日本に仏教が公伝したのが6世紀半ばとされています。
その後『聖武天皇』が遣唐使を発見し大陸の文化・宗教(仏教)などを正式に取り入れます。
天平時代になると『勝道上人』により『二荒山(男体山)』は修験の場として開山され『四本龍寺』が建設されました。奈良時代には『天台宗・輪王寺』が建設されます。
『源頼朝』の寄進なども在り『関東一の霊場』として栄華を極めた日光は寺町として発展していきます。
日本は『神道』の国でしたが『仏教』伝来以降、二つが融合していき『神仏習合』と云う考え方が庶民に迄浸透していきます。そして『神道』の神々は『仏』が変化したと考える『本地垂迹』が流行します。
時は流れて江戸時代初期。日本を平定し徳川幕府を開いた初代将軍『家光公』は『軍神=東照』と崇められます。
『家康公』亡き後、遺言に従い遺骨を『久能山』の『霊廟』に収めましたが、江戸城の『鬼門』の方角を護る意味で『日光』に『宝塔=霊廟』が造られ移されます。
『二代目将軍・秀忠』の命を受け『久能山東照宮』が建設されます。
しかし『遺骨』を日光に移したので『秀忠』『三代将軍・家光』により、莫大な経費が投入されて『日光・東照宮』が建設され、『神社』として発展します。
『家光公』亡き後は遺骨を『輪王寺・大猷院霊廟』に祀ったりと『徳川家』と縁の深い地域ですが、明治政府発令の『神仏分離令』により『神社』と『寺院』を区別しなければならなくなりましたが、余りにも密接な『日光』は『二社一寺』(輪王寺・二荒山神社・東照宮)と総称して分離令を逃れています。
現在は『世界文化遺産』にも登録され『修学旅行』や『ツアー』の他にも、広く世界中から『日光』を目指して人々が訪れています。

『神橋』『輪王寺』から始まり『東照宮』『二荒山神社』と廻りましたが、『二荒山神社・神苑』で疲れてしまい『輪王寺・大猷院』は又何時かにしときます。(そうすれば又来たくなるもんね)

多分一番荒らされていないであろう『輪王寺本坊』は立ち入り禁止。
庭の一部の苔が拝める位です。

そして『旧日光街道』の石畳を歩いて下ると『長さか滝』の石標。
此の石段脇の落差が滝………ですかね?(悪く云っちゃえばU字溝)
『日光・二社一時』を訪れる時、車やバスを利用すると『東照宮』隣接の大駐車場がスタート地点になってしまいます。
お勧めは『上鉢石市営駐車場』しかも無料! 只地元民の駐車が多いのが難点。

11月初旬。日光は確実に秋の気配です。