『鹽野神社』の『鹽』は『塩』の旧漢字です。『宮城県・塩竃市』の『鹽竈神社』にも使われています。(鹽竈神社の石段も登り応えありますよ~)
『信州の鎌倉』とも呼ばれる『塩田平』には本家『鎌倉』と縁の在る場所や寺院が多く存在します。
『源平合戦』(壇ノ浦)で『平家』を滅ぼし、『征夷大将軍』となった『源頼朝』(『源義経=牛若丸』と殺し合いの兄弟喧嘩をした兄の方)は『鎌倉幕府』を開きます。
『鎌倉の権力者一族出身』の『北条政子』と結婚しますが『源頼朝』の死後、実権を握ったのは『北条家』で、実の息子の『源頼家(二代目将軍の予定だった)』までも暗殺してしまい、以後要職を抑え『執権政治』が続きます。
少しでも『北条家』の敵になりそうな者は、例え身内であろうとも暗殺したり(粛清)、地方へ蟄居させたり(幽閉)してわが身の保身に努めました。(まるでどこかの国の将軍みたい…)
『北条一族』の分家『北条重時』の五男『北条義政』は、鎌倉幕府から『塩田』を治めるべく任を授かり『信濃国・塩田』にやって来ます。『塩田北条』の始まりです。
その後本家の『鎌倉北条氏』が『新田義貞』に滅ぼされた時、『塩田北条氏』も共に殉死しています。
『塩田北条氏』の庇護を受けた『鹽野神社』の境内には沢山の摂社・末社が祀られています。
欝蒼とした杉木立の中に点在する大岩の上に幾つも『祠』が祀られています。
『月見堂』の案内に従って山道に入り込んだんですけど、『あと何分』とも『あと何百メートル』とも書かれていません。何度か九十九折を折り返す時の不安。(山頂まで登るのかも……) 水も飲んじゃったし、『女神岳』を上って来た処だし、尚且つ暑い。キツイなぁと思った頃屋根が見えて来ました。
『月見堂』とは云っても『屋根付き展望台』の事ですね。
俳句を詠むための墓所として建てられたそうです。
机の中には『記帳ノート』が置かれ、沢山の俳句が書き込まれていました。
でも方角的に北を向いているから『観月』にはどうなんだろ。
あ~ぁ。お茶とおにぎり持って来れば良かった。