因みに碓氷峠を超える国道18号線(旧道・バイパス共に)には『トンネル』は存在しません。
他に碓氷峠を越えるのは『高速道路・上信越自動車道』と『北陸新幹線(信越の名前ははどうした?)』が在りますが、忘れてならないのが『旧信越本線(横川~軽井沢間)』のトンネルです。
♬ 吾妻隼人(あづまはやと)し 日本武(やまとたけ………尊・るはどこ行った?)
嘆き給えし 碓氷山 穿つ隧道 二十六 夢にも超ゆる 汽車の道
長野県民ならそのリズムを『4番』以外は誰でも知っている曲 県歌『信濃の国』の『6番』です。
なぜ『4番』を知らない人が多いかは『YouTube』で検索どうぞ。
『碓氷山』を乗り越え、関東平野を振り返った『日本武尊』は、旅の途中で身を挺して犠牲になった『奥さん(オトタチバナヒメ)』の事を嘆き悲しみ放った言葉が『吾が妻よ』 それが『吾妻』の地名に成ったそうです。(旧碓氷峠・熊野神社出典)
で『穿つ隧道二十六』 『雨だれ岩をも穿つ』の『穿つ』で、穴を開ける事を意味します。
『鉄道』が『碓氷山』を越える為に開けたトンネルは『二十六ヶ所』も数えました。
当時の人にとって、鉄道で碓氷峠を越えるのは夢物語だったのです。
それを実現した開通当時の『信越本線碓氷峠』は『単線』で、急勾配を登る為の工夫として『ラック&ピニオン』を組み合わせた『アプト式』を採用していました。(説明が長くなるから『アプト式』で検索してね)後に複線化工事に伴いトンネルを新設したり統合が行われました。
『アプト式廃止後』は、力のある『EF63型機関車』が永らく客車を牽引していましたが『新幹線開通』に伴い『信越本線・横川~軽井沢間』はその役目を終えます。
『横川鉄道車両基地』は『鉄道ぶんか村』として存続し、鉄道ファンならずとも一度は訪れたい施設です。
『トンネル』や『鉄橋』などは『鉄道文化』として保存する為、『遊歩道』が整備され『アプトの道』として人気が在ります。現存するトンネルは『十カ所』程です。(途中トイレや水など在りません)
※旧国道18号沿いの『めがね橋(第三橋梁)駐車場』にのみ『トイレ・自販機』が設置されています。

国道の脇に在る『第17号トンネル』です。

『トンネル』の写真を撮ろうと枯葉の中に足を踏み入れると、膝近くまで埋まりました。車の乗り入れ危険デス。

許可貰ってないからこの先入れない。

広場にバイクを停めて『おにぎりタイム』をしていたら

トンネルから出てきたのは『カモシカ』
良かった『猿』や『熊』じゃ無くて。
『熊』はバイクの排気音で逃げて行きますけど『猿』はエサを強奪しに来ます。
『おにぎり』なんか食べて居ようものなら、『オㇻ~。寄こさんか~ィ』と集団で詰め寄ってきます。(不良学生か!) 車なら中に逃げ込めるけどバイクじゃどうしようもない。
『猿』と出会っても決してエサや食べ物を与えたり、放置したりしないで下さい。
『歩行者・ライダー』とかが被害に遭います!