田口峠

 

 『龍岡城』は日本に二つしかない『西洋式城郭・五稜郭』で有名な城です。

 

 江戸時代末期、領主『松平 乗謨(まつだいら のりかた)』は後に『大給恒(おぎゅうゆずる)』と改名しましたが、元々は『徳川御三家』の正統後継者の一人です。

 

 遡る事?年前、『上野国・平井城城主・上杉憲政(うえすぎまさのり)』との間に領土問題が勃発しました。

 

 『国境』を平和的に決める為、出された案が『日の出を持って城から馬を出し、お互いが出会った場所を国境とする』と云うものでした。(誰の提案だ?)

 

 田口(龍岡藩)の殿様は当日、夜の明けきらぬうちに煌々と『かがり火』を焚き、一番鶏が鳴いたのを『朝』として『速馬』を駆けださせました。田口城から細い山道を進み、峠を越え相手と出会った場所が『狭岩峡』の辺りで、現在でも県境とされています。

 

 明かりも無く整備されていない山道を、馬で速駆けするなんて事が出来るのか解りませんが、逸話として残されています。

 

 

 トンネルから。県境では無くまだまだ『佐久市』です。

 

 

 ついでに県境の写真撮ったんですけどブレブレで見るに堪えませんので削除しました。

 

 戻って来て

 

 

 佐久市・広河原には数年前まで数件の暮らす集落が在りましたが、2019年の台風被害により孤立、陸の孤島となってしまいました。後に住民の転居が続き現在は廃村になっています。

 

 小学校の頃自転車で此処まで来て(確か途中から砂利道)洞窟探検しました。

 

 自転車に書かれてい住所を見たのでしょう、洞窟から帰ってくるとおばあちゃんが待っていて、帰りに食べろとお菓子やおにぎりを持たせてくれました。

 

 昭和の良き時代。そしてお婆ちゃんありがとう。

 

 

 この橋を渡って山道を登ると………

 

 

 崩落の為通行止め。見学はご遠慮願いますですと。

 

 お願いされちゃったらしょうがない諦めますか。

 

 

 綺麗な水でしか育たない『九輪草』が湿地に育っていました。

 

 此処で一句

 

 夏風が 心地よい涼 九輪草 主無くとも 初夏を忘れず(菅原道真のパクリ?気のせいですって。)