『家康』亡き後も暫くは死亡した事を伏せていました。
『家康』の亡骸は、かねてより遺言に在った『久能山』の『霊廟』に最初は葬られていましたが、その後『日光』に移されます。
『江戸城』の鬼門の方角にある『日光・東照宮』に『軍神・家康』を祀る事により、江戸を風水的に守ろうとしたからです。

『陽明門』から続く『瑞垣』に在るのが『眠り猫』 この下を潜ると『坂下門』へ出ます。
この門から『奥之院』へと石段を上ります。
絢爛豪華な『東照宮』とはガラリと空気感が変わり、墓地としての『聖域』を感じます。
そして途中に

『東照公御遺訓』
人の一生は重荷を負て遠き道をゆくか如し いそくへからず 不自由を常と思へばふそく無し こころに望み起こらば困窮したる時を思ひ出すヘし 堪忍ハ無事長久の基 いかりハ敵と思ヘ 勝事はかり知りて負くる事志らされハ害其身にいたる お乃れを責て人をせむるな 及ばざるハ過ぎたるよりまされり 慶長九年卯月家康
(人の一生は重い荷物を背負って遠い道をゆくようなものである。急いではならない。不自由を常と思えば不足もない。心に望みが起きれば困窮した時を思い出せ。堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え。勝つことばかり知り、負けることを知らなければ害がその身にいたる。おのれを責めて人をせめるな。及ばざるは過ぎたるよりまさる。)
冒頭 『人の一生は 重荷を背負いて 遠い道を行くが如し」 と
管末 『及ばざるは 過ぎたるより 勝る』 が良く知られていますね。
ホントは 『過ぎたるは 及ばざるがごとし』と勘違いしてました。

『家康公』は『東照公』と云う神に成りましたので『東照大権現』
入り口は『鳥居』です。
長~い石段を上りながら思いました。(前の人。遅いなぁ。避けてくんないかな)

『神社』ですから『拝殿』が在ります。
先ずは参拝です。
通路に従い迂回しますと

『拝殿』の正面に見えた『唐門』 勿論一般人通行禁止です。

『東照公』の『御遺骨』が安置されている『霊廟』を護る様に『鶴』や『獅子』のブロンズ像が立っています。
鶴の咥えているのは………? 以下次回です。