宗教に興味ない方には何のこっちゃでしょうけど。
昨今の訳の解らない新興宗教じゃ無く『浄土真宗』です。
かく言う私も『浄土真宗』を『浄土信州』と思っていた位宗教とは無縁でした。
明治政府発令の戸籍法により残された記録から分かったのですが、私の先祖は『越後・高田』出身の人で、『杜氏』として『信州佐久』に酒造りに来て居付いちゃったそうです。
『越後・高田』はその後『上越市』に合併しますが大変『お寺』の多い街で、お寺の隣がお寺、向かいがお寺、少し民家が続いてまたお寺。なんでこんなにお寺が多いの?と思う程です。
『クラスメートに一人はお寺の子供が居る。』と聞いたのは、以前、先祖のルーツをたどろうと役場を訪れた時に聞いた話です。結局役場ではそれ以上調べられず、お寺の過去帳を調べては如何?と進言されたのですが、お寺多すぎ! それ以上はお手上げでした。

今回訪れたのは『本願寺・国府別院』です。
『本願寺』は『京都・本願寺』の事で、『親鸞上人』開祖の『浄土真宗』の総本山です。
1207年『念仏禁止令』により罪人とされた『親鸞上人』は、京都を追われ『越後』に流刑されました。船の着いた所が『居多浜』(ホントに流されたのね)で『親鸞上人上陸の地』の石碑が在ります。
そして『国府』に 『草庵(粗末な家)』を構えナント『結婚!』 大っぴらに布教は出来ませんが、弟子を連れ諸国行脚の拠点としました。
その後『親鸞』は弟子と江戸に赴き(奥さんとはそれっきり?)大々的に布教活動を行います。

何か普通に民家が建っています。

絢爛豪華な本堂では在りませんが素晴らしい彫刻の数々。
尤も江戸時代になってから信徒が建てた物ですが。



本堂の隣、書院でしょうかこちらも素晴らしい彫刻が施されています。
そしてにはの片隅に

弟子を連れ、布教に赴く像が立っていました。
奥さん………一緒じゃ無いのね。