『甘楽郡・小幡』 大好きな町です。 桜の時期ゆっくり歩いてみて下さい。
『名園・楽山園』は以前紹介しましたから今回はパス。 『富岡・神流線』をバイクで南下します。
道路の脇に『織田家』の家紋『織田木瓜紋』がズラリと並んでいます。
案内には『織田家七代の墓』と書かれています。
此れは行くっきゃないでしょう。

トイレ・大型バス駐車場も完備し、かなり広い公園になっています。
芝生の奥、一段高い所にずらりと『霊廟』が並んでいます。

『初代・織田信雄公』と在りましたので調べてみますと『織田信長』の次男になります。
『織田のぶかつ』とも『のぶお』とも呼ばれる事が在ったそうですが、れっきとした『織田信長』の嫡子です。
『次男』とされていますが、同時期に生まれた正妻『恋姫』の子供を『長男』として報告した為、側室の子供故に次男扱いとの説も在ります。
まぁ、『次男』故に信長と共に自害する事も無く生き延び、『小幡』の地で終焉を迎えるまではのんびりと暮らせたのかも知れません。

この広い公園、実は『織田家菩提寺・崇福寺』の境内です。
『崇福寺本堂』には『位牌』も置かれているそうです。


墓標は『多宝塔』の造りで、霊廟の裏手には妻子の墓も控えています。
戦国時代から七代続いた(現在も続いている筈)栄華を此処に見る事が出来ます。

『織田信長公首塚』って『本能寺』で自害し、焼失したのでは?
調べてみました(ググるだけ)
『本能寺の変』で亡くなった『織田信長の首』を、前夜『囲碁』の対局をした『本因坊日海(本因坊砂)』が仏像の空洞部に入れて運び出し、供養したのが『富士宮市。西山』の『西山本願寺』とされています。
そして暫くは墓を建てることなく『柊』を墓標としたそうです。
此方に在るのはその『柊』の子孫。
子孫と云えば『織田家の血筋』は脈々と受け継がれ『フィギュアスケーター』まで輩出しています。
残念なのは『天下一』にはなれなかった………未来に期待しましょ!