草軽鉄道

 

 軽井沢や小諸を拠点に『草軽交通』が『バス・タクシー』分野で庶民の足として活躍してしいました。現在でも『軽井沢』を拠点に『観光バス・貸切バス』を運営しているみたいですが、『タクシー』は『第一交通』グループに吸収された形で存続しています。

 

 そもそも『草軽』とは?

 

 皆さんの多くは『草津』と『軽井沢』を結んだ電気軌道鉄道の、二つの頭文字を並べて『草軽鉄道』と思っているでしょうけど、正式には『草津軽便鉄道』を略しての『草軽』でした。

 

 現在は『新幹線停車駅』でもある『軽井沢駅』、南口には県下有数の広さと出店数を誇る『軽井沢プリンス・ショッピング・プラザ』や『名門ゴルフコース』が連なり、北口を進むと『旧軽銀座』に繋がります。

 

 『軽井沢』は外国人宣教師が、別荘地としての快適性を世に知らしめた為、広大な別荘地開発が進みましたが、そもそもは『旧中仙道』の宿場町、『軽井沢宿』が発端です。

 

 『安中宿』から急峻な登りを続けて『碓氷峠』を越え、安堵の気持ちで辿り着いた『軽井沢宿』 若しくは夜の峠超えを避ける為『軽井沢宿』で体力と英気を養い『碓氷の関所』へ向かったかも知れません。

 

 旧街道の宿場町で在りながら、近代的な観光地として発展した町を『軽井沢』以外に知りません。(京都は別です)

 

 『軽井沢駅』は『新幹線停車駅』として『レストラン』や『お土産売り場』が充実していますが、『しなの鉄道』の始発駅でも在ります。

 

 『しなの鉄道』が前身である『JR信越本線』の時代、碓氷峠を越える為に特別な機関車『電気機関車・EF63』を連結し、急勾配の碓氷峠を上り下りしました。其の連結の待ち時間が10分程かかる為、乗客はホームに降りて一服したり、横川駅では『釜めし』を買ったり出来ました。(今なら連結シーンを撮影する為ホームは人だかりだろうなぁ)

 

 

 軽井沢駅の北口にモダンな『しなの鉄道旧駅舎口』が在ります。

 

 改札を出た処に展示保存されているのが『草軽鉄道・電気機関車』 通称『かぶとむし』です。

 

 元々は『アメリカ』の鉱山開発用の機関車でしたが、『信越本線』建設の際、ダム建設の資材運搬用に導入されました。ダムが完成すると『草津軽便鉄道株式会社』に払い下げられ『草津温泉』と『軽井沢』を結ぶ『山岳鉄道』として活躍しました。

 

 

 機関車のボディは錆び止め塗装の、『シャシブラック』が塗られています。

 

 

 運転席に乗り込むには、このステップに足を掛けて非引き戸の中へ入ります。

 

 

 流石に内部は保存状態が芳しくないみたい。電装関係やメーターの類は見当たりません。

 

 

 丸ハンドル式の『非常ブレーキ』左に『トルコン』、右は『ブレーキレバー』でしょうか。この写真だと座席は無く、足を載せるだろう板が確認出来ます。

 

 

 平べったい部分に動輪が在り、モーターが直で繋がっている為、ナント4WD。

 

 

 摩擦係数を挙げる為の重り等は無く、モーターの重さで設置圧を稼いでいるのかな。

 

 写真によっては運転台側(右方向)に進んでいたり、平たい方(左方向)に進んでいたりします。(たまたまスイッチバックなだけかも)

 

 傾斜のキツイ坂を登る『山岳鉄道』では、万が一の『連結器故障』に備え坂下側に機関車を連結します。客車は普通、引っ張られる(押される)だけ。ブレーキ等は付いていません。

 

 終点に『転車台』が無ければそのままの列車編成で戻って来るだけ。

 

 運転手さんは大変です。