粟沢観音

 

 『笹原集落』散策の後、『柳川』を渡ってバイクを走らせていました。

 

 この辺り、道に付けられた名前が素敵です。『御柱道』『縄文の道』『火とぼしの道』 『湯のみち街道』などなど。

 

 『八ヶ岳』の西の麓に広がる広大な農業地帯は『坂本養川』さんの功績によるものです。

 

 地形をみますと、東は『八ヶ岳』と西は『入笠山』から続く『南アルプス』に挟まれ、『中央自動車道』『国道20号線』『JR中央本線』『宮川』の四つが組んづほぐれつする低いエリアに傾斜しています。

 

 自然水利の川の流れは低い『宮川』に向かって流れて行きますが、『坂本養川』さんの治水した水路のお陰で、斜面を横切る様に縦横無尽に水が流れています。

 

 折角の肥沃な大地も『水』が無ければ農業不適切地帯ですもんね。

 

 

 道路沿いに見つけた長い石段。正直この暑さの中(8月中旬の猛暑日)石段登る?

 

 多分であろう石段の上に廻り込むと『粟沢児童公園』へと辿り着きました。

 

 通常は、一の鳥居から参拝するのですが、今回は暑さのせいにして楽しました。

 

 公園の水道で一息入れて、拝殿へ。

 

 

 奉納された額には『文政(1818~1831))』の文字が読み取れます。

 

 馬の背に米俵を括り付け、松林の中の街道を行く。納税?

 

 200年前の絵が色褪せずに残っています。岩絵の具で描かれているのかな。

 

 当時、土地の権力者なのかお金掛けてます。

 

 

 宮大工の腕前も素晴らしいですが、彫刻師の技術も凄い。

 

 拝殿廻りに惜しげも無く施されています。

 

 

 観音堂の御本尊は撮影出来ませんでした。

 

 手前の木造は『賓頭盧尊者』(びんずる)でしょうか。

 

 

 此方中央は不動明王』 真言密教の神様です。

 

 『大日如来坐像』と『?』 こんな小さな仏像迄破壊の対象だったのでしょうか。

 

 『廃仏毀釈令』はホント納得いかない。

 

 で、もひとつ良く解らないのが『神仏混合』

 

 此処は『観音堂』ですから『寺院』です。

 

 その境内に

 

 

 『富士山』を御神体とする『富士浅間神社』が祀られています。

 

 奥之院は勿論『富士山頂』 一寸やそっとじゃ参拝できませ~ん。

 

 

 神社ですから『神馬舎』かと思いきや沢山の『観音様』

 

 まぁ何でも有りですから『神仏混合』

 

 『ヒンズー教』の『シバ神』(象の神様)も見かけますもんね。

 

 

 下から登り上げたら結構大変そうですが、『八十八夜』には縁日が開かれ、大勢の老若男女がこの石段を登るそうです。

 

 そして境内には所狭しと屋台が並ぶそうです。(だから境内で飲食禁止の案内が出ていたのか)

 

 踵を返しフト傍らを見ると『井戸?』この高台に水脈?

 

 

 山頂でありながら水が必要。と云う事は………『山城?』

 

 

 現在管理している『粟沢老人クラブ』の方によると、深さ33mの手掘りですと。

 

 只、完成が昭和12年。戦国時代とは関係なかったです。あぁ早とちり。

 

 さっきの公園の水道が有り難いの何の。