奥志賀高原

 

 『新潟県・津南』に始まり『中津川』沿いに遡上した『秋山郷』の終点は奥志賀高原です。此処まで来ればホテルも在るし自販機なんぞも利用できます。

 

 今から40数年前………まだ『志賀草津有料道路』(現在の国道292号線)の料金所が『渋峠』に存在していた頃の話です。

 

 『草津』経由で『志賀高原』に入り、『秋山郷』でキャンプする計画を立てました。

 

 昔は11月3日が『文化の日』で学校は休み。日曜日が絡むと連休になり、春の『ゴールデンウイーク』に対して『シルバーウイーク』と呼ばれていました。

 

 土曜日、授業終了と同時にバイクに跨りイザ『秋山郷ツーリング』出発。

 

 『志賀草津有料道路』を登っている頃は辺りは真っ暗になり、標高2000m以上を走り続けていたので体は芯まで冷えていました。

 

 料金所でお金を払おうとすると「後一時間もすれば料金所が閉鎖になるからその後は只で走れるぞ。それまでストーブにあたって温まって行け」 当時安い時給(¥370/時間)でやっとこさ貯めたお金でバイクを買い、金欠病の真っ只中では「タダ!」の言葉は魅力的でした。(寒かったし)

 

 結局その後一台も車が通過する事無く『お茶とお茶菓子』の接待を受けながら控室で雑談していました。

 

 『志賀高原・蓮池』から『奥志賀高原』を目指すと案内が出てるから道は解り易い』

 

 道路の情報を仕入れ(当時ナビ何て無いし、バイクでは地図で確認しながら走るのも難しかった)イザ出発した時は夜の7時を廻ってました。

 

 更に悪い事に『霧雨』が降って来る始末。『カッパ』を着こんで『蓮池』から『奥志賀』、分岐を右折すると凸凹の『砂利道』でした。

 

 もう此処まで来たからには行くしかない。と腹をくくって水溜まりの残る凸凹の林道をソロソロと進んで行きます。

 

 水溜まりを避けながら曲がりくねった道を進んで行くと、カーブを曲がった先、道路沿いの林の中に煌々とした明かりが灯り、『撮影』でもしているのか幾つもの人影が蠢いていました。

 

 そのまま林道を進んだんですけど誰かに停められる事も無く脇を通過。暫くして振り返ったら明りは消えていて『何だったんだろう?』

 

 その時は疲れと寒さで兎に角『テントを張らなきゃ』としか考えていませんでした。

 

 後で思い出してみると道路には車は一台も停まっていなくて、機材や人はどうやって運んだんだろう?しかも煌々と輝いていた明りは気が付いた時にはあっという間に真っ暗闇。まさか見てはいけない物………

 

 なんとかかんとか『秋山郷』の集落に入り、広場らしき場所を見つけ『テント』を張って寝袋に潜り込みました。(食事抜き)

 

 そのまま朝を迎えると辺り一面の『雪景色』 凍える手でバイクの荷台に『テント』を括り付け辺りを見廻すと其処は『小学校』の校庭でした。

 

 見つけた『ガソリンスタンド』でストーブにあたらせて貰って話をしていたら「夜の林道下って来るなんて誰もしない」と云われました。

 

 林の中で見た『撮影隊』の事を話すと「辺鄙な場所で撮影何かするか?」ですと。

 

 やっぱり見ちゃいけない物だった?

 

 今回もバイクで走りましたが、全線舗装路で走り易いの何の。

 

 あの時の『明りの場所』も特定できませんでした。

 

 

 昔はこの先ず~っと凸凹の泥道。水溜まりにヘッドライトの光が反射してそれが林に写り、凸凹に併せて光の輪があっちに行ったり突然消えたり。ホントに薄気味悪かった。

 

 

 国道です。(酷道でしたけど)

 

 

 『奥志賀』~『志賀高原』の区間は『自転車競技』の会場として近く大会が在る為か、各大学が合宿してトレーニングに励んでいました。

 

 『自転車』は道路左を走ってんですけど『伴走車』が邪魔。ず~っと反対車線走っているし。

 

 

 河川の『禁漁区間』や『大きさ規制』の案内も出ていました。

 

 渓流釣りに人気が在るのかな。

 

 『志賀高原』は『佐久市・志賀』出身の『神津藤平さん(長野電鉄創業者)』が故郷を偲んで名付けた場所です。

 

 そして地図を見ていてふと脳裏に浮かんだのが『ガラン沢川』(地図には記入されていません)

 

 けっして踏み入ってはいけない場所として有名ですが其の話は何時か又。