『小諸・新町』から『布引方面』へ行くには千曲川の浸食作用による急な坂を下って行きます。
あれ?何時看板が出来たのだろう?

『手城塚城跡』だけだと『手城』と『塚城』の二つが並んでいるのかと勘違いしてしまいそうですがその横に『手塚城稲荷』と在りますので区切る部分は『手城塚・城跡』が正解みたい。

畑中に道は在るし、鳥居もすぐそこに見えています。
そりゃ行くでしょう。
『稲荷神』は『農耕の神様』、其処から『五穀豊穣』=『商売繁盛』に繋がりますので見掛けたらなるべく参拝するようにしています。
『願掛け』をして願いが叶ったら『願ほどき』に再訪しなければならないのですが、『願ほどき』は地元の『鼻顔稲荷神社』で各地の一年分をまとめて『お礼参り』(不良の其れとは違いますから)させて頂きます。(ホントは何処に参拝したか覚えていない?)

春の陽気に誘われて『ウグイスの地鳴き』(まだホ~ホケキョになって無い)も聞こえてきます。

時代の流れと共に、人出不足などから神事なども大変。
でも『守る会』が発足されていますので末永く大切にして欲しい物です。


御社の中にはかなり時代物の『狐』も祀られていました。
ひょっとして300年前のモノかな?

石碑や祠が並んでいました。
城跡は確認できませんでしたけど、『野面積み』の石垣に時代を感じます。
『ナズナ』や『土筆』がいとをかし。