竹山隋護稲荷

 

 はて………『隋護稲荷?』初めて聞きました。

 

 川沿いに立てられた案内を読んでみますと

 

 

 初めて聞く名前に先ず『真田家家系図』を確認しました。

 

 『真田信繁=幸村』の下に二人の弟(信勝・昌親)が在り、『昌親』の三男が『信親』です。

 

 只でさえ複雑な『真田家』の内部事情に於いて、子供が出来なかった為に養子を身内に求めます。(家督相続出来なければ、お家断絶・領地没収の『お取り潰し』)

 

 江戸屋敷住みの『信親』には子供が無く『松代藩二代目領主・信政』の子供『信就』の六男『信弘』………(もう何だかよく解りません)を養子に貰います。

 

 『松代藩主』となった『信弘』は江戸屋敷の鎮守としていた『随護稲荷』を『海津城』へ遷座。後に『恵明禅寺』境内に移します。そこは『竹の繁った山=竹山』だったので

『竹山隋護稲荷』となりました。

 

 

 橋を渡って『千本鳥居』(10本位)を潜ります。周りは普通の民家です。

 

 

 鳥居を潜り終えると先ず『淡島神社』の摂社が在ります。

 

 総本山は和歌山市の『淡島神社』 人形供養の神社として知られ、供養のために持ち込まれた人形がズラリと並ぶさまは圧巻(と云うよりチョット怖い)

 

 此方にも人形が治められているのかと覗き込むと

 

 

 んまっ。ご立派、 子孫繁栄は解るんですけど何故に『カエル』も?

 

 

 石垣の上に見えるのが拝殿だろうか。も少し登るか。

 

 

 息が切れかけた頃拝殿到着。

 

 

 『絵馬』でかすぎ!

 

 

 先ずは参拝です。 小型の『鳥居奉納』も珍しい。

 

 

 ずらりと並んだ神使の『狐』 本殿迄もう一枚ガラス戸が在り、本殿は見えません。(神様だから見えないんですけど)

 

 

 『狐の穴』と書かれた立て札に従って暫く山道を歩いてみましたが解りませんでした。

 

 おおよその距離が書かれていればなぁ。暑いから途中で引き返します。

 

 

 左に『皆神山』中央に『舞鶴山』 そして今居るが『象山』

 

 張り出した『懸け造り』の舞台から観る景色だけでもひと汗かいた価値は在ります。