神田明神part3

 

 江戸時代の通貨は 『金貨=大判・小判』『銀貨=豆板銀・1朱銀など』『銭貨=銭、寛永通宝など』でしたが200年間続いた江戸時代の初期と後期では大きく資産価値が変わってしまいます。

 

 『金貨』の中でも、特に『大判』は報奨金として幕府が下賜したもので、『慶長大判』は現在の価値にして400万~2000万!(金の相場変動や、美術骨董的価値履みして)

 

 庶民が滅多に手にする事が出来なかった『小判』 印象に在るのは『故 藤田まこと』扮する冴えない『与力=中村主水』、実は報奨を得て恨みを晴らす『必殺仕事人』 行政では裁けない諸悪をバッサバッサと一刀両断にしていく『痛快娯楽時代劇』です。

 

 時代劇なのにトランペットが響くとクライマックス。『中村主水』が一撃必殺で相手を倒します。実はこのシリーズに『和田アキ子』さんも共演されてました。(必殺の武器はパンチ!)

 

 仮に『遠山金四郎』が『北町奉行』で活躍していた『12代将軍・家慶』の頃(西暦1820)と仮定すると、当時庶民が夜食として食べていた『二八蕎麦』が『2×8=16文』

現在の『かけそば一杯=¥500』と換算すると『1文≒30円』 江戸時代の通貨は『1両=四分=16朱=4000文』と云われていますので『1両=12万円』

 

 「お大臣様、山吹色の菓子でございます」「越〇屋、お主も悪よのぉ~」で懐にしまい込む紙包みの小判は25枚。300万円‼ (時代劇や落語で仕入れた知識です)

 

 『千両箱』に1000枚の小判が入っていたら『1億2000万円⁉』

 

 因みに『千両箱』の重さは、頑丈な木箱込みで≒20㎏。『ねずみ小僧』が悪徳商人の蔵から盗み出しても、肩に担いで屋根から飛び降りたり、走り回れるか………(小説ですからね)

 

 こーちゃんが山に登っていた頃、肩と腰で支えても20㎏のフレーム・ザックは正直無理でした。

 

 『大判・小判』が徳川家の莫大な財宝から造られた『金貨』に対し、『大阪』の主流通貨は『銀』でした。

 

 『米=お金』の秀吉の時代から、米相場を牛耳ってきた『船場』の通貨として発展したのが『銀貨』で、重さによって価値が決められていました。鋳造技術も未熟な時代、秤で図って金額を確認したそうです。豆粒みたいな塊りが通貨として通用していました。たまに『必殺仕事人』にも出てきました。

 

 何かドンドン話が逸れてますのでここら辺にしときます。

 

 

 正月・松の内ですが『茅の輪くぐり』が設えて在りました。

 

 正式な参拝方法は、大変時間の掛かるやり方なので、正月三ヶ日の人出ではどれだけ行列が延びたんでしょう?多分略式で一礼して通り過ぎるだけかな。

 

 大黒様裏手の大きな建物は『結婚式場』や『レストラン』などを備えた『EDOCCO会館』結構商売上手ですね。

 

 

 随身門の裏手なんですけどガラス張りは撮影の天敵、どうしても上手く撮れません。

 

 

 『商売繁盛』として大企業や商社も列挙して参拝に訪れる『神田明神』

 

 『御茶ノ水』近辺をお通りの際は是非お立ち寄りください。