの日も普通に小学校は授業日です。

 

 カメラを向けていて変質者扱いされても大変ですので(世知辛い世の中)早々に移動します。

 

 佐久市の防犯情報を聞いている(スマホで見てみる)と、『小学生に声掛け事件発生』とか『女子生徒を無断撮影』などの案件が報告される世の中です。

 

 だって『神社仏閣』を参拝していても『カメラ』が『賽銭箱』をがを監視している時代。『瓜田に履を納ず 李下に冠を正さず』です。