『敵に塩をおくる』の語源は、日本海に面する越後の『上杉謙信』が、太平洋側を封じ込められた甲斐の国『武田信玄』に塩を贈ったとされています。
が、どうやら真相は、塩を渇望した甲斐の国の『農民』の為に、信濃の国の塩業者を通じて越後の造塩業者から『塩を輸入した』 越後の造塩業者は税金を納める訳ですから結局は上杉謙信が儲かっている訳ですけど。『敵に塩を送る』ですね。
そんな『塩輸送業者』=『歩荷・ぼっか』が塩俵を牛の背に負わせて通った道が『千国街道』=『松本街道』です。
『千国街道』と云っても現在の様に平坦な道が続いていてトラックがビュンビュン走れる様な道じゃ無く、時に川沿いの泥濘や、やっと牛が通れる程度の山道だったりします。
雨が降っても『蓑笠』を掛ける位の術しか無かったのでは? 濡れたら解けて流れちゃうだろうし。『歩荷』の苦労の末に塩が送られました。

『塩の道』=『松本街道』と書かれているが『千国街道』はどこ行った?
それとも『鎌倉幕府設立』が1192年じゃ無くなったように、時代考証の結果、『松本街道』にしとこうな。なんて誰かが決めたのかな。
『道路元標』は小さくて目立たず、通り過ぎてしまったし

『塩の道出発点』付近には看板以外の特に目立った物も無いし。
『ここ』では無く『この付近』に訂正して欲しいなぁ。ブツブツ。
『ふんごみ茶屋』はおそらく『踏み込み茶屋』で、草鞋を脱がなくても暖を取れるように、土間に囲炉裏や竈が在ったと思われます。

『塩の道ひろば』には『牛』と『牛つなぎ石』のモニュメントが在り、傍らの写真には

『こんな山道を塩俵を背負わせた牛と共に歩いたんですよ』の写真が在りました。
人が背負って歩く場合(歩荷)でも『50㎏』の塩俵を背負い、『30㎞』の山道を歩いたそうですからその強靭さ。 歩荷、半端無~ぇ。
山小屋の従業員も50㎏の『歩荷』をする事がありますけど、30㎞は歩かないでしょう。(急登坂とかは在るでしょうけど。)
昔、山を登っていた頃はザック15㎏位は平気だったんですけど、今は贅肉だけで20㎏は背負ってるし。膝が悪いから急登坂なんて無理!(下りで膝が笑う)
カメラとおにぎり、ペットボトル程度をウエストバッグに入れた『トレッキング』に留めます。