碓氷の関所

 

 江戸時代に整備された街道の要所には、『関所』が設けられ、特に『出女入り鉄砲』には厳しく目を見張りました。

 

 『江戸(徳川幕府)』に人質として取られていた『大名の奥さん・娘』や、江戸に『武器の集中(特に鉄砲)』を厳しく見張ると共に、『参勤交代』の際の人数確認(経費のごまかし防止)や『自由貿易の禁止』と何かと規制を掛けていました。

 

 もっと云うなら『通行手形』を貰えない『住所不定』『無職』はそれだけで罪人であり、犯罪人として捕らえられ『佐渡金山』での強制労働を強いられました。

 

 昨今の衝撃的な犯罪を犯す者が、『住所不定』『無職』とか『自称〇〇』の何て多い事か!

 

 『佐久市・浅科』に在る桜の銘木『関所破りの桜』の『関所』がこの『碓氷の関所』です。

 

 『佐久』から『内山峠』を下り『西牧(下仁田市・本宿辺り)』の通行手形を持っていた『浅科の農民』が『米』を『上州(群馬県)』に収めた帰りに『桜の苗木』を手に入れます。急ぎ佐久に戻ろうとしたのですが、生憎『内山峠』は災害等により通行不可能になってしまいました。『桜の苗木』を枯らす訳に行かないと、一路『碓氷峠』廻りを決行しますが『碓氷・通行手形』を持っていなかった為に、関所を通過………出来ない筈なのですが、『桜の苗木』を届ける先が『市川五郎兵衛』の元であると知った『関所奉行』は見て見ぬ振りをして通行を許可したと云われています。故に『関所破りの桜』

 

 因みに『市川五郎兵衛』さんは『佐久・浅科地区』に広大な田園を開拓する為の『五郎兵衛用水』を完成させた上州人です。現在なら役人は『職務不履行』の有罪判決?

 

 

 『碓氷鉄道文化むら』の北側の旧道沿いに在るのですが、近くの国道を通過する車は多いのに知らない人が多すぎる?隠れた観光の名所です。

 

 

 平日・昼間、たぶん誰も居ないだろう………と思ったら法被を着た『案内人』が出迎えてくれました。(横川観光課、スゲえなぁと思ったら、予約の観光バスがこの後到着するんですと)

 

 

 現在は国道18号が整備されたり、川には護岸工事が施され橋が掛けられていますが、江戸時代の、そんなものが一切無かった時の事を考えるとこの場所を通らざるを得なかった。関所破りはそれだけで重罪です。捕まれば『佐渡金山』

 

 

 「北側の山中に在る『稲荷』まで行けば『横川』の全景が見渡せるよ」と案内人に云われ上ってみる事に。(と云っても物の5分です)

 

 

 『八幡社稲荷』ですと? あまり聞いた事無いです。

 

 

 まず目に飛び込むのは『碓氷鉄道文化むら』 一目で見渡せます。

 

 その向こうには先程行ってきたばかりの『麻苧の滝』から続く『丁須の頭』への登山道。(引き返して正解)

 

 と見ていたら、バスが到着したのか人がワンサカ集まりだした。

 

 こりゃ帰った方が良さそうだ。

 

 

 許可何て無くても、自由に行き来できる現代で良かったぜぃ。

 

 世界中がそうなればもっと良いのにね。