『佐久市・北川』から切通しを抜けて『切原』へ向かう高台に鳥居が在ります。
神社が建立された昔からこの『高札』が在ったとすれば、この切通しもかなり古い歴史がある筈です。

尤も、現在はブロック擁壁で守られているから石段から手前は定かでは無いですけど。
いや、以前は切通しが無かったと考えるのが正しいのかな。
自動車の為に土手を切り崩して道を通したけど、元は切通など無く、左右の高台は繋がっていた。

石段を登って鳥居を潜ります。扁額の文字は読み取れません。

頂上は草刈された広場になっており、人が頻繁に手入れしているみたいデス。

神楽殿の様な舞台も在り、近づいてみて納得。『ゲートボール場』になっていました。

だからボールが転がり落ちない様にネットが張られていたんですね。

『北川神社』の『社』です。
瑞牆の隙間から辛うじて撮影出来ました。
古くからの『社』を保護する為、建屋で覆うのは良くある手段です。
廻り込んでみると額が掲げられていました。

雨に滲んだ文字で何が書かれているか解りませんけど興味津々。
何処かに調べる手立ては無いかな。