『城』と云っても『江戸城』や『小田原城』のように『お堀』や『石垣』、『天守閣』などを備えた広大な面積の『お城』から、防御強化の為に山頂近くに造られた『山城』、更には『見張り』や『狼煙』の為の『砦』なども城として数えられています。
又『城跡』にしても『お堀』に『石垣』、『本丸』などの現存(再建)された『お城』から、昔は此処に『山城・砦』が在り戦争拠点になっていましたが、滅ぼされた後は荒れ放題。それこそ『春望』の『国破れて 山河在り 城春にして 草木深し』になっている処も在ります。
佐久平の西側には『八ヶ岳』から続く山塊の端が迫っています。
『浅間山&八ヶ岳』の噴火堆積物、および『千曲川』の扇状地帯により形成された真っ平な『佐久平野』から、急に山岳部に接する為、低山ながら周囲を警戒する為の『見張り台&狼煙台』を奥には打って付けのちけいです。
『佐久』って意外と『お城(砦)』の数が多いって知っていました?
一つには『土地の豪族』の結束が難しかった事。
エリア毎に『伴野氏』『茂原氏』『望月氏』『大井氏』などが居城を持ち、互いに均衡していた為?
『甲斐・武田軍』の侵攻により、滅ぼされた後『武田軍出城』となった城も少なくないです。
小学生の頃、『旧前山小学校校庭』で遊んでいて、何故か『城跡に登ろう!」と云う事になりまして、校庭傍の『慰霊碑』の脇から山頂を目指した記憶が在ります。
子供の足でも15分掛からない位の登りだったと思ったのですが………

え~っ 私此の展望台の先の崖を直登してきました。
以前あった(と思はれる)散策道は見事に藪に覆われ、途中から『藪漕ぎ』して道なき道を直登。草叢を手で掴みながら急斜面をよじ登りました。
注意! 『藪漕ぎ』は手袋が無いと棘が刺さったり手を切ります。衣類に『引っ付きムシ(植物の種子)』がビッシリついて取るのが大変。オーバーシューズが無いと靴の中に枯葉・枯れ枝が入って痛い。 等々 良い事一つもありません。出来ればしないにこした事無いです。

説明文を読むと『本丸』や『二の丸』の建物の他、防御の『堀切』や『段曲輪』を備えた立派な『伴野一族居城』です。お城を取り囲むように居住区が在り、現在に引き継がれているそうです。という事は此の山の周囲に住んでいる人は『伴野氏』と関係在るのかも。
『山城』で一番大変なのは『水』です。山頂付近に造られた『居城』も『水』が無ければ住めません。
散策結果、山頂付近に『井戸』の形跡が無いですので、下から汲んで運び上げるしか無かったのかな。

『本丸跡』には『大神宮』が祀られていました。他にも小さな『祠』や、お墓を意味する石塔なども多数残されています。


『空堀』が残っています。此れで東西のお城を分けています。
西の『二の丸』側から攻撃されても、『本丸』攻めまで迄の時間稼ぎになる筈です。現在は歩いて昇り降り出来ますけど、本来は『崖』だったり『橋』が掛けられていたりした筈です。
この『空堀』沿いに多数の踏み跡が在りました。辿って行くと竹藪の中に散策道が在ります。下って行くと集落から道路に出ました。

『前山城登り口』って書いてあるじゃん。
歩いて行かれる方。此方からどうぞ。