『佐久市・田口』には『五稜郭』や『新海三社神社』が在り、観光に訪れる人も多いエリアです。
江戸時代、優良なお米が産出された為、『幕府管轄地』として『御三家』の一人『松平家』が統治していました。
江戸時代末期『松平 乗謨(のりかた)』が築城しようとしたのが『五稜郭』で有名な『龍岡城』ですが、時は流れて『江戸幕府』から『明治政府』になり、『廃城令』『神仏分離令』が発令されます。
『五稜郭』も『工夫』や『大工』の為の『御台所』の建築(唯一完成)と『お堀の石垣』が未完のままで築城が禁止に成ります。
『新海三社神社』に於いては『神仏習合』の名残で、『新海三社神社』の東側に立派な『三重塔』を持った『神宮寺』が在りました。
『明治政府』により『廃仏毀釈令』が発令されると多くの『寺院』は打ち壊されたり『火』を着けられたり。『仏像・お地蔵さん』なども頭部が壊されてるの見た事ありません?
『発令』には『猶予期間が』在り、財力の在る地域では『寺院』を新たに建て、『仏像』や『仁王像』などを移設出来ましたが、泣く泣く壊された像などがかなりの数になるそうです。
『新海三社神社』の『神宮寺』は、『上宮寺』として『雨川沿い』に建て直され『仁王門』も新設されました。その中には『県宝』として『仁王像』が安置されています。
この迫力。
眼光の鋭さ。
只、如何せん保存状態が宜しく無い。仁王門の隙間から差し込む陽光に塗料は剥げ、風雨の当たる部分は痛みも大夫進んでいます。
『仁王像』は『県宝指定』だから手が出せないにしても『仁王門』の早急な修繕が必要です。(市長。見てくれるかなぁ)
正直言って、入り口がかなり解りづらいです。
参道を歩いて来て『仁王門』を潜るのですが、何故かその先は広場になっていて行き止まり。『本堂』は左手奥に在り、参道は『鐘楼』の方向に曲がっています。
地元の方に伺った処『仁王門』を真っ直ぐ進む参道が在り、『雨川』を渡った対岸に『本堂』が在ったそうです。
今でこそ上流部に『ダム』が在り、管理河川になっていますが昔はかなりの『暴れ川』だったらしく『崖造り』の本堂は流されてしまったそうです。
その後『本堂』が新たに建立され『御本尊』を安置し、今の『上宮寺』になっています。
当時『新海三社神社』から移設された『梵鐘』と『金剛力士像(仁王像)』は県宝指定を受け現在に至ります。
『新海三社神社』を参拝する時、鳥居から太い杉並木の坂道を登り『参道』を行くと『神社』の『手水舎』に辿り着きます。そこから『狛犬』の前を通って石段を登るのですが、『手水舎』から東に50m程の所にもう一つ『狛犬』が据えられています。
此れが『神宮寺』の名残で、此方を進むと『三重塔(仏教)』が建っています。
『神社』境内に『多重の塔』が残されている場所が日本国内に『七か所』在ると聞いた事あります。
『龍岡城五稜郭』を訪れの際は『新海三社神社』並びに『上宮寺』もお忘れなく。