「親分~。大変だぁ。大変だ~っ」と大声で叫びながら『がらっぱち』が『岡っ引き・銭形平次』の家へ飛び込んでくる。「〇〇がころされた~」 で『銭形平次』と『がらっぱち』が現場に駆け付けると 「遅かったな~。明神下の~。」と『三ノ輪の満七親分』が先に来ていた事を得意げに声を掛ける。
かなり昔。我が家にTVは一台しかなく、チャンネル権は『爺ちゃん・婆ちゃん』が最優先。当然『時代劇』が主流で『水戸〇門』や『大岡〇前』そして『銭形〇次』も当然視てました。
『明神下の平次親分』とは通り名で、『神田明神』の坂下に住んでいたから。『三ノ輪の満七親分』も同じように『三ノ輪』に住んでいた事に由来します。
江戸時代に警察的役割を果たした『岡っ引き』(目明しとも呼ばれます)は『奉行所』の役職では無く、『奉行』『同心』『与力』と続く階級の一番下の『与力』の手下で、『親分』と呼ばれているように、地域でブイブイ云わせていた『顔役』だったり、スパイ的な活動を条件に司法取引をした『元犯罪者』だったり。
まぁ『御奉行様』なのに、背中に『桜吹雪』のタトゥーを彫った人も居ますから。(創作話ですからね)
実は『銭形平次』も『某〇くざ組織』の親分で、手下の子分の持つ情報力や犯罪知識などを総動員して事件を解決に導いていました。『与力』から『十手』を預かってはいましたが『逮捕権』は無く、手柄は全部『与力・同心』のもの。いくら給料を貰っているからといってそりゃ無いよなぁ。しかも薄給の為に、奥さんは『髪結い』や『飲み屋』で働かざるを得なかったそうです。尚且つ『行政(幕府)』の不正や犯罪には一切口出し出来なかったそうです。
前置きが長くなりました。では『神田明神』スタートです。

『神田明神』 正式には『神田神社』の事ですが『徳川家康』が『必勝祈願』に訪れたり『国家安泰』を祈願し『徳川家』が信頼を寄せた神社です。
庶民からも『明神さん』と親しみを込めて呼ばれていた為『神田明神』が通り名に鳴りました。
『明神』とは、社格の『名神』とは異なり、地域の方が特別な神社だよ的な意味合いだったそうです。(同じ様なのに『川崎大使』を『お大使さん』とか『柴又・題経寺』を『帝釈天』と呼んだりかな)

鳥居を潜った参道も車がバンバン通る道ですが、並んだお店が実に楽しい!

神社ですから『随身門』が構えています。
手水舎で清めてから門を潜ります。

コロナ騒動の中、柄杓はありませんが工夫されて水が流れていました。
今後このスタイルになるのかな。

祀られている祭神は『大己貴命・おおふなみちのみこと』=『大黒様』 『少彦名命・すくなひこなのみこと』=『恵比寿様』『平将門命・たいらのまさかどのみこと』『将門様』と三柱が祀られています。
『平将門』も神格化し『将門様』と呼ばれています。
滅ぼされたとはいえ『平家にあらずんば人にあらず』と栄華を極め、死してなお祟られると恐れられた『将門様』に『徳川家』も信望を寄せたのかも知れません。
『恵比寿・大黒』が揃っている処からも『商売繁盛』『縁結び』にご利益在ります。
関東最強の『商売の神』とする人も居て、気が付きました?『一の鳥居』脇の幟。
『日本橋〇越』奉納となっています。デパートの屋上には『稲荷神社』が祀られているのにね。