名前を聞いてもピンと来ないかも知れませんけど、見ている人は多い筈です。
国道141号線を『佐久』から『野辺山』方面に南下すると一ヶ所だけ『踏切』を渡ります。(時々一時停止違反を取り締まる方がいますので注意)
大きく『千曲川』と『国道』がカーブする手前、川沿いの場所に鳥居が建っています。
此れが『湊神社』です。

パッと見、新しいのか古いのかよく解りません。
鳥居を潜って石畳の参道を行くと

ガラス戸は施錠されていました。
賽銭箱も無く終了。

本殿はかなり歴史在りそうです。
こんな山の中になぜ『湊』?
都で『おじゃ〇丸』が蹴鞠をしていた平安時代、『八ヶ岳』が火山性爆発により山体崩壊を起しました。その時の流出物は『八ヶ岳』の東から南に掛けて広大な面積を埋め尽くします。
『甲斐小泉駅』近くに『三分一湧水公園』が在り、八ヶ岳山体崩壊で起きた『山津波』により運ばれた岩が在ります。
『山津波』現代なら差し詰め『土石流』でしょうか。
東に流れ出した堆積物は『現佐久穂』付近で『千曲川』を堰き止め、数十年に渡り大きな湖を造りました。
やがてその『湖』も堰き止めていた部分が崩壊してしまいますが、地名に多くの痕跡が見て取れます。
『小海』『海ノ口』『海尻』『広瀬』などの名前が付く位巨大な湖が在り、船を使って交通や物資運搬が行われた模様です。
で『船着き場』=『湊・港』で、交通安全を祈願して建てられた神社が『湊神社』となります。
『平安時代』の『堰止湖』の時代に建てられたのかと云うとそうでも無く、『佐久甲州街道』の安全を祈願する神社として現在の場所位に移築したそうです。