飯綱大権現

 

 本堂に向かって左手に鳥居が見えます。山中にはどうやら『御社(神社)』が在るみたい。

 

 日本は長い間『神道』の国でしたが『飛鳥時代』に仏教が伝来すると、各地で寺院を建て、盛んに仏教を取り入れようとします。

 

 しかし『仏教』を隠れ蓑に、山賊もどきの『僧兵』などが発生すると、正しい仏教を国内に広めようと『遣唐舟』などを使わし、『最澄』『空海』などが様々な『教義・経典』を持ち帰ります。

 

 その為『神社』の境内に『寺院』を建てたり、逆に『寺院』なのに『神様』を祀ったりする『神仏習合』が起きます。すると様々な不都合が生まれてしまい此れを補う為『本地垂迹・ほんちすいじゃく』と云う考え方が出来ました。

 

 『本地垂迹』とは………『神道』に表現される『神』は全て『仏』の化身で在る。とする事で無理やりなこじつけの気もしますが。

 

 『権現』の考え方も『仏様』が『神道の神』に姿形を変えたとするもので、敬称を着けて『大権現』 

 

 『飯綱・いいづな』とは『狐』に似たイタチ科の動物の事で、『神使』の『管狐・くだきつね』と同義とされます。

 

 『長野・飯綱山』を発祥とする『飯綱信仰』は『不動明王・歓喜天・迦楼羅天・荼枳尼天・弁財天』の合体する神様で、強い『呪力』を持つとされています。

 

 『五穀豊穣』や『商売繁盛』に『稲荷神』を崇拝しますが、より仏教寄りの考え方が『飯綱信仰』とされています。(個人的解釈で責任持てません)

 

 

 木陰の苔むした石段はそれだけで涼し気。鳥居手前で一礼を捧げさて昇りますか。

 

 

 本堂の大屋根を見下ろせる高さまで昇った所に在るのが

 

 

 『飯綱様』にさんぱいしまして。

 

 ふと脇を見ると『万葉の碑』にですと。行くっきゃないでしょ。

 

 

 この手の看板を観て、好奇心だけで行動すると時々痛い目に遭うんですけど………だって距離も時間も明記されていない。しかも『水』持ってきてない!

 

 結構な踏み跡が在るから、頻繁に人が歩いているだろうし、石積みとかも見えるからそれ程危険も無いだろうと高を括って。

 

 

 結論。『飯綱大権現』の参拝はお勧めしますけど、『万葉の碑』まで行くのは『暇』で『好奇心旺盛』な方のみに留めた方が宜しいかと。