続きまして『竜頭山・龍福寺』さんの『御札・御朱印』を領布してくれる『全芳院』さん。
『曹洞宗・嶺南山・全芳院』 昔『丸子城』の置かれていた『城山』の南山裾に在るからでしょうか、山号は『嶺南山』としています。
東御市・祢津に在る『臨川山・定津院』の末寺とされています。
そもそも『山号』とは、呼んで字のごとく『山』の名前です。古来中国では相当数の寺が在り、同じ寺の名前も多数存在しました。そこで本家本元『総本山』の在った山の名前を前置きしたり、修行の場の在った山の名前を付けたりしました。
遣唐使が中国から仏教を持ち帰ると、『天台宗(最澄)』と『真言宗(空海)』が広がります。更に後『天台宗』の『比叡山延暦寺』で修行した僧侶が自己解釈の末独立し『鎌倉仏教』と呼ばれる『宗派』を開くと、各々が『総本山』を名乗るようになります。
『院号』の付いているお寺は、『菩提寺』として奉られている人が、『貴族階級』出身であった場合などに多く見られます。
お寺を取り囲む『白塀』が在るお寺の中でも、白壁に線が入っているお寺は格式が上とされます。
更には誰が建設しようとしたか? 時の『国家権力者』(天皇or将軍)の一声で決まったのか、各大名が領地に建設したか。
又、信仰する宗教の場を身近に置いておきたいが為に、『勧進』したり『末寺』として迎えたりと、実に様々なパターンが存在します。
『全芳院』さんの場合、『東御市・祢津』に在った『禅寺の定津院』の末寺とし、開創は天文22年(1553)、開山は『定津院第七世年室宗長大和尚(後に兵庫県永澤寺輪住、謚号大圓禅師)』、開基は丸子城主丸子三右衛門の父、『武田信玄の武将・依田肥前守』となっています。(開山は寺院の創始者、開基は寺院や宗派を創立する事)
上の案内文を読んでいたら一番終わりの方に『大工棟梁・佐久郡野沢村の小泉彦七吉信』と明記されています。
残念ながら扉は施錠されていて御本尊は拝めませんでした。
世知辛い世の中ですのでご用心ご用心。
暑い日差しを避ける様に並んでいた『六地蔵様』はカンカン帽を被っていました。
オッシャレ~。