『佐久市・原地区』から『佐久市・臼田地区』へと抜ける主要道路沿いに『福寿密院』は建っています。
『真言宗・智山派・福寿密院』 あれ山号は?

入り口が解らずウロウロ。東側から砂利道が続いていました。
御堂だけの小さなお寺です。庫裏がくっついていて御堂の前が駐車場?
御堂の縁側で猫が日向ぼっこしていました。

地方の寺院にしては斬新的な色使いです。
靴を脱いで階段を昇り御本尊拝観………閉ざされていました。
隙間から覗こうにも何も見えません。お賽銭を置いて合掌。

境内の片隅に『社』が建っています。
小さいながらも立派です。でも扁額も案内の類も見当たりません。
『稲荷神社』なら『狐』なんかが置かれているんですけど。

『寺院』の境内に『神社』が祀られているのは、奈良時代に始まった『神仏習合』によります。
古来より『神道』主流の日本に於いて『仏教』が伝来します。
仏教に帰依していた『推古天皇』が即位した事から、西暦596年には『飛鳥寺』が建設され宗教として『仏教』が確立します。
『唐招提寺』は中国の高僧『鑑真和上』が態々来日し創立しました。
一方『仏教』の名を借りた『僧兵』(武蔵坊弁慶も最初はこの類)などによる暴挙が人々を苦しめます。
『平家物語』の中に『白河天皇』にして『加茂川の水 双六の賽と 山法師』と嘆いている『山法師』がこの『僧兵』にあたります。
その後正しい仏教を学ぶべく『遣唐使』によって『最澄』『空海』らが様々な『経典』を持ち帰り『天台宗』『真言宗』を開山し仏教を学びたい人=僧侶に広め、日本各地に広がって行きます。
その後日本に疫病が大流行した事を受け『聖武天皇』が日本各地に『国分寺』『国分尼寺』を建設させます。
『天皇家』=『神道』が『仏教』を認め、救いを求めた事に成ります。
『神道の神』と『仏神』を重ね合わせる事が良しとされ、次第に境目が無くなって行ったのが『神仏習合』です。
神道の『宇迦之御魂神・ウケノミタマノカミ』と仏教の『茶枳尼天・ダキニテン』が習合し『稲荷神』となりました。
『京都・伏見稲荷』は『神社』ですが『愛知・豊川稲荷』は『寺院』です。
良く解りませんネ 『神仏習合』