丸子北部の『信州国際音楽村』付近から、下之郷にかけての丘陵地帯の中に戦国時代『尾野山城』が在りました。
それに纏わる史跡の数々を保存しようと尽力しているのが『尾野山史跡めぐり協議会』の方々。(決して教育委員会とかじゃ無いと思います)
こんな山の中まで?とか、年間何人が訪れるの?みたいな場所にまで案内看板を設置しています。有難い。

細い民家の間の道路を抜けると結構な急坂になり、こんな道誰が通るの?(物好きな私くらいか……)みたいな先に看板が在りました。
石積と手すり付きの階段、更に先にはフェンスも見えます。
フェンスの正体は給水タンク。下の集落へ供給する為高台に設置されているのでしょう。

子供会か何かが造ったのかな。みたいな鳥居を潜って更に上を目指します。

コンクリートの基礎で固められた鳥居。文字がカタカナです。
あとどれくらい登の………と不安になりかけた時、建物が見えて来ました。


内部に石の『祠』が祀られています。
でもどう見ても『悪ガキ』の溜り場的な落書きが多数。
更には『薪の山』は『かがり火』にでも使うのかな。

この高台からは『千曲川沿い』に『丸子』から『東御』『小諸』まで見渡せます。
更に登れば『尾野山城跡』が在る筈なんですけど、どの位登る事やら。
今日は此処までで勘弁してやるぜ。と踵を返します。
後で調べたら城跡迄100㍍も無かったじゃん。