深山地区には昔大きな『柳の樹』が在り、其処を棲みかに一匹の『龍』が棲んでいたそうです。村人を苦しめる悪い龍だったそうで、ある日『高僧』が村を訪れた際、龍を『柳の樹』に封じ込めたまま、この樹を切り倒してしまいました。其の『柳の樹』から三体の『観音様』を彫り三ヶ所のお寺『竜頭山・龍福寺』『龍洞山・宝蔵寺』『尾野山・平等寺※廃寺』に分けられ安置されました。
これが『一龍三体(いちりゅうさんたい)伝説』です。『一柳(いちりゅう)三体』だったかな?
柳の樹を切った場所は今でも地名に『柳切』として残っています。
『龍洞山・宝蔵寺』は『依田城』の麓に在る『岩谷堂』や『曼殊沙華』の有名なお寺で、『源(木曽)義仲』が挙兵の際、必勝を祈願して植えた桜『義仲桜』が有名です。
『尾野山・平等寺(へいとじ)』は現在の『上田市・須川湖』の南東に位置する山の仲に『廃寺跡』として地図に残されています。私が訪れた時は『小牧山』の急峻な崖の下に『畑」が広がっており、柱を支えたであろう『基礎石』などの痕跡を見つける事が出来ませんでした。
この現在廃寺の『平等寺』にも謂れが残されていました。『真言宗上田海善寺末寺』として『尾野山・平等寺』が建てられましたが、正保2年(1645)『僧侶・俊海』により現在の『龍尾山・龍泉寺』の場所に移籍し『光明寺』と名を改めました。更に後に『秀慶』が万治元年(1658)に名を『龍尾山・龍泉寺』と改めたと記録に残されているそうです。
そうか『山寺』と呼ばれていた『尾野山・平等寺』は移築されて『龍尾山・龍泉寺』の事だったのか。ならば『観音像』も受け継いでいる筈。
『丸子・信州国際音楽村』の西に広がる『尾野山地区』 もう一度行ってみる価値在りそうです。
『竜頭山・龍福寺』の裏山には墓所が在り、頻繁に墓参りに人が訪れているみたいです。でも『水』はと思っていると、山服に井戸が掘られていました。
お墓参りに便利ですね。
折角高台にまで登ったのだからと周囲を見廻すと
朱塗りの鳥居が並ぶ『稲荷神社』が在りが建っていました。
『稲荷神社』は『五穀豊穣・商売繁盛』の神様ですので先ずは参拝です。
『神仏混載』で『神道・稲荷神』と『仏教神・ウケノミタマノカミ』を同一視する考えが生まれた結果『神社』にも『寺院』にも『稲荷神社』が存在します。
『神道の神』は『仏陀』の生まれ変わりとする『本地垂迹』の考えが在るんですから何でも在りなんですけど………ネ。